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雨中の探索

雨が続いている。これで、三日連続になるか。


水嵩が大幅に増したため、水路沿いに暮らす人々は自主的に避難を始めているらしい。


街の近くを流れる川の氾濫も、懸念されている。


ルーアたちの旅は、このハオフサットで滞った。


急ぎの旅ならばともかく、雨が降れば普通は、宿でゆっくりするものだ。


「鬱陶しいな……」


ルーアは、声に出して呟いた。

窓に近付き、外を確認する。

傘を差した男が、路地裏に身を隠すのが見えた。


見張られている。酔っ払ったティアたちに振り回され、アランという者について問われたあの晩から、ずっとだ。

雨よりも、余程鬱陶しい。


『坊っちゃま騎士団』などと揶揄されている、ヘイム・デロ・ツオサートの私兵たちだろう。


宿の宿泊客の中にも、それらしき者が二人いる。


掴まえて、俺は無関係だと言ってやろうか、とも思う。


だが、そんなことをしても疑いは晴れないだろう。


一度猜疑心を持たれたら、潔白の証明は簡単にできないものだ。


暇潰しに、ルーアはぶらりと部屋を出た。


暇を持て余しているのは、他の者たちもである。


街中では、本格的な剣や魔法の訓練などできはしない。


訓練場などと気の利いたものが、宿にある訳もない。


みんな、のんびり過ごしているようだ。


唯一、ダネットだけが忙しく動き回っていた。


アランという者について、情報を集めているのである。


国王暗殺を計画しているとかいう話だが、ルーアは余り信じていなかった。

どうにも嘘臭い。


仮に事実だとしても、成功するとは思えない。


すでに、名前と計画が発覚しているということなのだから。


ついでに、興味がない。

この国の揉め事であり、直接的に自分たちとは関係ないからである。


意外にも喰い付いたのが、ダネットだった。


噂を鵜呑みにしたのではないだろう。


もし事実だったら、ということを考えているのだ。


大事である。上手く絡めば、国から大金を受け取ることも有り得る。

つまり、宝くじ感覚なのだろう。


廊下を歩く小さな人影に、ルーアは手を上げた。


会釈で返してくる。ナーシィーである。

やはり、暇そうにしている。


「オースターを見なかったか?」


会ったついでに、ルーアは聞いた。


今朝は、少し寝坊した。

食堂で、みなと顔を合わせていない。


他の者とは廊下で擦れ違ったり部屋で話したりしたが、ティアだけは見掛けていないような気がする。


ティアのことは、いつも気になる。

ずっと近くにいて欲しい。


だって、少し眼を離すと必殺料理を作るから。


「……オースター?」


ナーシィーが、怪訝な顔をする。


「オースターって?」


「オースターはオースターだろ」


言って気付く。


最近、ティアとの会話が減っているような気がする。


もしかしたら、ナーシィーの前でティアのことをオースターと呼んだことが、まだないかもしれない。


「……ティア・オースターだ」


「……ああ、ティアさん」


なにか新しい物を発見したかのような表情で、ナーシィーが頷く。


「ティアさんなら、さっき……」


「ああ」


「調理場から包丁とかまな板とか借りて、部屋に……」


「ええいっ!」


聞き終える前に、ルーアは駆け出していた。

急がなくては、手遅れになる。


ティアが借りている部屋の前に辿り着き、ルーアは扉をノックしようとした。


話し声、というよりも喚き声が聞こえてくる。


「駄目よ、ティア! もう手遅れだわ! パン君もハム君もチーズちゃんもレタスちゃんも助からないわ!」


「平気よ! 四人が一つになることにより、サンドイッチ君に昇華するんだから!」


なんか、おバカな会話が聞こえる。


「それに最近、あたしも料理の腕を上げてきたし……」


「……えっ? ……ティア、なにを……ああ、なるほど。冗談を言ってるのね……って、こんな反応したら、まるでティアが滑ってるみたいよね。……あはは、ティア、面白~い」


「変な愛想笑いやめて! ……あのね、ユファ。あたしは別に、冗談を言ってるつもりは……」


「大丈夫だからね、ティア! ティア、滑ったことない! ティア、滑り知らず! ティアのギャグには、いつもみんなが大・爆・笑!」


「やめて! フォローに見せ掛けた芸人殺しになってるから、それ!」


(えーっと……)


