1-21 ……二人きりだな
「……二人きりだな」
「待て、ベル。お前本当にギリギリなんだよ。セリフのチョイスをどうにかしてくれ」
小さく呟いたベルの言葉は、背筋を冷たい汗と共に流れ落ちる様なものだ。
「部屋って、ここじゃ駄目なのか?」
「いや、駄目だろ。何の為に部屋を準備して貰ったんだよ。つーか、ここで寝るにしたって、ソファ一つだし。まぁ、お前一人でこの部屋で寝るっていうなら止めないけど」
「ブランケットとか……」
「部屋に取りに行かないと無いわな」
ベルは暫し無言で考え込むと、今度は「蝋燭って、消えるよな」と零す。
「ま、まぁ、そりゃあ」
「寝る前には消すんだよな?」
「消さないと危なくて仕方ないだろ」
「だよな」
無言、再び。
なんだこれ、とオレも考えを巡らせていると、ふと所長に言われた事を思いだした。そういやこいつ、暗いのが苦手だったかもしれない。
「燭台、お前が持つか?」
「そうする」
ベルはため息交じりに答えると、燭台、蝋燭、マッチの三点セットをしっかりセッティングした。
「行くか」
「おう」
ベルは燭台の取っ手を握ってドアの方へと向かい、オレもそれに倣う。
「俺達も手を繋いでおくか?」
「止めてくれ! お前本当にギリギリなんだよ!」
「……大声、出さないでくれないか」
「わ、悪かったよ」
そうだった。怒鳴るなとか、大声出すなとか言われてたんだった。
「で、でも、お前もそういう、男が恋愛対象みたいな反応は止めろよ」
「……どれが該当するか分からない」
「あー、うん。じゃ、その都度言うわ」
ベルはまた呟くくらい小さい声で返した。とりあえず、そういうんじゃなさそうだ! よかったよかった!
オレ達は出入り口の明かりのスイッチをオフにすると、廊下に出た。
外からの光源は月明かりのみなのだろうが、残念ながらこの廊下にはそれが差し込む事は無い。頼りは、ベルの持つ蝋燭の明かりだけだ。
燭台を持つベルの手はやや震えているようで、明かりは不自然に揺れて、オレ達の影を廊下に落とす。
「おい、大丈夫か?」
「……うん」
大丈夫じゃなさそうな「うん」だな。
「持つの、変わろうか?」
「……いい。自分で持つ」
ベルの顔を覗き見ると、仄かな明かりが頼りとはいえ、表情が硬くなっている事だけは分かった。
そうしている内に部屋について入ったのだが、カーテンが閉まっており、やはり月明かりも差し込まない暗闇が広がっていた。
ベルはサイドボードに燭台を置くと、ベッドに腰掛ける。
「あとは寝るだけなんだな?」
「まぁ、そうなるな。眠くないならもう少し起きててもいいけど」
「いや、もう寝る」
ベルは小さな声で早口に答えると、直ぐにベッドに潜り込んだ。
「じゃ、じゃあ、お休み」
「……うん」
またしても大丈夫じゃなさそうな「うん」が返って来たが、オレにどうにかする方法は無い。
暗いのが苦手だと言っても、蝋燭の火をつけたまま寝る訳にはいかないのだ。
見た所、サイドボードにマッチは置かれているので、後でトイレにでも行きたくなったときには火をつけれる仕様にはなっている。ベルがトイレに行くのが不安だと言うのなら、その時は蝋燭に火をつけて一緒に行ってやる位は出来そうだ。
オレはここまで段取りとして考えると、そっと蝋燭の火を吹き消した。
いっそ寝てしまった方が、コイツ的にも安心出来るだろうと思ったのだ。
……が、それは大失敗だったのである。
火を消して一分もしない内に、隣のベッドから荒い息が聞こえ始めた。
何事かと顔をベルの方に向けるも、暗くて何も分からない。仕方なくカーテンを開けると、月明かりでマッチと燭台を発見する事が出来たので、それで火を灯す。
「おい、ベル」
燭台はサイドテーブルに置いたまま彼を揺さぶると、不安そうにオレの手を掴んだ。
「……ごめんなさい」
「え!? いや、え!? 何が!?」
唐突に謝られたものの、何の事だかさっぱり分からない。
ただ、オレの手を掴む指は震えていたし、尋常じゃない程汗が出ているようだった。それから最初に気付いた息の乱れも相当だ。
「ちゃんと、良い子に……する、から……」
「ま、待て、ちょっと待て!」
オレも何が何だか分からず大きな声をあげると、今度はビクッと身体を震わせる。
ちょ、ちょっと待て。これ、暗いのが苦手っていうレベルじゃねぇ!
