1-12 イケメンのドアップがあった
そうやって色々準備して、ついでとばかりに村の雰囲気とか名産品なんかも調べた。
で、翌日には朝から具合の悪くなる乗り物に身を任せて移動してきたわけだ。ジギタリスの作った書類とやらは封筒に入れてベルが持ったので、万が一にも忘れるという事はなさそうだ。
記憶がぐるぐるとまわる。
その中で、出る直前に所長に言われた言葉も回る。
「ベル、暗い所が苦手だから気を付けてあげてね。あぁ、すっごく不安だなぁ。君達に任せるの、不安だなぁ」
あ、なんか腹立ってきた。
胃がむかむかしてきた。
大体、何でこんなに揺れるんだよ。これだから汽車ってやつは。
汽車って言えば、なんで風を感じてるんだ? つーかオレ、シアにクッキーを差し出されて意識が……意識、が?
オレは、そっと目を開ける。
揺れる世界には、青い空と、イケメンのドアップがあった。
「べ、る?」
掠れた声がオレの喉から這い上がる。イケメン――もとい、ベルはオレに視線を向けると「あ、起きた」と呟いた。至近距離で。
「う、うわぁぁぁぁぁ! な、ななななな、なんだこれぇぇぇぇ!」
外!? 外なんだよな!? 空見えたもんな! 空が見えて揺れてベルが見えるって、ちょ、ちょっと待て!
オレは慌ててジタバタともがくと、次の瞬間には上を向いたまま腰を強かに打ち付けた。
ベルの端正な顔との距離が開いた分、彼の長い脚も見える。そうやって見回すと、スティアすら見上げている状態だと気が付いた。
オレよりもあんなにでかい筈がないから、と視線を巡らせると、シアも見える。ついでに、薄い色のタイツ越しの下着が……。はっ、下着ぃぃぃ!!
オレはガバっと身を起こす。見てしまった。巨乳の持ち主の下半身を。
触ったらもちもちしていそうで、同じ女なのにスティアとは全然違う……って、そうじゃなくて!
「何なんだこの状況は!」
あちこちについた土埃を払いながら立ち上がると、スティアが呆れたように「お前がくたばってたからだ」と鼻で笑った。
くたばってたって何だよ。可愛くねーな。
「ごめんね、ルト。あたし、またしてもルトにクッキーの良い香りをかがせちゃって意識を飛ばしちゃったみたいなの」
「い、いや、オレも悪かったし……」
主に下着を見てしまった事と、相殺させて貰おう。ごめん、シア。水色のふりふりをバッチリ見ちまった。
「で、降りなきゃいけない駅でも意識を失ったままだったから、代わりに俺が横抱きにしてここまで来た」
「よ、横抱き、って」
「俗にいう、お姫様抱っこだな」
事も無げにベルは言うが、オレの気分はどん底だ。パンツを見てラッキーの気持ちも吹っ飛んだくらいに。駅からずっとお姫様抱っこ、という罰ゲームよりも酷い仕打ちを受けたのだから、当然と言えよう。
「で、ここまでって、ここはどこだ?」
暗い気分のまま見渡すと、山ばかりで過疎化しまくりの田舎であるヴルツェルには似合わない、立派な建物がすぐ近くにあった。
白くて、大きくて、なんか無駄に細かい装飾をされてたりなんかする建物。建物の前には門があり、門番までいる。
門には『就職管理局ヴルツェル村支局』と書かれていた。どうやらここが目的地らしい。
しかも、近くに駅が見当たらないあたり、結構な距離をオレはお姫様抱っこで運ばれていたのだろうと気付いてしまった。出来れば気付きたくなかった。恐ろしい。
「じゃ、クルトも目を覚ましたし行くか」
ベルはオレにオレの荷物を手渡すと、門に向き直る。オレを運んだだけではなく、オレの肩掛けの鞄に詰め込んだ荷物も運んでいてくれたらしい。
ありがたい。ありがたいのだが、何でよりにもよってお姫様抱っこだったんだよ。恥ずかしいわ!