関わらない方がいいような気もするが、今はユファレートが必殺料理の完成を阻んでいるところだろう。


ならばここは、ユファレートと協力するために、踏み込む。


着替えている最中ということはないだろう、御座なりなノックをして、ルーアは扉を開いた。


部屋の中央に、テーブルが置かれている。


そして、なんとかテーブルへと向かおうとしているティアと。


それを阻むために、背後からティアを羽交い締めにしているユファレートがいる。


テーブルの上にはまな板が、更にその上には、食材と、サンドイッチの形状をした物体が二切れ。


「あ」


ルーアの入室に、ティアがサンドイッチ擬きになんとか指を向ける。


「いいところに。ルーア、あ」


「断る」


「なんで『あ』ってとこで断るのよ!? 『味見』って言わないかもしれないじゃない! 『アナコンダ』って言うかもしれないじゃない!」


しかし、アナコンダと言う要素がない。


とにかく、完成前に駆け付けて良かった。


これで、今回は危機を回避できる。

ルーアは、遠慮なくゴミ箱の蓋を開いた。


「ちょっとぉ!」


まな板を傾けるが、サンドイッチ擬きは転がり落ちてくれない。


かぴかぴにこびりついているようだ。


「なにすんのよ! せっかく作ったのに!」


「……作って、それでどうするつもりだ?」


「それはもちろん、ルーアに味見を……」


「やっぱ捨てる」


へばり付いたサンドイッチ擬きを、なんとかまな板から引き剥がす。


「あーっ! あーっ! あーっ! 酷い! 外道よ、畜生よ!」


「……うるせえ。うぜえ……」


ルーアは、深く溜息をついた。


「……わかったよ、オースター。これから質問する。俺が納得できる答えを返してくれたら、味見してやるよ」


「ほんと!?」


眼を輝かせるティア。

獲物を前にした殺人鬼の眼に似ているような気もするが。


「……えっと、だな。このサンドイッチ? ……サンド……イッチ? サンドイッチだと?」


「もっと自信を持って!」


「……このサンドイッチなんだが」


「うん」


「……なんで、こんな真っピンクなんだ?」


そう、ティアがサンドイッチだというそれは、絵の具を塗り付けたように、パンも具もピンク色をしていた。


ティアが、ユファレートに羽交い締めにされたまま、器用に小首を傾げる。


「可愛いかなって」


「……廃棄決定」


「んああああっ! いじわるっ!」


「……どっちがいじわるだよ。なんで俺が、いつもいつもこんな危険物を……普通は、味見って自分でするもんだろ……」


そこまで言って、はたと気付く。

ティアは今、身動きが取れない。


「……ユファレート。ちょっとそのまま、オースターを押さえ込んでてくれ」


サンドイッチ擬きを掴み、ティアに近付いていく。


「ちょっと、まさか……やー! 来るな、変態! むぐっ!?」


喚くティアの口に、サンドイッチ擬きを捩じ入れる。


そして。


「……ねえ、ルーア。ティア、本気で落ち込んでるわよ」


床に座り込み俯いているティアの肩を叩き、ユファレートが言う。


「……いや、まあ。さすがに少しやり過ぎたかなーっとか思うが。俺はいつもその理不尽な攻撃を喰らっている訳で……」


「なんか、ちょっと泣いてるし」


「う……」


ユファレートだけでなく、ナーシィーからも非難の視線を向けられているような気がする。


「あのな、オースター……」


「うう……今度寝てる時に、鼻からスープを……」


「……」


謝る気が、一気に失せる。


「……まあ、いいか」


これに懲りて、料理をしなくなってくれればいいが。


「……あの、いいですか、ルーアさん」


遠慮がちに、ナーシィーが手を上げる。


「ん? なんだ?」


「気になったんですけど……なんでティアさんだけ、名前じゃなくて名字で呼ぶんですか?」


余計なことを聞くな、少年。


「いや、べつに……」


逃げ出したい気分で顔を逸らすが、それによりユファレートと眼が合ってしまった。


ルーアがどう答えるか、興味津々といった顔である。


ティアも、ちらちらとこちらを盗み見ていた。


「……そっちの方が、かっこいいだろ」


「……はぁ」


「キラキラネームみたいで」


「それバカにしてるでしょ!?」


ティアが叫びながら顔を上げる。


「してねえよ。かっこいいって言ったんじゃねえか。スターて」


「やっぱりバカにしてる!」


「て言うかお前、嘘泣きかよ……」


「うっ。違うわよ! え~ん、ユファ~」


「付き合いきれねえ……」


嘘泣きを再開するティアと、ティアに抱き着かれ身動きを封じられたユファレートを残し、ルーアは部屋を出た。


「ん?」


階下からだろう、怒鳴り声がする。

ダネットだ。ナーシィーを呼んでいる。


拭く物を持ってこい、と言っているようだ。


慌てて、ナーシィーが自分の部屋に戻る。


「……あれ? ダネットさん、なんか不機嫌?」


ティアが、ユファレートに抱き着いたまま、ぽつりと呟く。


扉を開き、デリフィスが廊下に顔を出している。

ダネットとの付き合いは長い。

なにか、感じるものがあったのかもしれない。


タオルを持ったナーシィーが、廊下を駆けていく。


少年の足音と雨音が、調和して聞こえた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


苛立ちを隠さず、ダネットはナーシィーの顔にタオルを叩き付けた。


適当に酒を注文し、部屋に運ぶ。

考えを纏めるためには、他人の視線が邪魔だった。


部屋に篭り酒を口に入れると、少し落ち着いてきた。


(……どういうことだ?)


アランという男について、調べた。

王の暗殺を企てているとかいう話だが、信じた訳ではない。


だが、事実だとしたら。

懸かっているのは王の命である。

黒幕は、王族の誰かかもしれない。

とてつもない儲け話に繋がる可能性だってある。


隠された財宝といったような胡散臭い噂にも、取り敢えず喰い付くのが自分だった。


調べるうちに、おやと思った。

アランには協力者がいるというのだ。


名前は、ジョサイア・フォルジャー。

アランと同じく、元『コミュニティ』の一員である。


根も葉もない噂に、協力者の存在が浮かぶものなのか。


計画は事実であり、事が進んでいるということかもしれない。


情報屋から得た情報だが、まともな買い方ではなかった。


情報屋には情報屋の、ルールというものがある。


情報によっては、いつから売り出すか情報屋同士で話し合われて決められる。


ダネットは、まだ売り物になっていない情報を、半ば脅して聞き出したのだ。


顔と名前が知られ、しかも乱暴な傭兵として有名なダネットだからこそできるやり方だった。


警察や軍も一応動いているだろうが、ジョサイア・フォルジャーのことはまだ知らないかもしれない。


『坊っちゃま騎士団』も知らないだろう。


紳士ぶってる連中にできるやり方ではない。


とにかく、協力者の存在がちらつくことにより、ダネットは噂に対する興味を強く持つようになった。


調査を続けることにしたのだが。


更なる協力者の存在を聞いた。


ネイト・ホルツマン。

父の名である。


(……国王暗殺なんてふざけた計画に、親父が加担している……?)


扉をノックされ、ダネットは顔を上げた。


訪れて来たのは、デリフィスだった。


「……なんだ?」


「只酒を飲みに来た」


「そうかよ」


部屋に椅子は一つしかない。

自身は寝台に移り、ダネットはデリフィスに椅子を蹴って譲った。


積極的に他人と関わりたがる男ではないが、デリフィスなりにダネットのことを気遣っているのかもしれない。


持参したグラスに自分で酒を注ぎ、デリフィスは一気に煽った。


「ナーシィーだが」


「おう」


「どういう風の吹き回しだ?」


「どういう意味だ」


「とても傭兵に向いているとは思えん」


「おう」


それは、ダネットも感じていた。


一言で済ませれば、センスがない。


いくら鍛えても、それなりの傭兵にしかならないだろう。


いつかどこかの戦場であっさり死んでしまう、平凡な傭兵である。


デリフィスのような傭兵になることは、絶対にない。


ダネットのようにもなれないだろう。


足手纏いでしかなく、いつかダネットを窮地に陥れることになる存在かもしれない。


「……まあ、子分にしちまったからなぁ」


相棒などというものではない。

ただの子分である。


戦場に連れて行けば恐怖で泣き出すような、役に立たない子供に過ぎない。


それでも傭兵などやっているのは、施設にいる弟のために、金がいるからだ。


情けなく泣くものだから、つい言ってしまった。

兄貴だから、弟を守れと。


(……そうか)


