第四話
オレの右手に握られた蒼い石は熱を帯びた鋭い輝きを放ち出す。
その熱は身体を伝播して、髪の毛の先までも神経が通ったかのように広がり、南国の海水浴場でうける波の心地よさに包まれていくと、それは次第に、馴染み深い、深海のような圧迫感と息苦しさを帯始めた。
身体を光の糸が纏わりついてくる感覚は、初めはグダグダに茹でた生ぬるい素麺が貼り付けられていくようだったが、次第に熱した針金のように体の動きを強く支持しだす。
それは身体を痛めつけるような厳しさではあったが、故に心地がよかった。
まるで蛹室の中でモゾモゾと動くカブトムシの蛹のように、オレの身体が出来上がっていくという実感だけがやってくる。
やがて、蒼い光が和らぎ、視界が鮮明になったかと思うと、オレは目の前の光景はとんでもないことになっていた。
というよりもオレの目玉がおかしくなっていた。
さっきまで目の前で眉間に皺を寄せ、奥歯が歯茎から飛び出るんじゃないかという程に口元を歪めていた大狼の面が、撮影現場の監督が座るベースに置かれた、カメラからの何台分ものカメラの映像が出力されたモニターのように、あらゆる角度から表示された映像としてオレの視神経を通って映し出されていた。
そして、その何台ものカメラ映像の端にはどこかでみたことのある鍾乳石のような奇妙な艶を持った気味の悪いしなりで震える触手が、ひとつの画面につき1本、映り込んでいる。
目の前に広がる光景に困惑したオレは目を擦ろうと腕に力を入れた。
しかし、いくら力を入れても手は動かず、代わりにプルプルと白い触手がマルチモニターの端で動くのであった。
ますます混乱を極めるオレは首を傾げる。
すると次の瞬間にはモニターの映像が乱れはじめ、あらぬ方向へと、次々に映像が切り替わっていく。
まるでジェットコースターに乗せられたかのような暴力的な映像の切り替えにオレの脳はぐちゃぐちゃに掻き乱される。
気分の悪さを抑えようと目の前の歪んだ視界に集中すると、一番端のモニターに見慣れたどころではない怪獣が映り込んでいたのである。
そいつの名前は霧幻怪獣デリーラ。
初登場は『スターマン・クロス』第14話「恐怖の白霧-テラー・ヘイズ-」。生命の恐怖を主食とするデリーラは、巨大な白いタコのような図体で、口吻から恐怖ガスを吹き出し、何個もの目でぎょろりと辺りを見回して、数多の獲物を怯えさせるために触手を振るう外宇宙からの侵略生物だ。
すこし違うところが1点あるとすれば、目玉の並んだ顔の部分から突き出た額のようなところは、原作ではつるりとした甲のようになっていたが、そこにスターマンの胸に蒼く輝くシグナルスターが追加されていた。
どうやらオレは駆け出しの頃に追いかけ回された怪獣に変身していたのだ。
まさかの自体に驚きを隠せなかった。
しかし、驚いているのはオレだけではないらしい。
目の前の巨大な狼も、まるで散歩の途中に飼い主が知らない人間に話しかけられている時のチワワのように、前足で小刻みなステップを踏みながら鼻先を震わせ、ピンクの歯茎を剥き出しにして唸っていた。
オレは唐突に、先ほどの黒い肌の彼女のことを思い出す。
思考と直結するように、マルチモニターも慌てた撮影助手のように方々へカメラを振りだした。
目を回しながら画面の一つが彼女を捉えた。
それはだいぶ距離の離れたところの太枝の上ではあったが、鮮明に姿を捉えていた。
彼女は身構えながらも頬に伝う汗を拭うことさえ忘れて、金色の虹彩から放たれる視線をオレに向けて、全ての注意を払っているようであった。
物騒な目の前の巨大な狼、黒い肌の彼女の安全、そしてデリーラとなってしまったオレ、この3つの問題を解決する方法は、もう一つしかないと確信した。
スーツアクター魂を見せつけてやるしかない。
オレは直近の『スターマン・ノヴァ』で再登場したデリーラに袖を通した時のことを思い出す。
あの時のデリーラは、触手を鞭のように操り、スターマンを追い詰めていた。
しかし、特撮の撮影というのはカメラのマジックである。
実際にはデリーラの触手には神経もなにも通っておらず、力なく垂れたウレタン材にラテックスの皮を貼り付けただけのロープのようなものであった。
このただのロープがスターマンに襲い掛かり、絡めとるのだというのだから大変だ。
オレは、まだアシスタントして入りたてで、少し線の細かったウッチーと一緒にデリーラの本体から外した触手を、西部劇のカウボーイが牛に縄をかける要領で息を合わせて振り回すと、鞭のようにしならせてカンちゃんの演じるスターマン・ノヴァに巻きつけていたのだった。
中でも大変だったのが、スターマンが振り回す剣、ノヴァ・スター・ブレードに向けて触手を振り下ろし絡めとるシーンであった。
最初はグリーンバックを背景に、緑色に塗ったピアノ線で操演技師の茂沖和海さんが触手を吊るしてブレードに絡ませる寄りの画面でごまかす予定だった。(ちなみに茂沖さんは、あの大怪獣シリーズで、友愛蝶獣サンガの羽ばたきや、宇宙大帝タイラン・ドランの3本の首を巧みに操作していた業界の生き字引のような人だ)
しかし、板野裕一監督からダイナミックなアクションの動きで魅せたいという話が現場で上がり、スーツアクターの連携でブレードを触手で絡めとることになったのだ。
やってみなければわからないのはこの業界の常。ぶっつけ本番で望んだこの方針は、敢えなく失敗に終わった。
アクション用に丈夫に作られていたとはいえ、細かな装飾の多かったブレードは、触手がぶつかった瞬間にぽっきりと真っ二つに折れてしまった。
折れた時の破断音はキャラクターメンテナンスの宮谷さんの慟哭とも怒声とも取れる叫びによって掻き消えたことは未だに耳に残っている。
イメージトレーニングも済んだところで、いよいよ目の前の敵と対峙する時間だ。
オレはあの時の触手を振り回していた感覚を思い出しながら、マルチモニターとそこに映り込む1本の触手を動かすべく、大きくデリーラの身体を体幹に力を入れる感覚で動かしながら手近な大木目掛けて振り下ろした。
すると木の裂ける乾いた音が轟音となって、森の木々を震わす反響へと変わって行った。
昔取った杵柄とは偉大だなと取り留めのないことを思うと、目の前の凶悪な顔に向かって、こちらも霧幻怪獣の恐ろしさを示すべく、全身を震わせ、全ての触手に力を張ると、オレは腹の底から金切音に似た叫びを上がる。
「キュウォウォウォオオオオーッ!」
オレは完璧にデリーラとなった。