未熟さの自覚
ヘイム・デロ・ツオサートの私兵たちが、付いてくることはなかった。
アランを追いかけ回しているのだろう。
それで良かった。
自分たちとは関係ないところで、勝手にやってくれればいい。
宿に入る前に、ルーアは肩に触れた。
少し雨に打たれたが、衣服がやや湿った程度で済んでいる。
夏場であるため、雨で濡れたことが気持ち良いくらいだ。
外へ出てもろくなことがなかったが、唯一それが収穫なのかもしれない。
先頭で宿に入ったテラントが、立ち止まり呻く。
「どうした?」
テラントに続き、宿の中に足を踏み入れ。
「てめえ……」
ルーアは、唸り声を上げた。
宿に入ろうとするティアとユファレートを、腕で遮る。
食堂窓際の席に、顔に傷のある男がいる。
アラン。追っ手を撒いたのか。
だが、なぜこんな所にいる。
「……なにしてやがる?」
聞くと、アランは空のグラスを振った。
注文して、それなりの時間が経過したということかもしれない。
余所者であるため地理に疎いルーアたちを、先回りしていたのだろう。
しかし、その目的が見えない。
「俺は、情報屋なんかもやっててな」
宿の主人がアランの元へ水差しを手に向かいかけ、だが争いの雰囲気を感じ取ったか躊躇っている。
テラントは、いつでも『カラドホルグ』を抜けるよう、わずかに腰に手を近付けていた。
肩を掴まれる。
ティアやユファレートが、ルーアの肩越しに宿の中の様子を窺っている。
「俺を捜している奴については、調べた。ダネットという傭兵……そして、ダネットと一緒にいる奴らについてもな」
アランが笑う。
好感の持てない、嫌らしい笑い方である。
「お前、俺の仲間じゃないかって疑われてるんだってな」
背後から圧力があった。
ティアが小さく悲鳴を上げる。
ルーアたちを押したのは、白い装備で身を固めた、ヘイム・デロ・ツオサートの私兵たち。
椅子から立ち上がるアランの姿を認めると、武器を構えて包囲する。
アランに近付いていくのは、片刃の剣を手にした者が一人だけだった。
(あー、そう言えば。馬鹿集団だったな)
一人が相手の時は、一人しか戦わない。
間合いを詰められていっても、アランは落ち着いていた。
気楽に肩を竦めている。
アランの余裕の仕草に対して、ヘイム・デロ・ツオサートの私兵たちは真剣な表情だった。
宿の主人は、カウンターの向こうに避難している。
「無粋な連中だな。友人との語らいを邪魔するとは」
(……友人?)
アランの台詞に、嫌な予感を覚える。
「よお、ルーア。わざわざハオフサットまですまんな。助かるよ」
ヘイム・デロ・ツオサートの私兵たちが、ルーアに視線を向ける。
「そうか。貴様、やはり……」
(こいつ……)
なぜ、ルーアたちが宿泊に利用している宿を訪れてきたのか、と不思議だったが。
目的は、ルーアたちはアランの味方だと、ヘイム・デロ・ツオサートの私兵たちに勘違いさせるため。
追っ手を分散させられる。
アランとしては、逃亡が容易になる。
ヘイム・デロ・ツオサートの私兵たちが数人こちらに武器を向け始めたのを見て、テラントが溜息をついた。
カウンターに肘を置き、上体を宿の主人に寄せる。
「荷物、預かっててくれ。宿泊代は、後日払うってことで。色付けるからさ」
展開が、読めているのかもしれない。
この状況では、誤解を解くため話し合うにしても、相手を叩きのめすか、ルーアたちが捕らえられてからになる。
ヘイム・デロ・ツオサートの私兵たちと戦闘になるのは、できれば避けたい。
宿の中で暴れるのも、好ましいことではない。
ここは、一旦逃げた方がいい。
「ディレイト・フォッグ!」
アランの声が響いた。
魔法の霧が薄く立ち込め、視界を遮る。
真っ先に反応したのは、テラントだった。
すぐに身を翻し、宿からの脱出を謀る。
テラントに続き、ルーアは背後でガラスの割れる音を聞いた。