「お、お前、暗所恐怖症か?」
「ごめっ、なさ……」
ついにはしゃくりを上げ始めたベルに、オレはただオロオロとするしか出来なかった。
こうなる事をこいつは分かってたから、迷惑をかける事になると言っていたのだ。廊下で手を繋ぎたがったのも、暗闇が怖かったから。風呂に最初に入りたがったのも、少しでも明るい内にすませたかったから。
だったら最初から言えよ! とも思ったが、オレも男だ。おそらくだが気持ちは分かる。
女の子の前で、格好悪い所を見せたくは無かったのだろう。いや、女の子だけじゃない。仕事の先輩として、後輩であるオレにも見せたくなかった。
でも、オレ、どうしたらいいんだ?
さっきの部屋まで連れて行けばいいのか? そしたら明るくなるし、少し良くなる、とか?
その先は? 一晩そこにいるか? 何往復かしてオレがブランケットとか持って行けばいいのかもしれないが、こいつ一人でいられるのか? つーか、何でも屋ではどうしてたんだ?
疑問ばかりがグルグルと巡り、オレは次の行動を見いだせずにいた。だが、いつまでもそうしている訳には行くまい。
とにかく、一度明るい所まで連れて行く! その上でどうするか考える!
「ベル、明るい所に行くぞ」
オレはベルの身を半ば強引に起こす。
「……おとーさん、おいてかないで」
「お父さんじゃねーけど、置いて行かない。一緒に行くぞ」
手を取ると、ベルはオレに身体を預けてきたが、気合を入れればリビングに向かうのはそれほど問題ではない。
何とか体制を整え、片手に燭台、もう片手でベルを支えて、リビングへと向かった。
向かっている最中も、ベルは小さな声で「ごめんなさい」だとか「お父さん」だとか「おいてかないで」だとか繰り返していた。
身体は震えていたし、汗はびっしょり。呼吸も乱れたままだ。蝋燭の仄かな明かりでも分かるほど、顔色も悪い。
それでもやがて、何とかリビングまで辿り着く事が出来た。幸いな事に、部屋は既に明るかった。
「あ、あの、ど、どう、どうした、んですか?」
中にいたのはフルールだった。
リビングに入ったオレとベルの様子――というよりも、ベルの様子に驚いて、慌てて近寄ってくる。オレは燭台をフルールに預けて、ソファにベルを座らせた。
「なんか、こいつ暗所恐怖症だったみたいなんだ」
「それは……すみません」
「いや、別にお前のせいじゃないんだけどさ」
何故か謝るフルールに苦笑いを向けてから、座ってなおオレにしがみ付くベルの頭を撫でる。
「おーい、ベル。明るい所まで来たぞー」
「……うん」
お、返事が「うん」になったぞ。頼りなくても、さっきよりは遥かにマシだ。
けど、これからどうするかな。ここでベルの回復を待つのがいいのか、他に何か方法があるのか。
確かにここは魔法のお蔭で明るくて、こいつにとっては良いんだろうけど。
……魔法? そういや、オレの愉快な仲間達の中に大魔法使いが混じってたな。
オレはふと、シアの存在を思い出した。あいつならどうにか出来るかもしれない。
何しろ、魔法使いは魔力注入をするだけではなく、魔法陣を空に描いて何らかの魔法を使う事が出来る。それだけではなく、紙などに魔法陣をペンで描く事によって「魔法の素」みたいなものを作る事が出来るのだ。
まぁ、つまり魔陣符の事なのだが、とにかくそれを作って貰おうと思ったのである。
「フルール、こいつ見ておいてくれるか? オレはシアに明かりの魔陣符作って貰ってくるから」
「あ、は……は、はい」
つっかえつっかえながら、フルールの返事を貰えたので、オレは改めてベルに向き直った。
「オレ、ちょっとシアの所に行ってくるな」
「おいてかないで」
「いや、お前はここにいろ。直ぐ帰って来るから」
端正な顔立ちに不安げな表情を浮かべて、彼はオレを見る。
「ぜったい?」
「おう、絶対!」
オレが強く頷くと、ベルはようやっとオレから手を離した。
「まってる」
「おう、直ぐ行って、直ぐ帰って来るから! 待ってろ!」
やっぱり不安そうではあるが、ここが明るいお蔭で少し良くなっているみたいだ。あー、よかった。
「あ、蝋燭……」
「走って行ってくるから、多分邪魔になるしいらない。精霊に教えて貰いながら行くから大丈夫だ」
フルールが手にした燭台をオレに差し出したが、丁重にお断りしてリビングを後にした。
蝋燭の明かりは、走れば消える。そしたら、無用の長物だ。




