脳筋殿下は補助魔法の天稟がおありです。
どうもこんにちは、侍従を務めておりますニコラウスと申します。
仕えているお方は、第一王子殿下であられるウィルフレッド様です。
今は何をしているところかと申しますと、これから申請する書類の山脈を思い、オーロラの輝く空を眺めながら途方に暮れております。
そうです、誰かに話し掛けているようなこの思考は、現実逃避の一種でございます。
誰と会話するわけでもございませんが、この世界には魔法もあれば不老不死の魔女閣下もいらっしゃいます。
ですからとりとめのない思考も、どなた様かに届いているかも知れませんね。
さて、なぜ一介の侍従に過ぎない私が書類の山脈を前にする予定があるか――ことの始まりからお話しいたしましょう。
私のお仕えするウィルフレッド第一王子殿下は、先だって十二歳の誕生日を迎えられました。
そこで、王族、貴族、平民問わず義務となっている、魔力査定をお受けになりました。
見出だされた才能は――補助魔法のみ。
補助魔法の適性しか規定値を超えなかったため、「器用貧乏王子」などと陰口を叩かれる身になってしまわれました。
おいたわしいことです。
なにより、王族に器用『貧乏』だなんて、全くもって不敬の極みです。「万能型の片鱗を見せた」ですとか、せめて「痒いところに手が届く才能」なとど仰るべきでしょう。
そもそも魔法の行使に不自由するわけではないのです。地水風光全ての属性に、高位貴族並みの適合がございました。
しかし『王族として優秀とされる規定値』を超えるものは補助魔法だけ。
正直、第一王子殿下ながら、立太子は絶望的でございました。
もちろん王として大事なのは、魔力だけではございません。それは誰しも弁えております。
政治的なバランス感覚であったり、正念場で勝てる判断力や胆力であったり。
あるいは人心を惹き付ける妙なる容貌であったり、言動の端々からにじむ善きお人柄であったりもするでしょう。
とはいえ我が国は――そしてこの大陸は――政情が安定しておりません。
西の大陸のような、絶対王政を築けていれば事情は異なるのでしょう。
しかし、そんな王家がいないこの大陸では、一国の王家と言えど絶対的な強者ではございません。
忌憚なく申せば「土地持ちの豪族がひしめく一定範囲の土地で、一番うまいこと仲介役をこなし、流通と経済を握れた武門の家系」でしかないのです。
立ち回りの器用さゆえに一旦取りまとめ役を預かった豪族のひとつ、でしかありません。
非常に、立場の危うい王家と言えるでしょう。
いくつかの豪族をまとめて国を建て、王家を称し。
範囲内の豪族を貴族に叙し、領地の境界線を改めて認定し。
元の勢力圏を王領となし、元から子飼いだった領軍は王軍に昇格し。
立派な王宮も建て、近衛兵もおります――とは言え、でございます。
たとえ王直属の護衛がいようが、買収されればそれまで。
聖獣の加護を獲た法服貴族が思い上がって、クーデターを起こすかもしれません。
決死隊で魔石山脈を攻略し、魔法兵器の物量で謀反を起こす領地貴族も考えられます。
たとえ丙種装兵でも、数の力で押しきられれば、人間単体には戦闘継続の限界がございます。
ですから『割とあり得る万が一』のため、最終的には陛下ご自身が誰より強くなければ国を守れない――それが暗黙の了解。
補助魔法の才能だけでは万が一を凌げない。
ゆえに、ウィルフレッド様の立太子は絶望視されてしまいました。側近として非常に悔しくはございますが、やむをえません。
ところで殿下は、いい方向に脳きn――猪突も……いえ、愚ちょk……こほん、実直で何事にも一意専心を旨とするお方でございます。「今ダメなら、今から何とかしよう」が信条であられます。
魔力査定の日に実質「これはダメだ」と言われて、ひとまず修行して強くなりたいとお決めになられました。
ご生誕が同年で数ヶ月だけ誕生日が遅い第二王子殿下を始めとして、お年の近い他の殿下の魔力査定を待つ必要があるため、王太子決めにはまだお時間もあります。
それまでに適性を磨くことは可能だとお考えになったのでしょう。
その場で陛下に修行をお申し出になり、勅許を頂きました。陛下も比較的、実直で――はい、もう、良いですね。脳筋です。
陛下も脳筋でいらっしゃいますので、殿下の努力の意思は好ましく思われたのではないでしょうか。
さて、修行の勅許を頂いたとは言え、現状では強くなる前にお薨れになる可能性すらございます。
魔力査定にて「決して戦闘面では強くない」と知られてしまったウィルフレッド様を、別の王子殿下や王女殿下、あるいは王弟殿下を担ぐ勢力が害さないとも限らないためです。
仮に別の方が王太子となられた場合でも、第一王子殿下であるというだけで担ぎ、唆し、遠回しに王太子を害して、再び王太子選びに並べようとする輩が現れるかもしれないから、第一王子殿下は先に始末して安心したい――そんな恐ろしいことを考える勢力が存在しうるのが宮廷という場所。
実際、わずか三歳にして栴檀の芳片をお示しになられた第四王子殿下は、双葉の内に大精霊の御許へお還りになられました。
母君は宰相閣下の一の姫であられる公爵令嬢でいらしたのに、それでも防げなかったのです。
