第一話
煌々と真っ白な光が、肌を焼くような熱と共に降り注ぐ。
あたり一面からはもうもうと煙が立ち込め、薬品や火薬のような匂いが充満している。がやがやとした騒めきの中で鉄パイプが擦れるような音と鋭い大声が空気を切り付ける。
オレはまるで泥の中に沈んでいく潜水艦のような閉塞感の中で、これから起こる惨劇を夢想する。
大怪獣オウガンダー、それはすべてを飲み込む怪獣の王。
鳴き声を上げるだけでビルは震え、尻尾を振るえば地震が起きる。銀河の英雄スターマンの必殺光線も跳ね返し、大きな爪と牙でかじりつく。
オレはこの大破壊の中心でただ一人の生存者となるのだ。
「それじゃあッ! オウガンダ―入りまァすッ!」
高らかで張りのある声が響くと、オレの針穴のように狭い視界の中に工具や養生用のビニールテープの束を数珠のように体中に巻き付けた人影が現れる。
「ハァイッ! よろしくお願いしまァすッ!」
オレは大声を上げて全身を集中させる。
人影のほうからコツンと衝撃が伝わると、それはぐいぐいと体の表面を誘うように引っ張り出した。
体を任せるように張力の先へと重過ぎる腰を上げてゆったりとついていく。
オレの太い尻尾やぎらつく鉤爪の先端は、鋭敏な感覚に研ぎ澄まされ、巨躯に似合わぬ繊細さで狭い道のりを通り抜けていく。
「足! 足上げて!」
言われるがままに下肢をもたげる。
「はいッ! 下ろしてッ!」
足裏に小さな木箱が軋む感触が伝わってくる。
「はいもう一段ッ! もう一段あがるよッ!」
さらに踏み出し一段ひらけた場所へと歩みを進めると、オレはもう完全に地球の支配者へと変わっていた。
狭い視界の眼下には崩れたハイウェイが横たわり、ミニカーのような乗用車が打ち捨てられ、自分と同じくらいの背丈の高層ビル群が辺りを取り囲むように乱立していた。
「シーンじゅうごォ! カットいちッ! テイク・ワンッ! ほんばァんッ!」
一際大きな声が放たれると、今までの忙しない音が消え去り、張り詰めた緊張感が空間を支配した。
かちんと決して大きくない木を打ちつけただけのクラッパーボードの音が響くと、オレはオレではなくなっていく。
「うぉるるるぁあ! ぐぅわぁるるるぁあ!」
オレは雄叫びを上げるとノコギリのような背びれの付いた大きな背中を震わせ、身体中をぬるぬるとした血糊のような汗がとめどなく流れ落ちる感覚を楽しむ。
総重量は100キログラムはゆうに超えた身体を揺するたびに、頭の近くでモーター音が響き渡り、尖った顎がぱかぱかと開閉する。ひねりを加えると天井からつるされたパイプから延びるワイヤーに操られ、大樹のような尻尾が縦横無尽にしなりだす。
目玉や体表についた電飾が瞬く小さな視界の中央には、ちょうど視線の高さの辺りにポリ塩化ビニルのパイプを支柱に赤く塗られた発砲スチロール製のボールが宙に浮かんでいた。
オレはその球体をこれから襲い掛かる獲物と見定め、鱗を震わせ、手を振り回し、たっぷりと勢いをつけて突進を開始する。
大黒柱のように太い脚が地面を踏みぬく刹那。
粘っこい甘ったるさのある臭気を放つ白煙が、炭酸ガスの噴射によって巻き上げられ、かんしゃく玉を数千個は同時に破裂させたかのような轟音と共に赤土やセメントの粉末が吹き上がり、高電圧に耐えきれなくなったフラッシュライトが閃光と共に炸裂、防虫剤のような気味の悪い刺激臭を放つ炎柱が肌を焦がすかの如く吹き上がる。
オレは構わず真っ赤な獲物に向かって走る抜ける。
すると、体の表面からまるで夏祭りの夜空かの如く、火花が吹き上がる。
重さ、熱さ、臭い、痛み、あらゆる不快が深海の水圧のようにオレを圧迫する。
しかし、勝利を信じる怪獣王は進撃を止めることはないのだ。
「はいッ! カットォォ!」
操り人形の糸を切るかの如く発されたその声は、オレの鼻先が赤いボールにぶつかる直前に発された。
ふらりと気が抜けると、ビルの合間から待ち構えてたかのようにドタバタと大勢の人間が飛び出してくる。
「はやく消せ! 消せ! スーツが燃えるゥ!」
