第一章「これまでは平凡な日常だった」その8
暴走したインプとの戦いが始まる――。
果たして、フォルス達に勝ち目はあるのだろうか?
知恵のある魔物とは厄介なものだとは知っていた。
インプやダーティノッカーは見た目こそ小柄で弱そうだが、他の魔物とは道具を使用するだけでなく、罠や武器を作り出す知能もある。
だが、インプが凶暴な魔物として知られているスライスラビットを飼い慣らしているとは夢にも思わなかった。
そして、今俺の目の前には魔法を失敗した結果、暴走している歪なインプの姿があった。
退屈な毎日の中でも新しい発見があるのは喜ばしいことかもしれないが、魔物の凶悪な生態を知ったところで、飲みの時の笑い話にもなりはしないだろう。
さて、この危機をどう乗り越えるべきだろうか。
「かかってきやがれ!」
「ぶっ倒してやるっす!」
マーカドとジャックルの二人は威勢こそ良いものの、腰が引けているせいでいつもの迫力は微塵も感じられない。
ここは俺がしっかりしなければなるまい。
「奴の図体はデカイが動きは遅い! 腕に捕まれないよう散開だ!」
「「了解!」」
二人が散らばっていくと、イラついたのかインプは手当たり次第に肥大化した右腕を振り回し出す。
その重い一撃で木の幹をへし折り、鈍い音が林内を駆け巡る。
まともに喰らったらあっという間にあの世行きだと思っていると、とんでもないことに気が付いてしまった。
奴の丸太のように太い腕が途中で45度ほど折れ曲がっている。
骨折しているのだろうが、奴は構うことなく腕を鞭のように振り回している。
「痛みを感じていないのか……」
土のスティマナに浸食された結果、生物とは別種の存在となったかのようだ。
強くなったのならば成り上がったという表現になるのだろうが、それとも同胞すらをも殺す理性のない存在へ成り下がったというべきか……。
「まったく、ここまで面倒な仕事になるとは」
自虐の笑みを浮かべてから指を鳴らすと、手にしていた突撃銃が煙のごとく瞬時に消えうせる。
突撃銃では威力が弱すぎる。
火力の強い兵器を呼び出さなくては。
『サーバー【ヴァルカン】にアクセス――』
さて、こんな時はどんな兵器が役に立つのやら。
頭の中で早速頼んでみる。
――化け物退治に向いている武器を頼む。
傍から見ると、余りにも大雑把な要望だ。
鼻で笑われそうだが、『声』はこう応えてくれる。
『リクエストを受理いたしました。あなたにとって最適な兵器を検索いたします』
何とも誠実な返答だ。
行きつけの酒場で出される舌先を太い縫い針で刺してくるような酸味の酷い酒や、飲み干した後暫く胃を痺れさせる渋い酒で満足している俺からしたら破格のサービスとも呼べる。
『お待たせしました。「対巨獣ライフル」をお送りいたします』
すると、目の前に大きな銃が現われる。
担いでみると、その重さにまず驚かされる。
突撃銃よりも銃身が長いだけでなく、その重さも倍以上だ。
「らいふる」自体何度か使ったことはあるが、対巨獣と言っている以上通常の物よりも貫通力が優れているのだろうか。
「これさえあれば……」
痛覚が無い以上、確実に仕留める必要がある。
となると、狙うは敵の頭部か。
「マーカド、ジャックル。陽動を頼む!」
「へいっ!」
陽動に関していうと、二人はベテランと言えるほどの腕前だ。
そもそも、魔物に対して人間の言葉は通じないことが多く、舌先が回る詭弁や薄汚い罵詈雑言の数々もほぼほぼ無意味だ。
では、どうやって魔物の気を引けばいいのか。
二人を見てみると、その方法が如何に単純で、かつ天性の才能が必要であることが理解できるだろう。
マーカドのわざとらしくおどけた顔は相手の本能を揺さぶり、ジャックルが侮蔑の視線と共に自身の尻を叩く仕草は心の底から怒りを呼び起こす。
二人の行動は見事効果を発揮し、激昂したインプは二人へと襲い掛かる。
「兄貴! 頼みますぜ!」
「わかっている!」
その場で座り込む体勢を取り、対巨獣らいふるを構える。
しかし、インプが激しく動き回り、おまけにらいふるが重いせいもあってか中々標準を合わせにくい。
適当に乱射をすれば二人に当たる可能性があるため、タイミングを合わせなければ。
「ぐおっ!?」
