喫茶ピノキオ②
「ねえ、昨日の質問」
「え?」
「昨日の質問にまだ答えてもらってないなあ」
同じようにメロンパンを頬張っていると、背中をつつかれたため振り返ると、彼女が少しすねたように口をとがらせていた。
「昨日の質問?」
転校生は気苦労が絶えないという話をした記憶はうっすらあるが、何を訊かれたかの記憶はすっぽりと抜け落ちていた。
僕が何も言わずにいると、だから、と彼女が言った。
「バイトはしてる? 好きな子はいる? どこに住んでる?」
そんなことを訊かれていた気がした。
「個人情報だからあまり言いたくないんだけど」
「私ばっかり質問攻めにあって、何か理不尽」
「僕は質問してないじゃないか」
「それでも理不尽」
こっちのセリフだった。
話を早く切り上げてパンを食べたかったので、仕方なく質問に答えることにした。
「バイトはしてる、好きな子はいない、隣町に住んでる」
以上です、と言うと彼女に背を向けようとした。
「ちょ、ちょっと待って。まだ話の途中」
そう言うと、僕の肩をつかみ、無理矢理態勢を戻した。
「一体なに? これ以上何を訊きたいの?」
すると、目を輝かせて、彼女は言った。
「バイトって何しているの? 私もバイトを探しているのだけど、いいのがなくて」
もしよかったら紹介してよ、と続けた。
「普通のバイトだよ。喫茶店の」
そこまで言うと、口を閉じた。正直しまった思った。この流れでは、どこの喫茶店?
と話が続いてしまい、もしかしたら、行ってみたい! と興味を示されるかもしれない。僕の中で警告音がビービーと鳴っていた。
「喫茶店? どこにあるの? 何してるの?」
ほらね。
やってしまった。
僕の唯一鮮やかに見える世界に、モノクロのクラスメイトが入り込もうとしていた。何とでも阻止したかったが、昨日のマスターの苦笑いが頭に浮かび、またつい口を滑らせた。
「ここからバスで十分くらいの喫茶ピノキオっていう店」
ああ、昨日みたいに誰か早く彼女を昼食に誘ってくれないかな。
そんな切な願いは叶うことなく、彼女はさらに目を輝かせた。
「喫茶店か……ウェイターみたいなことをしているのね」
「なんで決めつけるんだよ」
「あら、喫茶店のバイトってそれぐらいしかやらないでしょ?」
「そんなことないよ。調理だってするし」
「食事も出すのね! 楽しそう」
見事な誘導尋問だった。
次から次へと情報が聞きだされる。
「ウェイターに調理にと、人手足りなさそうに思えるけど、バイトの募集ってしてないの?」
「してないよ。店は充分に回っているし」
嘘をついた。マスターごめんなさい。でも、この子を僕の大切な場所に連れて行くわけには
いかないんです。心の中でつぶやく。
彼女を見る。何か熱心にスマホをいじっているかと思うと、突然ぱっと顔を上げた。
「見て! バイト募集してるわ」
「嘘⁉」
思わず、彼女のスマホをのぞき込む。
そこには店のホームページが表示されており、大きな字で【バイト急募!】と書かれてい
た。マスター仕事早すぎるよ……。
「決めたわ」
何も決めないでほしかった。
「私今日面接に行く」
「き、今日?」
「ええ、今日」
「何もピノキオじゃなくったって、そう。他のバイトも探してみるべきだよ」
何としても阻止したかった。
「ええ、確かにそうね。でも私決めたもの」
「どうしてさ」
「時給もいいし、お店の雰囲気もおしゃれだし、何より私ウェイトレスさんって一度はしてみたかったの」
理由は充分でしょ? と、勝ち誇ったように言った。
「うちのバイト、調理にホールにと、結構体力勝負なところあるし」
「こう見えても、体力には自信あるの」
「終わる時間遅いし」
「門限なんてないから安心して」
「でも、うちの高校ってバイト禁止されてるし……」
「あら、じゃあ、君はどうしてバイト出来てるのよ」
「あ、そっか……」
「嘘をつくなら、もう少し上手にならなきゃね」
お手上げだった。
僕はうなだれると、白旗を振るように手をひらひらとさせた。
もう店の名前も場所も、バイトを急いで募集していることも知られてしまった。ここで僕が粘ったとしても、彼女はきっと面接に行くだろう。もはや、降参するしかなかった。
「今日はバイトがあるの?」
「……うん、四時からね」
「じゃあ、私も一緒についていくわ」
うなだれた顔をばっと上げる。
「一緒に行くの?」
すると彼女は、何をいまさらと、目を丸くした。
「ええ、もちろん。だって私、あなた推薦ってことで行くんだもの」
「推薦なんてしてないよ。一緒に働くのだって嫌なんだから」
「何故?」
そこまで嫌がるの? と彼女は言った。
「別に瀬名さんに限らず、クラスメイトと一緒に働くのが抵抗あるだけだよ」
ましてや、瀬名さんのことよく知らないし、と続けると、
「そうね。私も君のことよく知らないわ。でも、私が君のことをよく知れるチャンスなわけだし。いいじゃない」
ついでにこの機会に私のことも知ってよ、と続けた。
彼女は恐ろしく前向きなひとだった。
少しの押し問答の末、今日の放課後一緒にピノキオに行くこととなった。しかし、まだ一緒に働くと決まったわけじゃない。彼女が面接で落ちれば、正当な理由の下で縁がなかったね、と断ることが出来るし、僕の日常が守られることとなる。いわばこれば戦略的撤退なのだ。
そう自分に言い聞かせながら、メロンパンをかじった。