辺境モブ令嬢は攻略対象の宰相子息に溺愛される
ハッピーエンドのお話です。ゆるゆると軽い気持ちで読んでいただけると嬉しいです。
ある時、私リリアナ・メロゥは前世の記憶を思い出した。
原因は本当に些細なこと。
転んだ拍子に屋敷内に飾っていた立派な花瓶に頭をぶつけたせいだ。
私は前世、普通の一般家庭で育ち普通の会社で働いていたOLだ。趣味はピアノ。
通勤途中に横断歩道を渡っていたら、赤信号で暴走してきたトラックにぶつかった。それが私が最後に覚えている記憶だ。
リリアナがいる所は、驚くことに乙女ゲーの世界。ここが前世の私がハマったゲームに登場する国と全く同じ名だと知った時、本当に驚いた。
これは五人のイケメン達とヒロインが貴族の子息子女らが集う学園で、彼らの好感度を上げ恋愛イベントをこなしていく、『貴方の吐息で恋をする』という名の恋愛攻略ゲームだ。攻略対象はこの国の王子、宰相の子息、騎士、魔術師、そして隣国の王子と様々だ。
で、そこまでは良い。でも私はこのゲームには存在しない。というか、この名前に記憶がなかった。
いわゆるモブというやつなのだ。
容姿は茶髪薄紫色の瞳。瞳は別として、どこにでもあるような顔だ。特段美人でもない。可もなく不可もなく、といった姿形。
よってモブすぎて、今の自分の立ち位置がどういう状態なのかすらわからない。
ただここはフェリシア王国の辺境。王都から遠く離れた土地にリリアナと両親は住んでいる。意外なことに爵位もあり伯爵家の称号をもつ。別名、辺境伯とも呼ばれている。
リリアナは八歳。記憶が戻っても元々のリリアナも特に目立つ性格ではなかったようで、周囲から不審に思われることなく日々を過ごしていた。
唯一変わった事といえば前世からの趣味。日課の如く二階の自室でピアノを弾いている。それもアニソンメドレー。
前世の狭い住宅街ならいざ知らず、ここは超ド田舎なので多少音が響いても特に誰も咎める者はいなかった。
いつものように思いっきり弾いていると、侍女が現れた。
「失礼します。お嬢様、奥様がお呼びです」
「えっ、はい。今行きます」
ピアノの音がうるさかっただろうか。いつもは怒るどころか、喜んでさえくれる。子煩悩な両親なのだ。まだ八歳やそこらの娘がピアノが堪能なことが嬉しいのだ。
母の所へ行くと彼女は微笑み「そこへお座りなさい」と私をソファーに促した。
「はい。お母様」
リリアナの母はとても美しい人だ。金髪薄紫の瞳。
「実はね。隣のカールトンおじ様とおば様の所から連絡が来て、あなたにちょっと用があって顔を見せてほしいそうよ」
「おじ様とおば様が?」
辺境の領地で唯一隣に住んでいる。いわばご近所さんだ。親戚ではないが、おじ様おば様そう呼ばせてもらっている。
「もしかしたら、またピアノを聞かせてほしいのかも知れないわね。あなたのそれはとても癒されるものね」
「そうかも知れません。それではおじ様達のお屋敷に行ってきますね」
そう私は母に言うと、急いでカールトン夫妻のいる屋敷に向かった。隣にあるので徒歩ですぐだ。
夫妻は待っていたようで、私を見ると笑顔で中に招いてくれた。
「こんにちは、おじ様おば様」
「リリアナちゃん、こんにちは」
この夫妻は子供がいない。私の両親より年配だ。リリアナがこうして遊びに行くたびに、とても喜んでくれる人達だ。
「今日は何の曲を弾きましょうか」
「……それがね、実は――」
おば様が申し訳なさそうに言葉を濁す。
「えっ、ピアノを弾くのはしばらく控えてほしい?」
「違うの、リリアナちゃんのピアノがダメなわけではないの。ただ、今日から知り合いの子を預かっていて、その子がちょっと、ね」
少しの間預かる予定なの、とおば様は言う。
おじ様の話だと、その子は病気がちのようだった。王都から来たらしく、そこで何か不穏な事件に巻き込まれたそうだ。
「とりあえずその事件の犯人が捕まるまで、私達で預かることになったんだよ。そうだ、リリアナちゃんもあの子と年が近いね。仲良くしてあげてほしい」
「わかりました」
せっかく来たのだからと、おじ様達がその子の所へ案内してくれた。部屋は二階にあるようで、私の屋敷の部屋とちょうど向かい合わせになっている。
おば様が扉を叩くと「どうぞ」と返事が返ってきた。二人に連れられて部屋へ入ると、ベッドから体を起こした子供がいた。銀髪空色の瞳。とても綺麗な子だ。
「シオン、体調はどうだい?」
「はい。カールトンさんお気遣いありがとうございます」