アランが、逃走のために窓を叩き割ったのだろう。
ヘイム・デロ・ツオサートの私兵たちのものと思われる喚き声が聞こえる。
テラントと宿を飛び出した。
「……うん。未熟」
「ユファ! そんな場合じゃないから!」
アランの魔法の質をしたり顔で解析しているユファレートと、その襟首を掴んで引き摺るティアも、宿から出てくる。
「ディレイト・フォッグ!」
ルーアは、アランの魔法に重ねて霧を発生させた。
ユファレートが、頷く。
「まあまあね。まだまだだけど」
「うるせえよ!」
魔法の批評会をしているのではないのだ。
「こっちだ!」
テラントが、先頭で通りを駆け出す。
ヘイム・デロ・ツオサートの私兵たちが追ってくる気配がする。
飛び道具も魔法も使わない連中だ。
距離を保てば、攻撃を背後から受けるという恐怖はない。
途中で指示を出し、路地裏に入った。
分かれ道を、左へ。
「……上手い方向に逃げられたな」
俯瞰で見られているのか、走りながらテラントが言う。
おそらく、アランが逃げた方向にルーアたちも向かっている。
アランを捕らえ、ヘイム・デロ・ツオサートの私兵たちに突き出す。
それが、誤解を解くためのもっとも手っ取り早い方法になるだろう。
「ねえ、荷物とか……」
テラントが宿の主人に言っていることが聞こえてなかったのか、ティアが気にする。
「それは後でいい!」
事が片付いてから、荷物の回収も宿泊代の支払いもすればいい。
ルーアたちが宿に戻れなくなった時は、宿の主人は荷物を質にでも入れて、宿泊代にするだろう。
とにかく今は、アランである。
「あそこよ! 明かりの魔法を使ったわ!」
ユファレートが指した先に、廃ビルらしい建物がいくつか並んでいる。
ルーアは、なにも感じ取ることができなかった。
簡単な魔法である。
その分、感知は難しい。
アランが逃げ込んだらしい年季の入ったビルまで、ユファレートが案内してくれた。
魔法が関わったことでユファレートが間違うことは、ほとんどないだろう。
五階建てだろうか。ビルの中からは、なにも聞こえない。
何者かの息遣いを、肌で感じたような気はする。
ヘイム・デロ・ツオサートの私兵たちは撒かれたのか、姿がない。
音が響き、ティアが顔をしかめた。
足下に転がっていた空瓶に、躓いたのだ。
中にアランがいるなら、聞こえただろう。
「……ごめん」
「いいさ」
ティアに軽く手を振り、テラントが先頭でビルに入る。
ユファレートの側にティアがいることを確認しつつ、ルーアは後に続いた。
がらんとしたビルだ。
人が暮らしていた跡も、店舗があった形跡もない。
奥に階段がある。
そこから駆け降りてくるのは、四人。
テラントが微かに鼻を動かす。
腐敗臭。兵士たちである。
アランの姿はない。
「たった四人で……」
呟いて、だがルーアは気を引き締めた。
どこかからか、視線を感じたのだ。
向かってくる兵士たちに、テラントが立ち塞がる。
兵士たちの得物は、槍である。
アランの指示があったのかもしれない。
近付かなければ、ユファレートの魔法の餌食になる。
近付きすぎれば、テラントの剣に叩き斬られる。
少しでも抵抗するための、長柄の武器なのではないか。
テラントの後ろには、ユファレートがいる。
ユファレートには、ティアが付いている。
心配はいらないだろう。
兵士たちから意識を外し、ルーアは視線を捜した。
アランは、どこにいる。
どこからルーアたちの様子を見ている。
兵士の槍がテラントの『カラドホルグ』に弾かれる音が、屋内に響いた。
一定の間合いを保とうとする兵士に、テラントは無理矢理突っ込もうとしない。
後ろにいるティアとユファレートのことを考えているのだろう。
姿の見えないアランのことも、気にしているのかもしれない。
魔法で攻撃された時のため、ユファレートから離れすぎないようにしている。
