1-20 息の根を止めるのなら手伝うぞ
「ふいー」
ネメシアは、浴槽に浸かっていた。
「あ、あの……何故わたしなんかと?」
フルールと一緒に。
「だって、一番確実だったんだもん」
フルールと二人で浴槽に浸かりながら、ネメシアは返す。
浴室はあまり大きく無いような話だったが、ネメシアが思っていたよりはずっと広かった。一人で入る分には足を伸ばしてゆったりと入れることが確実なサイズの浴槽に、その浴槽に入るために跨がなくても良いように設置された椅子。洗い場も広めに作られており、浴室と脱衣室の間には段差が無い。
これは足の悪い人間が入る事を前提に作られているようだ、と、足を踏み入れて直ぐのネメシアは思った。が、彼女はそれに触れる事は無く今に至る。
「ふいー」
二回目の、長い息を吐きだす。
魔法を使わずに薪で焚いた風呂は、いつもよりも熱めだ。また、蝋燭の仄かな明かりの元で入浴するというのも、ネメシアにとっては珍しく、心躍るシチュエーションだった。
「あ、あの、か、かかかか、確実、って……」
「アーニーの覗き対策だよ」
「す、すす、すみません! 大魔法使い様に!」
……覗きの心配と、フルールのおどおどさえなければ。
ネメシアはため息を吐く。それから、この「大魔法使い様扱い」がどうにかならないだろうかと考えを巡らせる。
「あたし、シア」
「え? あ、は、はい」
せめて自分の名称を大魔法使い様から変えて貰おうと、ネメシアは愛称を口にした。が、フルールは首を傾げるばかりだ。
「あたし、大魔法使い様っていう名前じゃないもん。ネメシアだもん」
「ネ、ネメシア様?」
「シアで良いって言ってるのに」
ネメシアは頬を膨らませ、ずるずると湯船の口元まで沈む。
「シア……様」
フルールから呼ばれた物に対し、ネメシアは湯船の中で息を吐き出した。ぶくぶくと泡が立ち、息が切れた頃に彼女はザバっと勢いよく立ち上がった。
「気に入らぬ!」
「え? え、え、えぇぇぇ?」
ネメシアの唐突な行動にフルールはただただ驚き、勢いよく立ち上がったせいで揺れている豊満な胸からの雫を身体に受ける。
「あたしの事、シアって呼び捨てにするか、シアちゃんでお願いします。それもダメならネメシアと呼び捨てに! 様付けはやっぱり気に入らぬ!」
「は、は、はい! シアちゃんの言う通りに!」
無理やり言わせたようなものだが、ネメシアはひとまず大きく頷いた。それくらい様付けは嫌だったのだ。
「ルルちゃんの大魔法使いフィーバー、何とかした方が良いんじゃないかなぁ?」
「で、で、でもでも、わたしなんかよりも……大魔法使い様のほうが、ずっと、あの……」
ネメシアは「むぅ」と小さく呻くと、今度は勢いよく浴槽から出た。
一々行動が大きいせいで、胸や尻が揺れるのは勿論、湯船もざぶざぶと揺れる。
「とりあえず、あたしは背中の流しっこなるものをしてみたいんだけど、一緒にどう?」
「は……は、い」
あっけにとられたフルールが頷くと、ネメシアはにっこり笑ってフルールに手招きしたのだった。
***
風呂は、ベル、スティア、オレ、の順で入った。今はシアがアーニストの覗き対策でフルールと入っている所である。
巨乳二人のキャッキャウフフは気になると言えば気になるが、オレが今気にすべきはそんな事ではない。
シアとフルール以外の全員がリビングに集まっている今の状況でやる事は一つ。それはアーニストへの調査だ。
「名前は良いとしても、年齢とか!」
「はっ、何で僕が?」
「それが法律だからだよ!」
「……へぇ?」
オレが大声を出せば出すほど、アーニストは小馬鹿にしたように返す。ついでに、視界の隅で、オレの大声に反応したベルが、何度かビクっとした。そっちは、悪かった!
