第2章-3 氷の城下町へ
――雪の丘を越えて、目の前に広がった光景に、二人は息をのんだ。
「うわぁ……」夏帆が小さく声をあげる。
「これ、まじで……」沙良は運転席から身を乗り出すようにして前方を凝視した。
そこにあったのは、氷の彫刻のようにきらめく巨大な城。
青白い氷の壁は太陽光を反射して輝き、まるで空そのものが透き通って形を成したかのようだった。
その周囲には高い外壁と城門、そして門の外に広がる整然とした街並み。
氷の城の城下町――まさしく絵本や映画でしか見たことのない、幻想の世界。
エブリイは雪を踏みしめるたび、キュッ、キュッと乾いた音を立てながら城門へと近づいていく。
「……すごい。日本のスキー場ってレベルじゃないわ」沙良が呟く。
「うん、絶対ここ、異世界でしょ。もう観念しよう?」夏帆は自嘲気味に笑った。
その横で、ダッシュボードの真ん中にあるディスプレイオーディオが淡い光を放ち、文字を浮かべる。
『進みなさい。心配はいりません』
「……あのさ、誰が書いてんの、これ」夏帆が眉をひそめる。
「知らん。でも……まあ、ナビだと思えば?」
「ナビにしては不気味すぎるんだよ!」
やがて、氷の門へとたどり着く。
門は高さ十メートルほどもあり、両側には槍を持った門番が立っていた。鎖帷子の上に毛皮をまとい、鉄兜の下から覗く顔は精悍で、まるで中世ヨーロッパの騎士そのものだ。
そして何より――その視線は、エブリイに釘付けだった。
「うわ、めっちゃ見られてる」夏帆が身を縮める。
「そりゃ、こんなクルマ初めて見るだろうし」沙良も緊張で手汗を感じていた。
一人の門番が声を張り上げる。
低く響く声。
分からない言葉にディスプレイオーディオが
『止まれ! そなたら、いったい何者だ!』
沙良と夏帆は顔を見合わせる。
「え、どうする? 言葉通じないよね」夏帆が小声で囁く。
「でも、エルダンさんは分かるって……通じてなかったっけ?」
「とりあえず……スマホ」
その瞬間、夏帆のポケットのスマホが震えた。
取り出すと画面に『接続完了 リモート翻訳モード使用可能』と文字が浮かんでいる。
「え、これって……」
「試してみよっか」沙良は窓を少し開け、スマホに向かってゆっくりと言った。
「わ、私たちは旅人です。害意はありません」
一拍の沈黙の後、門番が少し目を細めて頷く。
「……ふむ。言葉が通じるのか。ならば良い。ここは氷の都、城下町だ。用があるなら中へ入るがよい」
「……通じた」夏帆がぽかんとする。
「やっぱスマホが翻訳してくれてるんだ」沙良は息をついた。
二人は無事、エブリイごと城下町へと入ることができた――。
城門をくぐると、広がるのは石畳の通り。
両脇には木と石造りの家々が並び、煙突からは白い煙が立ち上っている。
通りには行き交う人々の姿――厚手のマントにブーツ、毛皮の帽子をかぶり、手には荷物や籠。まさしく異世界の住人そのものだった。
「……すご。なんかテーマパークみたい」夏帆が声を上げる。
「でもこれ、全部本物なんだよね」沙良は真剣な顔で辺りを見回す。
通りを進むエブリイに、人々の視線が集まる。
子どもたちは「なにあれー!?」と指をさし、大人たちも眉をひそめたり驚いたり。
それもそのはず、金属の塊が音を立てて走っているのだから。
「……めっちゃ注目されてるね」夏帆が縮こまる。
「大丈夫大丈夫。ゆっくり走ろ」沙良は慎重にハンドルを操作した。
横を歩いていた商人の男――エルダンがちらりとエブリイを見ながら手を振り、特に何も言わず建物へと入っていった。
ディスプレイオーディオには『ここは商人ギルド』と表示されていた。
二人は商人ギルドの前でエルダンと別れ、さらに通りを抜ける。
やがて小さな広場に出た。
そこでは、いくつもの屋台が並び、煙が立ちのぼっていた。
鉄板の上でじゅうじゅうと焼かれる肉、鍋から漂うスープの香り、焼きたてのパンの匂い――。
「……おなかすいた」夏帆が素直に呟く。
「わかる」沙良もごくりと唾をのむ。
二人は誘惑に負けてエブリイを停め、屋台の一つに歩み寄った。
串に刺された肉が炭火で焼かれ、香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
沙良はスマホを片手に店主へ声をかけた。
「こ、これください」
翻訳が通じたのか、屋台の大将がニカッと笑いながら、こんがり焼けた串を差し出した。
スマホの画面には
『おう、二本で銀貨一枚だ』と出ている。
「えっと……」沙良は財布を取り出し、中から千円札を取り出して見せる。
しかし、大将は首をかしげるだけ。
「……ダメだ、日本円通じない」沙良が青ざめる。
「そりゃそうでしょ!」夏帆がツッコむ。
「どうする……」
「なにか売れそうなもの積んでない?」
「エブリイに?」
「そう。で、さっきの商人ギルドで換金してもらうのよ!」
「あー、異世界あるある、だねぇ(笑)」
屋台の大将は不思議そうに二人を眺めていたが、沙良はスマホに向かって慌てて言った。
「お金ないんで……でもすぐ戻ってきます!」
翻訳が通じたらしく、大将は腹を抱えて笑いながら言った。
『そうかそうか、わかった。まだやってるからな、急がんでいいぞ!』
「助かった……」沙良はほっと息をついた。
二人はエブリイに乗り込み、再び商人ギルドへ向かうために来た道を戻っていった。
だがその時、彼女たちは気づかなかった。
城門から氷の城へと駆け出していった連絡員の姿を――。
エブリイという異質の存在が、すでに城の上層部へ知らされようとしていたことを。