オレの体にべしょべしょと濡れ雑巾があてがわれていく。
「尻尾! 尻尾! どこ見てんだ! 尻尾が先だろ!」
炭酸消火器がオレの背後で盛大に吹き付けられる音が聞こえた。
「チェックオーケー! 次のカットにいくぞォ!」
「スターマンβ! 次の準備して!」
「ほらビル動かせ! 次のカットだぞォ!」
「カメラ通るよォ! 道開けてェ!」
叫び声が上がると、オレの周りからはサッと人だかりが引いていき、爆発の残滓や破壊された街並みががらがらと片付けられていく。
「ハルトシさん! 今脱がしますね!」
駆け寄ってきた声が怪獣王に似つかわしくない名前を叫ぶ。
そして、せーのという掛け声とともに二人がかりでオレの皮膚がめくり上げられていく。
トイレの詰まりを直すラバーカップのような音を立てて、セミの脱皮のようにオウガンダーの背中から体を引きずり出される。潜水服から解放されたオレは生ぬるい風の心地よさに歓喜した。
オレの名前はナカヤ・ハルトシ、47歳。職業は怪獣一筋26年のスーツアクターだ。
現在、SF特撮ヒーローのスターマンシリーズ最新作『スターマン・イオン』を絶賛撮影中である。
そして差し出されたスポーツドリンクを飲み干しながら、オレは次の段取りを想定する。
この後はスターマンβのフレイムナックルを受け止めるカットと、最終形態スターマンΩの必殺光線ステラリウム・シュートで止めを刺されるクライマックスが残っている。
「はぁ……。体力が持つかなァ……」
オレはこの道だけをひたすらに走ってきたが、さすがに体の衰えを感じざるを得ない年齢になってきたことがショックだった。まだまだやりたいことは山ほどあるし、休んでいる暇はないというのに。
「なんだよ? カヤちゃん、引退かぁ?」
脱ぎ掛けのオウガンダーの頭を支えてる2メートル近い長身の男が話しかけてくる。
入れ替わりの激しい業界で、ほぼ同期といっていいカミナガ・カンジはずけずけとモノをいう。
「カンちゃんより先には辞められないなぁ」
すると手元の空になったペットボトルがひったくられ、キンキンに冷えた新しいドリンクが差し出される。
「おれ、ハルトシさんに憧れてこの業界入ったんスから、カッコいいとこ、もっとみせてくださいよ」
筋肉の塊のような青年、ウチヤマ・ノブヒロは後輩らしい可愛いことをいってくれた。
「おいおい、ウッチーにそんなこと言われたら、いよいよ辞めらんなくなっちゃうよ」
電動ドリルや照明用の三脚を動かす音が響くスタジオ内を、耳を裂くような大声が飛び上がる。
「やばいぞ、このままだと尻尾千切れるぞ!」
騒ぎの中心に目をやると、天井から吊り下げられたオウガンダーの尻尾の周りに人だかりができていた。
力無い生き餌のミミズようなそれをよくよく見ると、なんと火が燃え移り真ん中辺りからが裂けかけていた。
「このあと尻尾うつりこんじゃうシーンある?」
「オウガンダー出るシーン、ぜんぶ尻尾入っちゃいますよ」
「塗装だけならなんとかなるけど、修繕だと今からでも明日の朝までかかるよ?」
久々の修羅場を目撃し、スーツアクターたちにも緊張が走る。
「どうするよ。たぶんスターマンだけ撮ってバラシだぜ?」
「あした、テッペン越えちゃうっスね」
撮影現場は生き物だが、テレビの放送日は待ってくれない。
それに大変なのはスーツアクターだけではない。
そして、監督のナカグチからこちらにも声がかかる。
「カヤさん、ごめん! 明日ヤバいわ!」
オレはオウガンダーから飛び出すと、アクションスターのようにその場でシャドーボクシングした後にハイキックをした。
「待つのも、詰まった仕事の消化も、仕事のうちだから大丈夫ですよ!」
流石にクサすぎたかと少し気恥ずかしくなった。
しかし、ナカグチはそんなことも気にも留めず、申し訳なさそうに続ける。
「ほんとごめんね? とりあえず明日の朝一までにはなんとかするから、今日はもうバレちゃっていいよ」
カンジはウチヤマの肩に手をかけながら会話に割り込んでくる。