「ゴーゴー! 楽しみだね!」
「あぁ、とても楽しみだ」
スティアが悪い顔をしている。どれだけ絞り取るつもりだ、こいつ。
不安を抱えながらも、オレ達は門へと向かう。そして、門番にベルがジギタリスからの手紙を見せてからは早かった。
あれよあれよと言う間に中に通され、気が付けば応接室で紅茶を出されて偉い人と対峙していたのである。
「君達のような者に代わりが務まるのかどうか……」
なんか偉そうな髭のオッサンが、ため息交じりにオレ達を一瞥した。
最初に自己紹介した時に名前を聞いた筈なのだが、どうにも思い出せずに、オレはじっと失礼なオッサンの髭を見つめた。髭にも白髪って出来るんだな……。
「そうは言いますが、この通り本局の方からの依頼で来たのですが」
ベルは、テーブルに置かれた手紙を指差して呆れた表情をオッサンに向ける。
「それに、こちらには調査を拒否する方と同じ精術師がいますし、大魔法使いもいます」
「います!」
シアは、凄そうな部屋の中でもマイペースに明るい声を上げた。こいつすげーわ。図太い。
「ふむ。つまり支局長は、私達では頼りないから帰ってくれ、と言っているんですね? 私達に依頼してきた本局の方の顔に泥を塗る形になりますが、問題はないですか?」
「そ、そんな事は」
「いえ、私にはそうとしか聞こえませんでしたが。いや、しかし違うと言うのなら違うのでしょう。どう違うのですか?」
スティアがニコニコと微笑んで追い詰めはじめた。
ベルはスティアを横目で見ると、小さく息を吐き出して紅茶に口をつけた。それから眉を顰めて、カップをソーサーに置いた。どうやら美味しくなかったらしい。
が、今のスティアの話に口を挟む様子も見られないところを見るに、静観を決め込む事にしたようだ。
シアも紅茶を口に運ぶと、驚いた顔で紅茶を見つめる。なんだ、そんなに不味いのか。
オレも二人にならって一口飲む。
あー、美味しくはないわな。飲めなくはないけど。
特にベルが淹れるものが美味しいから、余計に感じる。美味しくはない事が。
「大体、自分達ではどうにもならないと忙しい本局に要請しておいて、二度手間をかけさせようだなんて中々出来る事ではありません」
「分かった。推薦して下さった方に免じてお願いしましょう」
「貴方はまだ自分の立場を理解していないようですね」
ため息交じりにスティアが小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
オッサンの言う事はイラっとするが、それ以上にスティアの反応が怖い。なんだこの妹。本当にオレの妹なのか? まぁ、瓜二つなんだけどさ。
「免じて、ではなく、貴方にはそれしか選べないんです。けれど、こちらには他の選択肢がある」
スティアは小馬鹿にした笑みを浮かべたまま紅茶を一口すすり「不味い」と言いながらカップを置く。
「貴方に嫌な顔をされたので帰って来ました、と報告すればいいのです。貴方も本局の方に色々話をされるでしょうが、今忙しい本局の方がどれだけ言い訳を聞いてくれますかね? 調査の一つも碌に出来ない支局の人間の戯言を」
不味いと言ったテンションとそっくりそのまま同じ状態で、妹は続けた。
「わかったわかった! 是非お願いしたい」
「では、金銭の話に移りましょうか」
「金、銭?」
オッサンは乾いた声を上げる。白髪交じりの髭が、口元をヒクつかせたのに伴って揺れた。秘技《白髪ヒゲ揺らし》、という技名が付きそうだ。
「私としては、この件を外に漏らす事は本意ではないのですが、多少口が重くなるような出来事が無ければ、もしかしたら、という事がありましてね」
「口止め料を渡せ、と」
「ええ、まぁ。私の舌に金と言う重りをつけてほしいと思いまして」
ウチの妹、がめつい……。
「ねぇミリィ。あの飾ってあるの見てきてもいい?」