ユファレートが兵士に魔法を浴びせないのも、アランの攻撃を警戒してのことか。
老朽化した建物で魔法を放つ危険性や、破裂音がヘイム・デロ・ツオサートの私兵たちを呼ぶことも考えているかもしれない。
時間を掛けすぎるのも、彼らを招くことになるが。
とにかく、アランを見付けるまでは慌てて仕掛けなくていい。
テラントは、深く踏み込んでこない兵士たちの槍を、楽々捌いていた。
ティアも、兵士の一人を相手にしている。
しばらく、武器がぶつかる音だけを聞いた。
「フォトン……」
魔力の波動を感知するのと、アランの姿を視野の中に捉えたのは、ほぼ同時だっただろう。
首を傾けて見上げねばならないような所に、アランはいた。
なんの手掛かりもないように見えるが、右の掌だけを壁に付け、体を支えている。
左手は、こちらに向いていた。
光が点っている。
「……ブレイザー!」
「ルーン・シールド!」
ルーアが発生させた魔力障壁が、アランが放った光線を受け止める。
不意を衝かれたかもしれない。
それでも、いくらか余裕を持って対応できた。
油断していなかったからこそだが、アランの魔法使いとしての実力の低さも要因になるだろう。
アランを発見したことにより、ユファレートが動いた。
「フォトン・ブレイザー!」
アランのものと比べると、威力も精度も数段勝る。
ユファレートが放った光線は純白に輝き、兵士を撃ち貫いていく。
三人だったから、なんとかテラントに対応できていたのだ。
『カラドホルグ』の光に、兵士の槍が断ち斬られていく。
ティアも、兵士を押し返していた。
均衡が、一気に崩れた。
押しきれる。
ルーアは、掌をアランに向けた。
壁にへばりついた状態で、かわせるものではないだろう。
アランが壁を蹴った。
右手と左手を交互に天井に付け、移動していく。
まるで、雲梯で身軽に遊ぶ子供のように。
猿が枝から枝に移る様子にも似ている。
(……なんだ?)
人間離れした動きに戸惑うが、取り敢えず魔法を放つ。
光球はアランを捉えきれず、天井に穴を空けた。
そこへアランは飛び込み、二階へと消えていく。
態勢を立て直すために後退していた兵士と、追撃しようとしていたテラントの間に、瓦礫が落ちる。
ルーアが放った魔法が原因か、アランが上でなにかしたのか、天井が大きく崩れていた。
身を翻し、兵士たちが階段を駆け登っていく。
ユファレートがその背中に杖を向けるが、魔法を撃つのは自重している。
階段が崩れては、ルーアとユファレートはともかく、ティアとテラントが上に行けなくなる。
「俺から行く!」
テラントを制し、ルーアは瓦礫を越えた。
階段を登れば、兵士が突き掛かってくるかアランが魔法で攻撃してくるかもしれない。
どちらだろうと防ぐ術を持つルーアが、先頭に出た方がいい。
「俺が初撃を防いでから、続いてくれ!」
アランたちの攻撃の的に、ルーアがなる。
テラントの反射神経、ユファレートの魔法に対する反応速度ならば、直後の反撃で決着を付けられる。
二階に上がる。
ここも、がらんとしていた。
アランたちの姿はない。隠れられる場所もない。
更に階段を上がる。
魔法による霧が、辺りを覆っていた。
「……俺のことを、未熟な魔法使いだと思うか?」
霧の向こうから、アランの声が聞こえる。
まるで、霧の先へと誘うかのように。
剣の先を、声が聞こえてきた方に向ける。
「……自覚しているさ。俺は、未熟な魔法使いだ……」
未熟さを自覚している。
それは、自分の未熟さを知らない者より、遥かに手強いのかもしれない。
姿を隠しているのに、声を聞かせた。
愚行である。
だが、敢えて愚行を冒したのならば。
それはフェイントだろう。
頭上と並んで最大の死角である背後の警戒を、ルーアは忘れていなかった。
体を半回転させ、短剣を弾く。
(……?)
