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第1章-3 温泉ドライブとエブリイ初遠征

納車から数日。

まだ新しい相棒・エブリイの運転席に座るたび、川瀬紗良の心は高鳴っていた。

マニュアル車特有のクラッチの踏み込みと、ターボが効き始める瞬間のわずかな加速感。

それを味わうだけで、日常が少しだけ特別になる。

 

しかし、スキーシーズンにはまだ早い。

雪山のゲレンデは準備中で、道路は秋色に染まった木々に囲まれている。

だから今日は、大学の友人・夏帆かほを誘って、山の方の道の駅まで温泉ドライブに出かけることにした。


午前10時。

アパート前の駐車スペースでアイドリングするエブリイのエンジン音は、軽バンらしい「ぷるるるる」という低いリズム。

助手席ドアが開き、夏帆が顔をのぞかせた。


「おお~、これが噂のエブリイかぁ! へぇ~へぇ~、こんななんだぁぁ~」

彼女は乗り込むや否や、後部座席の空間や天井の高さをキョロキョロ観察し始めた。

手でルーフを叩いてみたり、シートベルトを伸ばしてパチンと戻したり。完全に探検モードだ。


「何にもついてないね♪」

悪気のない声でそう言われ、紗良は一瞬むっとして反論する。


「いや! エアバッグくらいついてるし!!」

声が思ったより大きくなってしまい、車外にまで響いた気がした。


夏帆は手をひらひらさせて笑う。

「そーじゃないよぉぉ~。ほら、今どきの車ってピコピコいっぱい付いてるじゃん? バックカメラとか、自動ブレーキとかさ~」


「あー…まぁ…そういうのは、ない」

紗良も笑い出し、二人は肩を揺らしながら出発した。


ハンドルの向こう、視界の端には、自分で取り付けたばかりのディスプレイオーディオ(以下DP)が輝いている。

スマホとBluetoothで接続し、お気に入りのプレイリストを流す。

今日の一曲目は、山道ドライブにぴったりな軽快なロック。


信号を抜けて郊外に差し掛かると、景色は一気にのどかになる。

右には田んぼ、左には古い商店がぽつぽつと並び、遠くには紅葉が始まった山並みが見えてきた。


山道の入り口に差し掛かると、道路はゆるやかな上り坂に変わる。

エンジン回転数を上げ、4速から3速へシフトダウン、そして踏み込む。

軽バンとは思えないほど力強く、エブリイはぐいぐい登っていく。


「すごいねー、軽自動車なのにグイグイのぼるねぇ~」

助手席の夏帆が、窓の外を見ながら感心したように言う。


褒められた…気がした。

紗良の口元が自然とゆるむ。

「でしょ? JOINターボだよ? ふふふふ…」

若干得意げな声が漏れた。


だが、調子に乗ったのがいけなかった。

カーブを勢いよく曲がり、さらに急勾配を攻めるように登っていくと――。


「……うっ」

夏帆の顔色が一瞬にして青ざめる。


「え、ちょ…まさか車酔い!?」

「……ちょっと、やばいかも…」


紗良は慌てて次の直線に差し掛かると、路肩のコンビニ駐車場に滑り込んだ。


エンジンを切り、二人で車外へ出る。

山から吹き下ろす風が、ひんやりと頬を撫でた。

その冷たさに、夏帆の表情が少し落ち着く。


「悪かった…調子に乗って回しすぎた…」

「いや、大丈夫…たぶん…」

そう言いながらも、夏帆は手でお腹をさすっている。


紗良は店内に駆け込み、コンビニカフェのホットコーヒーと、夏帆用に冷たいオレンジジュースを買って戻った。


「スンマソン」

コーヒーをずるずる飲みながら、わざと語尾を伸ばして謝る。


夏帆はジュースを受け取り、ストローでちゅーっと吸うと、「しゃーないねぇ」と笑った。

笑顔が戻ったことに、紗良は胸をなでおろす。


再び走り出したエブリイは、今度は穏やかなペースで山道を登る。

道路脇のススキが風に揺れ、時折カーブの先に広がる山の稜線が、秋の空にくっきりと浮かび上がる。


そして、山の向こう側に出ると、道の駅の大きな看板が見えてきた。

温泉マークと湯気のイラストが描かれたその看板は、旅人にとって何よりのご褒美のサインだ。


駐車場に入ると、地元ナンバーの軽トラや観光客のSUVが並んでいる。

エブリイを端に停め、エンジンを切った瞬間、ターボ音と振動が消え、静寂が訪れた。


車から降りた二人の鼻腔に、どこからともなく硫黄の香りが漂ってくる。

山あいの小さな温泉特有の、あの懐かしい匂いだ。


「着いた~!」

夏帆が両腕を伸ばし、大きく伸びをする。


「じゃ、温泉いきますか」

そう言って建物に向かう紗良の背中は、どこか誇らしげだった。

初めての長距離ドライブ、初めての相棒との遠征――。

それは、彼女にとって新しい冒険のはじまりの匂いがしていた。


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