おじ様の声かけに、シオンと呼ばれた少年は愛想よく会釈している。礼儀正しい、良家の子息といったところか。
「さっき話した隣のお嬢さんだ」
「リリアナ・メロゥと言います。シオン君これからよろしくお願いします」
田舎の令嬢だが、一応淑女教育は受けている。私は緊張しつつも習いたてのカーテシーをする。
「僕はシオン、よろしくね」
彼もにこにこ笑って挨拶してくれた。何だか仲良くなれそうな気がする。
おじ様達は下に戻るので子供同士ゆっくりお話すると良い、と私はシオンの部屋に少しいることになった。
扉が締まり、おじ様がいなくなる。
「……あのピアノ、リリアナが弾いてるの?」
「あ、はい」
シオンの声がさっきと違う。おじ様達と話している時の愛想良さはもうない。顔から笑みが消えていた。
怒っているわけではなさそうだが、怖い。
「聞いたことのない曲ばかりだね。どこで習ったの?」
「え……あの自己流です」
「へぇ」
シオンは私より二つ年上。少ししか違わないのに、この威圧感はなんだろう。帰りたくなってきた。
彼はピアノの音色が気に入らないのかも知れない。おじ様達の言うように、今後しばらく控えよう。
「すいませんでした。シオン君、体調良くないのにピアノの音うるさかったですよね。以後気をつけます」
「うるさくなんかないよ。ただ……リリアナは何でも弾けるの?」
「何でもというわけではないですけど、譜面があればどうにか……」
子供の手なので鍵盤が届かない時がある。
そう話すとシオンは理解してくれた。そしてベッド横の机から楽譜を出してきた。渡されたそれを私は開く。
「……弾けそう?」
「多分。ちょっと弾いてみて良いですか?」
私はすぐそこのピアノの前に座った。下の居間にもあるのでこの部屋にもあることに感激した。
すぐに弾いてみる。これは春の曲だ。麗らかな春の陽射しに日向ぼっこしたくなる旋律。
曲を弾き終える。振り返ると、シオンの顔が少しだけ和らいでいるように見えた。
「すごいね君、上手なんだね」
「いえ、適当に弾いてるだけなんで」
「ふっ……君、変わってるね」
私の反応が珍しかったのか、ちょっと驚き笑っている。それからシオンはどの時間ならピアノを弾いて大丈夫かを教えてくれた。
やはり具合が悪いのは本当らしい。
「あと、またピアノ弾きに来なよ」
「いいんですか?」
「いいよ。あと敬語もいらない」
それから私達は友達になった。
◇◇◇
忘れかけていたが、私はモブ令嬢だ。
シオンが攻略対象だということに気づいたのは、初めての出会いから一年が過ぎた頃だった。
我ながら本当に鈍いと思う。気づくのが遅すぎる。
モブはモブなりに攻略ゲームに一切関わることなく、好きな事をし自由に生きようと思っていたのに。
その頃にはすっかり彼の体は回復していた。あとで知ったのだが、これはシオンの家と敵対する家から毒を盛られた為だったらしい。
カールトン家のおじ様はシオンのお父様のお師匠様だそう。シオンはこのフェリシア王国の宰相を父とする。シオン・リュミエール。公爵令息である。
「ねぇ、シオンはいつ王都に帰るの?」
いつものようにシオンの部屋へやって来ると、私は手作りの焼菓子をテーブルに置いた。侍女が現れ、お茶を用意してくれる。
「最近リリアナ、そればかりだな。まるで俺に早く帰れとでも言いたげだ」
「違うわ。だって前におじ様、シオンは少しの間だけここにいるって言ってたから……いつ帰るのかなって思っただけよ」
紅茶を一口含み、シオンは私の言葉が気に入らなかったのかムッとしている。
三年前とは比較にならない程、彼は元気になった。透き通る肌に艶やかな銀髪。今日の空のような色の瞳。健康になるに従ってシオンは本当に攻略対象なんだと、まざまざと見せつけられる。
そして自分はただの田舎娘。下手したら通りすがりBとかの可能性もある。
卑屈にはなりたくない。なりたくないけど。
きっと彼はそのうち貴族の通う学園に行き、恋をするのだ。それもとても可愛らしい少女と。彼らの織り成すゲームのスチルのような甘い瞬間を私も見てみたい。
でも何だかモヤモヤするのだ。最近特にそう。素直に第三者として喜べない私がいる。
「うう、私も婚約者がいればなぁ」
私にも相手さえいれば、他のことなど気にならないはずだ。そうすれば余裕もできるかも知れない。
「何、リリアナは婚約したいの?」
「ううん、婚約というか好きな人がほしい。恋愛がしたい。胸がときめくような素敵な――」
「リリアナは好きな人、いないの?」
「え……うん」
途中で言葉を遮られた。目の前にいるシオンは何故か怖い顔になっている。
