第90話 そこに何かいたから
バチバチと音を立て揺らいでいた結界の様子が、次第に落ち着いて行く。
そして、まだ見ぬ相手の攻撃が完全に途切れると同時に、その聖なる方陣は元の清らかな姿を取り戻した。
「お……終わった?」
男同士で抱き合っていた兵士が、涙目でそう言った。
「探知魔法に全く反応が無かったぞ? いつからあそこにいた?」
ショヴエルが見上げるその先には、何やら人型の影がある。
距離があるためはっきりとその姿を捉えることはできないが、その頭部と思われる部分には、二本の角らしきものが確認できる。
「魔族だ……」
フラウがポツリと呟く。
「マズいですよ主教様! 攻撃しちゃいましたよ!!」
聖職者の一人がそう言うが、その言い方には少し引っかかるものがある。
「無暗に攻撃してはいけないとあれほど申し上げたではありませんかデッサーテ様! 敵だと認識されたらどうするおつもりですか!」
主教が焦ってそんな事を言っている。
「何だか魔族が仲間とでも言いたげな言い回しじゃのう?」
ダンパが眉間にしわを寄せてそう口にすると、主教がそれを聞いてダンパを睨みつける。
「お前たちが余計な事をしなければこんな事にはならなかったのだ!!」
そして、その老人は心配になりそうなくらいの声量で彼を怒鳴った。
「何を言っている? 意味が分からないぞ……」
ショヴエルが困惑した顔で、こちらを見る。
こんな場面ではあるが、あまりにも彼らの行動が不審なので、僕はその老人に気になっている事をもう一度聞いてみることにする。
「あの、主教? あなた方は一体何をしにここへ来られたんですか?」
僕がそう言うと、今度はこちらを睨みながら、
「お前たちにそんな事教える筋合いはない!」
主教から予想通りの反応が返って来る。
「そもそもあなた方はここで何があったのかどこまで分かっているのですか? 最初に魔族の死体を見た時、やたら狼狽えていましたが……」
「お前たちが魔族を殺したせいで! 魔族を怒らせたのだ!! だからあの魔族は! お前たちを殺しガッゲホゲホゲホ!! ゲェェホゲホゲホ!!」
支離滅裂な事を言いながら、案の定主教は激しく咳込む。
「貴様等、よくも嵌めてくれたじゃないか」
すぐ後ろから声が聞こえ、驚いて振り返る。
するといつの間にそこへ来たのか、女の魔族が結界のすぐ外に立っていた。
「ひぃいいぃぃいいいいいいい!!」
後ろで老人が悲鳴を上げ、尻もちをついたような音が聞こえる。
「……貴族の方ですよね? なぜこのような場所にあなたがいるのですか?」
ここで僕が狼狽えるわけにはいかないので、毅然とした態度で魔族に対してそう質問した。
「白々しい事を申すな。貴様はあの骸骨剣士の仲間であろう?」
骸骨剣士とはおそらくユラリの事だろう。
ということは、もしかしたらこの魔族は一人逃げたという至爵の魔族かもしれない。
そうなると、いくら聖女がいたとしても、戦闘となれば分が悪い可能性がある。
「我々は魔物の死体を片付けに来た冒険者です。ですから詳しい事は把握していません」
僕は帝国正教会に言ったのと同じことを、魔族に対しても言った。
「それは嘘です魔族様!! この者たちはあなた方を騙して、あなた方のお仲間を殺したのです!!」
また主教が何か言っているが、その言葉は完全に悪手だろう。
やはりこの聖職者達は、この場の事情を全く把握していないようである。
「先ほどから彼らはあの調子なのですが、もしかしたらあなたは何か事情を知っているのでは?」
僕は魔族に対して、今度はそう問いかけてみる。
すると、魔族は眉間に皺を寄せて首を傾げる。
「……何だ。貴様等は仲間では無いのか?」
魔族はそう言うと、僕の背後にいる誰かに目線を移す。
「おい其処のヒラヒラした服を来た女。貴様はなぜ先ほど此方に攻撃して来た?」
今度は魔族側が聖女に対して質問をした。
「そこにぃ何かいたからですぅ」
