1-9 綺麗な顔に傷の一つでもつけてやる!
「それじゃあ、次はクルト君の実力を見ようか」
「は、はい!」
所長が、オレ達が武器をしまったのを確認してから促す。オレは思わず大きな返事をした。
「ベル、外で手合せして」
「分かりました」
やるの、所長じゃねーのかよ! 何でも屋のご飯担当と戦う事になるとは、オレは思っても見なかったせいで少し動揺した。
「行くぞ」
「お、おう」
ミリオンベルに促されるまま、オレは外に行く。
玄関を出ると、既に見物人がスタンバイしていた。正確には、ここの窓から中を覗いていた女が一人。
「何やってるんだ、コスモス」
「んもー! コスモスじゃなくてコモちゃんって呼んでよ」
「何やってるんだ、コモちゃん」
さっき、オレ達の精神に多大なアタックをかましていた、フリルの塊のような背の高い女が、ミリオンベルに声を掛けられて頬を膨らませた。ミリオンベルもミリオンベルで、丁寧に相手の要望に応える。
「いやー、今回の面接は長いなーって思って」
「で、覗いていたのか」
「そうよ。だって三人とも可愛かったんだもの」
「お前としては、是非受からせてやりたい、と」
「そう」
頷くコスモスに、オレは可愛くないと言ってやりたかったが、折角背中を押してくれているようなので静観する事にした。
「本当に可愛いんだな?」
「可愛いわ! あたしの可愛いセンサーを馬鹿にして貰っては困るわね」
「分かった」
ミリオンベルは頷くと、背後の所長を見る。
「と、いう事らしいですよ、所長」
「うーん、可愛いセンサーに引っかかったかー。でも、使えないと意味無いんだよね。だからとっとと手合せしてくれる?」
使えないとか言うなよな。つーか、オレは可愛いわけじゃなくて格好いいんだし。男だし、格好いい方だし。さっきまで言われた事は無かったけど。
いや、心の中とはいえ空しいな。本当に格好いいやつの隣で自分を格好いいと思うなんておこがましい。アンド悲しい。
「やるか」
「……お、おう」
オレは、小さな声で答えてから、ミリオンベルを見た。
彼は着ていた制服のジャケットを脱いでその辺に放ると、すかさずコスモスがキャッチした。
「しまったばかりだけど、武器は使うか?」
「……お前の武器って?」
オレが尋ねると、ミリオンベルは金属のプレートが手の甲側についたグローブを取りだす。
「それ、どういう武器?」
「このプレートの所に魔法陣が描かれてるだろ」
「おう」
言われてよく見ると、確かに右用にも左用にも、プレートには同じ模様の魔法陣が描かれていた。
「これ、筋力増強の魔法なんだ。だから、これを発動させることで飛躍的に動きが良くなる。ついでに攻撃力もあがる」
「無し! 武器は無しで!」
何その強いやつ! あっという間に距離を詰められて、殴られて終了しそう。
「それじゃあ、素手で手合せをしようか」
「おう!」
こんな状況だけど、手合せというのはちょっと楽しそうだ。ただでさえオレは身体を動かすのは好きで、地元では親父と取っ組み合いをしていたのである。
「じゃ、制限時間十分。適当に始めて」
所長が開始の合図をすると同時に、オレとミリオンベルは対峙した。じりっとお互いに相手の出方を謀る。
「ネメシア、賭けをしようか。私はミリオンベルが勝つ方に飴を一つ」
「乗った! クルトさんが勝つ方に飴を一つ!」
「ちょっとスティアちゃん。自分の兄が負けるとでも言いたいの? そこは兄の実力を買ってあげようよ」
オレの耳には、失礼なやりとりが入ってくる。スティアこの野郎。後で覚えてろ!
腹立たしさを覚えながら、オレからミリオンベルに仕掛けた。ぐっと足を踏み出し、握った拳を彼に向かって放つ。
「誤解しないで下さい。クルトは決して腕っぷしが弱いわけではありません」
スティアの声は、何故か脳みその中に入り込んでくる。そんな中、オレの一撃をミリオンベルは軽々と受け止めた。
「ただ、おつむが弱いんです」
「あ、あぁ、そうなの?」
だー、もう! 外野ウルセー!
若干イラっとしながらも、オレは目の前の相手に集中する事にした。
何度か心の中で「集中」と唱えると、不思議と外側の音が遠くなる感覚。今見えているのは、ミリオンベルだけだ。
綺麗な顔をして、余裕そうにオレの一撃を受け止めたミリオンベル。
絶対に勝つ。絶対に泣かす!
オレはじっと彼を見たまま、再び左手で打撃を繰り出した。
真っ直ぐに頭部を狙った拳を、ミリオンベルは必要最低限の動きでかわすが、それだって計算済みだ。
二撃目に控えているのは利き手である右。自分の足を捌き、急速に重心を変え、拳に体重を乗せる。
「――このっ!」
また顔を狙ったが、今度は相手の左手で捌かれた。しかし、これでは終わらない。つーか、終われない。
一歩踏み出し、三度目の正直とばかりに、今度は腹に入れるつもりで左の拳を放つ。
「って……」
ミリオンベルは小さく吐き出す。オレの思惑通り、腹に入ったのだ。
とりあえず、一回。焦らずにこのまま行こうと、一度拳を引いて体制を立て直した。
それから冷静に見ると、彼が声を漏らしたのは一瞬で、今は何でもないように綺麗な顔に表情一つ浮かべずにこちらを見ている。
「この!」
オレは再び足を踏み出すと、まずは左の拳を打ち込む。右で受けられた所で、今度は右の拳。それもまたかわされた。
ほんの少し前と、殆ど同じ状況だ。
ミリオンベルは涼しい顔をして受け流してばかりで、ちっとも攻撃をしてくる気配が無い。
オレは小さく舌打ちをして、三度目、四度目と打ち込む。何れも軽く受け流されてばかりで、まるで子供をあやしているかのような態度にも思えた。
勿論、オレは苛立つ。腹の底からふつふつと怒りのような、闘争心のような衝動が湧きあがり、ギロっとミリオンベルを睨んだ。
彼は未だに涼しい顔をしている。あぁ、すっげームカついて来た。
オレは思い切って、踏み出した足を軸に、反対側の足で相手の足を蹴る。脛の硬い感触が靴越しに伝わると、直ぐにミリオンベルの体制が崩れた事に気が付いた。
これは勝機だ。
オレを子ども扱いしたのを後悔させてやる!
