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僕が考えている間にどうやらツアーは次の場所に進もうとしていたようで、「おいタケル、行くぞ」と山川に言われ、僕は慌ててみんなに付いて行った。それからしばらくは自然観察を楽しんで、双眼鏡も目の周りに跡がくっきり残るくらい覗いたのだが、途中でちょっと飽きて来たので人気のない方へぶらぶら歩き始めた。
すると少し歩いたところに小さな階段が突然現れて、その階段を上った先にちょっとした庭みたいな空間があったのだが、なぜかそこには人影が全く見られず、そのためかハトたちの楽園になっているようだった。中央の盛り上がった庭で餌を突っついているハトもいれば、その庭を囲うように作られた歩道を散歩しているハトもいて、彼らは何とものんびりした様子だった。
僕はハトたちの後ろに付いて歩道を散歩してみた。あとで調べたらそこは日本庭園だそうで、その日本庭園は最初に入ったときから他の場所とは雰囲気が違うなと感じていて、それが日本庭園だからなのかハトたちの楽園になっていたからなのかよく分からなかったが、とにかく僕はハトたちの後ろに付いて行った。彼らは僕が後ろから付いて行っているのなんてお構いなしに、歩道の至る所を物色しながらジグザグと進んで行くので、僕は必然的にペースを落として歩かざるを得ず、しばしば渋滞気味になったのだけれど、彼らを刺激しても良くないと思ったから一定の距離を保って歩いた。
そのために最初のうちは彼らばかりが気になって他の景色に意識が向かなかったが、しばらくすると彼らは盛り上がった庭の方へ行ってしまって前方の道が開けたので、おのずと周囲の自然に目が行き始めた。歩道の脇には濃いがその中に枯れ葉をふんだんに蓄えた緑の垣根があって、枯れ葉の茶色以外にもちらほらと赤色が見え隠れしていた。
よく見るとそれはツバキのような花びらで、冬だから単純にカンツバキかなと思ったら垣根の奥に立て札で「カンツバキ」と記してあったのでたぶんカンツバキだろうけど、僕はこれまでカンツバキを見たことがないから当てずっぽうがたまたま当たっただけだ。普通のツバキだってろくに眺めたことはないのでそれらの違いも全然分からないが、何となくそこのカンツバキたちは元気がなさそうに見えた。
カンツバキを過ぎるとすぐ目を引いたのはカリカリに枯れたひょろ長い木で、二メートル弱の背丈の先に何だか見覚えのある茶色の塊が付いていたので、ひょっとしたらアジサイかなと思って札をみたらやっぱりアジサイだった。アジサイが枯れているのはもちろん見たことはあったが、こんな真冬になっても花弁をしっかりと残していただろうか。あまりにもアジサイの原型を留めていたせいか、僕にはその茶色の花弁たちが人間の脳味噌に見え、干からびた茎が脳味噌につながる神経のように見えてたまらなかった。まあそんなふうに見えてしまうのは、僕が単に最近ホラー映画を見過ぎていたからに違いない。
僕は日本庭園をぐるっと一周してから戻ろうと思い、奥の東屋辺りをどこを見るともなく歩いていると、不意に誰かが日本庭園の階段を上がって来るのに気付いた。向こうも何だかフラフラ歩いているみたいで、僕はこんな人気のないところにやって来るのはどんなやつだと思って見てみると、それはなんとルナだった。僕たちは行動パターンまで似てしまったようだ。
「よお」
僕はルナに近づいて言った。
「ここ、誰もいないね」
「ああ。でも静かで良いところだよ」
「そうだね」
そう言ってルナは周りを見回した。気温は徐々に上がって日差しもだいぶ暖かくなって来たのだが、風は相変わらず強くて、むしろ徐々に強くなりつつあった。ルナは強い風が吹くたびに、顔の前で乱れた髪を一生懸命耳に掛けていた。ルナの左耳は右耳に比べて前を向いており、左耳に掛けた髪はすぐに外れてしまいそうだったので、そのためかルナは右耳ばかりに髪を掛けていた。ルナの横顔は右耳が出た横顔の記憶が良く残っているのもそのために違いない。
「あ、ハトがいる。ハトかわいいね」
ルナは前髪を半分食べながら言った。
「ああ。ハトの楽園だな、ここは」
僕とルナは黙ってハトを見ていた。彼らの中には単独で動いてエサを突っつくものもいるが、割とすぐに二、三羽のグループになってしばらく複数で行動する。そのグループが再びバラけたりもするが別れたもの同士で再度グループを作ったりするので、結局多くの時間を仲間と寄り添って突っつくようだ。心なしか寄り添っているときの方がのんびりしているように見えるのだけれど、そういえば井の頭恩賜公園では四十種類近くの野鳥が観察できるそうで、そのほとんどは遠くから見るか双眼鏡で見るしか観察できないのだが、ハトならこんなに近くでじっくり観察できる。井の頭恩賜公園で一番観察できるのはハトに違いない。
しかしハトはたぶんその四十種類の中に入っていないから、というか井の頭恩賜公園にハトを見に来る人なんてたぶんいないから、見向きもされないハトはどんどんその縄張りを選択集中していって、いつのまにか日本庭園をその手中に収めてしまった。百年以上続く井の頭恩賜公園の歴史の中で、ハトが最も井の頭恩賜公園の自然を謳歌した生き物だという気さえしてくる。