子分である。つまり、弟分だった。

守ってやらなくてはならない。


「……あいつのことはいい。それよりもだ……」


ダネットは、話題を変えた。

アランを調べるうちに浮上した、ジョサイア・フォルジャーという者のことを話す。

父親の名前は出さなかった。


「……どう思う?」


「……」


デリフィスは、空になったグラスを弄びながら、考え込む顔をしている。


「……少し、気にはなるな」


「なあ?」


「それで、更に首を突っ込む気か?」


「そのつもりだ」


「そうか」


デリフィスが瓶に手を伸ばすが、その前にダネットは自分のグラスに酒を注いだ。

最後の一杯である。


ダネットのグラスの酒から、窓へと眼を移すデリフィス。


「……雨が降っている間は暇だ」


「……で?」


「付き合ってやらないこともない」


「……金なら出さんぞ」


「構わん。暇潰しだからな」


デリフィスは、昔と比べると少し変わった。


他人が行っていることに、関心を持とうとはしない男だったはずだが。


やはり、気を遣われているのかもしれない。


雰囲気が、多少和らいだような気もする。


それは、共に旅をする者たちの影響があるからだろう。


知っている者が、知らないうちに変わっていく。


月日が経過するとは、そういうことなのかもしれない。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ジョサイアは、王都ハオフサットを訪れていた。

