第2章-7 期待外れの宿屋受付と、ちょっと豪快な大将
石畳の通りを車を走らせながら、沙良と夏帆は顔を見合わせてにやにやしていた。
「ねぇ、ねぇ、異世界あるあるだとさ、宿屋の受付って幼女なんだよね~」沙良がわくわく顔で言う。
「ほんと、それ楽しみだよねぇ。小さな子が『いらっしゃいませ』って出てきたら、もうそれだけでテンション爆上がりでしょ(笑)」夏帆もノリノリで答える。
ふたりはゲームやアニメの話題で異世界ものを語り尽くした仲だ。実際に異世界に来てしまった今、現実がどこまで“あるある”に寄せてくるのかを確認するのが、密かな楽しみになっていた。
――そして、ディスプレイオーディオが指示した宿屋へ到着する。外観は木組みのしっかりした二階建てで、窓からは暖かな灯りが漏れ、夕暮れの街に小さな安心感を漂わせていた。軒先には風に揺れるランタンと、宿屋の名前が掘られた木製の看板。旅人や冒険者たちが利用する、町でも定番の宿屋らしい。
「おぉ、雰囲気あるねぇ」
「うん、わくわくする」
夏帆と沙良は胸を弾ませながら、エブリイを近くに停めて宿屋の扉を押し開けた。
――が、カランカランとベルが鳴ると同時に目に飛び込んできたのは、彼女たちの期待とは正反対の人物だった。
スキンヘッドに分厚い胸板。腕は丸太のように太く、首には無駄な肉のない筋肉が浮き上がっている。しかもエプロンをしているのだが、そこには妙に場違いなデザインで「I LOVE CRT」と書かれていた。
「……えぇぇ?」沙良が目を丸くする。
「幼女どころか……マッチョじゃん!」夏帆も思わず声を上げた。
「なにそのエプロン、CRTって……あれでしょ?ブラウン管好きのキャラが付けてたやつ」沙良が小声でツッコむ。
「うわ、懐かしい……。この世界にそんなのあるの?」夏帆も噴き出しそうになる。
ふたりが内心ざわつく中、マッチョ大将は驚くほど柔らかい笑みを浮かべ、落ち着いた声で迎えてきた。
「いらっしゃい。食事かい?それとも宿泊かな?」
「えっ、あ、宿泊で……お願いします」夏帆が慌てて答える。
「食事はどうする?朝食は付いてるが、夕食は別料金だ」
「えぇっと……」沙良が夏帆を見やる。
「とりあえず、今日は夕食付きで一泊にします。明日のことは明日考えるってことで」夏帆が即断した。
「はいよぉぉ」大将は威勢よく頷き、分厚い手で帳簿を引き寄せる。「じゃあ、これ書いてくれ。名前な」
「はぁぁぁい……って、いえええあう!?」夏帆が妙な声を上げた。
「どしたの、変な声出して?」沙良が首を傾げる。
「いや、あんた、この世界の文字書ける?」夏帆が帳簿を覗き込むと、そこに記されているのは見たこともない文字だった。
「ん……( ,,`・ω・´)ンンン?」沙良も目を凝らすが、やはり分からない。
「はいはい……どうするよ、これ」夏帆は頭を抱える。
あのエプロンの文字は何だったのか!?
「スマホで撮ってみたら?変換されたりして(笑)」
「そんなバカな……」と言いつつも、夏帆は試しに帳簿を撮影してみた。――パシャリ。
「ぶっ!!変換されてる!!」夏帆の目が見開かれた。「でも、どーやって書くのよ」
「日本語で書いて、もう一度撮ってみたら?」沙良が軽く提案する。
「……あんたねぇぇ」夏帆は呆れながらも、自分の名前を日本語で書き込み、スマホで撮影。すると画面には見事に異世界文字に変換されたものが表示された。
「おぉう、なんか出た(笑)」
「それを見ながら書いてみなよ」
「なかなかムツカシイことを、あんた、ねぇ」文句を言いながらも、夏帆はペンを走らせる。……が、「あれれぇ~」
「コ○ン君か(笑)」沙良が吹き出す。
「いや、なんか勝手にそれっぽいのが書けた!?」夏帆は驚く。
「へぇぇ、じゃあいいんじゃない?」メカ以外はこだわらない沙良はあっさりと納得した。
「書けたのかい?」大将が帳簿を覗き込む。
「あ、はい、これでいいですか?」夏帆。
「んーとぉ……サラとカホ、か。ふむふむ」大将が頷く。
「はい、あたしが夏帆で、この子が沙良です」夏帆が説明する。
「じゃあ、一人一泊銀貨一枚、夕食は銅貨五枚。二人合わせて、銀貨三枚な」大将が指を折りながら計算した。
「ふむふむ……」夏帆は、銅貨十枚で銀貨一枚なのかと。
「よくわからんが、ふむふむ」沙良も横でうなずきながら袋から銀貨を取り出す。
「食堂はこの奥だ。まだちょっと早いな。もう少ししたら用意できる。部屋は二階の一番奥だ。鍵はこれな。お湯とか欲しいか?」
「えっとー……お風呂は……?」夏帆が恐る恐る聞く。
「風呂?そんなのはお貴族様か!」大将は豪快に笑った。
「じゃあお湯、お願いします!」沙良が即答する。
「銅貨一枚だが」
「はい、お願いします!」沙良は銅貨を差し出す。
「じゃあ、食後に部屋まで届けるからな」
「ありがとうございます。あと、車……馬車みたいなのがあるんですけど、どこに停めたら……」沙良が尋ねる。
「くるま?まぁ馬車みたいなもんか。裏に広場があるから、そっちに停めときな」大将があっさり答えた。
「ありがとうございます。夏帆は待ってて、あたしエブリイ回してくるから」
「りょーかーい」夏帆が笑顔で手を振る。
裏手に回ると、馬やロバが繋がれている。干し草と獣の匂いが鼻をくすぐった。
「おぉぉ、お馬さんがいるヨ……んーちょっと臭う、ね」沙良は小声でつぶやきながらエブリイを停め、再び宿屋へ戻る。
「ただいまぁ」
「おかえりんこ。じゃ、部屋行ってみよっか」夏帆が笑う。
ふたりは鍵を受け取り、ギシギシと音を立てる木の階段を上って二階へ。廊下のランタンがオレンジ色の明かりを投げかける。奥の部屋に着いて扉を開けると、そこにはシンプルながら清潔な空間が広がっていた。
「へぇぇ~」沙良が目を見張る。
「ベッドが二つに、テーブルと椅子。悪くないね」夏帆も頷く。
窓からは城下町の街灯がちらちらと見え、異世界の夜が少しずつ訪れつつあった。ふたりは顔を見合わせ、ようやく一息をついたのだった。