私、何か変なこと言ったかな。でも実際、こんな田舎じゃ出会いとかないし。
「シオンは春から学園だものね。寮に入るの?」
「学園は行くけど、寮かどうかはまだ決めてない。一応王都に家はあるし、そこから通っても近いし」
私の作った焼菓子をシオンは美味しそうに食べている。たしか彼はゲーム上では潔癖で過去に毒を盛られた経験があるからか、他人の作った料理を食べない。それなのに食べている。何だかとても嬉しくて、ほっこりする。
人って、いやゲームとはいえ変わっていくんだなと思う。不思議だ。
そうしてふと周りをみると、たくさんの本があった。彼はとても勉強熱心なのだ。
「シオンは将来、お父様のように宰相様になるのよね」
「なれるかどうかは、わからないけどな。だが努力はする」
「ふふっ、偉い。おじ様の指導もしっかり受けているし、シオンなら大丈夫よ。良い宰相様になるわ」
この世界はゲームのようであって、たしかに現実だ。でも彼は自分の努力で必ず夢を叶えるだろう。
私が微笑むと、シオンは片手で顔を覆った。頬が赤くなっている。褒められて照れているのだ。
恥ずかしかったのかな。
◇◇◇
今日はシオンに連れられて、近隣の街へやって来た。なんでも学園に通うのに準備するものがあるらしい。
私はともかく、彼の容姿は目立つ。けれど田舎の街なので、平日は人も少ないし年寄りも多い。見られはするが、騒がれることはない。
「シオンたら、王都の方が品物が揃っているんじゃない?わざわざここで買わなくても……」
「いいんだ。リリアナも一緒に選んで?」
はぐれたら困るからと、さりげなく手を繋がれる。そんなに人はいないのに、ものすごく慎重派だ。
ペンやノート等の筆記具を選んでいく。小さな街なので、あちこち回っても疲れない。買った荷物は馬車まで運んでもらい、私達は休憩することにした。
「リリアナは何が食べたい?」
「シオンは?」
もうすぐ彼はここを離れる。だからこの地の好きなものを食べておいた方がいい。
そう口にすると、珍しくシオンは寂しそうに小さく笑った。なんだか可哀想に思って彼を見上げる。
「あのね、たまに王都に遊びに行ってもいい?」
「もちろん、リリアナが来たら色々案内するよ」
これは友達としての約束だ。本当に叶えられるかはわからないけれど、これくらいなら許されるだろう。
結局シオンが希望したのは外で食べることだった。噴水のある公園のベンチに二人で座る。買ってきたサンドイッチを手渡した。
「こんな風に天気のいい日に外で食べるの、楽しいね」
「そうだな」
飲み物も渡すと「ありがとう」とシオンが目を細めて見てきた。横顔がまたさらに綺麗で心臓がドキリと鳴る。
「リリアナもあと二年したら、学園に通うんだろう?」
「……私? ううん、私はいい、かな……」
「え?」
どうして、とシオンは眉を寄せた。
それはそうだ。この国の爵位ある子息子女は皆その学園に通うのが普通だ。
「君も俺もカールトン先生に教わっているが、君の成績は悪くない。それどころか優秀だ。仮に今、学園に入学してもいい位の水準……なのにどうして」
「勉強は嫌いじゃないの。でもわざわざ私なんかが学園に入らな――」
「ダメだ」
珍しく強い言い方のシオンに私は身をすくませた。
彼の真っ直ぐな視線が痛い。真面目な彼には学園に行きたくないなんて気持ちはわからないだろう。
所詮、私はモブだから。喉まで出かかった言葉を私は飲み込んだ。
公園でのランチも終わり、そろそろ帰ろうという頃。シオンがポケットから何かを取り出し、私にくれた。
「今日のお礼。着けてみて」
「ありがとうシオン。これって、指輪?」
いつの間に買ったのだろう。全然気づかなかった。それに指輪とは。
シオンがそっと私の手を掴み、指輪を嵌める。それが左手の薬指なことにギョッとした。空色の石が一つついている。
「その指輪は魔導具でもあるんだ。身を守る力がある。あとどんな指でも合うようにサイズが変化するんだ」
「魔導具なんて高価なのに。ありがとう」
「これから二年はなかなか会えなくなるから、これが俺の代わりだと思って」
なんだかシオンが恋人に見えてきてしまった。私は頬が赤くなるのを隠すのに必死だ。
彼は嵌めた指輪を満足そうに触れて確かめている。これを学園でもヒロインに対してするのだろうかと思うと、ちくりと胸が傷んだ。
あれ、でもこれはゲームにはない展開、かな。
◇◇◇
二年後、
私はエドワルド学園に入学した。
すごくすごく拒否したけど、両親とカールトンのおじ様おば様に押しきられたのだ。