状況を確認するためである。


「……やはり、『コミュニティ』の策略か」


「そうだな」


アランが頷く。


古いアパートの一室であり、アランが隠れ家としている所だった。


ジョサイアもアランも、元々は『コミュニティ』の一員で、同じ部隊に所属していた。


ジョサイアが副隊長で、アランが隊員である。


五年ほど前、ジョサイアたちが所属する部隊は、立て続けに任務を失敗した。


これは、当時隊長をしていた老人が無能だったからである。


個人としての戦闘能力はなかなかのものだったが、部隊の指揮能力は平凡だった。


ジョサイアが指揮を執っていれば、失敗などなかっただろう。


老人は、若いジョサイアの助言を聞こうともしなかった。

そして、部隊は任務失敗を重ねた。


やがて、部隊は任務を与えられなくなった。


日毎に、部隊の者が減っていく。

周囲にいる者が、元は死体である兵士ばかりになった。


ジョサイアが身の危険を感じた時は、すでに手遅れだった。


何者かに押さえ込まれ、ジョサイアは実験場に放り込まれた。


同じ部隊に所属していた者たちもいる。


役に立たない者たちという烙印を組織に押されたジョサイアたちは、モルモットとして扱われることになった。


実験が行われた。

『悪魔憑き』と呼ばれる人体実験である。


次々と仲間たちが死んでいく。

隊長だった老人も死んだ。


ジョサイアとアランだけが、一命を取り止めた。


力を得た。だがそれは、人間を失って得たものだった。


『悪魔憑き』になれず死んだ仲間たちが、眼を開く。

動く死体、兵士として。


警備が薄い日を狙い、ジョサイアとアランは行動を起こした。


実験で得た力で、元は仲間だった兵士たちを連れ警備を破り、実験場を脱出した。


組織を裏切った形だが、抗うつもりなどない。


自分たちだけではどうにもならないほど大きな存在だと、ジョサイアもアランもわかっている。


ひっそりとでも生きていければ、それでいい。


だが、あの女がハオフサットやレフグレの街に現れるようになった。


『死神』ソフィア。『コミュニティ』を裏切った者たちを処分することを役割としている女である。


自分たちを殺しに来たのだろうか。

不安に駆られるなか、訪れる者があった。


ネイト・ホルツマンという大きな体をした魔法使い。


その男は、ジョサイアには理解できない特別な力を持っていた。


ジョサイアたちのことを、『コミュニティ』に所属している者にだけ認識できないようにしたのである。


試しに『コミュニティ』のアジトに近付いてみたが、見張りたちは誰一人として、ジョサイアの存在に気付かなかった。


安全性を得たのかもしれない。『コミュニティ』に対しては。


しかし、おかしな噂を聞いた。

アランが、王の命を狙っているなどという、馬鹿げた噂である。


そのため、ジョサイアはアランの元を訪れたのだ。


「俺たちは、『コミュニティ』の構成員には見えない存在になった」


アランが、頬の傷を撫でながら言った。


「だから奴らは、有らぬ噂を流したのだろう。警察を動かすために。俺たちを、政府に処分させるために」


「そうか」


大変な事態ではあるが、ジョサイアはまだ落ち着いていた。


軍や警察を甘く見てはいないが、『コミュニティ』や『死神』に比べたら、気楽な相手である。


「街を出た方がいいな。だが、すぐには難しいか」


ジョサイアは、足下に眼をやった。

地下室には、仲間たちの成れの果てである、兵士たちがいる。


食事も採らない彼らであるが、待機するための空間は必要になる。


地下室がある家を、このハオフサットにアランはいくつか持っていた。

それぞれに、兵士を潜ませている。


ジョサイアとアランだけなら、街を離れることはできる。


だが、兵士たちを連れてとなると難しいだろう。


大人数だと、人眼を集める。

何度かに分けなければならい。


それだけ街の出入りを繰り返すということであり、その記録が残る。


偽名を使っても、見破られる可能性がある。


門番が、ジョサイアたちの顔を覚えるかもしれない。


軍や警察に情報を与えることに繋がる。


「まあ、時間を掛けてやるしかないな。ところでジョサイア、そのネイト・ホルツマンはどこにいる?」


「わからん。街までは一緒だったが。ここに来る途中に、いなくなった」


「……信用できるのか?」


「その力で、『コミュニティ』の追っ手を撒いたのは事実だ」


「……目的は?」


「……それも、実はよくわからん。どうにもぼんやりとしていてな」


息子の中に、『化け物』がいるということだった。


それが『コミュニティ』に渡ると、まずいことになると。


息子を守りたいのか、処分したいのか。


ジョサイアやアランを、なんらかの形で利用しようとしているのだろう。


「……奴については、後で話す。まずは、今後どうするか決めよう」


「俺たちに最も近付いてきている者は誰だと思う、ジョサイア?」


「……警察ではないのか?」


「ダネットという、傭兵だ」


「……傭兵?」


傭兵ということは、誰かに雇われてジョサイアたちのことを嗅ぎ回っているのだろうか。


雇い主は、『コミュニティ』なのではないか。


「そのダネットについて、俺は少し調べた。なに、傭兵としてはそこそこ名前が売れている奴だから、すぐに色々とわかった」


「……それで?」


「相棒がいるが、まだ子供だな。そしてその子供の弟が、ある施設にいる。その辺りが、ダネットという傭兵のアキレス腱になるのではないかと、俺は読んだ」


「なにかしたか?」


「ちょっとしたデマを流したのさ。これで、遠ざかってくれればいいが」


傭兵であるという。

情報を集めることはできても、虚偽の見極めを正確に行うのは難しいだろう。


長い間情報屋として生きてきたアランのように、情報操作などもできない。


「邪魔者を遠ざけてから、街を脱出だな」


ジョサイアはレフグレで、アランはハオフサットで、それぞれ情報を集めて生きてきた。


それは、危険を事前に察知するためだ。


『コミュニティ』の追っ手の影に、毎日怯え生きてきた。


ネイト・ホルツマンの協力により、やっとそれから解放されようとしている。


傭兵などに邪魔されて堪るか、とジョサイアは思った。


◇◆◇◆◇◆◇◆


雨が続いている。

といっても、大分小降りになってきたが。

これなら、旅を再開できるだろう。


だが、デリフィスも外へ出掛けるようになった。

ダネットに付き合っているようだ。


アランを探しているのだろう。

雨の中、御苦労なことである。