短剣を掴んでいるのは、手だった。
手首、上腕、肘と続く。
腕。異常に長くないか。
「リウ・デリート!」
ユファレートの魔法が、霧を消していく。
「……これは」
短剣を握っていたのは、アランの右手だった。
何メートルもある。
それが弧を描くようにして、ルーアの後頭部を襲ったのだ。
兵士たちが、横手からルーアに飛び掛かってくる。
代えの槍はないのか、手にしているのは剣である。
アランの腕に、ルーアが驚いていると判断したのかもしれない。
不意を衝けると。
だが、不意を衝くのはこちらである。
階段を駆け上がったテラントが、勢いのまま『カラドホルグ』を振る。
兵士二人の体が、横に割れる。
なんとか斬撃を受け止めた兵士の剣は、砕け散っている。
「止まって!」
階段から響くユファレートの声に、テラントは追撃を緩めた。
「フォトン・ブレイザー!」
床を貫き、光の柱が立つ。
なんとかテラントから距離を取ろうとしていた兵士が、光に呑まれ消えていく。
慣れ親しんだ魔力の波動。
それがシーパルのものだと、ルーアにはすぐにわかった。
宿に戻ってきたのだろう。
デリフィスやダネット、ナーシィーも一緒かもしれない。
宿に近いこの廃ビルで使用されている魔法を、感知したのだろう。
天井の向こうにいる敵を撃ち抜くことも、シーパルにならできる。
ヨゥロ族の特性なのか、死角にいる者のことも把握してしまうのだ。
「ガン・ウェイブ!」
アランの魔法が、天井を砕いていく。
「フレン・フィールド!」
ユファレートが力場を、ティアやテラントも包み込むように拡げ、瓦礫を受け止める。
アランの両腕が伸びた。
崩れた天井の淵を掴むと今度は縮み、アランの体を上へと引き上げていく。
四階へと消えていった。
「ゴムか、あいつは!」
瓦礫が邪魔をし、ティアたちはすぐに身動きが取れない。
ルーアは一人で階段を上がっていった。
四階。アランはいない。
ここも、天井に穴が空いている。
五階へと上がる。
短剣が飛んできた。頭上からである。
剣で弾く。
天井から天井へ。
アランが、ルーアの頭上を移動していた。
「猿かお前は」
アランが、右腕を振る。
本来なら間合いの外だが、その腕が伸びる。
刃物など持ってはいないが、念のためルーアは跳んでかわした。
アランが何者なのか、もう見当は付いている。
拳にどんな力があるか、わかったものではない。
空振る右腕を見送る。
「だから、ゴムかお前は」
アランが、左手を向ける。
掌に、円形のものがいくつかある。
吸盤のように見える。
それが壁や天井に吸い付くことにより、アランの変則的な移動を可能にしていたのだろう。
「蛸かお前は」
「ライトニング・ボルト!」
電撃を、ルーアは魔力障壁を発生させて防いだ。
足下を狙い、伸びる腕が振られる。
後方に跳躍してかわす。
「ル・ク……」
足の裏が地面に触れると同時に、ルーアは構成していた魔法を解放した。
アランの表情に、驚愕の色が浮かぶ。
ルーアの周囲に、次々と光の弾丸が生まれていく。
普段ならば、二、三十発ほどか。
今は、百発ほどが浮かんでいる。
いつもの約三倍、それも発動速度をほとんど落とすことなく発生させた光弾の群に、下半身が震える。
わざわざ向こうからのこのこ現れたのだ。
ここは、無理をしても仕留めておきたい。
最悪逃したとしても、傷を負わせるなり足止めなりすれば、他の者が駆け付け倒してくれる。
「……ウィスプ!」
光弾を、解き放っていく。
アランがへばりつく天井に、小さな穴を穿っていく。
「うおおおおっ!?」
逃げ惑いながら、アランが悲鳴を上げる。