とにかくモブなので目立つことはないと思うが、油断しないで無難に学園生活を送ろうと思っている。
それにしてもこの学園の制服は可愛らしい。若草色のジャケットにひだの付いた膝上スカート。胸にはレモン色のリボン。
シオンにもらった指輪は目立つので鎖を通してネックレスとして身に付けている。
学園には寮があり私はそこで三年間過ごすのだ。年に三度休暇があるので、その時に実家に帰省する予定だ。
ただ、シオンとはあれきり会っていない。手紙のやり取りはしていたけれど、結局王都には行かなかった。というか、気がひけて行くことなんてできなかった。
万が一、シオンと歩いていてヒロインと遭遇したらどうしようとか考えると無理だった。
「ご機嫌よう、リリアナさん。ご一緒してよろしいかしら?」
「はい。私でよろしければ」
この学園は貴族が通う。未来の紳士淑女達が集っている。言葉遣いもそれらしく。けれど苦手だ。
学園生活も何日か経った頃。
音楽室にあるピアノが目に入った。ここは防音だから何を弾いても、外には聞こえない。
女子寮にはピアノがない。だからとても鬱憤が溜まりに溜まって仕方なかった。
「ふふっ、久しぶりにたくさん弾こう」
鍵盤をたたく。集中して夢中になって弾いていたので、途中から誰かが見ていたなんて気がつかなかった。
どれだけの時間弾いていただろう。
終わった瞬間、扉の所から拍手をするのが聞こえた。しまった、と私が顔を上げるとそこには制服姿の金髪の男の人がいた。そしてその隣にシオンも。彼は髪が伸び、すごく背が高くなっていた。
「とても素晴らしい演奏だった。感動したよ。君は一年生だね」
拍手をしているのは金髪の男性。シオンの隣にいるのだから、きっと三年生だ。
私は慌てて立ち上がった。
「はい。すみません。つい誰もいないものと思って夢中になってしまって……」
「良い。さぁ、シオン。君も何か言ってあげたら」
「……いや、いい。行こう」
二年ぶりに会った彼は何故か冷たい瞳をしていた。シオンは私に何も言わず去っていった。
きっと私とは関係ないのだと、言いたかったのだと思う。そんな気がした。
そしてシオンの隣にいた金髪の男性を思い出す。あれは、そうだ。
「……あ、攻略対象の王子様だ」
やっぱり私は鈍い。ほとんどシオンしか見えていなかった。学園なんだから、ちゃんと周りを見ないと。
シオンは未来の宰相様なのだから、未来の王様と一緒にいて当然だ。それならきっと彼の周りには騎士や魔術師もいるのだろう。
それから数ヶ月後。
私はいつものように同級生の女子二人とラウンジに向かう。ランチタイムなのだ。
ここではバイキング方式で好きなものだけ食べて良いことになっている。周りの目もあるので、盛りすぎには注意しなければならないがやっぱり楽しい。
ここは毎日メニューが変わるのよねぇ。
ウキウキして盛っていると、ラウンジの入口に向かってキャアキャアと女子の声がした。
チラリと目をやると銀髪が見えた。きっとシオンだ。最近たびたび学園内で彼を見かける。ただ決まってすぐにいなくなってしまうのだ。不思議。
トレイを持って席に着く。再び向こうでキャアと黄色い声が上がった。
「あちらの方々素敵ねぇ」
「高貴な方達が五人も」
「本当に麗しいわ。あら、あの方は――」
皆がざわめいている中、桃色の髪の女の子がその五人のテーブルに入っていった。あれはきっとヒロインの子だ。
彼女はちょうど王子とシオンの間に座った。これはゲームの中にあったシーンだ。今ハッキリと思い出す。
すごい。これはなんというか尊い。
皆も遠巻きに見ていたのだけど、私も同じように魅入ってしまう。そして何故かシオンと思いっきり目が合ってしまった。
うわ、うわぁぁ。
居たたまれなくなって目を逸らした。
気まずいのでもうその五人とヒロインのテーブルは視界から外す。
けれどシオンだけはそれからしばらくこちらを見ていただなんて、その時の私は知るよしもなかった。
◇◇◇
それから何日か経った頃。
つつがない学園生活を私は送っている。
放課後、私は図書室で今日借りていく本を選んでいた。何にしよう。
棚の本に手を伸ばした辺りで、外から話し声が聞こえてきた。窓が開いていたのだ。
楽しそうな女の子の声と男の人の声。見なければ良かったのに、つい窓から顔を出してしまった。
一階の中庭にシオンと桃色髪の女の子がいた。二人は何かを話している。
ここは二階なので、向こうから見えることはないだろう。覗き見のようでドキドキする。これもゲームのイベントだったかなと記憶を辿ってみた。