スティアはといえば、一向に調査が進まない事にイライラしたのか、はたまたアーニストの小馬鹿にしている様が癇に障るのか、「ちっ、殺せば早いのに」と何度も呟くのが怖い。
いくら風呂上りとはいえ、スティアが身に着けた寝間着替わりのショートパンツのポケットにも、オレのハーフパンツのポケットにも、精霊石が入っているのだ。殺ろうと思えばいつでも殺れる。
「あのさぁ、さっきから思ってたんだけど、よくそんな貧相な身体を晒せるよね」
「よし、殺そう」
「待て待て待て! つーかアーニストも滅多な事言うなよ! 何で生き急いでるんだ!」
そりゃあスティアの格好はほぼオレとお揃いで、上はオレとお揃いの黒いタンクトップ、下は丈だけが違うズボン。色気もへったくれもあったもんじゃないが、肌の露出だけはバッチリで、凹凸の無さが際立っていた。
もしかしたら、鍛えて胸囲もある分、オレの方がセクシーな可能性だってある。
だがそれを口にするのは寿命を縮めるだけだと言うのは明らかだ。
「あ、そうだ! ベル! お前もスティアを止めてくれ」
オレはベルにも話を振ったが、彼はまたビクっとしたあと、ゆっくりとスティアを見る。
「……あぁ、えぇと、息の根を止めるのなら手伝うぞ」
「ダメだー! ベル、しっかりしてくれー!」
ベルがパジャマ姿という事もあり、一瞬「眠くてボケたか?」とも考えたが、寧ろ目をかっ開いてスティアの方を見ていて怖かった。うん、ベルも怖かった。
「そもそも、貴様が調査に協力的ではない理由はなんだ?」
「はっ、貧乳で精術師の誇りも忘れて国の犬に成り下がった君に言うとでも思ってるの?」
アーニストの物言いに、スティアはよほどカチンと来たのか、ポケットから精霊石を取りだす。
「ちょ、ダ、ダメ! ダメだー! ストップスティア! ストップスティアー!」
「……調査されると、何か不都合でもあるのか?」
オレがスティアを止める為に、必死に妹を羽交い絞めしていると、ベルがぽつりと零した。
「べ・つ・に! 僕はただ就職管理官が嫌いで、同じ精術師なのにそっちについた二人が嫌いで、イケメンの君が嫌いなだけだよ。シアだけは……まぁ、大魔法使いである事を除けば、普通よりはちょっといいけど」
「……イケメンというだけで嫌われるのか」
「だ、大丈夫だって! ベルは顔だけじゃない男っていうのは知ってるから! な?」
ちょっとがっかりした表情のベルを、オレは咄嗟にフォローした。勿論、スティアからは手を離さずに。
そりゃあ、オレだって最初はイケメンウゲーとは思った。だが、こいつは料理は旨いし、強いし、顔だけではないと知った今、フォローせずにはいられなかったのである。
まぁ、イメチェンは困るけど。
「とにかく、そういう訳で君達に協力する気も、姉様に協力させる気もないから」
「ふむ、殺せと言っているな」
「言ってねーよ! 頼むから落ち着いてくれ!」
いつまでも解放出来ねーじゃん!
「おぉ? 皆で雑談中?」
ピリピリした空気の中、呑気な声が聞こえて、オレはそっちを見る。ドアの入り口に、風呂上りのシアとフルールが立っていた。
シアはいつものフリフリしたタンクトップ? キャミソール? ベビードール? なんかわかんねーけど、そういう名称が付きそうなフリフリノースリーブの物体を上に、下は足のほとんどを惜しげもなく露出した短いフリフリのカボチャパンツを穿いていて、目が幸せになった。
とにかく、肌の露出がすごい。
胸元とか、肩とか、足とか、全部生! どーんと放出しまくっている。これを目の保養と言わず、なんというのか。
アーニストも「うん、良い眺めだ」と頷いていた。
そんなシアに対し、フルールは何でも屋で見たアリアさんの寝間着と同じような、なんかフリフリして長いワンピースみたいなものを着ていた。これはこれで可愛くて有り。
幸せに浸って、スティアを止めていた事を忘れそうだ。
「上がったのか?」
スティアはオレに羽交い絞めされながらも、シアに尋ねる。お、落ち着いてくれたか!
「そう。さっぱりしたよー」
「そうか。よかったな」
「うん! よかったー!」
平和そうな会話だ。そ、そろそろ解放してもいいか? 大丈夫か?
