1-10 場合によっては、君の最後のチャンスだよ
一緒に生活するようになると、所長とアルメリアさん、それからスターチスさん以外にはタメ口になった。それと同時に、呼び名も随分砕けた。
ミリオンベルはベル、ネメシアはシア、アルメリアさんはアリアさん、スターチスさんはスーさん、コスモスはコモちゃんを進めるが、コスモスと呼ぶことにした。スティアはスティアで変わりない。
逆に、オレに対する名称も変わった。シアがオレをルトと呼ぶようになったのだ。
必死に拒否したが、眼下に広がる深めの谷間に目を奪われている内に、気が付くと承諾していた。巨乳とは、素晴らしくも恐ろしいものである。
シアは、ベルの事も特殊な呼び方をした。ミリィと呼ぶのだ。呼ばれたベルは、特に気にする様子もなく、頷き一つでこの話は終わった。
これが男気、というやつだったのかもしれない。
あの後部屋割りも決まり、ついにオレとスティアは一人部屋を獲得した。
実家に居る時は、オレとスティアは同室だった。そのせいで、まぁ、色々と不都合もあったものである。
シアはアリアさんと同室になったが、なんとなくシアが迷惑をかけるのではないかと心配にもなった。杞憂だったが。
数日後には制服も受け取った。オレの制服は所長とベルの着ている物と色違いだ。ズボンのチェックの色だの、シャツのラインの色だのが違うが、形自体は同じ。尤も、魔法使いではないのでシャツのボタンはきっちり上まで止めるので、印象は変わるかもしれないが。
スティアは、シアやアリアさんとはお揃い風を装いつつも色違いというだけではなく、デザインも僅かに違っている。
アリアさんはロングスカートでケープが付いていたのに対し、スティアとシアはミニスカート。加えてシアは大魔法使いで胸元を開ける必要があるので、中のシャツのデザイン自体が、ざっくりと開いたおっぱい強調型だったのだ。
これに関してはありがとう、スーさんとコスモス。
スーさんと言えば、オレ達の精霊石はカフスボタンへと姿を変えた。かなり安く済んだので、オレは勿論スティアがとてつもなく喜んだ。
そうやって色々と揃い、平和に暮らしていた……と思っていたのは、オレだけだった。
「何度言ったら分かるのかな?」
笑顔の所長に呼び出され、オレは思わず口を噤む。
面接から、大体一ヶ月くらい後の出来事だった。
「僕はそれほど難しい事を言っているつもりはないよ。最低限、お客さんに怒鳴らない、掴みかからない、露骨に嫌な顔をしない。この三点だけ」
所長の汚い部屋でこんな事を言われているが、言い返せもしない。
言い返したら汚い空気を吸いそうだ、という事ではなく、ずっと注意されていた事をうまく出来ていなかったせいでぐうの音も出ないのだ。
「この調子じゃあ、ウチの評判も下がって、君達にお給料を渡す事もままならなくなる。それじゃあ困るんだよ。だから、君だけ切っちゃいたいのが、正直な所だね」
これはマズい。今まで勤めた所のように、精術師だから、という訳ではないのが余計にマズい。
「そりゃあスティアちゃんにも問題はある。お金にがめついし、僕を正論で責めまくるし、皆と仲良くする事が難しいんだから。でも、お金にがめつい所は武器になりうるし、正論で責めるのは僕がアレだから。仲良くっていうのも、一ヶ月で心を許せっていうのは難しいだろうから長い目で見られる」
オレは冷や汗を流しながら、所長を見続ける。絶対、今のオレの顔は引き攣っている。
「ネメシアちゃんにも問題はある。方向音痴だから一人で出かけさせられないし、仕事に行って貰う事は難しい。凄く不器用だからたまに破壊神になっちゃう。だけど、人懐っこいし嫌な顔を見せないからお客さんの受けは悪くないし、不器用なのは他の人がフォロー出来る」
妹を含めて同期は二人。どちらも、それほど悪い印象を与えてはいないようだった。
スティアがちゃっかり者でしたたかなのはオレが一番よく知っている。
シアが人懐っこくて憎めないのだって、一カ月一緒に生活していれば嫌でも分かる。
「ところが、君はどうなの? 賃金の地盤のお客さんを掴めないっていうのは致命的だし、まして喧嘩をしてきてしまうとなればマイナスだ。確かに力仕事は出来るし、今の所まだ来ていない精術師としての仕事もちゃんと出来るとは思う。けれど、その態度で全て台無しだ」
オレは小さく「うぐ」と呻いた。
ここをクビになれば、オレは再就職出来る気がしない。それも今回のクビの理由がオレの短気となれば、余計に、だ。