デリフィスが納得するまで待っていようか、という気分にルーアはなっていた。


今更数日予定が遅れるくらい、どうってことはない。


なにしろ、二年も旅を続けているのだ。


次の日も、小雨が降り続けた。

テラントも、ダネットの人捜しに協力するようになった。

二人はなかなか馬が合うらしく、互いを呼び捨てにするようになっている。


人を捜すというのは、そんなに簡単なことではない。


対象が元『コミュニティ』の一員といったような肩書きを持つ者ならば、尚更である。


夜、宿に戻ってきた三人は、やや疲れた表情をしていた。


だが、同時に充実感のようなものも漂わせていた。


雨中の探索といえど、体を動かすのである。


宿に閉じ籠っているよりは、すっきりするのかもしれない。


ルーアは、雨に打たれるよりは宿でゆっくりしたかった。


しかし、暇そうにしているとユファレートが魔法談義を仕掛けてくる。


談義だと当人は言うが、一方的な講義だった。


訓練ならばいいが、ひたすら蘊蓄を聞かされるのである。


隙なく延々と知識だけを並べられ、トイレに逃げることも難しい。


数時間後にやっと解放されたかと思えば、今度はティアが手料理と称する物体を持ってくる。


フライパンで大根を切ろうとする意味がわからない。

なぜ包丁と間違えられる。


日々精神が削り取られていくのを、ルーアは感じていた。


シーパルも、宿を出ていることが多い。


屋根や壁のない山の中で暮らしていたヨゥロ族である。


雨で濡れても平気なのかもしれない。


新たな街や村を訪れると、シーパルはその土地で暮らす追放されたヨゥロ族に会いにいく。


同じ民族に迫害された者たちである。


ヨゥロ族族長の甥であるシーパルは、罵詈雑言を浴びているかもしれない。


苦悩しているかもしれないが、ルーアは放っておくことにしている。


シーパルは、自身の精神的苦痛を表情に出そうとしない。


本当に辛い時は、テラント辺りに相談するだろう。


次の日は、小雨が降ったり止んだりというような天気だった。


ルーアも、ダネットのアランについての調査を手伝うことにした。


宿にいても、ゆっくりできない。

それどころか、苦痛ばかりを味わうということに、ようやく気付いたのである。


シーパルも付いてきた。

この街で暮らす追放されたヨゥロ族との対面が、粗方終わったのかもしれない。


ルーアが不在となった宿に残れば、ユファレートの魔法談義やティアの手料理のターゲットになってしまう。

シーパルは、それを恐れたのだろう。


男たちが出掛けたことで興味を持ったか、ティアとユファレートも付いてきた。

ナーシィーも一緒である。

八人で街をうろつくことになった。


思い出したかのように降り出す小雨は、ユファレートやシーパルが力場の魔法を傘のように拡げ、遮ってくれる。


ダネットは、不機嫌そうだった。

迷惑そうな顔もしている。


理由は、暗くなってから訪れた店の前で知れた。女や子供は、邪魔なのである。


市街地の裏通りだった。

ピンクや紫に塗装された看板。

外まで漂う、酒、そして濃い煙草の匂い。

下卑た会話や、嬌声のようなものも聞こえる。


「ここって……」


ティアに、袖を掴まれる。


「スケベ屋さん?」


「スケベ屋さんってな……」


従業員の大半が女であり、客は男ばかりなだけの、ただの飲酒店である。


「情報によれば、三年くらい前、アランはここに通いつめていたらしい」


「ならば、仕方あるまい」


ダネットの言葉に、デリフィスが頷く。


「ああ、不本意だが仕方ない」


テラントも、真顔で頷く。

その横で、シーパルはなにやらそわそわしていた。


「と言う訳で」


ティアとユファレートと、そしてナーシィーに告げる。


「君たちは、外で待ってなさい」


「えーっ?」


露骨に不満そうな声を上げるティア。


「当然だろ。ここは、ある程度の年齢に達した男が、酒を飲む店だ」


「ルーアだって未成年なくせに」


「なに言ってんだ。ザッファー王国では、十八歳の飲酒は認められているんだぞ」


すでに他の者たちは、ダネットを先頭に店内に足を踏み入れている。


「じゃ、そういうことで」


ティアとユファレートとナーシィーを残し、ルーアも四人に続いた。


背後からは、ティアがぶつくさ文句を口にしているのが聞こえる。


女や子供である三人を裏通りに残すのも危険な気がするが、まあ大丈夫だろう。


ユファレートという強力な魔法使いがいる。


ティアも、チンピラやならず者の二人や三人は、軽くあしらえるだろう。


(煙草臭っ……)


店に入り、ルーアはまずそれを気にした。


喫煙の規制が厳しいザッファー王国では、愛煙家は肩身の狭い思いをしている。


その鬱憤は、こういった場所で晴らされているのかもしれない。


煙草の煙で、店内はかなり視界が悪かった。


なにやら香も焚かれているようだ。


なんとなく、淫靡な効果がある香のように思える。


いくつかのテーブルや椅子に、カウンター。

これは、どこの酒場でもほぼ共通だろう。


客は、全員男だった。

それに、濃い目の化粧をした女性従業員たちが酒を注いでいる。

客の首に腕を回している者もいれば、膝に腰掛けている者もいる。


女性従業員たちは、半裸だった。

より具体的に言えば、下着姿にネックレスやブレスレットといった貴金属を身に付けた格好である。


ダネットは、すでに酒を注文していた。


テラントやデリフィスは、この手の店が初めてということはないだろう。


シーパルだけが、落ち着かない様子だった。


酒を運んできた女に、ダネットがさりげなく金を握らせる。


おそらく、事前に話を伝えていたのだろう。

すぐに別の女が連れてこられた。

その女にも金を渡し、ダネットは隣に座らせた。


女は愛想良く笑いながら、ダネットとなにやら話している。


他の客たちが大声で騒いでいるため細かい内容まで聞き取れないが、アランについて話しているようだ。


ダネットの隣に座っているテラントが、たまに質問を挟んでいる。


ドアベルが鳴るのが聞こえた。

新たに客が来たのか。


それだけなら気にしなかったが、店の雰囲気が一瞬変わるのをルーアは感じた。


何事かと、店の入り口の方に眼をやる。


口に含んだ酒を、つい吹き出しそうになってしまった。


入り口の扉を開いたティアが、堂々と仁王立ちしている。


外で待つように言ったはずだが、なぜ店の中に入ってくるのか。


問い詰めたところで、『なんか気になったから』と返されるだけだろうが。


(あの馬鹿っ……!)