「全員そろったみたいだね。じゃ、僕はもう行くから。ほら、姉様早く」
「う、うん。では、おやすみなさい」
「はーい、おやすみー!」
シアが呑気に返すと、スティアが直ぐに「待て、貴様!」とか大きな声を出した。とっ捕まえておいてよかった! ここで殺人事件に発展したら、目も当てられない。
「ちっ。今日はもう追わないから離してくれ」
「お、おう」
アーニストとフルールの姿が部屋から見えなくなると、スティアは舌打ちをしつつもオレに要求した。オレは素直に従い、やっとスティアから手を離すと、彼女は手にしていた精霊石をポケットにしまった。
「で、私達はどうする? 追わせては貰えないのであれば、ここにいる意味はないんだが」
気を落ち着かせるためか、スティアはオレ達を見回す。
「思いきって寝ちゃう?」
「ま、それでも良いだろう。早くこの女を寝かしつけてしまった方が、私としては楽だしな」
「この女? 寝かしつける?」
シアがぽやっと首を傾げると、スティアがシアの胸をジトっと睨みながら答える。
嫉妬は見苦しいぞ、我が妹よ。口に出せたらスッキリするかもしれないが、オレの魂が肉体と切り離されるかもしれないので、一応黙っておく。だって怖いんだよ、こいつ。
……に、しても、どうするかな。
眠るには早い時間ではあるが、逃げられた以上接触をするのが難しそうだし、なんかベルは変だし、いっそ早寝で早起きした方が上手くいくかもしれない。
だったら、シアの言うとおり寝てしまった方が良いかもしれないな。やる事もないし、多分慣れない山登りで一番貧弱なヤツが眠くなってるだろうし。ていうか、眠くなってるから寝ちゃうか、なんて選択肢が出たんだろうし。
「寝るか」
「ん、寝よっかー」
「おい、ネメシア。手をよこせ。お前の手を離して部屋まで行かせるのも怖い」
間違って外に出ないとも限らないし、確かに怖い。なんてったって、恐ろしい程の方向音痴なのだ。
「じゃ、スティア頼んだ」
「ああ、頼まれた。ほら行くぞ。そこの巨乳娘」
「きょにゅっ!? もしかしてあたしの事なの!?」
シアは目をまん丸くして、自分を指差しながらスティアに聞き返す。
指差した瞬間、谷間強調でオレは歓喜、スティアは悪魔の形相を浮かべた。あ、違う。別に歓喜してない。デレっとした顔なんて、してねーもん!
「もしもお前以外の二人に巨乳が付いていたり、お前が男だったりしようものなら、今頃丁寧に真っ平らに直している所だ。女であったことに感謝するんだな」
「神様ありがとう、女でよかった」
「いや、男だったら巨乳にはなってないだろ」
シアのアホすぎる素直な感謝に、オレはツッコミを入れずにはいられなかった。
なんてったって、オレやベルにでかい胸が付いていたら怖すぎる。絶対、怒らせたスティアよりも怖い。
「とにかく、私達は先に部屋に戻る。そして私はこいつを寝かしつける」
「あ、蝋燭! 蝋燭に火をつけて明かりにするんだよね?」
スティアがシアの手を取ると、シアが呑気な声をあげる。
そう言えばそうだった。蝋燭に火をつけて廊下を歩くんだったな。そういうアナログな方法は久しぶりだ。
「嬉しそうだな」
「うん、そういうのした事ない」
「さすが、文明の利器を使いまくる大魔法使い様は、下々の者の生活にあこがれがあるようで」
スティアが嫌味っぽく言ったが、シアは気にしていないようで「だって家に蝋燭なかったし」と答えている。
「火、つけたい! マッチなるものを擦ってみたい」
「分かった分かった」
スティアはシアの手を離すと、部屋の隅に置かれた燭台と蝋燭、それからマッチを手にして彼女の前に置く。
この夜の明かり三点セットは、フルールが食後に準備しておいてくれたものだ。オレ達が代わる代わる風呂に入っている内に説明があった。
シアは取って付きの燭台に蝋燭を立てると、マッチを思いきりよく擦った。
ぽっきん。折れた。
「あれ?」
彼女が首を傾げて、もう一本取り出し、擦った。
ぽっきん。折れた。
「あれれ?」
今度は反対側に首を傾げ、もう一本取り出すと……スティアに奪われた。
「無駄だ。私がやる」
「えー! やりたいのにー!」
「自分の金で買った暁には、存分に資源と金の無駄遣いをするがいい。とにかく今は駄目だ」
それ、何でも屋で好きなだけやらせたら間違って火事になるんじゃ……いや、その時はオレが隣でしっかり見ていよう。
スティアはシアから奪ったマッチで、蝋燭に華麗に火をつけると、燭台の取っ手を持った。それから、反対側の手でシアの手を握る。
「それじゃあ私達は寝る」
「おやすみー!」
シアは気分を害した様子も見せずにこちらに手を振り、スティアと共に部屋から出て行った。