「えー、じゃあこっちも帰っちゃおうぜ、ウッチー! 今日、駅前の新台入替だったじゃん? せっかくなんだからスターマン打ちにいかなきゃ!」
ウチヤマは先輩からのハラスメントに困惑の表情を露わにしている。
そこへ助監督のスギサキから鋭い指摘が飛ぶ。
「スターマンとパットン星人はまだ出番あるでしょ!」
冗談の通じない発言に苦笑しながらカンジは小さく縮こまりながら、困惑し続けるウチヤマの背後に隠れる。
業界未経験の人間が目撃すれば喧嘩かと勘違いしてしまうようなコミュニケーションも、オレ達には雑談の延長にあるのだ。
「それじゃあ、自分はこれで上がります!」
オレは手早く荷物をまとめると、撮影所から10キロ先の駅まで走って向かう。
スーツアクターとはいえ、役者は身体が資本。体づくりと無用な交通事故防止を兼ねた電車通勤のルーティーンは、あまりにも早すぎた終了に拍子抜けしてしまった心を引き締めてくれる。
そしていつもの駅までの並木道を流していると、ふと、か細い鳴き声が耳元に届いてきた。
見上げてみると青々としたイチョウ並木のいっぽんの細い枝の先に、小さな子猫がしがみついていた。
本物の木を登るなんて中学生以来だなと、思い返すと同時に、学生時代の花見で調子に乗って桜の木をよじ登っていた記憶がフラッシュバックした。あの時は、相当に酔っており、とうぜん落下したのだが、華麗に受け身を取り事なきを得た。
今回は子猫の救出というまさにヒーロー然とした行いであり、同じ轍を踏む謂れはない。
細く見えたイチョウの幹は案外としっかりとしており、するすると助けを呼ぶ元まで近づいていく。
怯えた子猫はオレすら警戒して甲高いみゃあみゃあという鳴き声で、細い枝の先へ後退りしていく。
「あっ! 危なっ!」
猿ですら木から落ちるのなら子猫など簡単におちてしまう。
すかさずオレは木の幹を蹴り、今まさに枝先から2メートルは離れたアスファルトへ叩きつけられようとする子猫に手を伸ばす。
ごわごわとした濡れ雑巾のような感触が手に伝わる。魚の骨のような尖った爪が必死にオレの腕へ食い込んでくる。
オレは小さな存在を大事に抱えながら、桜の木から落ちた時以上の軽やかな受け身を取った。
アクションのできるスターマン防衛隊のスタントマン兼エキストラが足りないとナカグチ監督から無茶を言われた際に覚えた、軍隊式の動きがまさか活かされるとは。
子猫を歩道の上に下ろすと、こちらを一瞥したあとに、草むらの中へ駆け込んでいった。
いいことをすると気持ちがいい。まるでスターマンになった気分だ。カンちゃんも撮影の度にこんな気分を味わっているのだろうか。
感慨深さに浸っていると、今までに聞いたことのないほどのクラクションが聞こえた。
足元をみると自分は車道に着地していたようだ。
大型のトラックが急ブレーキの音を響かせながらこちらへと向かってくる。
「カースタントもやっときゃよかったな……」
明日の撮影はウッチーに任せるしかないなとぼんやりと考えていると、オレの目の前は真っ暗になった。
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目を覚ますと、オレの体はまるで全面グリーンバックの撮影スタジオのような場所にいた。
身体を動かそうとすると、指一本すら動かせず、棺に収められた遺体のような姿勢でふわふわとした浮遊感に包まれている。
終わりのないまるで小さな宇宙のような空間で、目の前だけを見つめていると、ぼんやりと遠くの果てから、今日、スターマンに見立てたスチロールボールのような赤い球が、徐々に迫ってくるのがわかった。
陽炎のようなもやを纏い初めは点のようだったそれは、近づくほどに天体のような大きさを示し、心地よい輝きと熱を放った。
球の端を視界に収められなくなるほどまでにオレの方へと近づくと、それは動きを止めた。
君 残 ナ
は 念 カ
死 な ヤ
ん が ・
だ ら ハ
ル
ト
シ
赤い球はオレにそう告げた。