防空壕
茶吉の家の裏手の山のふもとに、第二次世界大戦中に掘られた防空壕がある。日本が敗戦した際にはこの防空壕で陸軍の大将が割腹自殺をしたという呪われた防空壕だ。近年になってからも、ガスが溜まっているから危険だとか言われていたが、かくれんぼをしていて、防空壕に入ってしまった子供が中で倒れて意識を失ったまま見つからなかったという事故があったりして、この防空壕は、撤去するなりお祓いするなり、神社としてちゃんとお祀りするなりしてほしい、と住民たちから意見はあがってはいたものの、いまだ、そのまま放置されている。
妻のササ美が、散歩していてこの防空壕を見つけたようだ。ササ美は曰く付きの歴史を知らないので、いかにも古そうな洞窟を発見してわくわくして中に入ってみたら、中は冷んやり静かで妙に心が落ち着いたのだそうで、散歩から帰ってくると、「わたし、あそこに住んでもいい?」と、茶吉に聞いてきた。町内で管理している土地だから、町内の者なら誰が住んでも構わないので、茶吉は「いいよ」と答えた。その日からササ美は防空壕に住んでいる。
呪いだの悪霊だのといったものは、要するにそこにとどまっている念で、その実態はもうそこにはなく、残されたのはただの残像なのだから、気を強く発散している人すなわち生きている人がそこにしばらく居れば、残された念もかき消されていくであろう。とにかく誰か人が居てくれさえすれば、気味の悪さも和らぐ。誰かが居ることによって、浄化できないまでも、溜まった悪気を散らすことになればいい。と、近所の住人たちは思ったのだろう。ササ美に対して皆応援しているようだ。
茶吉のところにも近所のおばさんたちが取っ替え引っ替えやってきては、「ササ美さんに食事を三度三度持って行っているかね?ちゃんと運ばないと山の神さんが怒るよ。」と確認しにくる。近所の奥さんたちはときどきササ美の話を聞きに防空壕に行っているらしい。親戚のおばあさんたちは、お供え物を持って防空壕を訪ねている。そして防空壕を通りかかるひとたちはちょっと足を止め、手を合わせていく。ササ美は宗教のようなことになっているのだろうか。
茶吉が食事をお盆に載せて運んで行くと、いつもササ美は防空壕の入り口まで出てきて受け取る。そしてたまに「ハンバーグが食べたいんだけど」とか、「唐揚げがたべたかったんだけどな」とリクエストするので茶吉はせっせと作ってやる。それはいいのだが、三度三度運んで行くのが大変だ。雨が降っていたり、車が横切ったりすると、おおきなお盆を持ってフラフラしてしまうし、なんでこんなことしているんだろとめんどくさく思ってしまう。が、親戚のおばさんたちや近所の奥さんたちに文句を言われるのも嫌だし、めんどくさいながらも運んで行く。
お隣のキミゾウさんの奥さんが通りかかった時に茶吉に話してくれたのだが、キミゾウさんも生前、この横丁道の守り人をしていたのだという。だからよくキミゾウさんは庭先にサマービーチベッドを出して、そこに寝っ転がってビール片手に横丁道を通る人を眺めていたのか。キミゾウさんには子供ができなかったから、キミゾウさんが亡くなってからは、ここを守る人が居なくなってしまったのだが。それで、ササ美さんがしているのはそれみたいなことなのよ。わたしにはわかるわ。だから大変でしょうけど協力してあげてねえ。と奥さんは言う。
茶吉にとっては守り人など初耳だ。でも我が家にそんな守り人に役目があったとは。我が一族の家系図の上の方に位置する人に聞いてみよう。つまりは一族の生き残りの京子ばあさんの話を聞きに行った。すると京子さんは、「え?防空壕?聞いたことないけど?」と言う。「でも何か悪い霊でもいて、ササ美さんは、当てられちゃってるんじゃないかしら?いい人を紹介してあげるわ。昔、うちの人に狐が憑いた時に祓ってくれた霊媒師のおかっちゃんが神社の横に住んでるから行きましょう」と連れて行かれた。なんでいつも憑くのが蛇とか狐なんだろう。パンダとかゴールデンバットとかが憑いたって良さそうなものなのになあ。と考えながら待っていると、おかっちゃんがよぼよぼと神社から出てきた。どう見ても90過ぎのよぼよぼの婆さんが、巫女の衣装を着ている。手に持っているひらひらのついた棒を茶吉の周りで振り回した後、鉢植えを持ってきて「この花を、防空壕の入り口に植えなさい。そうすれば、自ずと出てくる。この霊験あらたかな花を、いまなら半額の50万円にしておくから。」という。おかっちゃんは、「嫁に来てくれた女性を守れないようであんたそんなんでどおすんだね!きっとバチが当たるよ!」と買わせる気満々の様子。そこまでして出てきてもらわなければならないのか?そもそも出た方がいいのか?それとも近所のおばさんたちが言うように、出てこないで防空壕に居てくれる方が良いのか?茶吉には分からないし、茶吉としてはどっちでもいい。ササ美がしたいようにすればいいと思う。そこで、つぎの食事を運んでいった時に、ササ美本人に聞いてみることにした。「毎日毎日、三度三度、食事を運んでくるのは、手がかかるんだけど」と茶吉が言うと、「じゃ、あたしが食べに行くよ」とササ美があっさり言う。「え?防空壕から出てもいいの?」と聞くと、「うん。なんで出ちゃダメなの?」と逆に聞かれた。それからというもの、何事もなかったかのように三度三度ササ美は家に帰ってきて食卓に座って食事をして行くようになった。元どおり普通の生活だ。ただ食べ終わると、防空壕に出かけて行く。一度、あそこで何をしているのか聞いてみたことがある。でも「茶吉さんには理解できないでしょうから」となかなか教えてくれなかったのだが、何度も聞くうちに「シャベルで掘っている」ということと、100均のプラスチックのシャベルだからすぐに折れてしまっていま、20本目だということがわかった。で、何を掘っているのかというと、「心」だと言う。これはやっぱり関わってはいけなそうだ。そっとしておくことにした。