インプの爪先がジャックルの額を掠める。
深紅の花びらが舞うかのように、血の雫が辺りに飛び散った。
「ジャックル!」
怒りのせいで俺の何かが吹っ切れたらしい。
銃口の先が吸い付くようにインプの脳天へ向かう。
距離良し、周囲に味方無し――。
ほんの一瞬、身体中の筋肉が岩のように強張る。
そして引き金を引いた瞬間、雷鳴のごとき発砲音に続き、全身を貫く重い衝撃が走った。
「ぐっ――!?」
軽い眩暈に耐えながらも、前方を見据える。
インプを注視すると、弾丸は――命中していた。
だが、惜しくも脳天に直撃せず、奴の左頬に大きな穴を作るだけに終わってしまった。
「やばいな、これは」
普通の魔物ならばどう見ても致命傷なのだが、インプはまだ健在だ。
見てみると弾痕からは血ではなく砂色の霧が吹き出ており、何の可愛げのない化け物だということを思い知らさる。
当然のことながら、インプの矛先がこちらへと向けられた。
怒号と共に、奴は大地を勢い良く蹴りながらも迫って来る。
らいふるをその場において撤退しようとするも、敵はあまりにも素早く、到底逃げられそうにない。
「参ったな」
別の兵器を呼び出す時間もない。
こうなったら意地でも戦う他ないだろう。
指を鳴らしてらいふるを返却し、拳を固めて身構えていると――。
「うおりゃあっ!」
マーカドの叫びが聞こえた。
その手には愛用の鎌を握られており、その鋭い切れ味は魔物の硬い皮膚をも切り裂く他、農作業の手伝いでも活躍できる逸品だ。
「喰らいやがれ!」
マーカドは背後からインプへと切りかかり、鎌の刃が奴の背骨に食い込む。
必死になって暴れるインプはマーカドに反撃を試みるも――。
「俺も続くっす!」
ジャックルの棍棒がインプの側頭部を強打する。
彼の棍棒は重量もさることながら、釘を貼り山のように打ち付けているため凶器としては申し分ない代物だ。
ジャックルが棍棒を叩きつけるたびに、ミシリミシリという何かにヒビの入る音が徐々に大きくなっていく。
テンポよく殴打しているのを見ていると、まるで料理でもしているかのような手際が良く、そして容赦がないものだ。
「ぐげぇっ!?」
突如、ジャックルの悲鳴が鳴り渡る。
インプの腕による反撃を喰らってしまったようだ。
ジャックルの身体が地面へと叩きつけられ、手にしていた棍棒が俺の足元へと転がって来る。
「ジャックル! 無事か!?」
「大丈夫っす! マーカド、後は任せるっす!」
「おう!」
マーカドは威勢よく叫んでから、手にしていた鎌に渾身の力を込める。
痛覚がないことが幸いしてか、インプは構うことなくこちらへと腕を伸ばしてくる。
どうやら俺を握り潰すつもりのようだ。
「ちっ!」
太い指を避けようとすると、何かに躓いてしまった。
「しまった……」
足元を見てみると、そこにはジャックルの棍棒が俺の足と挨拶をしていた。
もう少し注意深く逃げるべきだったか。
「やれやれ……」
まさか最初の死因が圧死になるとは。
インプの指が俺の胴に向けられたその瞬間だった。
――ぐちゃり、という気味の悪い音がした。
ぼんやりとしていると聞き逃してしまいそうだったが、耳朶にじわりと染み付き、暫くの間記憶に残りそうな嫌な音だった。
そして時を同じくして、インプの動きが唐突に固まった。
狂気に満ちたその双眸からは光が失せ、朽ちた死体の目には何も映っていない。
インプが膝を崩したので俺は慌ててその場から離れると、奴は前のめりにどうっと倒れ伏せた。
その姿を見ていると、歴史に名を遺した暴君の最期もこんな呆気ないものかとすら思ってしまう。
流れる沈黙の中で安堵を零していると、ようやく気が付いた。
短いようで長かった面倒事が片付いたということに。
「二人とも、無事か?」
「ええ、大丈夫ですぜ」
「俺もっす」
「すまない。俺がトドメを刺していれば――」
「気にしないでくださいっす!」
ジャックルは笑いながらも、落ちていた棍棒を持ち上げる。
左腕を庇っているのを見ると、先程の衝撃で痛めたのだろうか。
「だ、大丈夫か?」
「これぐらい何てことないっす」
「とっとと、プラノと合流して怪我を治して貰うのがいいですぜ」
「そうだな」
三人で小さく笑いながらも、林を脱出する。