砕けた破片に、視界が遮られていく。
掴みそこねたか、天井からアランが落ちる。
笑っていた。
「はっ……ふはっ! どうだ!? 全部かわしてやったぞ!」
「あっそ」
呟く。
必殺に近い魔法を放ち、だがルーアは止まっていなかった。
光弾の速度にばらつきがあることも、軌道にずれがあることもわかっていた。
魔法使いとして未熟なのを自覚しているのは、アランだけではない。
落下地点を予測し、動き出している。
慌ててアランが、両手を天井に伸ばす。
体が、上へと跳ねる。
しかし、ルーアの剣はアランを捉えていた。
床に落ちるのは、アランの右足。
足を一本失ったショックか、痛みのためか。
アランが、天井から落下する。
右足を膝から失い、床を転がっている。
「足……足がっ……」
「……意表を衝いたつもりかもしれねえけどよ。悪いけど慣れてんだ、俺たちは。お前たち、『悪魔憑き』にはな」
アランは、元『コミュニティ』。
『悪魔憑き』だと考えて、まず間違いはないだろう。
脂汗を顔中に浮かべたアランが、睨み上げてくる。
ルーアは、冷たく見下ろした。
「足一本斬り落とされたくらいじゃ死なないことも、知っている」
慎重に、アランに近付いていく。
まだまだ戦闘可能な傷である。
油断はできない。
体を震わせながら、アランは手を上げた。
光が宿るが。
それが、敢えなく霧散する。
この階まで上がってきていたユファレートが、アランに杖を向けていた。
負傷のためか隙だらけになったアランの魔法の構成に、強引に解除の魔法で干渉し、消し去ったのだ。
テラントやティア、シーパルも、階段を上がってきた。
血塗れになったアランが、自嘲とも取れる笑みを浮かべる。
「……侮っているつもりはなかった。逃げられる算段があった。自信もあった。……それが、侮っていたということなのだろうな」
うなだれ、戦意を喪失しているようにも見える。
それでも、ルーアは気を緩めなかった。
剣先を向けたまま、近付く。
「……取り敢えず、お前らが企んでいることに俺たちは関わっていないと、ヘイム・デロ・ツオサートの私兵たちに証言してくれないか? 約束してくれるなら、命まで取りはしないけど」
無実を証明できれば、それでいい。
国の転覆など企んでいるのなら、国に裁かせればいいのだ。
『コミュニティ』を裏切った者たちである。
あの組織が、無実の証拠をでっち上げることもないだろう。
「……ルーア、あれ!」
ティアが、窓から半ば身を乗り出している。
「……なんだよ?」
「追っ手来た!」
「マジかよ……」
いい加減鬱陶しい。
これだけ音を立て戦えば、人を呼ぶのも無理はないが。
すでに、階段を駆け登る足音も聞こえる。
それに、気を取られたかもしれない。
身を翻すアランへの反応が、一瞬遅れた。
腕が伸び、窓を突き破る。
隣の建物に、吸盤のある掌が吸い付く。
腕が縮みだす。
そしてアランの体は、パチンコで弾かれた玉のような勢いで、窓から外へ飛び出した。
「あっ! この野郎!」
魔法で狙撃したいが、距離を取られた。
一撃で仕留めるのは難しい。
ユファレートやシーパルは、前にいるルーアが邪魔だっただろう。
「もういい! 逃げるぞ!」
それでも魔法を放とうとしたが、テラントに止められる。
追っ手の足音は、すでにすぐそこまで迫っている。
ヘイム・デロ・ツオサートの私兵たちなのだろう。
アランの片足が転がっているが、誤解を解けるかどうか。
ルーアたちはアランの仲間だと、思い込んでいる連中なのだ。
仲間割れがあったと解釈するだけかもしれない。
「ディレイト・フォッグ!」
ユファレートが、魔法で霧を発生させる。