ユファレートはもちろん、ティアも普通にしていればそれなりの見栄えである。


そんな二人がこんな店に入ればどうなるのか、わからないのか。


指笛や口笛が響いた。


ユファレートがまったくの無警戒で、男たちのいるテーブルの間をとことこと歩いていく。


飢えた狼の群れの中に、子羊が迷い混んだようなものである。


もっともその子羊には、城を吹っ飛ばせるくらいの力があるのだが。


案の定、にやけた顔の男たちが、無防備なユファレートに次々と手を伸ばしていく。


ルーアは、腰を浮かせた。

旅の連れという関係以上ではないのかもしれないが、それでもこんな酔っ払いたちに触れられるのは腹が立つ。


だがルーアが駆け付けるまでもなく、ユファレートの体に伸びる手を、びしばしとティアが払い退けていく。


更に、自身の尻を撫でようとする手も、ティアはひらりひらりとかわしていた。


しょうもない所で、しょうもないくらい見事な身のこなしである。


ナーシィーは、どこか申し訳なさそうな顔で二人に続いている。


結局、一切のお触りも許すことなく、ティアたちはルーアたちがいるテーブルへと辿り着いてきた。


「お前らなあ……」


隣に座るティアに、呻く。


「外で待ってろって……」


「だって、なんか気になったし」


「……」


ソファーに腰掛けたユファレートは、物珍しそうに店内を見回している。


同じソファーの端では、ナーシィーがぼんやりしていた。


意外と落ち着いているのは、こういう飲酒店に入ったことがあるからかもしれない。


ダネットなら、無理矢理連れていくということも有りそうだ。


「ねえねえ、なんかお客さん、男の人しかいないんだけど」


(当たり前だろ……)


ティアの言葉に、ルーアは内心溜息をついていた。


「お前ら、もしかしたら、この店始まって以来の、女の客かもよ」


また別の女が、テーブルに来ていた。

アランと関わりがあるのだろう。

ダネットが、色々聞いているようだ。


それまでダネットと話していた女は、顔立ちが整っているのに気付いたか、今はデリフィスにしなだれ掛かっている。


元々こういう所が似合うだろうと思っていたが、さすがにデリフィスは様になっていた。


酒を一気に煽り、空になったグラスをごとりと音を立てて置いた。


「あら、強いのね。次は、なにを飲む?」


「同じのを。ストレートでな」


注文する様子も、格好良く決まっていたりする。


ティアは、そんなデリフィスを感心して見ていた。


従業員が、小馬鹿にした笑顔をティアたちに向ける。


「お嬢ちゃんたちは、なにを飲むのかしら?」


「あたしたちにはミルクを。ストレートで」


逆にかっこ悪い。


「お前ら、もう帰れよ……」


ティアたちがいると、とにかく目立ってしまう。

それも、悪目立ちである。

これでは、ダネットの邪魔にしかならない。


「なんでよ? あたしたちを帰した後で、なにをするつもり?」


「……お前が考えているようなことはしないから、帰れ」


「ふぅん……。なんかさ、ルーアって意外とこういう店に慣れてる感じよね」


「……」


「なんで眼を逸らした?」


「……べつに」


「結構こういう店、来たりするの?」


「……前に、捜査とかで」


以前、リーザイ王国の特殊部隊『バーダ』に所属していた。


警察の仕事のようなこともしていたのだ。


犯罪者がこういう店の従業員と関係を持つことは、少なくない。


「……変態」


「……仕事だったっての」


捜査のために出入りしたことはあるが、私的な都合で訪れたことはない。


「じゃあ、仕事だから、下心とかなかったって言うの? 下着姿のお姉さんとか見て、やましいこと考えてたりするんでしょ?」


「わかってねえな、オースター」


ルーアは、小さく笑った。


「堂々と見せられたら、意外となんともねえんだよ。見えそうで見えなかったり、恥じらう姿が良いんじゃないか」


「え……なんで急に自分の性癖語りだしてるの? 気持ち悪い……」


「……」


咳払いが聞こえた。

ダネットのものである。


テラントも、横眼でルーアたちを見ていた。


うるさい。邪魔だから帰れ。そう言われているようである。


「ねえティア、ダネットさんの邪魔になるし、静かにしてようよ」


ユファレートがティアの耳元で、だが耳打ちにしては大きな声で注意する。


「そうね、ユファ。このところダネットさん不機嫌だったし。うるさくしたら怒り出すかもしれないし。もう、怒髪天を衝くような勢いで……」


「でも、ダネットさん髪の毛ないよ」


ティアにもユファレートにも悪気はないのだろうが。


これが、天然の恐ろしさである。


「うっはっは」


ダネットが、席を立った。

笑いながら、ティアとユファレートが座るソファーの後ろに回る。


こめかみにうっすらと青筋が浮かんでいることに、ルーアは気付いていた。


「ちょっと黙ってようか、お嬢ちゃんたち」


ティアとユファレートの肩に手を置き、それから背中を叩くダネット。


「ひゃっ……!?」


「……!?」


ティアとユファレートが、同時に身をすくませる。


「ああ、外したのか……」


テラントの呟きが聞こえた。


「な、ななな……」


ユファレートは、慌てた様子で胸を腕で押さえている。


(なるほど……)


どうやらダネットは、背中を叩いた一瞬に、二人の下着のホックを外したようだ。

なかなかの技である。


ばたばた足音を立て、ユファレートは女性用トイレ、というよりも従業員用のトイレに駆け込んでいった。


「か、返して……」


ティアは、長身のダネットに必死で片手を伸ばしていた。


もう一方の手は、スカートを掴んでいる。


ダネットがぶらぶらと弄んでいるのは、ティアのベルトだった。


「……すげえな!」


思わずルーアは、声を上げていた。


ルーアの眼には、ティアたちの背中を軽く叩いているようにしか見えなかった。


一瞬でホックを外し、尚且ベルトまで抜き取ったのである。


一体どうやったのか。

なかなかの技どころではない。

まさに神業である。


「なにを感心してんのよ!」


ベルトを取り返したティアに、怒鳴られる。


胸とスカートを押さえながらの不恰好な走りで、ティアも従業員用のトイレに消えていった。


「……僕の予想です」


シーパルが囁く。


「あとで絶対、とばっちりがルーアに行く」


「そう思う。しかし、華麗にシーパルを巻き込む俺」


「やめてください……」


邪魔者を排除したダネットは、すっきりした表情で聞き取りを再開していた。


金を握らされ上機嫌な従業員の女が口にしているのは、アランが以前暮らしていたというアパートの住所のようだ。


これは、かなりアランに近付いたのかもしれない。


他の客の視線を気にしながら、ルーアは口の中の氷を噛み砕いた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


