メガネさんの有給消化
「聖女様、おはようございます」
日の沈んだ早朝、メガネさんはいつもの様に寝室にマリカを起こしにきてくれた。自分で起きれたらいいのに、どうもこの世界は体内時計がずれてしまう。
「メガネさん、おはようございます。毎日すみません」
「お気になさらないで下さい。我が国では主を起こすのは使用人の仕事です」
メガネさんは寝室のカーテンをあけて照明をつけて、ついでに動きがゆっくりなマリカに着替えも渡してそっと出ていってくれた。ビジネスライクに接してくれるのでホテルのサービスを受けている気分だ。
朝食を終えたところで、メガネさんから初めて仕事以外の話をされた。
「聖女様、急で申し訳ございません。本日は私事都合により半日休暇をいただきます」
「!?」
「代理の者を派遣するので聖女様の生活に支障はございません」
「そ、そうですか。メガネさんがお休みだなんて珍しいですね」
「申し訳ございません。家の都合で仕方なく…自分は聖女様の補佐ですので何度も断りを入れていたのですが今回は避けられませんでした」
普段全く感情を出さないメガネさんが心無しか疲れているように見える。
そうえばマリカが異世界にきてからメガネさんが休んでるところを一度も見たことがない。
「半休じゃなくてしばらくお休みして頂いて大丈夫ですよ?有給消化は労働者の義務ですし」
「ありがとうございます。明日からは通常通りお仕えいたします」
メガネさんは昼過ぎにフードを深く被り直し部屋を去っていった。仕事一筋のメガネさんの急用とは一体何か内容が気になったがマリカは聞かなかった。
そこまでの仲ではないと思う。
メガネさんと入れ替わりでやってきてくれた代理の魔術師は水色の髪の爽やかな青年だった。
「聖女様、お初にお目にかかります。アリエラと申します。本日限りですがよろしくお願いします」
「よろしくお願いします、マリカです」
マリカは静かに挨拶した。アリエラはメガネさんと同じローブを着用しているがフードはかぶっていない。
「補佐から内容は引き継いでおります。本日の謁見はございませんが候補の者たちの資料をご用意いたしました」
アリエラは両手に釣書の束を持っていた。
「聖女様の伴侶となる幸運な方は誰でしょうか」
釣書を開いて大きなテーブルに乗せていく、肖像画とマリカには読めない異世界の文字で簡単な経歴が書いてあるようだが煌びやかな服装を見る限り貴族しかいなかった。
(これじゃあ、お見合いしても意味が無い気がする)
マリカが釣書に手を伸ばさないのでアリエラは不思議そうに首をかしげた。
「気に入りませんか?どなたも穏やかで結婚相手に最適かと思います」
「あ、いえ。二回失敗してるので慎重なんです」
「ふふ、聖女様のお立場から考えると失敗はありえません。この場合は聖女様を射止める事ができなかった相手の失敗でしょう」
魔術師という職業はとにかく聖女優遇らしい。メガネさんと比べるとアリエラは対応はかなり柔らかいが職務思考は全く変わらない。
「あの、なぜお見合い相手は貴族なんでしょうか?わたしは聖女ではないのでできれば違う立場の方がいいです」
「貴族以外となると困りましたね。いるにはいますがあまりおすすめ致しません」
よく見るとアリエラの足元に紙袋が置いてある。中身は釣書のようだ。
「おすすめしない理由を聞いてもいいですか?」
「貴族以外となると教会所属になります。我が国は結界で閉じられており鎖国状態ですので人間関係が狭いのです。ちなみに平民は法律上、聖女様と結婚することはできません」
そうえば、最初にここに来た時にメガネさんは結界の外に怪異がいると言っていたのを思い出した。マリカは聖女の仕事はするつもりがないので詳しく聞いていなかったし、あまり深入りしたくない。
「教会の方って魔術師さんですか?」
「そうですね、魔術師も含まれます。けれど聖女様にはおすすめできません。過去の聖女様たちの中で魔術師と結婚された方は何名かいらっしゃいますが同時に貴族とも結婚されています」
「え…同時に複数の方とですか?」
「はい、我が国は聖女様とその子供には多重婚が認められております。聖女様の孫からは一夫一婦制になります」
マリカは衝撃の事実に息を呑む。そんな話はメガネさんからされていない。
アリエラは貴族たちの釣書を片付けて、足元の紙袋から新しい釣書をだして広げる。釣書には魔術師や教会所属の方々の経歴が書いてあるようだ。
異世界の文字は読めないが貴族とは圧倒的に分量が違うのはわかる、先程の貴族たちとの扱いにかなりの差がある。
「わたしも一夫一婦制がいいですね」
「それならば王侯貴族限定になりますね。聖女様とその子供までは魔術師と体質が相反するものですから子を成すことができないのです。聖女様の孫からは何故かその法則から外れますので一夫一婦制となります」
「!?」
「おや、補佐から聞いておりませんでしたか?魔術師は生物学上は男ですが決して聖女様に害を与えることはありません」
マリカはメガネさんも同じことを言っていたのを思い出した。
(聖女に害を与えるって望まぬ妊娠のことだったの…?)
「聖女様はそのお力で結界を維持し、その血は次世代に受け継がれていくのです」
アリエラはあまり感情を隠すタイプではないようで期待の眼差しをマリカに向けている。
今のアリエラの顔は転移した時に魔法陣の上に座り込んでいたマリカに向けられた魔術師たちの表情に似ていると思う。
元の世界に戻る事を考えていたが自体はそう簡単ではないと気づいてしまった。