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君と僕がいた夏  作者: 掃晴娘。
プロローグ
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君との出会い③

 朝目が覚めると、また日常が始まるのか、と心底嫌気がさす。

 ここのところ、毎日具合が悪い。身体的な意味ではなく、精神的にだ。

 葬式に白い靴下を履いてきたような、暖房の効いた部屋に冬物のコートをきたような、下着売り場にひとり乗り込んだような。つまりは居心地が悪い。毎日、毎週、毎月。この世界に僕は適合していないのかもしれない。油断をするとめまいを起こし、吐き気を催す。胃が喉元までせり上がり、粘着質な唾液が口内にたまる。一度でもえづいてしまおうものなら、嘔吐してしまいそうになる。学校に行きたくないわけじゃない。何か悩みを抱えているわけでもない。ただ、この世界で僕はあとどれくらい生きなければならないのだろう、と思うことがある。モノクロで何にも感情が動かないこの日常を、あと何回繰り返さなければならないんだろう、と。僕はいつから、こんなに生きることに対し遠慮がちになってしまったんだろう。恐らく、今この瞬間に生が突然終わったとしても、未練も後悔もなく旅立つことが出来そうだった。いや、遠慮がちではなく、生きることに対して執着がないのだと思った。

 呼吸を整え、日常を今日もやり過ごそう、と繰り返し考える。少し吐き気も治まってきたところで、ようやくベッドから起きた。


 高校は最寄りの駅からバスに揺られて二十分、山の上にあった。四方を森で囲まれており、春には鳥がさえずり、夏は蝉しぐれが降り注ぎ、秋は山々が燃えたように紅葉し、冬は白銀の世界となる。そんな場所にある。決して通学しやすい環境ではないが、近隣で美術部がある学校はここだけだったので、進学することにした。進学先を決める際、両親からは必ず進学校に進むことを条件とされ、僕は趣味である絵画を続けたいという思いがあったため、消去法で残った選択肢であった。絵を描いている時だけ、具合の悪さが少し和らぐような気がするのだ。芸術で名を残したいなど大それた理由はなく、ひとつの対処療法のような意味合いが強い。

 僕は早めに通学することにしている。

 ちょうどよく学校につくバスに乗ってしまうと、車内が学生ですし詰め状態となってしまう。駅からのバスは本数が少ないため、ターミナルにバスが来るや否や、我先にと一斉に乗り込むのだ。二十分も満員状態のバスに乗る勇気はなく、であれば早く教室について外の景色でも眺めていたほうが有益だ、と思い、そうしている。

 教室に着くと、彼女はすでに席に座っていた。

 始業三十分前であり、彼女の他にクラスメイトは誰もいない。こんなに早く来て何をしているんだろうと、自分のことは棚に上げ、小首をかしげた。

 僕に気が付くと、彼女は驚いたように目を丸くした。

「おはよう、藤川くん。早いんだね」

「瀬名さんのほうこそ」

 不愛想に返答し、席に着く。

「えっとね、電車乗り間違えないかなとか、バスに乗り遅れたら嫌だなとか、色々考えて早めに家を出たら、学校に着くの早すぎちゃって」

 彼女はどうやら電車組だったようだ。とくに興味もなかったので、リュックから教科書を出し、机に仕舞おうとして手を止めた。机の中に手を入れてみると、指先にプニプニとした触感がある。恐る恐る出してみて、うわっ、と小さな悲鳴を挙げながら後ろにのけぞった。机の上に放り出したそれは、リアルな蛙のおもちゃで、今にも動き出しそうなクオリティーだった。何故こんなものが机の中に? と思った瞬間、彼女はクククと、笑いをこらえるように口元を手で押さえていた。

「あの、これ、瀬名さんの?」

 訊くが早いか、我慢しきれなかった彼女は、盛大に吹き出し、笑い出した。

「あっははは、ごめん。そんなに見事に引っかかって驚いてくれるなんて思わなかったから」

 大成功だね、と目元の涙を拭いながら言った。

 朝早く来て、机の中に蛙のおもちゃを仕込んで、僕が驚く様を見たかったのか……。

 そう思うと、かあっと血が頭に巡り苛立ってしまった。

「なんでこんなことしたの?」

 なるべく感情を出さないよう、淡々と訊く。

「ちょっとしたサプライズ。朝から笑いがあったほうがいいじゃない」

「サプライズ? 人を驚かせて、その様子を見て楽しむのが?」

「私は君のお陰で、朝から楽しい気持ちになれたよ」

 君はそうでもない? と、悪そびれる様子もなく訊いてきた。

 ふつふつと湧き上がる感情を殺しながら、息をひとつ吐いた。

「こんなことされて喜ぶ人なんていないよ、僕もね。だからもう二度としないで」

 冷たい言い方に彼女も気付いたらしく、声を潜め上目遣いで言った。

「あれ、もしかして怒っちゃった?」

「もしかしなくても、怒ってるよ」

「そうなの?」

「うん」

 ごめんね、と少し弱弱しい口調で彼女が謝る。

「分かってくれたら、もういいよ」

 憎たらしい蛙のおもちゃを彼女に返すと、背中を向け、手にした教科書をしまい、いつものように頬杖をつき、窓の外の景色を見始めた。

 少し冷たくしすぎた気もしたけど、これで懲りてくれれば、僕の代り映えのない日常が戻ってくると思い、良しとした。しかし、その思いはすぐに打ち壊された。

 僕の隣の女子のクラスメイト(名前はなんだったかな)が自分の席に着き、同じように教科書を机に仕舞おうとし、僕と同じような悲鳴を挙げた。そして後ろからクスクスと笑い声が聞こえた。完璧なデジャブだった。あろうことか、僕だけではなく他のクラスメイトにまでイタズラを仕掛けていたのだった。同じように注意されるのかと思いきや、

「これやったの葵ちゃん? もうびっくりしたよ!」

 と、嬉しそうに話していた。

「そう! びっくりした?」

「心臓飛び出るかと思った! 葵ちゃんって結構お茶目なところあるんだね」

 お茶目?

 他人の机の中に蛙を忍ばせるのが?

 しかも、とびきりリアルな蛙なのに?

 せめてもっと可愛らしい蛙なら……いや、違う、そこじゃない。

 喜ぶ人なんていないよと、さっき言った言葉を思い返し、少し恥ずかしく思ってしまった。こうして彼女のサプライズは見事成功し、彼女はイタズラ好きなお茶目キャラとして、クラ

スに溶け込むことに成功したようだった。


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