「駄目。お前、絶対すっ転んで壊すし、もし壊しちゃったら口止め料の話はパー。そしたらスティアは……」
「あわわわわ。怖すぎる」
オレも思うよ。怖すぎる。
ここでシアを放牧するのも、スティアの値段交渉を邪魔するのも。うっかり色々起こってしまうと、オレのはらわたが切り刻まれそうだ。怖い。
すっかりおとなしくなったシアの隣で、ベルが不味そうに紅茶を一気飲みした。
「せめてこれくらいではいけないか」
「うーん、もう一声お願いできませんか? 先程のこちらへの暴言も有りますし」
「暴言などなかった」
「私には暴言にしか思えませんでした。そして心に深い傷を負ったので、これを埋めるにはお金しかありません」
耳に入ってくる会話が、全く持って心地よくない。
スティアの顔を覗き見ると、彼女は活き活きとした表情を浮かべていた。オレの妹、なんか変だ。
そんな時間もそれほど長くかからず、程なくしてオッサンが折れる形で収束したのだった。
あとはもう、とんとん拍子で調査に必要な人物――フルール・ベルンシュタインとアーニスト・ベルンシュタインの情報を聞き、家までの地図を受け取り、帰る前にスティアがずっしりとした札束を頂戴した。
そして妹は、ベルにそれを渡す。
「預かっておいてくれ。そして、給料に反映させてくれ」
「伝えておく」
受け取ったベルは厳重に鞄にしまうと、全員で建物を後にした。
外に出ると、「さて」とベルが話を切り出す。
「地図によると、ベルンシュタイン家はあの山の中腹にあるらしい」
ベルが指差した先には、村を囲むようにそびえている山の中でも、ひときわ高い山があった。あの中腹って、シアは大丈夫なのだろうか。体力的な意味で。
何しろ彼女は都会っ子なのだ。
ちらっと見ると、今から行われる山登りに心を弾ませているようだ。苦労など、微塵も考えていないのだろう。
「いざとなったら、オレが背負う事になるのかな」
「えー、大丈夫だよー」
絶対大丈夫じゃない! 呑気そうにしているが、それも分かっていないからこそのものだ。
「大丈夫にせよ、大丈夫じゃないにせよ、とにかく山を登る準備は必要だ」
彼は言いながら、ポケットを探って「必要なものリスト」を取り出す。
「最悪、野宿という事もあり得るしな」
ベルがため息交じりに吐いた言葉に、スティアも大きく頷いた。
全てシアのペースによりそうだ。
「必要最低限に絞るけど、とりあえず食料と水は確実に必要だな」
「明かりはネメシアがいるから大丈夫だろう」
ベルがリストに目を落としながら言うと、スティアが続ける。
「おい、クルト。ネメシアはどこに行った?」
続けた筈のスティアは、眉間に皺を寄せてオレに尋ねた。
「どこって、隣に……となり、に?」
「いないな」
「いねぇ! どこいった!」
ふと気が付くと、シアが姿を消していた。オレ達は慌ててあたりを見渡したが、あの年中迷子娘は視界に入る場所にはいない。
「仕方がない。では、私とミリオンベルで買い出しに向かおう。クルト、お前がネメシアを探して来い」
「な、何で――」
「いいから行って来い。精霊に頼めば何とかなるだろう。合流も精霊に伝言を頼んで落ち合おう」
何だよもう! 先に楽な方取りやがった!
いくら精霊と協力して人を探す事が出来るとはいえ、ちょろちょろと予測も出来ないように動き回るシアを探すのと買い出しでは、明らかに買い出しの方が簡単だ。
「……分かったよ」
それでも、オレは渋々頷く。
探し始めるのに時間がかかればかかるほど、あの巨乳迷子は遠くに行ってしまうからだ。ここでスティアと言い合いする時間が勿体ない。
「さあ、ミリオンベル。買い物に行くぞ」
「あ、あぁ。クルト、気をつけろよ」
「おう」
こうして、オレ達は二手に分かれる事になった。
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