第二話
お前は一体何者だ。オレにいったい何の用だ。
赤い球を目の前にしたオレは、舌先すら動かせないはずなのになぜか相手に言葉を伝えられた。
あ 私
る は
可 君
能 の
性 死
を の
感 瞬
じ 間
た に
可能性? それはどんなものなんだ。
赤い球は一層のまばゆさを放つ。オレは耐えられずに瞼を閉じると、瞳の中に見たことのない景色が浮かび上がる。
少し前に公開された大作ファンタジー映画のような映像であった。
石造りの城壁の歩廊の上には、分厚い鎧や剣を携えて真に迫った殺陣を披露する戦士たち。6尺ほどはある木製の杖を振り回す老人の指先からは火の玉が飛びだし、さらさらとした白い髪を靡かせた耳の先端が尖った弓兵は矢尻を空高く構えている。
そんな彼らの見定めた狙いはただ一つであった。
岩肌のような暗澹として広がる雲を掻き分けて、まるで空一面を玉座のように支配した巨大なドラゴンであった。
ドラゴンは使い込まれた着ぐるみのような質感で、がさがさした赤錆のような汚れが目立つ真紅の鱗は所々剥がれ落ち、生々しい吐息で水へ溶いたメトローズのような唾液の飛沫が撒き散らされ、ぎょろりとした冷酷な瞳は金色の虹彩に彩られていた。
そして、その動物然とした本能を剥き出しにしたドラゴンは、空からあたりを一瞥すると、口の端から業火の一端を溢れさせながら、鼠を前に喉を鳴らす猫のように雷鳴のような轟音をたてると、先ほどの勇士たちの控える小さな山城へと、重厚な風切り音と共に爆撃機のように急降下する。
城壁からはドラゴン目掛けてあらゆるものが発される。
長さの不揃いな矢や槍、岩や石ころ、火球や稲妻のような閃光。
それらをドラゴンは気にも留めずに突き進む。
多くのものは急接近する姿を捕えきれずに空を切り、いくらか当たったものは赤錆た皮膚が焼いた鉄のように真っ赤な光を放ちながら弾き返してしまう。
進めば進むほどにドラゴンの身体は赤みを増し、城壁へと爪をかける頃には動く溶鉱炉のような禍々しい姿へと変わっていた。
そして、砦に残る蛮勇さを見せた者たちへ、打ち寄せる濁流のような重々しい黒炎を吐きかけ、爪の端で哀れな犠牲者を撫で回して溶断していく。
見慣れた怪獣たちとは違う、愛嬌のかけらもないその獰猛な映像は、まるで眼前に現れたかのような実体感をもってオレの背筋を凍らせた。
これはいったい……。
ここから少し離れた世界の出来事だ
君には彼らの希望になってもらいたい
一度死んだ身とはいえ、オレはただの役者だぞ。
赤い球はまるで笑うように、不思議な音を立てて鳴動する。
心 こ
配 れ
す を
る 君
こ に
と 託
は そ
な う
い
赤い球から、蒼く光る何かが放たれる。
段々と近づくそれは、スターマンの胸に輝くシグナルスターのような光を放つペンダントであった。
痛っ!
ペンダントはそれなりの勢いでオレの眼前まで迫ると、勢いを緩めることなくそのまま額にいい音をたててぶつかった。
なにすんだよ。もう少しコントロールよくやってくれよ。
赤い球は何も答えなかった。
それどころか空間の果てまで急速に遠ざかっていく。
おいおい、ちょっと待ってくれよ。流石に説明不足じゃないのか!?
先程までピクリとも動かなかった四肢に力が入り、離れゆく光を掴もうと手が伸びる。
そこでオレは気がついた。
赤い球が遠ざかっているのではなく、オレがどこかへ向かって落ちていっていることに。
オレは制御を取り戻した身体で取れるはずのないバランスを取ろうと必死になった。
そして伸び切った腕の先には、あのシグナルスターが重力に揉まれていた。
オレは反射的にその蒼い光を滑り落とすまいと指先で掴み上げた。すると握り込んだ拳から青白い強烈な光が溢れだしてくる。
目をつぶっても遮れない舞台照明など比べ物にならない眩しさに一面が白く包まれると、オレは再びトラックに跳ねられたかのように意識が飛んでいく。
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禁足の地に魔力の鳴動を感じる。なぜあの場が封ぜられているのかわからないものが、これほどの力をもっているはずがない。意図的なものであろう。
一目散に逃げ出すべき事態だ。しかし、わたしはそれを許せるような頭は持ち合わせていない。
そもそも、そんな器用さがあれば、いまだに里に残っていたことであろう。
大樹海の入り口に近いこの森は、若々しい木々が地表へまで姿を表し、清冽な流れのような根を這わせていた。
わたしは根上がって苔むしたその中の一本に手をあてると、木々より連なる魔力の奔流を感じ取る。
鬱蒼とした空を見上げると枝葉の微かな揺れは呻吟のように、奥で待ち構える禍々しい余波に揺れていた。
装具を留めるベルトを巻き直し、リス撃ち用の短弓の弦の張りを指先で確かめる。
あまりに最低限で頼りない装備だからこそ、レンジャーとしての技量が試される。
忍び足の達人の盗賊や姿隠しを鍛えた魔法使いでも、斥候の職務は我々には敵わないのである。
そして何よりもわたしにはダークエルフの矜持がある。
神代から受け継がれた、涜神を貫く一本の矢。
もはや忘れ去ったものも多い、古の盟約はいまだに息づいているのだ。
わたしの名前はカイ・ユーケン。森の語り手、カイなのだ。
「精神よ高まれ」
五感を研ぎ澄ませる精霊魔術を身に纏うと、風にのった恐ろしい匂いが鼻腔を刺激する。
しかし、不思議なことに森の最奥へと続く足跡は見つけられなかった。どんな存在でも隠しきれない微細な痕跡すら残さず、それは森の中心に突然現れたかのようなのだ。
常識的に考えれば穴を掘って這い出たか、それとも空から降り立ったか。
わたしはいよいよ覚悟をした。
秘蔵の魔法道具のひとつ。魔術師の回想鏡を取り出し、視界と同期するように額へ括り付ける。
いよいよとなれば小鳥か野鼠を調教して情報をギルドへ届ける必要がある。
一歩、また一歩と慎重に歩みを進める度に、赫龍に滅ぼされたリンデンベイル城の悲劇に似た刺々しさが心臓を冷えつかせる。
微細な棘だらけの毒草の茂みへ身を切りつけながら潜み、森の中心部の災いの根源へと近づくと、そこにいたのはひとりの人間の男であった。
遠目から回想鏡を通して観察すると、魔の住まう森に挑むには余りにも軽装で、相貌は東方の民の特徴が現れていた。
しかし、ひとつだけ明らかに異を感じさせるものがあった。
それは男の胸元に蒼く輝くペンダントであった。