シーパルと、その肩を掴んだテラントが、窓から飛び降りる。
飛行の魔法の魔力の波動を感じた。
ユファレートも窓に駆け寄り、飛行の魔法を発動させる。
霧の中、ユファレートにしがみつくティアの姿がなんとか見える。
飛行の魔法の制御は難しい。
人を一人抱えながらでは、かなり速度が落ちる。
それでもユファレートとシーパルである。
それなりの速さで飛行できるのだろう。
シーパルとは一緒ではなかったのか、デリフィスたちはいない。
全員の脱出を確認してから、ルーアもビルを飛び降りた。
重力を中和し、無事着地する。
さすがはユファレートというところか、霧の魔法の効果は地上にまで及んでいた。
近くにいる者たちの顔を判別するのも時間が掛かるくらい、視界が悪い。
一人で逃げるルーアにとっては、有利に働く。
ビルを包囲していたヘイム・デロ・ツオサートの私兵たちが、何人か掴みかかってくるが、ルーアはあっさりかわした。
離れた場所にいる者は、すでに誰が誰だか判断できなくなっているだろう。
視界の悪さに、転ぶ者がいる。
それを跳び越え、ルーアは飛行の魔法を使った。
ヘイム・デロ・ツオサートの私兵たちを置き去りにする。
追っ手を撒いてから、ルーアは魔法を解除した。
みなとはぐれてしまったが、合流は難しくない。
ルーアたちは魔法が使えて、ヘイム・デロ・ツオサートの私兵たちは使えない。
シーパルの魔力の波動を感じた。
なにか魔法を発動させているのではなく、ただ魔力を垂れ流している。
間違いなく、ルーアとユファレートに対する合図だろう。
それを頼りに、ルーアは街中を移動した。
ティアはユファレートと、テラントはシーパルと、それぞれ一緒にいるはずだ。
合流できる。
そして、ヘイム・デロ・ツオサートの私兵たちに、シーパルが魔力を放出していると気付ける者はいない。
魔法とは大きな力であり、素質がある者は稀少だった。
魔力が視認できるというだけで、色々と優遇されることもある。
魔法使いとしての素質がある者ならば、魔法の使用を禁じているような集団に入り込んだりしないだろう。
アランは感知したかもしれないが、重傷を負ったばかりの状態でのこのこ現れるとは思えない。
ほどなくして、ルーアは他の者たちと合流した。
「無事だな? まあ、聞くまでもないが」
確認してくるテラントに、ルーアは頷きだけ返した。
「……にしてもあの野郎。なにが『友人』だ。関係ない俺を巻き込みやがって。セコくて汚い奴だ」
「……あれ? でも確かルーアって、わたしたちと会ったばかりの頃、『知り合い知り合い。友達。大親友』って言って、厄介事にわたしとティアを巻き込んだことが……」
「……知的でお洒落な奴だ」
「そんなことよりもさ……」
ティアは、周囲を気にしている。
戦闘で緊張していたのか、シーパルが一人で戻ってきたことに気付いていなかったのかもしれない。
「デリフィスたちは? 一緒じゃなかったの?」
「それなんですけど……」
ヨゥロ族であるシーパルの肌は青白いが、今は頬がやや赤見を帯びている。
息も上がっているようだ。
ヘイム・デロ・ツオサートの私兵たちを撒くために走り回った、というだけのものではないだろう。
宿まで走って戻ってきたのかもしれない。
ならば、急がなくてはならない事態でも起きたということだ。
「……警察にも知らせましたが……すぐに動くとは思えませんので……とにかく、みんなに連絡を……」
そこで小さく咳き込むシーパルの背中を、テラントが叩く。
「少し落ち着け」
頷いて、シーパルは深呼吸を何度かした。
そして、呼吸が落ち着いたところで、事情の説明を始めた。