疑いすぎなどではなく、ここはそういう魔境でございます。
それについての対策をこの半月ほど、殿下付きの護衛や上位使用人を交えて話し合っておりました。
午前中は殿下としての執務をこなされ、午後の王太子候補教育を終え、それから日々話し合いを持っております。
もちろん不届き者からお守り申し上げるため、どの殿下にお付きする侍従や侍女も、一定以上の戦闘能力は有しております。
されど人間同士の荒事において『数は力』でございますので、限界がございます。
殿下もそれは先刻ご承知でおられますので、真剣に一考を案じられました。
本日出た妙案は、このようなものでございました。
「死なぬためには、死に至るダメージを受けねば良いのではないか?」
全くその通りでございます。
さらに言えば、殿下に回復魔法を掛ける者を用意したとて、敵は回復役から陥としにかかるでしょう。攻撃無効の強化魔法役や盾役を何枚用意したところで、ほぼ必ず同じことが起きます。
そもそも私が敵勢力であれば、一度目の襲撃で盾役が減ってしまったところに、補充要員として手の者を潜り込ませます。
内通者は二度目の襲撃で身体を張り、大出血するほどの怪我をしてでも殿下を守った印象を植え付け、信頼を得る。
よりお近くに配置された頃に、真の飼い主の手勢を招き入れ、殿下を仕留めにかかるでしょう。
私程度で思い付くことを、伏魔殿たる宮廷に勤める貴族たちが思い付かぬわけもございません。
すなわちこれは下策として、回復役や盾役を配置する案自体が放棄されました。
――結果、殿下が殿下ご自身に回復魔法を掛け続けるのが最も良い、ということになりました。
幸い、回復魔法は補助魔法の基本のひとつであり、ウィルフレッド様は高い適性をお持ちでございます。
たとえば効果時間が丸二日の回復魔法を待機状態で発動し、毎日きっかり同じ時間に掛けるルーティンにすれば、魔法の切れる穴はございません。
丸二昼夜以上に渡って休みなく、回復魔法を発動し直す隙間もないほど攻撃が続くことは考えにくいため、ほぼ全ての襲撃に対処できます。
仮に低位貴族や平民がこの思考を聴いているなら、とんでもないことのように聞こえるかもしれません。
しかし『王族として優秀とされる規定値を超えて適性がある』というのは、その水準を指すものでございます。
もちろん『超えて』ですので、実力はこれに限るものではなく、青天井でございますが。
加えて強化魔法を重ね、治癒魔法の各設定項目を高めるのは可能か、とご下問がございました。
当然、強化魔法も補助魔法であるので、殿下には高い適性がございます。
よって答えは「ウィルフレッド様であれば充分に可能」となります。
通常、回復魔法は数人へ同時に掛けることができます。
回復魔法が必要となる現場の性質上、一人一人を順番に治療していては、間に合わないこともあり得ます。
必然的に、治療魔法は並行発動の需要が高かったことから、先人によって磨き上げられてきた結果、並行発動の体系が完成しているのです。
つまり補助魔法は、少なくとも並行発動ができる。
ならば回復魔法を発動前の状態で維持しながら、強化魔法も同時に並行展開できるはずだ、と確信なさったそうです。
魔法を発動するためには最低限、対象・範囲・威力・精度・効果時間・消費魔力・実行頻度を決めることがが必要です。
たとえば私が毎年罹る『春と秋の病』を抑えるのであれば、
対象:空気
範囲:私の顔の周囲、半径は五歩分
威力:原因物質の全滅
精度:(設定に準拠して任意調整)
効果時間:一日
消費魔力:発動時に使える魔力の1割
実行頻度:一日おきに継続発動
となります。
効果時間が一日で、一日おきの継続発動ですから、再展開するまでの隙間にあたる時間はくしゃみと涙が出ます。本来なら「一日と少し」の効果時間にすべきですが、その少しの魔力をもったいなく感じて、このようにしております。
と言いますのは、殿下をお守りするために魔力の余裕を持たねばならないからです。
私個人の事情で使って良い魔力量には制限があるため、いろいろ私的に便利に使うとしても、消費上限は合計一割まで。
その消費量であれば『春と秋の病』の原因であるモノを常に部屋中の空気から完全に排除しつづけるのは難しく、範囲は私が移動する際に通る周辺のみ。
そこまで制限しても精度がどうしても犠牲になりますが、生活を送る上で不便ない程度にはなります。
ちなみにこれは回復魔法ではなく、風魔法でございますね。
さて、話を戻しまして、この設定項目。
その全てを最上級の品質、あるいは最小限の負担になるまで強化を重ねがけすればどうなるか。
『実質常時発動している、一人専用の、負担最少で高出力な体力魔力同時回復魔法』となることでしょう。
「これなら、空間転移してきた聖獣の不意打ちにも耐えきれる気がするな!」
「それが本当なら、実現の暁には人の身を超えておられますな」
侍従の身で主人に軽口を叩くのは褒められたことではありませんが、さすがに、えぇ。
聖獣の咆哮や爪牙を実質無効化できたならば、率直に申し上げて、人間の域を出ておられるでしょう。
おそらく襲撃した方も恐れ戦いて、命乞いくらいしかすることがないのではないでしょうか?