聞き込みを終え、店を出るとすぐに、ダネットは宿に帰ると言い出した。


「……いいのか?」


ルーアは、怪訝に思った。


せっかく手に入れた新情報である。

すぐにでも、以前アランが生活していたというアパートに向かうべきなのではないか。


アランを捜している者は、他にもいる。


もたもたしていると、彼らに先を越されてしまう。


「いいんだよ。おい、デリフィス」


ダネットが、手にしたメモ紙をひらひらさせる。


「この住所だけど、わかるな?」


「……なにがだ?」


「なにがって、あれだ。この一帯って、ほとんど人が住んでねえだろ」


「……そうなのか?」


「そうだろうがよ。ほら、二年前に結構でかい火事があっただろ。それ以来、すっかり寂れたはずだ」


「……知らん。ここ何年か、ザッファー王国を離れていたからな」


「あー、そう言えばそうか」


デリフィスは、ルーアと出会う前から、テラントやシーパルと諸国を旅していたはずだ。


ザッファー王国の出来事に疎くなっても、仕方ないだろう。


「まあ、とにかくここは、寂れちまってんだよ」


「……いや、でも……だからこそ、じゃないか?」


ルーアは口を挟んだ。


警察の捜査の手伝いのようなことをしたことがある。


犯罪者や容疑者を追う時は、以前暮らしていた家などは、真っ先に調べるものだ。

しかも、寂れているという。

身を隠すには都合が良い。


「わかってねえな。如何にもって場所だろ? だからこそ、アランはそこを隠れ家にすることを避ける」


「……そういうものなのか?」


「そういうもんだ。ま、根拠なんてねえけどな。強いて言うなら、歴戦の傭兵の勘ってやつだ」


「……まあ、いいけど」


歴戦も傭兵も関係ないような気がするが、ルーアは突っ込まなかった。


アランを捜したいのは、ダネットなのである。


そのダネットがいいと言っているのならば、それに従うまでだった。


いまいち気分が盛り上がっていないことに、ルーアは気付いた。


アランたちが国王暗殺を企てているという噂はデマだとしか思えないし、仮に事実だとしても、他人事である。

遠くの火事を見ている気分だった。


「まあ、後回しだな。時間が空いたら、行くかもしれん。明日また、朝から情報屋と会う約束があるんだよ」


どこまでダネットは本気なのか、とルーアは思った。


信憑性のない噂のような気がする。

それにしては、ダネットは気前良く金を使っている。


ダネットが宿へ向かい出したので、みんなもそれに付いていった。


セクハラをされたティアとユファレートは、少し不機嫌そうである。


ダネットの荷物を持たされているナーシィーは、疲れた顔をしている。


宿に戻り、それぞれ食事を済ませると、それでこの日は解散となった。


一日街を歩き回り、結構疲れたのかもしれない。

横になると、すぐに眠れた。

宿に籠っていただけの前日までよりも、深く眠れたような気がする。


夜中に一度だけ眼が覚めた。

雨の音がしたことだけは、記憶に残っている。


朝になり、ルーアは寝台から身を起こした。


まだ、午前七時である。

暇な時は昼前まで惰眠を貪るルーアにとっては、随分な早起きだった。


一階の食堂に降りると、ティアとユファレートとテラントが食事をしていた。


「……他の連中は?」


「デリフィスならいない。ダネットに付いていったんだろ」


ティアとユファレートは、まだ機嫌が悪そうだ。


答えてくれたのは、テラントである。


「マジか」


朝から約束があるとは言っていたが、予想より早い。


「シーパルは?」


「見てないな」


いつも早起きなシーパルだ。

誰よりも早く目覚めていたのだろう。


そして、ダネットたちに付いていった。


おそらく、とばっちりを避けるために。


ナーシィーもいない。

また、ダネットの荷物持ちでもしているのだろう。


テラントたちがいるテーブルの席は、一つだけ空いていた。


テラントは、肩身の狭そうな顔をしている。


隣は、不機嫌そうなティアとユファレートである。


そして、空いている席は、テラントの対面だった。


ティアとユファレートに挟まれる席になる。


「……まあ、座れよ」


テラントが、やや引きつった笑顔で席を勧めてくる。


こいつらの相手をしろ、と言わんばかりに。


ルーアは引きつった愛想笑いを返し、別のテーブルの椅子を引いた。


ティアに、ジャケットの裾を掴まれる。


「なんでそっちに座ろうとするのよ?」


とばっちりが来た。


「こっち座ればいいじゃない」


「いやぁ……」


どう切り抜けるか。


「……あー、腹減ってねえかな。別に朝食は……」


「駄目よ、ルーア。ちゃんと食べないと、頭が回らないわ」


「そうよ。ユファの言う通り」


「……」


ごく普通のことを言っているだけなのだが、どこか刺がある。


「……二人とも、そんな怒らなくていいんじゃないか?」


「……べつに、怒ってないわ」


どん、と杖の先で床を突くユファレート。


ティアも、頷いている。


「うん。怒ってない」


「……ある意味、女扱いされたわけで……オースター、お前なんか、外す手間が省けたじゃないか。元々、着けるほどないんだから……いっ!?」


足の甲を踵で踏み抜かれる。


「……お前は本気でフォローしてるつもりなんだよなー。すごいよ、ほんとに」


テラントが、感心したように言う。

少しほっとしたようでもある。

ルーアが来るまでは、とばっちりを一人で受けていたのだろう。


しかし、まだまだ安心できないはずだ。


また矛先が、テラントに向く可能性がある。


「……ああ、そうだ。テラント、あれだ……アパートの住所、覚えてるよな?」


はっと表情をテラントが変える。


「……お、おう。もちろん覚えているとも」


昨晩、ダネットの聞き込みに最も協力的だったのは、テラントだった。


アランが数年前に暮らしていたというアパートの住所を、はっきり聞いているはずである。


「いや実は、気になって仕方なかったんだよ。これは、朝飯を喰っている場合じゃない。よし、テラント。行こう、すぐ行こう」


「そうだな。行こう。今すぐ行こう」


ユファレートの伸ばした手をかわし、テラントは立ち上がった。


手早く会計をテーブルに置き、出口へと向かう。


ルーアも続こうとし、だが体に掛かる負荷に、足を前に出せない。

裾を掴まれたままである。


ティアは、空いた手でテーブルにしがみつき、足を椅子の脚に絡め踏ん張っていた。


そこまでして八つ当たりしたいのか。

なんて迷惑な女だ。


「……テラント!」


助けを求め、背中に手を伸ばす。


「すまん、ルーア! 俺だけは自由を掴み取る!」


あっさりと見捨てられた。


あと少しで、テラントは宿を出られる。


だが、魔力の波動を感じた。瞬間移動の魔法。


宿の出入り口に立ち塞がる、ユファレートの姿。


「わたしたちも一緒に行くから。いいよね、テラント?」


「……はい」


しょんぼりと、テラントは頷いた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


途中まで、乗り合い馬車を利用した。


他の客がいた方が、ティアやユファレートはおとなしいだろう。


二人と眼が合わないように、できるだけルーアは外を眺めるようにした。


路地裏に続く道に、死体が転がっていたりする。


その隣の通りでは、子供たちが球を蹴って遊んでいたりする。


ルーアの故郷であるリーザイ王国のミジュアも、治安については褒められたものではないが、このハオフサットの街はそれよりも更に酷い。


だが、市民たちはこんな環境に順応しているようだ。

幼い頃から、見慣れたものなのだろう。


そういうものかもしれない。


平和な街でテロが起きれば、新聞の一面で報じられることになるだろう。


毎日のようにテロや殺人事件が起きるような街では、紙面の片隅にも載らない。


大抵の環境に、人は順応できてしまう。


デリフィスやダネットの肝が座っているのも、当然であるような気がした。


馬車を降りた。三十分ほど揺られたか。


「おい、ルーア」


「……わかってるよ」


テラントの呼び掛けに、ルーアは頷いた。


後方に、馬車が停まっている。

ルーアたちが乗っていた馬車とは、別の物である。


ずっと付いてきていることに、ルーアは気付いていた。


ヘイム・デロ・ツオサートの私兵たちだろう。


未だにルーアがアランの仲間だと、勘違いしているのか。


「……どうするの? 昨日みたいに撒く?」


ティアに聞かれたが、ルーアは唸り声を上げた。


昨日は、撒いた。

ダネットに迷惑が掛かると思ったからである。


連日尾行を撒くと、ますます疑わしく思われるのではないか。


「……まあ、いいか」


これから向かうのは、アランが以前住んでいたというアパートである。


ダネットの勘では、外れだということだ。


余りにダネットが自信有り気だったため、外れなのだろうとルーアも思うようになっていた。


ならば、べつにヘイム・デロ・ツオサートの私兵たちにばれても問題ない。


大きな火事があったということだが、その影響か空き地が多いようだ。


家の土台だけが残っていることもあった。


商店街のほとんどの店が、閉まっている。

確かに、廃れている。


十分ほど歩き、アランが住んでいたというアパートに着いた。

通りから観察する。


無人のアパートだろう。

火事の被害があったのか、建物事態が傾き、上に昇るための階段は、焼き崩れているようだ。

盗まれてしまったのか、ほとんどの部屋の扉がない。

窓も、割られていた。


廃墟となったアパート。だが。


「あれって……」


一階の右端の部屋、暗がりから出てきた人の姿に、ユファレートが声を漏らす。


ルーアも、思わず呻いていた。


「……おい……おいおい……歴戦の傭兵の勘よ……」


ここにはいない、と自信たっぷりに断言していなかったか。


右眼の横から頬まで傷のある、中年の男。

アランだろう。


ルーアたちの気配を察したのか、こちらを見ている。


どうするか。

アランと眼が合い、ルーアは逡巡した。


国王暗殺を企てているなら、悪人である。

警察にでも突き出せばいい。


だが、そんな大それたことを、本当に考えているのか。


『コミュニティ』という組織は、敵である。


では、それを裏切った者はどうなのか。


状況によっては、味方になることもあるのではないか。


敵の敵は、味方か敵か。関わりを持たなければいいのか。


「ちょっと……」


ティアに、服を引っ張られる。


まだ遠いが、背後から複数の駆ける足音。

ヘイム・デロ・ツオサートの私兵たち。


アランが敵の敵ならば、彼らは敵の敵の敵になるのだろうか。


アランの眼に、敵意が宿る。

合図なのだろう、アパートの柱を、三回叩く。


他の部屋から飛び出す、十ほどの人影。


「……兵士か」


おそらく、動く屍となってから、かなりの日数が経過しているだろう。


距離があっても、日の光の下でぼろぼろになった肌がはっきり見える。


なんだ、この状況。

ルーアは、喚きたくなった。


前にアランと兵士たち、後ろにヘイム・デロ・ツオサートの私兵たち。


どちらが敵で、どちらが味方なのか。


アランが、指先をルーアたちに向ける。

兵士たちが、武器を構える。


「待て!」


制止のために、声を上げる。


「俺たちはべつに……」


「やめとけって」


そのルーアを止めたのは、テラントだった。


少し冷静になれば、誰でもわかる。

死体を引き連れているアランに味方をするということが、どういうことか。


アランが、身を翻す。

兵士たちが、武器を手に向かってくる。


もう、迷っていられなかった。

敵意を持ち向かってくるのだ。


九人。数えるつもりはなかったが、咄嗟に兵士の数を把握し、剣を抜きつつルーアは前に出た。


隣には、テラントがいる。

背後には、ユファレートが。


『フラガラック』を抜き、だがティアはユファレートの側を離れない。


それでいい。

わかっているティアに安心しつつ、ルーアは剣の先を上げた。


油断さえしなければ、これくらいの人数は、ルーアだけでも捌ける。


テラントがいれば、倍の人数がいても楽に勝てる。


ユファレートもいる。

三人できちんと連携すれば、この三倍の兵士がいても勝てるだろう。


ティアが無理して前に出る必要はないのだ。


接近戦を苦手とするユファレートの側にいてくれれば、ルーアやテラントは前の兵士たちに集中できる。


ユファレートは安心して魔法を放てる。


テラントが踏み出した。

『カラドホルグ』の光が、兵士の体を裂いていく。


右からの斧をかわし、左からの槍は弾き、テラントは半歩後退した。


(……こいつら……!)