「何してるの?」
「へっ?」
後ろから声をかけられた。
水色髪の男子生徒だ。シオンと同じくらいのイケメン。彼の顔には見覚えがあった。もしかしてこの人、攻略対象の魔術師じゃなかったろうか。
彼は一気に私のいる窓際にやって来ると、その下にいるシオンとヒロインを見下ろした。
「へぇ、覗き見か。あんた良い趣味してるね」
「覗き見なんてしてないです。……その、たまたま声が聞こえて」
整った容貌だ。肩がつくほどの至近距離に、私は動揺し後ずさる。
こんなに近い距離で美形を見るなんてシオン以来だ。
「あんた、アイツのこと好きなの?」
「はい?」
じろじろと上から下まで観察するように見つめられる。どうせ何の特徴もない女生徒だと思っているのだろう。
悪かったなモブで。
「アイツはやめといた方がいいぜ。言い寄ってくる女子にはホント厳しいし、冷たいし。頭と顔は良いけど――」
「あなたに彼の何がわかってるって言うんですか?」
あくまで私は部外者だ。モブがシオンの友達だったなんて知られない方がいい。
でもこれだけは言いたい。
「彼は優しい人ですよ。それに誰も彼もに優しくしても、それが本当の優しさとは限らないじゃないですか。あなたは彼の友達なら――」
「なんだぁ。はは、ちゃんとわかってるじゃないか」
「え?」
はじめ彼は言い返す私をキョトンとみていたが、やがて歯を見せて笑った。そして嬉しそうに私の髪をわしゃわしゃと撫でた。髪がぐしゃぐしゃだ。
「俺はジュドー。ジュドー・ランドール。三年生だ」
「あ、私はリリアナ……」
「知ってる。あ、気づかれた。睨んでるぜ、おー怖」
再びジュドーが中庭を見下ろした。視線の先はシオンだ。何故かものすごく私達を見ている。覗き見したのを怒っているのかも知れない。
ジュドーはそのまま私を残し「じゃあね」と風のように去っていった。
今の中庭での様子から察するに、シオンはヒロインと関わることが増えているのだろうか。
ますます私はシオンに会えなくなりそうだ。
ふと周りを見渡すと、図書室には誰もいなくなっていた。私も帰ろう。
借りた本を抱えて扉を開ける。廊下に出ようとしたら目の前にシオンが立っていた。
今日は随分美形と遭遇する日だ。私がすいと横に避け、彼を通そうとしたら扉を閉められた。さらにガチャリと施錠もされる。
「シオン?」
すごく怖い顔だ。整っているから余計に迫力がある。それなのに間近で見る彼は久しぶりで、懐かしい気持ちが込み上げてくる。
「…………」
返事はない。けれど無言で私の指先に触れてきた。だがどんどん彼の顔が不機嫌になっていく。
「どうして着けてない」
「お守りのことね。ちゃんと着けてる、ほら」
制服の下から首からさげてる鎖を引っ張り指輪を見せる。けれどシオンは顔を歪めた。
「それは着けてるうちに入らない。きちんと指に嵌めて」
「だって目立つもの。だからなるべくわからないように着けてるの」
「目立っていい。隠してたらお守りの意味がないだろう」
「…………」
シオンは頭脳明晰。私のつたない考えなんてきっと手に取るように理解できるはず。それなのに。
「ひゃ、」
何も言えずに黙り込んでいたら、シオンは私の頭をぐしゃぐしゃと撫でてきた。これはさっきのジュドーのより酷い。
「とにかく着けて。必ず」
誰のものかわかるように、と小さく呟いた声は私の耳には届かなかった。
そうしてシオンはあっという間に鍵を開けて、図書室を出ていってしまった。あとに残された私は茫然自失状態だ。
「久しぶりに会ったのに……シオンのばか」
言いたいことだけ言って彼は消えてしまった。
◇◇◇
今日は雨模様の日。
学園の女子寮に外出届を出して、私は玄関を出ると傘をさした。休日なので出掛けようと思っていたのだ。
馬車に乗ろうか迷ったけれど、近くの雑貨店に行くだけなので歩いて行くことにする。
まだ王都はよくわからない場所が多いからなぁ。
必要な筆記具を買い、店内を一通りみてから隣のカフェに向かう。ここは新装開店したばかりだそうで友達からのオススメだ。
だが道を挟んだ斜め向かいに、フードを深く被った男が立っていた。背格好から誰かに似ている感じがして、私は思わず足をとめた。ちょうど傘をさしているので、私の顔は向こうからはわからないはずだ。
チラチラ見ていると、男の前に馬車が一台停車した。そこから男が数人出てきて彼を取り囲む。
え、と思う間もなく男達が彼を馬車に押し込んだ。瞬間、フードがハラリと捲れて銀髪がみえる。
