05
あれから二週間がたった。怒涛の二週間だった。なにせ、ザットさんが来た次の日カナは出産した。カナが苦しそうに呻くとおなかの上に魔法陣が浮かび上がり、柔らかな光とともに小さな小さな赤ん坊が産まれた。産んだ後カナは意識を失ってしまい三日寝込んだんだけど、ザットさんが、カナを見送るまで泊まると言ってくれていて本当によかった。交代で今にも消えてしまいそうなくらい弱弱しい赤子を成人男性二人であたふたしながら世話をした。
三日後げっそりした俺達が目を覚ましたカナのもとに赤子を連れていくと、今まで一度も見たことない優しく慈愛に満ちた笑顔で抱き上げた。その様子はまるで聖母のようだった。
「あぁ、目元はリズにそっくりだ。耳は僕だな…。口元もリズで鼻は僕かな??…リズ、君との宝物がここにいるよ。君にも見せたかった」
そう呟くと神々しい笑顔から涙がほろりほろりと流れていく。
「リズと僕の半分。愛しい我が子。君に最初の贈り物をプレゼントしよう。ネイリイヴ、君の名前はネイリイヴだよ。イリーヴという冬の寒さにも夏の暑さにも風にも雨にも負けずたくさんの花を咲かせるとっても強い木に実る果実の名前と、君を育ててくれる人の名前の頭文字だよ。僕やリズの事は感じられないかもしれないけど、いつでも君を思ってるよ。そしてネムっていう育て親が君にはいるからね、一人じゃないんだよ。たくさん、たくさん、愛されて、たくさん、…幸せになっておくれ」
まさかの俺の名前が入ってる!責任重大だ!!三日間しかもザットさんと交代だったけどすでに心が折れそうだったのに!これは命に代えても守ってやらなきゃカナに殺されるんでは…?頭を抱える俺をよそにザットさんは膝をつきネイリイヴを抱えたカナに頭を下げる。
「ネイリイヴ様、ですか…。とても良い名前ですね。…どうかここに旦那様と同じようにお仕えする事をお許しください」
「…はぁ、ザットよ。お前はもう自由になってよいのだ。縛られる必要がどこにある?ここに育て親もいるのだ。心配も同情もせずともよい。お前の好きなことを」
深くため息をつきチャラ商人をみやるカナは少し悲しそうだったが、それ以上に悲しそうというか泣きそうなザットさんが焦ったようにしゃべりだす。しゃべり方もまるで執事のようだ。本来はこういう感じなのかもしれない。
「何をおっしゃいますか!!自由など必要ありません!縛られてなどおりません!
私は生涯旦那様を主とする事を誓いまた、仕えられることを何よりの喜びなのです!その主と愛した人の子供の成長を傍でお仕えしたいのは当然のことではございませんか!私の自由を尊重してくださるならお許しくださればいいのです!!」
まくし立てたザットとカナの無言の攻防が続くが、先に折れたのはカナだった。
「…わかった。ただし、お前が仕えるのはネムだ。ネムを主としないのであれば、認められない。別の主人に仕えろという主に嫌気がさしたなら今のうちに」
「承りました!…ネイリイヴ様の育ての親になられるのですから、当然のことでございます」
そういってカナ達に頭を下げた後、今度は俺の傍にくる。いやいや、そんな堅苦しいの俺無理だよ!?たじたじしながら後ずさると詰めてくるのであきらめて目を合わす。とてもウィンクして貴婦人にキャーキャー言われる感じのチャラ商人ではなくまるで熟練の執事のようにうやうやしく頭を下げる。
「ネム様。どうか、ネイリイヴ様の成長をお手伝いさせていただけませんか?」
「もちろん、助けてくれるなら、願ったりかなったりですよ。でも、俺に仕える必要はないです。…っていうとカナが難しい顔をするのか。うーん、でも、今までのザットさんでお願いします。貴族相手にはそういう格好を取らなきゃいけない事もあるでしょうけど、正直頼りになるお兄さん的なままでいて欲しいっす…」
「…かしこまりました。…それじゃ、今まで通りでいくよ!思う存分頼ってね!」
真面目な顔をへらっとした顔に崩すとウィンクする。やっぱりチャラ商人のほうが落ち着く。いや、誰かに仕えられるとか想像もつかないし、むずむずするからこれくらいがいい。
「カナも、心配してくれたんだろうけど、ザットさんはきっと俺の事もちゃんと助けてくれるよ。それがネイリイヴのためになるだろうから」
「ふむ、お前が思ってるほどザットは僕以外に優しくないぞ?…ただ、お前の言う通りこの子はお前の事も親としてすでに認識しているようだから、お前に害を加えることはないだろう。…ザット、この子に仕えたいなら決してネムを裏切らぬようにな」