変わらぬ調子でそう答えるデッサーテ。
その言葉を聞いて、魔族はさらに険しい顔になる。
「一体、貴様等は何なんだ?」
それはこちらのセリフなのだが、しかしどうやら僕達の予想は正しいようである。
ただ、ギルドと教会は今回、魔族は出てこないだろうと予想していたため、状況はあまりよろしくない。
手はず通りであればギルドから助っ人が駆けつけていると思われるが、それが戦闘を想定していないとなるとかなりマズいことになる。
「なぜ黙っている? 我は只、同士が様子の可笑しい剣士に殺害されたと聞いて様子を見に来ただけである。だから遠くから何もせずに眺めていたのに、攻撃されたとなっては話が違って来る」
魔族の話を鵜呑みにすることは出来ないが、それが本当であればあの聖女はとんでもなく余計な事をしたことになる。
「よく確認せずに手を出したのはこちらの落ち度です。しかし、人間界に魔族がいること自体があってはならない事です」
僕がそう言うと、魔族はそれを聞いて鼻で笑う。
「どの口が其んな事を申して居る。我等の砦に侵入した挙句、其れを破壊したのは貴様等猿であろう」
今後僕はこのセリフを何度聞くことになるのだろうか。
まあ、それはこの局面をうまく乗り切って無事帰ることが出来たらなのだが……。
「普段であれば反論させていただくところですが、先ほど申し上げた通り、我々は死体の処理に来ただけです。そちらも様子見というのであれば、ここはお互い引くわけにはいけませんか?」
さて、そうは言った物の、このまま穏便に事が運ぶとは思えない。
相手の返答次第ではあるが、最悪あの聖女の力頼みになるかもしれない。
「成程。貴様の言い分は分かった。然し貴様がそうでも彼方はどうかな?」
その言葉に僕が振り返ると、聖女はこちらに向かって微笑んで来る。
何を考えているのかは分からないが、行動が魔族以上に予想できない分、実はこっちの方が危険かもしれない。
今の所何かする様子は無いが、彼女は結界を維持したまま、またキョロキョロと周囲を気にし始めた。
「おい、何とか申さぬか奥の猿共」
憎たらしい笑みを称えながら、魔族が帝国正教会の誰かしらに対してそう促す。
「そ、その魔族様……貴方様はその……使者ですか?」
主教は言葉を選んでいるつもりだが、先ほどから魔族を様付けで呼んだり、今は使者だと言った。
これで、彼らが何かしら魔族に関りがあることは確定と言っていいだろう。
「ふん、使者だと? もう少し具体的に申さねば分からぬぞ?」
魔族は更に口角を吊り上げて、主教にそう返す。
「そ、それは……」
老人がチラチラとこちらの様子を伺う。
そして、意を決したように口を開いた。
「我々は貴方様に会うためにここへ参じました。しかし、何が有ったかは分かりませんが、こちらの考えは聖王国側に対策されていたようです。そちらにいる五名は聖王国の人間です。この話を聞かれた以上、生きて返す訳にはいきません。どうか我々にお力を貸しては頂けませんか?」
遂に白状した主教は、こちらを見ることなく一歩足を踏み出す。
代わりに、ショヴエルがこちらをチラリと見る。
「はあ……その話が本当なら大変な事態ですね。しかし主教? 我々を殺したところでどうなると言うんですか? あなた方がここにいることは、既にここの教会や冒険者ギルドに伝わってますよね?」
「……え? そうなの?」
……おい。
いや、もしかして彼らはこの大所帯でどこにもバレずにここまで来たっていうのか?
でも隣町まで彼らが来ている事は事前に分かってるのだから、そこから発った段階で監視が付いているはずである。
そもそもここで神聖魔法を使った事で、大結界によってそれは探知されているだろう。
これは、例の可能性が現実味を帯びて来る。
「あの、もしかして聖王国の通信システムの事をご存じない?」
「…………??」
「え?」
「え?」
思わず、お互い見合って間抜けなやりとりをしてしまった。