「待って、今の……シオン?」
馬車はすぐに動き出した。よく似ていたが、あれがシオン本人かどうかはハッキリしない。でもこんな風に迷っている間にどこかへ連れ去られてしまう。
迷っている時間はなかった。
私は急いで近くに止まっていた二人乗り用の馬車の御者に銀貨を渡した。この馬車は観光や王都内を巡るときに使われるものだ。
「おじさん、あの馬車を追ってほしいの」
「かしこまりました」
銀貨のお釣りはいらないと伝えると喜んで馬車を出してくれた。しばらく馬車を走らせ追いかけていくと、目的の馬車は路地裏に入っていく。馬車一台がどうにか通れる狭い道だ。
ここで停めてほしいと私は言い馬車を降りる。御者は心配し、娘一人が行くような場所ではないと引き留めてきた。
「ちょっと見てくるだけだから大丈夫。それよりおじさんにはお願いがあるの」
御者は渋々わかりましたと頷くと、すぐに路地を離れていった。
私はごくりと息を呑み、路地裏へ入る。目立つといけないので傘は閉じている。何かあったらこれを武器にしよう。
しばらく進んでいくと袋小路に出た。そこに追いかけていた馬車が停まっている。そのすぐ近くに小屋があった。そこから話し声がする。男達のものだ。
「いいな。あの方が来るまで、ここで大人しくしていろ」
小屋の近くにあった木箱の影に隠れていると、男達は再び馬車に乗ってどこかへ去っていった。
小屋の窓から中の様子を窺うと、薄暗い。誰かが床に縛られて転がっている。だが見たところ、見張りはいないようだ。
誰も周りにいないのを見て、ゆっくりと扉を開く。古びた扉だ、ギィィと音がきしむ。
「……誰だ」
間違いない、シオンの声だ。後ろ手に縛られている。やはり彼の他には誰もいない。
「シオン、私よ今助けるわ」
「……!? その声、待て、リリアナ?」
急いで駆け寄り手首の縄をほどこうとしていたら、シオンが信じられないと目を見開いてこちらを見ている。
「バカ、そんなことより指輪は。ちゃんと嵌めてるのか?」
「首に」
「今すぐ嵌めるんだ。早く!」
頼むから、と最後懇願するように言われてしまったのですぐに嵌める。するとそれを見たシオンがホッとしたように息を吐いた。
遠くから馬車の蹄の音が聞こえてくる。まずい、これはもう逃げ出すタイミングを逃したかも知れない。
真っ青になっていると、シオンが私を背後に庇うように座り直す。安心させるように頬を撫でられた。
「リリアナ、何があっても声を出してはいけないよ。約束して」
「わかった」
シオンの言葉に震える声で頷く。
同時に男達が小屋に戻ってきた。そしてその真ん中に随分と身なりの良い白髪の男がいる。その男はシオンを見るなりニヤリと笑った。
「やっと捕まえた。リュミエール宰相の息子、お前がシオンか」
「こちらこそ、お初にお目にかかります。ダグラス公爵」
「おお、ほとんどお前は社交界にも姿を見せない。にもかかわらず儂の名を知っているとは」
ダグラス公爵とはたしかシオンのお父様の政敵ではなかったか。私は昔、シオンが王都で毒を盛られた事件を思い出す。
そのせいで彼は辺境の地に住むカールトン夫妻のもとに預けられたのだ。
だが何というか。先程から不思議に思っていたのだが、こうしてダグラス公爵が至近距離にいても私の存在に全く気づいていないことに驚いた。
もしかして私、相当なモブ?もしくはそれ以下。
空気みたいな感じなのだろうか。
でもこの違和感はなんだろう。シオンは私の存在を認識しているのに。まるで私の姿は見えていないみたいだ。
「お前には恨みはないが、父親の方にはあるのでな。見せしめにお前は殺す。これまで何度も刺客を送ったが、そのどれもが戻ってこなかった。今度こそお前には死んでもらう」
ダグラス公爵はそう言うと、周りの男達に目配せした。
「殺れ」
まずい。シオンの手首を拘束していた縄は外しているが、男達は三人。人数が多い。
だがシオンはスッと立ち上がると、流麗な動きで次から次へと襲いくる男を倒していく。急所を見極め、拳を打ち込んでいる。すごい。
そうだ、カールトンおじ様は武術の達人でもあった。おじ様はシオンに勉学だけでなく、実際に戦うことも教えていたのだ。あまりの強さに私は動けず、そのまま魅入っていた。
「なんだこいつ、ただのお坊ちゃんじゃないのか」
「こんな話聞いてないぞ」
男の一人が腰にさげていた短剣を引き抜いた。シオンに切りかかる。だが彼は男の手に強烈な手刀をあて、瞬く間に短剣を落とすとその腹に拳を打つ。男は床に倒れ伏した。
気がつけば男達はいない。残るは公爵ただ一人だ。
