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君と僕がいた夏  作者: 掃晴娘。
プロローグ
6/37

喫茶ピノキオ①

 帰りのホームルームが終わると、足早に教室を後にした。

 十分ほどバスに揺られ、目的の場所に着いた。

 赤いレンガ調の外壁に、植物のツタが這っており、何とも雰囲気のある喫茶店。来客を告げ

るベルの音と共に店内に入ると、コーヒーを沸かしているマスターと目が合う。

「やあ、藤川君。学校お疲れ様。早速入れる?」

「はい、すぐ着替えてきます」

 店内はコーヒーの香ばしい匂いで満たされており、とても心地いい。店内に客はまばらだっ

たが、軽食の注文が入ったのだろう。マスターは厨房とカウンターとを行ったり来たりしてい

る。カウンター五席に、四人掛けのテーブル席が二つのあまり広いとは言えなかったが、逆にこの狭さが心地よかった。

 ロッカールームに入ると、白いシャツに黒のパンツという店の制服に着替え始めた。

 今年の春から、ここ、喫茶ピノキオでバイトを始めた。うちの高校はバイトを禁止にはしていないし、両親も成績をキープ出来るならと許可はもらっていた。お金に困ってはいなかったが、自分で使う画材道具くらいは自分で買い揃えたいという思いから始めたのだった。

 着替え終えると、マスターに声をかけ、厨房に滑り込んだ。オムライスとサラダセットのオーダーが入っている。フライパンにバターをひき、手早く玉ねぎやベーコン、ライスなどを炒め、特製ケチャップソースをかける。コクを出すためにいれたマヨネーズが隠し味なのだが、常連さんには、隠し味はマヨなんだよ、とマスターが自慢げ言うので、もはや隠れていないと同じだ。そんなオムライスは一番人気であり、よくオーダーが入る。

 出来上がったオムライスセットをカウンターまで運ぶ。そこには見慣れた顔があった。

「いらっしゃい、賢二さん」

 スキンヘッドに顎ひげを生やした、体格のいいその人は賢二さんという常連だった。

 僕だと分かると、頬に手を当て、嬉しそうに微笑んだ。

「あら、藤川君じゃない。お疲れ様。今日は部活動ないの?」

「ほとんど幽霊部員ですからね。バイトが休みの時に出るくらいですよ」

「藤川君の描く絵を見てみたいわ。そうだ、今度私のヌード描いてもらおうかしら」

 なんちゃって、と楽し気に笑う。

「ちょっと賢ちゃん。うちの若い者に手を出さないでくれる? ただでさえ人手不足なのに、賢ちゃんの毒牙にかかってトラウマにでもなって来なくなったら大変なんだからさ」

 ドリップしながら、マスターが言う。

「嫌ね、マスター。食べたりしないわよ。ただ唾つけておくだけじゃない」

「それがすでにトラウマなんだけどね」

 失礼しちゃうわ、と賢二さんが言った。

 賢二さんは四十代くらいで、この近所で土木関係の仕事をしているらしく、仕事が早く終わるとオムライスを食べに来てくれる。話を聞いているとどうやら女性ではなく男性が好きなようで、このようによく僕のことをからかってくれる。初めのころは面食らってしまっていたが、今となっては親戚のおばさんの軽口のようで、逆に心地よかった。

「最近、明日香ちゃん見ないわね」

「そうだね……、ここひと月はみていないね。はい、ブレンドコーヒーお待たせ」

 カップを差し出しながら、マスターが言う。

 明日香さんというのは、もう一人の常連さん。三十代くらいで、きれいな人だ。結婚しているようで、賢二さんとよく恋愛話で盛り上がっている。

「明日香ちゃんは恋に家庭に忙しいのよ、きっと」

 賢二さんはそう言うと、オムライスを口に運んだ。



「バイトをね、増やそうと思うんだけど、どうかな?」

 午後七時。

 閉店の時間となり、厨房で後片付けをしていると、マスターか訊ねてきた。

 確かに、喫茶ステラは深刻な人手不足だった。バイトは僕を含め二人しかおらず、もう一人のバイトは主婦の方で、シフトもバラバラ。また、子どもが体調不良で……など、家庭の事情でバイトに急遽入れなくなることもあるのだと。かく言う僕も、週に三日は入れればいいほうで、その他はマスター一人で店を回している。僕だったら絶対に出来ない。調理からドリップまでこなすマスターは超人のように思えた。軽食の注文が入る頻度はそこまで高くないので、厨房スタッフよりもホールスタッフが一人でも入ればマスターの負担も減るのではないかと思う。 

 後片付けの手を止め、僕は言った。

「いいと思いますよ。出来れば、ホールに来てもらいたいところですね」

「そうなんだよ、注文取ったり、テーブル片づけたりしてくれるだけでも助かるんだ。」

「僕がもっとは入れればいいんですけど、部活もあるので中々」

「いや、週三入ってくれてるだけで大助かりさ」

 ありがとう、と付け加える。

「じゃ、さっそく求人出してみるよ。欲を言うと若い子に来てもらいたいな」

 藤川君の友達でもいいよ、と言うので、友達はいませんと答えた。

「寂しいこと言うね、もっと青春を謳歌しなよ」

 苦笑いをするマスター。少し申し訳なく思った。

 でも本当に人に興味がなかったし、関わりたいと思わなかった。でも不思議とマスターや賢二さん、明日香さんとは普通に話が出来たし、それを楽しいと感じていた。きっと香ばしいコーヒーの匂いが僕に魔法をかけているのだと思った。この古めかし喫茶店は、モノクロの世界の中で唯一鮮やかに見える場所だった。

「まあ、心当たりがあったら声をかけてみてよ」

 心当たりはありません、と言いかけて、頷いた。


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