そこまでいけばもはや、人間同士の戦いという前提も崩れますでしょうから、数は力ですとか戦闘継続時間の制限ですとかも気にしなくて良いような気もいたします。
元魔法医である侍女曰く、殿下が提示した回復魔法は「理論上は完璧(悪口)」と研究魔法医界隈で言われるモノだそうです。
しかし殿下は、重ねて申し上げますが、脳筋でいらっしゃいます。
「出来ないなら、出来るまでやれば良かろう」
心からそう信じて、ご自身は実行なさる。
他人が脱落するのは、それもその人の選択だから仕方ないと仰いますが。
誰だって無限に努力すれば不可能などない! と言うほど熱血ではなく。
さりとて頑張れば出来るかもしれないところを効率重視で切り捨てることもなさらない。
熱血ではなく、効率重視でもなく、努力を惜しまない。その有り様を『脳筋』と呼んで、我らはお慕いしております。
理論上は完璧なら、自分は出来るまで諦めないのだから、最終的には出来るに決まっている。
本当に、一分の欺瞞もなく、心からそう信じて実行する愛すべき脳筋でいらっしゃるのです。
――その結果。
「はぁい、新しい不老不死の仲間ね。『こちら側』へようこそ。王族に出るのは珍しいわぁ。まぁこれで、この国は安泰ね~。おめでとう。もちろんちゃんと勉強もして、民に永代寿がれる賢い王になるのよ~」
魔石山脈に棲む光と祝福の魔女エカチェリーナ閣下から、不老不死のお仲間として祝辞をいただいたようでございます。
流星のように輝きながら勢い良く来て、さっとお祝いを頂き、祝福のオーロラを豪勢にたなびかせながら帰って行かれました。
実に賑やかな方です。
「えっ、どうしよう」
「そうでございますねぇ……」
本音が漏れたのは、王族としては脇が甘うございます。しかし私も、こればかりは叱れませんでした。
私は私でポカーンと口を開けて、絶句してしまっておりましたので。
人間は安易にウソをつきますが、精霊はウソを嫌います。
魔女閣下は人の世から薄皮一枚分だけ精霊に近い次元にいらっしゃるため、ウソがつけません。
ウソをついてしまえば次元から放り出され、魔女ではなくなってしまう。
平民でも絵本でよく知っている内容でございます。
よって、殿下が不老不死を得たのは真実でございます。
常時発動型回復魔法というのは凄まじいですね。
何しろ――殿下はまだ、詳細にはお気づきではないかもしれませんが――この国の王室典範が倍の厚さになりかねない程の大ごとでございます。
ひとまず絶句から立ち直り次第、陛下にどう報告したら良いのか頭を抱える羽目になりました。
少なくとも、これで王太子指名は決まりでしょう。
それ以外の煩事が、えぇ、控えめに申し上げて書類山脈となるでしょうが。
気に入らぬ貴族が何を差し向けてこようと、御身はご安全なため、安心して根回しに駆け回れるのが救いでございましょうか。
さすがにウィルフレッド様の母君であられる第一側妃殿下のご実家にもお力を借りねばならぬでしょう。
まずはご領地へハヤブサを――あぁ、財務卿が第一側妃殿下の兄君ですから、そちらに連絡した方が速いでしょうか。
考えることが次から次へと。こんな時こそ侍従の腕の見せ所でございますね。
さて、何から考えましょう。
ウィルフレッド様がやがて陛下となり、陛下その人が不老不死なら、後継者の問題は一旦棚上げできます。
もちろん『国王陛下の同僚としての王妃殿下や側妃殿下』は欲しいでしょう。陛下お一人で王族のなすべき仕事が片付くわけがございません。
その他にも、妃殿下とは戦友であることのみを求める場合、寵姫をもうけることもあり得るでしょうか。
いずれにしてもウィルフレッド様が大精霊の御許へお還りになることがない以上、御子が王太子殿下や王太女殿下になることもございません。
この国では生前譲位を認めていないので、現行法の範囲では『後を継ぐ』ことはあり得ないのです。
仮に生前譲位のルールまで言及なさるとすれば、典範が三倍の厚みになるのは避けられない――はい、遠い目になるというものです。
現行法のままですと、国母の実家となるために殿下たちと同世代の娘を産ませていた高位貴族たちからは、不満が吹き上がるかもしれませんね。