「さぁ、これでダグラス公爵。貴方一人となった。どうする?」
「くっ、小僧の分際で生意気な!」
「言っておきますが、貴方の様々な所業はもうとっくに王宮に知れ渡っていますよ。そして証拠も揃っている」
証拠、という言葉で公爵の顔色が変わった。怒気がにじんでいる。
「そんなものあるわけがない。どこにそんな証拠があるか!……もしあったとしても揉み消せば良いだけだ」
小屋の外から馬の蹄の音。人の足音。誰かがやってくる気配がする。ダグラス公爵の手の者か。
ジリジリとシオンは公爵に近寄る。だが床に転がった男の一人が落ちていた短剣を握って様子を窺っていることに私は気づく。
シオンはそのことに気づいていない。
どうしてか、私は見えていない。それなら――
私は近くに転がっていた鋭く割れた木材を拾うと、短剣を持って起き上がろうとした男の手に思いきりそれを振り下ろす。
瞬間、ギャアと男が叫んだ。その手は深々と木が刺さっている。
その声にシオンが振り向いた。その隙にダグラス公爵は小屋から逃げ出していく。焦ったように向かった先は馬車だ。
「くっ、早く馬車に乗せろ。屋敷に戻る!」
だがいつまでたっても馬車の扉が開かない。イライラした公爵が再び怒声を浴びせようとした時、彼の手を誰かが掴んだ。
「そこまでです。ダグラス公爵」
「なっ、お前は――」
そこにいたのは馬車を取り囲むようにしてズラリと並んだ王国騎士団だった。
「連行せよ」
「お前、何を言っとるか!儂を拘束するなどただではすまんぞ!」
「その点については心配ご無用。貴殿には現リュミエール宰相のご子息拉致誘拐。毒殺未遂。そして周辺貴族への収賄、脱税教唆。王国への謀反の嫌疑もかけられています。それに繋がる証拠書類もこちらで保管済みだ。それにこれは――王命である」
「なんだと!? そんな……陛下の?」
わなわなとダグラス公爵は震え、崩れ落ちた。騎士達が彼と男達を拘束し馬車に乗せる。そうして騎士団は王宮へ向かっていった。
さっきまでの喧騒が嘘のよう。小屋の中はがらんと静かになった。シオンが私に駆け寄る。
「リリアナ、大丈夫か!?その手をみせろ」
「平気、何でもない。それよりシオンこそ――」
何でもないわけないだろう、とシオンは怒ったように私の手を強引に掴むと手のひらを見る。その手は傷だらけになっていた。
ボロボロの木材を強く握っていたのだ。当然だろう。シオンが痛々しい表情で眉を寄せた。
「すぐに手当てをしないと」
「違うの本当に大丈夫なの。今、治すから」
「……え?」
絶対に秘密ね、と私はシオンに言うと癒しの力を自分の手にかける。瞬く間に傷は消え、もとの手に戻った。
「リリアナ、これは……」
「秘密なの。誰にも言わないで」
驚くシオンに私は事情を説明した。
私の母は隣国の巫女姫で癒しの力を持っていること。そしてこの薄紫の瞳はその力の証であること。
「その、お母様から誰にも言ってはいけないと言われていて……それで」
「わかった。リリアナ、絶対に言わない。大丈夫だ」
話しているうちに少し震えていたらしい。私を不安にさせまいと、シオンは優しく抱き締めてくれた。
しばらくそうしていたらシオンが呟く。
「だがどうして君はここに俺がいるとわかったんだ」
「それは……」
私はここに行き着くまでのことを話す。すると話が進むうちに、だんだんとシオンの表情が怖い顔になってきた。
「なんて無茶なことを……これは君には教えていなかったんだが……」
「……?」
実は今回のことは全てシオンの計画だったらしい。リュミエール家を狙うダグラス公爵の悪事を暴き、失脚させる。
「ちょっと待って、それならシオンはわざと捕まったっていうの?」
「ああ、」
何故かタイミング良く騎士団が来たのも手筈通り。悪事の証拠も何もかも、全部シオンが密偵を使い集めた。
「証拠だけ集めてあの男を泳がせていても良かったんだが、急遽急がなければならなくなって……」
泳がせる。大人を手玉にとる、とんでもない学生だ。久しぶりにシオンの嗜虐的思考を見た気がする。
「急ぐ。何かあったの?」
「リリアナ、婚約しよう」
「え?」
どうしてこの話からそういう流れになるのか。私が理解できず戸惑っていると、シオンの整った顔が近づいてきた。
「俺はもう何年も前から君のことが好きだ。だが君のご両親から婚約はさせられないと断られたんだ。俺はダグラス公爵から命を狙われていたし、その妻となれば常に危険が伴う。……ただ公爵の罪を明らかにし処罰され、その影響力がなくなれば結婚を許すと言われた」