プラノ達を追いかけようとするも戦闘による負傷もあったため、その足取りは重かった。
何度も林の方を振り返ってみるも、敵の追撃が来る気配もない。
「それにしても――」
インプ達があそこまでずる賢いとは。
それに凶暴化するとも思っていなかった。
ダーティノッカーといい、亜人系の魔物は侮れないものだ。
そして、今日の出来事でインプ共は今以上に人間を警戒するだろう。
そうなると、アンヌのような子が誤ってカンパルの林に足を踏み入れた時点で、命を落とすことに――。
「兄貴、どうされましたか?」
「いや、魔物退治の仕事も今後はやっていこうかな、と思っただけだ」
その言葉に対し、二人は大きく反応した。
「兄貴!? 本当っすか!?」
「ああ。勇者様の真似事はあまりしたくないが」
「今日は祝杯っすね!」
「そうですぜ!」
子どものようにはしゃぐ二人を見ていると、そんなに嬉しいものかと不思議でならなかった。
根無し草には相応しい生き方がある。
下手に背伸びをしても、損をするだけだ。
そんなことは二人ともとっくの昔に分かっているはずだというのに。
暫く歩いていると、木々が密集して植えられているのを見つける。
壊れた木の柵がある所から、果樹園の跡地だろうか。
虫食いだらけの葉に、立ち枯れしている樹木を見ていると、何ともやるせない気分となってくる。
「お、こりゃあリンゴの木ですぜ!」
マーカドは喜びながらも木へと駆け寄っていく。
食べられるリンゴが運よく実っているはずもないだろうが、それでも万が一ということもある。
仕方なくジャックルと共にその後についていき、自由気ままに葉を遊ばせているリンゴの木を眺める。
リンゴの木は害虫対策が欠かせないと聞いたことがある。
その話通り、すっかり虫達の楽園と化しており、羽虫がこれでもかと葉や幹にしがみついていた。
虫好きならば垂涎物の光景だろうが、俺にはそんな趣味はなかった。
これは諦めるしかないだろう。
すると、マーカドが声をあげる。
「兄貴、魔物がいますぜ」
「魔物だとっ!?」
声を上げながらも、身体が勝手に強張り、自然と心臓が高鳴る。
とっさに臨戦態勢を取ろうとすると、マーカドが慌てて付け加えた。
「いや、どこにでもいる雑魚ですぜ」
「何だ、驚かせないでくれよ」
笑っていると、マーカドが妙なことを言ってきた。
「でも、こんな光っているのは初めてですぜ?」
「光って、いる?」
この辺りに光った魔物などいただろうか。
マーカドの視線の先を追おうとしたその刹那だった。
「え?」
一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
マーカドの身体が何の前触れもなく宙を飛んだ。
そして、自由落下して鈍い音共に地面へと叩き落とされるのを目にして、俺は我に返った。
「え?」
二度、間抜けな声を出す。
今度は、ジャックルの胸に何か高速でぶつかったのが目に見えたからだ。
ジャックルもまた成すすべもなく大地に倒れ込む。
あの巨体がワラで出来た人形のように崩れていくのを見ると、何かの冗談としか思えなかった。
「え?」
三度目の間抜けな声が出た。
今度は、俺の右足に激烈な痛みが走ったからだ。
「ぐっ!?」
痛みが響く。
足だけでなく、脳天をも震わす嫌な痛みだ。
まるで共鳴しているかのようで、耳鳴りにも似た音が聞こえて来た。
瓦礫が崩れるような、何かの落ちるような、奇妙な音だった。
後になって、俺は気が付くだろう。
この音は、別れの挨拶だ。いや、一方的に絶縁状を目の前に叩きつけられたと言った方が適しているか。
何にせよ、もう二度と戻ってこないのだ。
どこかかび臭く、それでいて優しい平凡な日常。
その日常が綺麗に崩れ去る、これはそんな音なのだろう――。
これにて第一章完結です。
ここから、プロローグの場面へと繋がりますので、そちらもご覧いただければ幸いです。
次回からはデウス・エクス・マキナの娘であるミキナが登場いたしますのでご期待ください。
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それでは今後ともフォルス達の活躍をお楽しみに。