「ちょっとした問題だけなら、ベルにだってアリアにだってある。勿論、僕にだってね。だから僕は完璧でいろとは言っていないよね? 君に求めているのは、最初に言った三つ。いや、まとめて一つにもなるね。お客さんにはほどほどに愛想良くしておきなさい、っていう事だよ」
ほどほどに、というあたり、かなり優しく出来ている。それだって分かっている。
所長は13枚でいけ好かないし、ねちっこい言い方をするし、部屋は汚い。だけど、精術師だからと馬鹿にするわけでもなければ、多少の失敗は「仕方ないなぁ」で済ませてくれたりもするのだ。
「ま、ベルだって愛想のいい方じゃないよ。けれどあの子は、怒鳴ったり、激昂したりはしない。それに愛想笑い出来なくても、格好いいって言ってくれる女の子のお客さんがいる訳だ。本人は顔に寄ってくる女の子は好きじゃないけどね。でも武器であることは確かだ」
ここまで来ても、所長はまだ笑顔だ。これほど笑顔が恐ろしいと思った事があるだろうか。いや、無い。
「それで、君の武器は? 接客最悪のスキルを帳消しに出来るだけの武器。それは何だい?」
オレは再び呻くしかなかった。
何と言おうかと思案していると、唐突に所長の部屋がノックされた。彼は「なにー?」と間延びした声を上げながら、扉を開ける。
ノックしたのはベルだったようで、彼は部屋を一瞥して顔を顰めてから、所長に向き直った。
顔を顰めたのは、オレがいたからではなく、この惨状を見ての物だったのだと信じたい。
「ジスさんが来ました。なんか、依頼らしいですよ」
「そっか。それは話を聞いてあげないとね」
聞き覚えの無い名前にオレが首を傾げていると、所長が手招きした。
「君にも特別に話を聞かせてあげよう。場合によっては、君の最後のチャンスだよ」
何それ怖い。
オレは悪い意味でのドキドキを抱えながら所長の部屋を出た。
部屋の先――事務所兼リビングには、見慣れぬ大男が椅子に座って、小さなカップを手にしていた。が、よく考えてみたらあれは来客用のカップで、オレも一ヶ月ほど前には受け取った物だ。
やたらとでかいせいで、元々小さいカップが更に小さく見えたらしい。
その男は、帽子こそ取っているが真っ白な制服に身を包み、冷たそうな瞳をこちらに向けた。
「就職管理官さんが、何の用なんですかね?」
思わず刺々しく尋ねると、彼はカップをソーサーの上に置いて立ち上がった。め、めちゃくちゃでかい!
「始めまして。ジギタリス・ボルネフェルトと申します」
すっげー低い声で、威圧感たっぷりに、でかい男――ジギタリスは挨拶をした。
腰を30度くらいにまげて、再度頭を上げると、やっぱり威圧感のようなものを感じる。
ただ挨拶しているだけだと言うのに、焦げ茶色の髪も、黒の鋭い瞳も、ついでに泣きぼくろさえもオレを刺し殺そうとしているようにしか見えなかったのだ。
つまり、おそらくは雰囲気が怖かったのだろう。いや、怖くなんかねーけどな!
「ツークフォーゲル。クルト・ツークフォーゲルだ」
名乗られたからには名乗り返さなくてはなるまい。オレは怯む事なく返す。
いや、怯んでねーけどな!
ただ、ジギタリスの着ている制服が、政府直属の組織――就職管理官の物だったから、嫌な気持ちがもさっと胃袋に湧き上がったのだろう。
この就職管理官というのは、学校を卒業した後の成人全員の就職状況を把握し、就職先での待遇などに不満が無いか、などを調査する仕事だ。それだけではなく、時には失踪した人間を探したり、失踪した挙句悪事を繰り返す人間を取り締まったりもする。
これだけ聞けばさも良さそうかもしれないが、めちゃくちゃ良い人に当たる確率なんて、たまたま拾った小石が金の塊だった、というくらいのものだ。
大体は精術師相手だと馬鹿にするような態度で「とっとと質問に答えればいいんだよ、クズが」くらいの勢いで話しかけてきたりもする。
……ちょっと盛った。本当は薄い紙に包んだ暴言を吐き出す。
「ジスさん座ってていいぞ」
「いや、しかし」
「良いって。クルトも直ぐ座らせるし」
「では、お言葉に甘えて」
い、良いヤツかどうか分からないぞ。良いヤツの可能性は低いんだ。うん。それにこいつ、でかいし。でかいヤツは敵だし。
オレはベルに促されて席に着くと、後は続々と何でも屋メンバーが座った。
オレの斜め向かい側にはアリアさんが着席した。今日もめちゃくちゃ綺麗で、目の保養になる。
やっぱり、ここをクビになるわけにはいかない! アリアさんを見て、心の活力を得なくては!