「かしこまりました。私の一生をすべてこの二人のために」
そうして、初めてカナがネイリイヴを抱っこしてから一週間がたった後、カナは精霊王のもとへ旅立った。カナの身体はカナの国で行われる方法で弔った。魔法都市なだけあって神秘的なものだった。淡い光を放つ花たちの上に寝かせ、雲一つない日の夜、光属性と炎属性を混ぜた魔石を使用して身体を燃やす。身体を燃やしていた炎はキラキラと光って天に昇っていくように消えていった。涙が止まらなかった。
カナの身体が消えた瞬間、光の粒がネイリイヴに落ちてったのをみてザットさんが愕然とした。
「そん、な…、ネイリイヴ様は光と闇の属性が強いはず。子供と同じ属性にはならないはずなのに…」
「え、それって、あれ、俺、光属性は使えないんだ、けど…」
そう分からないふりはできない。もう声を聴くことも姿を見ることもかなわなくなってしまった。もう会えないなんて認めたくなくてザットさんを見ると、ザットさんも泣きながら首を横に振る。
「…カナ、俺まだ聞きたいことたくさんあったよ。帰ってくるの楽しみにしてたのに、こんな」
「ふぇ、ふぇえええええええん」
呆然としているとネイリイヴが大声で泣き出す。はっとしてネイリイヴをゆらす。
「ごめっ、ごめんな!よしよし、そうだ、ネイリイヴは光属性強いからきっとわかるようになるさ。大丈夫だ、大丈夫」
まるで自分に言い聞かせてるようで情けないが、そうでもしないと涙がとまらなかった。ネイリイヴの為にも気を強く持たなきゃ。
季節は夏に近づいていたため夜でもそんなに寒くなかったが、ネイリイヴを寝かしつけるために、すぐに家に入った。ザットさんはもう少し外にいるらしい。
次の日の朝、ぐったりした顔で居間におりるとザットさんが、朝食を準備してくれていた。
「おや、やっぱり眠れなかったようだね…」
「あぁ、赤ん坊って親の精神状況がわかるって聞いたことあるけど、ほんとだね。不安だったみたいですぐ起きて泣いてたよ。悪いことしたな」
「仕方ないよ、予想外の事だったし。ネムの不安もわかる。けど、一番見たいだろうネイリイヴ様は将来見える可能性があるだけよかったと思う。…僕たちがしっかりしなきゃ」
「そうだな、落ち込んでなんかいられないな」
「そうだよ~、でも寝不足はつらいだろうからご飯食べたら寝てきたら?昼ごはんの時に今後の事を話そう」
もしゃもしゃと硬いパンをスープにつけて食べながら頷く。もう連日三時間睡眠とかでしんどくなってきたから昼寝できる時にさせてもらわなきゃもたない。社畜時代で慣れてるとはいえ二週間も続くと疲れてくる。何より赤ん坊っていうのは未知だから、どんな事で体調崩すのかわからないし、なんで泣いているのかもわからない状況でずぅっと気を張っているから寝た気がしない。ザットさんも夜かわろうとしてくれるんだけど、ザットさん仕事は商人だから、いつまでもここにいられるわけじゃないから頼りずらい。この状況に俺が慣れていかなきゃ。
この時はなんでも一人でやらなきゃと思い込んでいた。一人きりで赤ん坊と向き合うのがどれほどきついものか想像もついていなかったからだ。後々爆発してしまうんだけどこの時の俺に助けを求めるという選択肢はなかった。
疲れていたからか、目を閉じてすぐに眠りに落ちた。目が覚めたら、夕方だった。申し訳がつかない。慌てて起き上がって居間に行くとザットさんがネイリイブを抱っこしながら、ミルクをあげていた。
「ザットさん!すいません!寝すぎてしまって…」
申し訳なさで顔を白くしながら謝る。ザットさんはきょとんとしたあと眉を顰め、あ、やっぱり怒ってらっしゃる!?
「…ネムくんは、赤ん坊を甘く見過ぎです」
「はい、すいませんでした」
「違うよ、そうじゃなくて!赤ん坊って一人でどうにかなるものではないということだよ。それでなくとも僕しか頼る人いないでしょ?」
「そ、うですけど…、俺が頼まれたんだから俺がしっかりしなきゃ」
「だから、甘く見過ぎてるって言ってるんだよ。赤ん坊は一人で育てるもんじゃないよ。ネムくんが主に頑張るのはそうだけど、なんでも一人でやらなくていいんだ。頼れるものがいる時は頼らなきゃだめだ。なんでも自分でできるって傲慢になっちゃいけないよ」
「う、…ありがとうございます」
周りが見えなくなっていたのは確かだと思うけど、俺の母さんだって父さんは単身赴任してた時の子だから一人で頑張ってた。だから俺だって頑張らなきゃ。
気合を入れなおすために頬をたたくとびっくりしたネイリイヴは目をまんまるにして固まっていた。