プロローグ
「君はまだ私に生きる理由を見出そうとしているわ」
顔にそう書いてあるもの、と鈴を転がすように彼女は笑った。
「君がいないと嫌だよ、って」
「そんなことないよ」
「いいえ、しっかりと書いてある」
ここにね、と彼女の白く細い人差し指が、僕の右頬を撫でた。
「だから、そんなことないって」
「あら、そう?」
「そうだよ」
「じゃあ」
と、彼女は続けた。
「じゃあ、どうしてお見舞いに来たりしたの?」
「病人に会いに来ちゃ駄目なのかい?」
「駄目とは言ってないわ。ただ」
僕の頭からつま先までゆっくり視線をやると、彼女は意地悪そうに目を細め言った。
「少し手ぶらすぎやしないかしら」
おどけたように、差し入れのケーキや綺麗なお花も無いなんて、とため息をついて見せた。
「差し入れは禁止されているし、花は君が嫌いだから持ってこなかっただけだよ」
ふうんと、口角を少し上げ、まあいいわ、と窓の外へ視線を向けた。
五階の病室からは、油絵具を塗りたくったような濃い青空と、もくもくと立ち込める入道雲が見えた。キラキラ輝く景色はどこか別の世界のような気がした。僕らがいるこの真っ白な世界が現実で、外は大きなスクリーンに映された映画のようだった。現実味がないような、どこか他人事のような。
開け放した窓から入り込んだ生ぬるい風が、彼女の栗色の髪を少し揺らした。
「もう夏が来たのね」
「そうだよ。今年は暑くなるみたいだよ」
「君は」
「うん?」
「この夏、君は何がしたい?」
「僕は」
―――葵といたいよ。
そう言うことが出来ずに口ごもっていると、やれやれと言いたげにかぶりを振った
「ほら、そういうところよ」
顔に書いてあるもの、と彼女は自分の頬を指さし言った。
彼女はいつも僕の心を覗いたかのような発言をしてくる。やられた! と、これまで何度思わされてきただろうか。時には、僕自身自覚していないようなことも見抜き、指摘してくることもあった。あとから思い出し、ああ、そういうことかと頷いていた。
「私は大丈夫よ」
視線を僕に戻し、泣いた子供をあやすような優しい笑みを浮かべ言った。
「だって、君がいるんだもの」
それは僕が好きな笑顔だった。
何度もこの笑顔に甘え、救われ、手を取ってもらったことだろう。
そして、これから何度、甘え、救われ、手を取ってもらえるんだろう。
これが彼女から言わせると、生きる理由を私に見出そうとしていること、なのかもしれない。