第2章-2 氷の城への道中
粉雪に覆われた大地を、エブリイはゆっくりと進む。
軽自動車のエンジン音が、異世界の静寂に小さく響いた。
遠く、青白く輝く氷の城はまだ見える。だが、距離感はつかみにくく、丘を越えれば近くなるのか、それともまだ遠くに広がるのか、誰にも分からない。
「……それにしても、景色が、ほんとに……」
助手席の夏帆が声を落とす。
「うん。見たことない針葉樹とか、雪の光り方とか……まるで絵画みたい」
「いやいや、写真でもここまで再現できないわ」
沙良はハンドルを握りつつ、道路の微妙な凹凸や雪の硬さを確かめる。異世界の雪は、踏んでも沈み込まないのに適度な抵抗があり、タイヤのグリップ感が少し異なる。
ふと、道の先に何かが動く気配が見えた。
「……人?」
夏帆が指さす方向には、マントのようなものを羽織った人影が、ゆっくり歩いている。
距離はまだかなりあるが、歩くたびに雪がキラキラと舞った。
二人はエブリイを停め、窓を開けた。
「……こんにちは?」
声をかけるが、返事は理解不能な言語だった。
低く響く声に、奇妙なアクセントがあり、二人は首を傾げる。
しかし、ディスプレイオーディオの画面に文字が浮かぶ。
『こんにちは、旅人よ』
『安心せよ、私は君たちの言語を理解している』
「……え、なにこれ」
「オーディオが、勝手に翻訳してる……?」
沙良が指を触れると、音声が文字化され、さらに日本語として読み上げられた。
初めて異世界住民と“会話”が成立する瞬間である。
人影は二人に近づき、手を差し伸べた。
「自己紹介を」とディスプレイに表示される。
青年の名前はエルダン。近くの小さな村から、氷の城へ向かう行商人だった。
「ここ……どこ?」
「氷の城に行く途中です」
ディスプレイ越しに翻訳される文章は、少しぎこちないが意味は通じる。
エルダンは指差しや身振りを交えながら、道中の危険や注意点を教えてくれた。
「この先、氷結した小川があります。夜は滑りやすく危険」
「あと、雪の丘には見えない溝があるので、速度を落とせ」
沙良はメモを取りながら聞いた。
「ふむ……なるほど、異世界の雪道も物理法則はほぼ同じ、ただ表面抵抗が違う、と」
夏帆は小声で、「沙良、もうその分析モード入るのね……」と呆れ笑い。
二人はエブリイで、エルダンの後ろをついて進むことにした。
雪原に差し込む朝日が、氷の城の青白い壁面を照らし、幾何学模様のように光を反射する。
雪原はまるで銀色の海。
ところどころに樹氷が立ち並び、風で雪の結晶が舞い上がる。
遠くには氷河のような崖が見え、その先には青白く輝く氷の城の塔が幾本も突き出している。
時折、雪をかぶった岩が道路を塞ぎかけるが、エブリイの軽快な車体はうまくかわして進む。
「……すごいね。リア駆動でもここまで行けるなんて」
沙良はタイヤのグリップ感を確かめながら言った。
夏帆もハンドルに手を添え、微妙な雪の感触を楽しんでいる様子だ。
途中、二人は小川を渡る。水は凍っているが、透明感があり、雪原に反射して光の道のように輝く。
砂利道や凍結した坂道もあり、注意を促すエルダンのアドバイスが心強い。
丘の上で休憩をとった二人は、持参した温かい飲み物を口にする。
「……しかし、これって、オーディオが翻訳してくれなかったら完全に詰んでたね」
「うん、声も聞き取れないし、文字で返ってくるのも不思議な感覚だ」
沙良は車外からディスプレイを見つめる。
「でも、こうなると……この車、かなり役立つね」
「……いや、ちょっと怖くない?勝手に翻訳してるんでしょ」
夏帆は不安そうに言ったが、コーヒーを飲むと少し気持ちが落ち着く。
エルダンは微笑むように頷き、再び歩き始める。
二人はエブリイに乗り込み、氷の城への道を進む。
「ねえ、沙良、これってどういう仕組みなのかな」
「翻訳機能だろうね。スマホのアプリじゃなくて、このディスプレイオーディオ自体が音声解析と翻訳してる」
「でも、現地の言葉をどうやって認識してるんだろう」
「うーん、まさか魔力的なセンサーとか……?」
沙良の眉間にしわが寄る。理系女子の理屈回路が、異世界の不思議に突っ込んでいく。
「……でも、会話できるから心強いね」
夏帆は少し笑顔になった。
「うん。これで情報収集もできるし、道中も安心だ」
二人は雪原を走るエブリイの車内で、徐々に異世界の旅路に馴染んでいく。
遠くに見える氷の城はまだ遠いが、冒険は確かに始まっていた。