安全な場所はもうある、とシオンが私の頬を愛しそうに触れる。その空色の瞳は切なげに揺れていた。
「き、急に言われても……」
「リリアナは俺のことが嫌い?」
「嫌いじゃない。そんな言い方狡い。でもあの桃色の髪の子は?シオンはその子と恋をしていたんじゃないの?」
いつも学園内で一緒にいるところを見かけた。そのくせ私には冷たかったし。
「恋? それならいつもリリアナにしていた。あの子はジークハルト殿下が好みだそうだよ。いつも殿下について聞いてくるんだ。しつこくて正直疲れるけどね」
一緒にいた桃色髪の子の本命は王子様の方らしい。シオンがいつも彼と一緒にいるので色々聞いてくるそうだ。私に冷たかったのは、学園内に潜むダグラス側の間諜に私の存在を悟らせない為だったようだ。
「あとは。他にはもうないのか?」
聞きたいことを聞けて心の中で納得していると、シオンが意地悪そうな笑みを向けてきた。何を言っても今の彼なら私を言いくるめてしまいそうだ。
「もう、ありません」
「なら返事は?」
「……好き、です」
うつむいてボソボソと答えたら「聞こえない」と一蹴された。何の拷問か。今度は少し大きめの声を出す。
「大好き。私もシオンのことが好きです。だから婚約…………っ、」
全部言えないうちに顎を持ち上げられ、口づけられた。この熱は恋している人の唇だった。
しばらく抱き合ってそうしていたら、小屋の前に誰かがやって来る気配がした。そこには四人の男性が立っていた。
「はいはい。二人とも今日はそこまで!」
「良かったね解決して」
「はじめましてリリアナ嬢」
「いつまでもこんな所にいたら風邪ひくぞ」
私は目を真ん丸に見開いた。目の前にいたのは攻略対象の四人だったからだ。
この四人は今回の事情を全て知っていた。殿下も協力してくれていたので、だから王命としてダグラス公爵を拘束できたのだ。
そして図書室に魔術師のジュドーが現れたのも偶然じゃなかった。彼は私の護衛がてら所在を確認していたそうで、私が一人でいる時は五人が交代でさりげなく見守ってくれていたらしい。
因みにシオンがくれた魔導具の指輪は持ち主に危害を加えようとする者には姿が見えなくなり、そうでない者にはきちんと私の姿が見える。そういう力があるそうだ。
それを早く言ってほしかった。
私、あんまり姿が見えないから。モブすぎるにも程があるって思っちゃったじゃない。
◇◇◇
全てが解決しホッとしたのもつかの間、私は熱を出した。
あの時、ずぶ濡れで動き回ったせいか風邪をひいたのだ。学園は休み、私は女子寮の自室で横になっている。
ベッドのそばには椅子に腰かけたシオンがいた。許可証を首からさげている。
「なんて言って入ってきたの」と私が訊ねると「婚約者」と言ったらしい。寮長は驚いて飛び上がったそうだが、すぐに通してくれたらしい。
婚姻はともかく、婚約は書類上で構わないそうですぐに彼は私の両親の承諾を得て書類を完成させ提出してしまった。あまりの手際の良さにびっくりした。
「ふふっ、シオンたらまるで焦ってるみたい」
「焦るに決まっている。リリアナは知らないかもしれないが、君の家に縁談が山ほど来ているそうだ」
「嘘、」
本当だ、とシオンはムッとしている。彼は不意に私の茶色の髪を一房すくった。
「君は昔から平凡な容姿だと思っているようだが、それは間違いだ。大きくなるにつれて魅力が増している。気をつけた方がいい」
指輪はつけているか、とまた聞かれる。
手をみせると指輪を確認し、シオンは安心したように瞳を和らげる。
「絶対に外さないで」
「良いけど……目立つのよね」
指輪を嵌めていると周りから興味津々で色々聞かれるのだ。誰からの贈り物とか、婚約者のこととか。
「目立っていいんだ。これは男避けだから。俺は今年で卒業だ。あと二年リリアナに変な虫がつかないかと、気が気でないからな」
男なんて寄ってこない。そう言おうと思ったが、シオンに言い返されそうだったのでやめておいた。
彼は卒業後すぐに宰相であるお父様の補佐官として働き出す。私は卒業したらシオンと結婚する予定だ。それまで週末はシオンの屋敷で花嫁修業である。
モブが攻略対象と両思いになるなんて、いまだに信じられないがこれは現実だ。
「シオン、あのね」
「ん?」
寄せられたシオンの頬に「これからもよろしくね」と私はそっとキスをした。
お読みくださりありがとうございました。
【続編】辺境モブ令嬢は攻略対象の宰相子息に溺愛される
も書いてみました。もしよければお読みください。