ほんの一瞬でオレにとって攻撃のしやすい体制に変えると、得意の右の拳をミリオンベルの顔に叩き込んだ。
正確には、すんでの所でかわされたので掠めた程度だが、効果はあったようだ。
「意外とやるのな」
ミリオンベルは眉間に皺をよせ、じっとオレを見る。
と。今度はミリオンベルの番だった。
先程の受け流していた態度から一変。何度も何度もオレの腹を執拗に狙う攻撃を放ってきた。
所長の喋り方くらいねちっこく、確実に同じ場所に放たれる拳は、必死にガードしていてもそうそう防ぎきれるものではない。大体にして、ダメージが蓄積される上に攻撃に転じるチャンスが見当たらないのだ。
「――うわっ!」
どう攻撃をしてやろうかと考えていた時、唐突に世界が回る。
何が起きたのか理解出来ない内に、背中を強かに打ち付け、オレはようやっと足払いを掛けられて転倒したのだと気が付いた。
それに対して追い打ちをかけるように、ミリオンベルの蹴りが炸裂する。一応蹴る場所は選んでいるようで、危険な所は避けているようだ。
だが、好きにされていてはたまらない!
オレは必死に転がってかわすと、何度目かの蹴りに合わせて掴みかかった。
驚くほどあっさりと、ミリオンベルは体制を崩してオレと同じ土俵へと転がり落ちて来たのだ。
こうなったら、もうオレの勝ちだ。
地面に転がったミリオンベルに、掴みかかり、二人で何度か揉み合いながら転がったが、オレの粘り勝ちで彼の上を取る。
「綺麗な顔に傷の一つでもつけてやる!」
オレは拳を大きく振り被り、ミリオンベルの顔目がけて振り下ろした――はずだった。
ミリオンベルは最初と同じように、ほんの少しの動きでかわすと、不利な体勢からだと言うのにオレの顎の下に一発かましてきたのだ。
脳みそが揺れ、視界がクラクラとブレる。
そのまま、気が付いた時にはオレは地べたに這いつくばり、ミリオンベルは立ち上がっていた。
クソ、負けたのか。
「はい、終わり」
所長の言葉で、負けが確定した。
ミリオンベルしか見えていなかった視界はクリアになり、耳にはスティアに飴を取られたネメシアの不満げな声が入ってきた。
オレは大きく大きく息を吐いてから、ゆっくりと半身を起こした。
直ぐに身を起こせたあたり、あの拳も加減された物だったのかもしれない。まだクラクラするけど。
それにしても、いてぇ……。
ミリオンベルは、イケメンで料理上手で、更に強いというこの世のモノとは思えぬハイスペック男だった。
「大丈夫か?」
ミリオンベルは、起き上がったオレに手を差し出した。オレがつけた傷があちこちにあるが、それでも戦った相手へのこの気遣いである。
「このイケメン! 馬鹿!」
オレはミリオンベルに罵声を浴びせながらも、彼の手を取った。先程までオレに容赦のない攻撃をしていた大きな手は、今はオレの手を包んでいる。
ミリオンベルは複雑そうな表情を浮かべながら、オレを立ち上がらせると手を離した。
「所長、クルトは十分使い物になります」
それから、所長に掛け合ってくれた。馬鹿! イケメン!
「うーん、でもなぁ……」
「それじゃあ、こんなのはどうですか?」
渋る所長に、天使が微笑みかける。この場合の天使は、アルメリアさんの事だ。
「一ヶ月の試用期間の後、決める。いわば、一ヶ月の間仮採用をしてみるんです」
「うーん」
「良いじゃないですか、所長。珍しくベル君が乗り気なんですよ」
え、マジで? ミリオンベル、オレ達の採用に乗り気なの? 良いヤツじゃん!
「そうですよ、フーさん。この三人、すっごい可愛いんですから!」
「コスモス……コモちゃんも可愛いって言ってるし、アリアだって良いって言ってるし、俺だってこいつらだったらって思ってる。渋ってるのは所長だけじゃないですか」
「でもなぁ」
ミリオンベルは、尚も渋る様子の所長の前に立つと、頭を下げた。
「所長、お願いします。俺、こいつらと仕事がしたい」
「うん、仮採用決定!」
軽いな! しかも最後の一押しは、ミリオンベルか!
「いつから来る?」
「あ、今日からでも」
「あたしも今日からだと助かります」
即答したスティアに、ネメシアも続く。
「何しろ、二回目にここにたどり着ける自信はないですからね!」
「あぁ、不安だなぁ」
自信満々に話すネメシアに、所長は頭を抱えた。
こうして、オレ達の共同生活と就職生活は始まったのだった。
***