事実を公開する前に対処を練っておかねば、とこれも書き留めます。
なにしろ魔女閣下があれだけ派手に祝福のオーロラを振り撒いていかれましたので、貴族はおろか平民の目にも『何かがあった』ことは明らかです。
体制が調っておらずとも、長く隠しておくことはできません。
早晩発表せねばならないとして、その優先順位をどうしたものか――この辺りで現実逃避を開始いたしまして、今に至ります。
何よりもまず、同僚としての有能な妃殿下が必要なので、その方向で宮廷を懐柔するのも良いでしょうか。
王太子殿下の御子を産みまいらせれば、妃殿下自身は政治能力がなくとも良い、後ろから実家が口出しするから傀儡の方が都合が良い――などと考えてご令嬢の教育に手を抜いているような家は、ここで落とされるでしょう。
王家のためにも良き事です。
あぁ、それから、殿下のことを器用貧乏王子などと口さがなく呼んだ者たちも、ふるいにかかることでしょう。
たった半月ほどのことではございましたが、王太子候補を嘲笑する罪は、しっかり示さねば。
地盤の安定しない王家だからこそ、毅然とした態度は大事でございますね。
それにしても……御子を期待する婚姻よりも一層、政略結婚のような気がいたしますね。ご令嬢方はどう思うのでしょうか……?
人間関係が上手く運べばそこに情が生まれるかもしれませんが、まぁ最初から期待するものでもないでしょう。
仮にいずれかの妃殿下が、若い内に「子を持ちたい、育ててみたい」とお考えになれば、そんな未来もあるでしょう。
どの御子も等しく未来の王になることもないとなれば、王太子争いで妃殿下同士が火花を散らすこともなく。
また、ご実家同士の争いに民が巻き込まれることもないでしょう。
それもまた、国のためには大変よろしいかと存じます。
妃殿下の中から国母が出ない以上、外戚の憂いもなくなります。妃殿下の実家からすればなんの意味があるのかという婚姻でしょう。
王家からすれば実に都合のいい話ですから、これはなんとしても上手くことを運ばねば。
元より調整力を買われての現王家でございますから、立ち回りは陛下にお願いする方が良いやもしれません。
そして、仮に御子がお産まれになったとすれば。
御子殿下が望めば、王族外交の一環として他国に嫁いでも良いでしょう。
平民と大恋愛の果てに叙情詩に名を残し、民間の識字率を上げるのに貢献するのも良いでしょう。
武を極めて大陸に睨みを効かす大将軍になっても、新しい魔法流派の開祖になっても良いのです。
御子様方は従来の王族より遥かに自由で、未来の身分を好きに選べることでしょう。
もちろん民の納めた税で育つからには、何かしら民に恩恵が還元される範囲の自由でなくてはなりませんが。
万が一ウィルフレッド様が生前譲位を望まれる日がきた場合、その時点でどの妃殿下にも御子がいらっしゃらなければ、二十年ほど待ってもらう必要があるでしょうか。
いずれかの妃殿下が御子を望めば閨儀に進んでいただき、どなた様も希望がなければ、その時代の若いご令嬢を第何妃かに迎え。
御子が産まれ、成人に育つまでの間に典範の整備をして、生前譲位の法的根拠を調えること。
それがその時代の宰相の最優先課題となることでしょう。
いろいろ考えることは散らばりますが――そろそろ現実逃避もお仕舞いにいたしましょう。やることは多いのですから。
改めて、殿下の前にひざまづきます。
「畏れながら、王国の星たるウィルフレッド第一王子殿下に、臣より申し上げます。殿下におかれましては内密かつ急ぎにて、オーロラの出ている内に、陛下にご挨拶申し上げる方がよろしいかと存じます」
「そうだな。先触れの手配を頼めるか、ニコラウス」
「かしこまりました」
陛下へのご報告がお済みになれば、おそらく「王国の次なる太陽たるウィルフレッド王太子殿下」に内定なさるでしょう。
「王国の星たる」の呼び掛けを使うのはほどなく最後になるのだろうな――と、侍従冥利を噛み締めて立ち上がります。
それでは、私の話を聞いておられるかもしれないどなた様か、今宵はごきげんよう。
私がゆっくりお茶を飲める暇ができました頃にでも、また。