第2章‐16 氷の城下町とエブリイの余波
氷の城下町を爆走した――その混乱は、しばし町の記録に残るほどの大騒動だった。
凍りついた石畳にはスリップ跡がくっきりと刻まれ、広場の屋台は半数が横転、干してあった毛皮のマントや魚の干物が空を舞い、町人たちは口々に「氷の魔獣が暴れたのか!?」と悲鳴を上げていた。
いや、魔獣ではない。
原因は――異世界の小さな銀色の箱、エブリイ。
そしてその助手席で声をあげて笑い転げる女王陛下と、ハンドルを握る沙良であった。
「……ひぃ、ひぃ……くっ、あはははははっ! あれ見た? 魚屋の親父、顔真っ青で氷樽に飛び込んだ!」
沙良は肩で息をしながら運転席で笑い転げる。目尻は涙で濡れ、頬は興奮の赤で染まっている。
助手席の女王陛下もまた、頬を紅潮させ、瞳を爛々と輝かせていた。
「これぞ……これぞ解放感というものか! 馬など子羊に等しい、わらわは風そのものになったのだぁぁっ!」
城下町の人々は泣いているのに、車内の二人は笑っていた。
エブリイは広場を飛び出し、町外れの雪道でようやく減速を始めた。
外では――。
「と、とまれぇぇぇっ!!」
リオネル伯爵が馬を駆り、顔を真っ赤にして追ってきていた。
その後ろで、ロドムも息を切らし、半ば氷の粉をかぶった雪だるま状態で叫ぶ。
「こ、これはっ……殿下……いや、陛下が直々に……っ! 町が、町が大混乱に……っ!」
その光景を少し離れた場所で見ていた夏帆は――膝から崩れ落ち、腹を抱えて転げ回っていた。
「くはっ……あはははっ! なにあれ、もう……サラ、完全にブレーキ壊れてるでしょ! 悪い癖全開だって! いやぁ……お腹痛い、死ぬ……!」
やっと車を停めたところで、リオネルが駆け寄る。
「お、おやめください陛下っ!! このような危険な――」
「ふふん、危険? 違うぞリオネル。これは希望だ。民に夢を見せたのだ!」
女王陛下は満面の笑みで言い切った。
「……夢じゃなくて悪夢ですよ」
夏帆がすかさずツッコむ。
沙良はというと、ハンドルから手を離して深く息を吐いた。
「はぁぁ……やっば。やっぱ血は争えないな。父さんも昔、似たようなことやって母さんに怒鳴られてたっけ」
「はぁ!? 沙良パパもこんなんなの!?」
夏帆が絶叫する。
「そうそう。新しいバイク買ったら試運転のつもりで住宅街一周……って言って、気づいたら高速に乗ってたとか」
「完全に同類じゃん!!」
◆◆◆
だが、笑っている場合ではなかった。
町中は大騒ぎ。広場では魚屋や毛皮商人、氷細工の職人たちが集まり、口々に怒鳴り合っていた。
「わしの魚樽が! 全部、道にぶちまけられたぁ!」
「おれの氷像コンテスト用の作品がッ! 鼻が欠けたぁ!」
「わたしの毛皮が雪に落ちてびしょびしょじゃないか!」
町民の視線が一斉に女王陛下へ向かう。
だが、誰一人声を荒げる者はいない。
そう、目の前にいるのは女王その人だからだ。
「……お、お静かに! 皆の者っ!」
リオネルが慌てて両手を広げる。
「これは……これは女王陛下直々の……ええと……新兵器実演である! そうだ、そういうことだ!」
「「「新兵器!?」」」
町人たちがどよめいた。
女王陛下は嬉々としてうなずく。
「うむ、そうだ。これは“エブリイ”という未来の御車。これがあれば物流は加速し、物資は雪原を越えて瞬く間に届くであろう」
町人たちは顔を見合わせる。
「た、確かに……速さはすごかった」
「いやでも怖すぎただろ!」
「わたしの氷像、返して!」
広場は再びざわめきに包まれた。
沙良は内心と冷や汗をかいていた。
「えっと、その……修理代とか補償とかは、後でちゃんと」
夏帆が肘でつつく。
「ねぇ沙良。これ、もう完全に補償問題だよ。保険とかないからね!?」
「わかってるよ! でもあたしら外貨もないし……」
「……おいおい、そこの嬢ちゃんたち」
ずしりとした声が響いた。
振り返ると、そこには大柄な男――見覚えのある焼き肉串屋の大将が腕を組んで立っていた。
「この騒ぎの元は、お前らと……その箱か」
沙良と夏帆が凍りつく。
「あ、大将……」
「お久しぶりっす……」
大将はじろりと二人を睨んだが、ふっと笑った。
「まあ、いいさ。女王陛下がご一緒なら大目に見てやる。だが――」
彼は指を突きつける。
「次は必ず、町のために役立てろよ。その箱をな」
◆◆◆
女王陛下は満足げに頷く。
「うむ、その通りだ。わらわの新たな“御車”で、この町をもっと豊かにせねばならぬ!」
「ちょ、陛下!? またその気になってません!?」
夏帆が青ざめる。
沙良は窓越しに夜空を見上げ、にやりと笑った。
「……ま、いっか。どうせ止められないし。なら使い倒してやろうよ、エブリイを」
「沙良ぁぁぁぁぁ! 悪い癖ぃぃぃぃ!」
夏帆のツッコミが夜の城下町に響き渡った。
――だが、この騒ぎはまだ序章にすぎなかった。
翌日、氷の城の“魔導ギルド”が動き出す。
「異世界の御車が現れた」として、調査団が派遣されるのだ。
そして沙良たちと女王陛下を待ち受けるのは――さらなる爆走と、大規模な魔法実験のとばっちりだった。
彼女たちの異世界冒険は、ますますスピードを増していく。