兵士の剣を、剣で受け止める。

その間に、他の者はルーアの側面に回り込もうとしている。


はっきり言って、一人一人の動きは鈍かった。


時間の経過が関係しているのかもしれない。


だが、踏み込みが浅い。

そのため、攻撃にあまり脅威は感じないが、倒すのに数瞬手間が掛かる。


そして、連携が取れている。

個々の強さはいまいちだが、部隊としてはなかなかのものだということだ。


ルーアとテラントの間を、槍が通っていく。


ティアが、『フラガラック』で払い退ける。


ユファレートが、杖を上げた。


「ライトニング・ボルト!」


電撃が、兵士を撃つ。

貫く魔法に、兵士たちの陣形が乱れる。


敵の踏み出しが浅い分、いつもより大きく足を前に出し、ルーアは剣を振り上げた。

兵士の胸元が割れる。


腐敗臭に混ざって漂うのは、防腐剤の匂いか。


剣を返し、ティアに槍を突き出した兵士の首を叩き折る。


テラントが、『カラドホルグ』を一閃させる。

三人が一斉に吹っ飛んだ。

それぞれ武器で防いだようだが、三人とも尻餅を付いている。


これで、完全に崩れた。

あとは、一人一人確実に倒していけばいい。


「貴様ら、なにをしている!」


だが、背後から声を掛けられた。

ヘイム・デロ・ツオサートの私兵たちである。


「そうか。やはり貴様、アランの……」


ルーアは、舌打ちした。


「どんだけ節穴だよ……けしかけたのは、そのアランだろうが」


アランはすでに、姿を消していた。


兵士たちは、背中を見せて逃げ出している。

残りは五人か。

今なら、追撃すれば全員倒せる。


しかし、ヘイム・デロ・ツオサートの私兵十人が、ルーアたちに剣を向けていた。


これは、体の向きを変えるしかない。


「……とにかく、我々と来てもらおうか」


「はぁ? 知るかよ。警察でもなんでもないあんたらに、任意なんて求める権限なんてねえだろ」


いちいち苛つかせてくれるが、争うつもりはない。

彼らは、一般人である。


ルーアは、剣を収めた。


テラントも、『カラドホルグ』を仕舞っている。


倣うように、ティアも『フラガラック』を鞘に収めていた。


ティアやユファレートの肩を、ヘイム・デロ・ツオサートの私兵たちが掴もうとする。

ルーアは、その手を払い退けた。


「貴様、歯向かう気か?」


「公務執行妨害とか言うつもりかよ、アホらしい……」


アランがいたアパートを指す。


「ほれ、アランがいたぞ。どっか行ったぞ。追えよ捜せよ。お前ら、奴に用事あるんだろうがよ」


「……」


眼の細い三十歳ほどの男が、他の者たちに合図を出す。


六人が、アランが去ったと思われる方向に走っていった。


ダネットには悪いが、この場はヘイム・デロ・ツオサートの私兵たちに、アランを譲るべきだろう。

無駄な争いを回避できる。


ただ、言うべきことは言わなければならない。


指示を出していた細い眼の男の右手首を、ルーアは掴んだ。


他の者たちの警戒が強まる。

今にも剣を突き出してきそうな者もいる。


眼の細い男は、あっさりと懐に入られ、尚且剣を持つ腕を封じられ、やや驚いているようだ。


「言っておくが、俺たちはアランとなんの関係もない。あんたらに疑われるのがムカつくから、自分たちでアランを捕まえて、無実の証明をしようとしただけだ。攻撃を仕掛けてきたのは、向こう。俺たちのは、正当防衛。逃げる奴らを、追いもしないだろ?」


そしてルーアは、転がる兵士に指を向けた。


「あと、この死体調べてみろ。『コミュニティ』と、『コミュニティ』に所属していたアランが、まともじゃないってわかるからよ」


男が腕を引こうとする瞬間に、ルーアは押しながら手を離した。


よろけ、仲間たちに支えられる細い眼の男。


「俺たちは、宿に戻る。まだ疑うなら、勝手に尾行でも観察でも続けろよ」


言い捨てて、ティアたちの背中を押す。


肩を掴もうとする手を先程と同じように払い退け、ルーアたちは来た道を引き返していった。


ヘイム・デロ・ツオサートの私兵たちは、付いてこようとしない。


「……これで良かったかな、テラント?」


やや距離が開いた所で、聞いた。


「……まあ、いいんじゃねえの。これで疑いが晴れればいいけどなー」


軍や警察が相手ならば、多分下手に出ていた。


彼らは、一貴族の私兵に過ぎない。

だが、雇い主が貴族ということで、自分たちが特別だという意識がどこかにあるかもしれない。


こちらが下手だと、傲慢になるだけだろう。


雇い主の貴族の威光も、ここでは効果を発揮しない。


ここは、王都ハオフサット。


ヘイム・デロ・ツオサートの領地ではない。


「あたしには、一個気になる点が」


「どうしたよ、オースター?」


「ルーア、さっきさ……俺たちとか自分たちとか、やたらと『たち』を連呼してなかった?」


「……」


「元々疑われてたのはルーアであって。あたしたちまで巻き込もうとしてるんじゃ……」


「また雨が降ってきたな。急いで戻ろう」


少し歩速を上げる。


遠くから爆音が響き、ユファレートが立ち止まった。


「……うん。微妙」


魔力の波動を感じた。

魔法が破裂したことにより生じた音である。


ヘイム・デロ・ツオサートの私兵たちは、飛び道具を使わない。魔法も使わない。


ならば今のは、アランの魔法である可能性が高い。


距離があるため細かいことまでルーアにはわからないが、ユファレートは魔力の波動からその実力を見抜いたらしい。


そして呟いた。微妙だと。


アランの魔法使いとしての腕は、たいしたものではないのかもしれない。


「まあ、顔にあれだけでかい傷があるくらいだからな」


実力のある魔法使いなら、もっと傷を目立たなくさせられる。


顔に傷があって得することはそうもないのだから、わざと残しているということもないだろう。


これまで相手にしてきた『コミュニティ』の魔法使いは、高い実力の持ち主が多かった。


だが、全員が優れている訳ではない。


アランのような、半端な力の者もいる。


まあ、アランは元『コミュニティ』の一員だが。


また、爆音が響いた。

だが、遠ざかっている。


ルーアは一旦、アランたちが戦っていることを忘れた。

これからのことを考える。


街中で、兵士を倒した。

いつもなら、軍や警察の動きを警戒しなければならないところである。


どちらにも、『コミュニティ』の者が潜伏しているだろうから。


ルーアたちが殺人を犯したということにして、追ってくる。


だが今回倒したのは、『コミュニティ』を裏切った者たちである。


『コミュニティ』は、このままルーアたちに処分してもらえれば、と考えているかもしれない。


だとすれば、軍や警察は動かない。


軍や警察が敵でないだけでも、いつもより遥かにやりやすい。


ヘイム・デロ・ツオサートの私兵たちは、アランを追い続けるだろう。

当然、アランは逃げる。


関わりを避けた方が、無難だろう。


だが、ダネットはどうするのか。

デリフィスは、ダネットに協力し続けるように思える。


自分たちは、どうするべきなのか。


また爆音が響いたが、騒いでる市民たちの方が、ルーアにはうるさく聞こえた。

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