第102話 カレーなる民族③
フィナレス市冒険者ギルドのお昼時。
普段は冒険者も職員も、昼食をとったり午後からの話をしたりと思い思いの時間を過ごしている時合であるが、今日のギルドホール内はにわかに騒めき立っていた。
「ちょっと!? 何の匂いですか!?」
ギルドの裏から、アノンが扉を開けて困惑した顔を覗かせる。
「見て分かるだろ? カレーだよカレー」
俺は目の前でぐつぐつと煮える大なべを指しながら、鼻をつまんだアノンに対してそう伝える。
「カレー?? 酷い臭いのそれが、さっき言ってたカレーですか?」
アノンが眉間に皺を寄せながら、この大なべを見て恐る恐るこちらに歩いて来る。
「こっちが本場のインドカレー。こっちが辛いの苦手な人用に少しマイルドにしたカレーな!」
ニコニコ笑顔のクリシュナが、鍋をかき混ぜながらそう口にする。
「いやそれはいいんですよ。何でギルドの中で調理してるんですか! しかもそれを、なんで誰も止めないんです!?」
アノンがジロジロと、そこに出来た人だかりに対して、けん制するような視線を送る。
「それはマスターがオーケーって言ったからだぜ!」
クリシュナの言葉に、アノンの目が群衆の後ろの方で様子を見ていたマリオを捉える。
「い、いやあ……私は本格的なインドカレーを食べたことが無かったから、どんなものか気になってね……」
睨まれたマリオが、はっはっはと誤魔化し笑いをする。
それを横目にしながら、アノンが怪訝そうな表情のまま、そっと湯気の立ち上る鍋を覗き込む。
「これがカレー……なるほど、今朝アメリアさんが言っていたのはそう言う事ですか……」
そこにある茶色の液体を見て、更に険しい顔をするアノン。
「正確にはインドにカレー何て食べ物は無いんだがな。こっちはうちの実家でよく作ってたチキン煮込みなんだが、バターチキン風にして辛さを押さえたものも試しに作ってみた」
「ちなみに、カレーというのはタミル語のカリから来てる説が有力で、そして俺達が知ってるこのカレーの色は主にターメリックに含まれるクルクミンと食材を加熱した際のアミノカルボニル反応(メイラード反応ともいう)が合わさったことによるものだが、この色のカレーの他にも東西南北、周辺諸国も含めると様々な色のカレーが存在する訳だ。だからカレーを指してそれに例えることはインドではあまり一般的では――」
「でも、この量のカレーを作るのに、どれほどのスパイスを使ったんですか? 相当な金額がかかってるのでは……」
早口てウンチクを並べるオリーを無視して、アノンがクリシュナに尋ねる。
「はっはっは! こういうのは一人でコソコソ食うより皆で食った方が美味いからな! それに、食材はみんなのカンパだから、こちらとしてはむしろ感謝してるくらいだぜ!」
「なるほど……どっからこんなに大量の食材がわいて来たのかと思ったら、そう言う事ですか……」
若干興味を持ち始めた様子のアノンが、まじまじとそれが煮える光景を眺めている。
「おーい、パン焼けたぞ。こんなんでいいのか?」
奥で別の調理をしていたフォルクが、パンと言いながら失敗したホットケーキの様なペラペラの何かを見せて来ていた。
「え!? フォルカー先生!? クリシュナさん、もしかして先生に調理を手伝わせてるんですか!?」
それを見たアノンが、驚いてクリシュナに尋ねるが、
「いやいや、むしろタダで本格カレーが食えるんだから、これくらい当然の労働だ! ガハハハ!」
「ええ……。これって、皆さんの世界ではそんなに人気な食べ物なんですか……?」
二人から同時に笑顔を向けられたアノンが、疑惑の表情で鍋の中を見つめる。
「よーし! こんなもんだろ! それじゃあ皆さんお楽しみの実食タイムと行くぜ!」
味見をしたクリシュナがそう口にすると、ホール内に歓声が巻き起こる。
「ふーん、日本だともっと煮込むんだが、まあインドだと常食だしこんなものなのか」
「よーし! いっちばーん!」
待機していたアメリアが飛び出してきて、持参した皿を差し出して来る。
「がめつい奴め……」
俺がジト目でそう言う横で、差し出された皿をクリシュナが受け取る。
「あたし辛い方がいいなー!」
「やめとけ! ただでさえ胃腸が弱いんだから!」
俺の静止を聞かず、アメリアはクリシュナが注いだカレーの入った皿を受け取る。
「ほら、本当に辛いから気をつけて食えよ。パンは先生の所でもらってくれ」
アメリアを皮切りに、周囲で様子を見ていた冒険者達が、ぞろぞろと列を作り始める。
俺はクリシュナと共に、そのカレーを取り分ける役目をする。
「辛くて堪えられない奴は、ミルクの余りがあるからそれを飲むといいぞ」
「か……かりゃいぃい……」
クリシュナが言った途端、アメリアが口の中を仰ぎながら、ミルクを取りに行っているのが目に入った。
「辛っ! でもうめぇ!」
「こんな複雑な味、初めて食べた……」
異世界人は言わずもがな、現地人にもその味はかなり好評なようで、噂を聞きつけた冒険者以外の連中もこっそりと並んでいるようだった。
「ほらアノン。お前も食ってみろよ」
俺は自分の皿にバターチキン風のカレーをよそうと、それをアノンへと差し出す。
「…………」
あのんは無言でおずおずとそれを受け取ると、スプーンで少しだけそれを救い、ゆっくりと口を付ける。
「……!? お、おいしい……」
それを聞いたクリシュナが、嬉しそうに満面の笑みを称える。
「ああ、しっかり食え! あのパンにつけて食うともっとうまいぞ!」
ある程度全員にいきわたった所で、あとはセルフサービスにして俺達もカレーを頂くことにした。
「ちょっと作りすぎたかな……かといって宣伝しすぎて殺到されてもマズいしなぁ」
一応、量に限りがあったため、提供を冒険者のみに絞っていたのだが、であれば大なべ二つ分は少しやりすぎてしまったかもしれない。
「じゃああたしそっちのも食べてみたい!」
それを耳ざとく聞きつけたアメリアが、空になった皿を再び差し出して来る。
「お前、本当にいやしいな……」
こっち他許可する間もなく、アメリアは自分でそれを注いで行く。
「よーし、じゃあまだ食える奴! おかわりもいいぜー!」
俺はアノンから返してもらった皿に自分の分のカレーをよそうと、席に付いてとりあえずスープを一口すすってみる。
「おお……うまい……」
それは日本で食べていたカレーとはだいぶ違う物だったが、それでも心に空いた穴が少し満たされる気がした。
「もう一杯!」
そう宣言して、またカレーを取りに来たアメリア。
「お前いい加減にしとけ、さもしいぞ」
「遠慮すんな。オイラは一口でもこれが食えただけでもう十分だから、オイラの分までどんどん喰え」
そう言ってボロボロ涙を流しながらカレーを口に運ぶクリシュナに、申しわけないが若干引いてしまった。
「うめうめ。やっぱバターチキンカレーの方が美味いな」
そして、それからすぐにカレーは完売するが、みんなこのカレーが相当気に入ったのか、それからも暫くギルドに残って各々が感想を言い合っていた。




