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動乱の国

長い旅になってしまった。


ルーアが祖国リーザイを旅立ったのは、十七歳になる三ヶ月前、まだ十六歳の時だった。

それから、二年以上が経過している。


二年間も旅の中で生きていたことを考えると、感慨深いものがある。


今は十八歳。リーザイに帰国する頃には、十九歳になっているかもしれない。


ルーアと誕生日の近いティアが最近になって、猛烈に今欲しい物のアピールを始めた。


それで、どうしても自分の誕生日を意識してしまう。


ランディを止めるために始めた旅だった。


その目的を達成したのだから、当然帰国する。


『バーダ』の隊員として、隊長であるストラームの力にならなくてはならない。


だがそのストラームから、帰国途中ラグマ王国にいたルーアに、指令が届いた。


『ハウザードを殺せ』。そのために、ルーアはしばらく大陸南の地でハウザードを探した。


仲間であるシーパルが、傷付き倒れた。


彼を救うために、ルーアたちは大陸の北へと向かった。


シーパルを救い、リンダやドラウといったストラームの昔の仲間と出会い。


そして今度は、拐われたティアを助けるために、南下した。


色々あった。本当に、色々あった。


だが、長い旅もあと少しすれば終わる。


ザッファー王国。この、平原と騎馬、戦乱と混沌の国を何事もなく通り過ぎてしまえば。


なんとなくなのだが、『何事もなく』というのは絶対に不可能であるようにルーアには思えた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


思い思いの武器を手にした男たちが向かってくる。


慌てることなくルーアは右手を上げて、狙いを定めた。


「フォトン……」


光が生まれ、掌の先で形を為していく。


使用するのは最も単純で、それ故最も確実な魔法。


「ちぎっては投げー」


「ブレ……うぉわっ!?」


背後からの危険を感じ、魔法を中断して身を屈めたルーアの頭上を、男が飛んでいく。


男は泡を吹きながら、向かってくる者たちに背中から突撃していった。

複数の罵声が響く。


「……あっぶねえな!」


敵から眼を離すのは愚行だと理解しつつ、ルーアは振り返った。


「テラント!」


男をぶん投げたテラントが、そこにいる。


武装した三人に取り囲まれていた。

テラントは、剣を抜いてもいない。

三方から繰り出される剣や槍を、ひょいひょいかわしていた。


テラントが、両手を伸ばした。

右手で男の胸元を、左手で別の男の襟首を掴み、どういう腕力をしているのか軽々と持ち上げる。


「ちぎっては投げー」


頭が空っぽではないかと疑ってしまいそうになる声を上げ、二人同時に投げ飛ばす。


ルーアへの突進を再開しようとしていた男たちの中へと、二人は突っ込んでいった。


合わせて三人も投げ込まれ、男たちは戦意を失いつつあるようだ。


「エア・ブリッド!」


風塊を、男たちの足下に叩き込む。

破裂する風に、何人かが転んだ。


「手加減してやれよ。こんな奴らに魔法使うなんて、容赦ねえなあ」


剣をかわしながら、テラントがそんなことを言う。


足を振り上げた。


「蹴り倒して踏んづけるー」


口調は気が抜けそうなものだが、蹴る音も踏む音もかなりえぐい。


テラントの足の下で、剣を持った男は悶絶していた。


「……もうちょい真面目にやれよ、テラント」


「実力差を真面目に考慮して、的確に手を抜いている」


まあ、テラントが本気を出したら、一方的な殺戮になってしまうが。


「て言うか、やる気が出ないんだよなー。歯応えが無さすぎる」


ここは、ザッファー王国王都ハオフサットの南に拡がる、平野部である。

平原に、砦が建っていた。


依頼を受けた。

行商人や遊牧民、近隣の街や村を襲撃する、盗賊団の討伐である。


かなり大規模な盗賊団らしく、複数の砦を占拠していた。


武力による争いが絶えないザッファー王国では、無人の砦や打ち捨てられた陣が、そこここにある。


依頼主は、貴族だった。

兄二人と、病に伏せている父親がいる。


つまり、民衆への御機嫌取りをすることにより支持を集め、跡目争いで優位に立ちたいらしい。


雇い主の思惑はともかく、仕事としてはおいしいというのが、人に雇われ慣れているデリフィスの意見だった。


自分たちの実力を考えれば危険はほとんどなく、尚且つ報酬がかなり良い。


しばらく前にフニック・ファフの依頼を達成したため、懐はまだかなり温かいが、金銭的に余裕があって損をすることはない。


調査によると、盗賊団は五百人を超える規模のようだ。


対するこちらは、依頼主の私兵が二百人に、ルーアたちのように急遽掻き集められた者が約百人。


傭兵などを生業にしている者が多いようだ。


現在盗賊団が利用している砦は、五つ。


本拠としている砦に三百人がいて、他の四つの砦に五十人くらいが詰めている。


作戦が立てられた。

単純なものである。


まず、四つの砦を速やかに落とす。

砦を追われた盗賊たちは、散り散りになるか本拠地に逃げ込むだろう。


そこで、本拠地に総攻撃を掛ける。


散り散りになった他の砦の者たちは、すぐに集結できないだろう。


つまり、本拠地を救援するための部隊がなくなるということだ。


本拠地に逃げ込んでくれれば、一網打尽にできる。


貴族の私兵という響きに、ルーアは軟弱な印象を持ったが、実際に見てみるとなかなか洗練された部隊だった。


雇われた傭兵たちにも、腕自慢の者は多そうだ。


盗賊団と比べると人数では劣るが、一人一人の強さはこちらの方が遥かに上だろう。


所詮は、武器を持たない者や弱い者を、集団で襲ってきたような連中だ。

負けるとは思えない。


ルーアたちは、砦の一つを他の傭兵たち含め、二十人で攻略するように指示された。


砦には、五十人ほどの盗賊たちがいる。


他の砦は、盗賊たちとほぼ同数の人員が当てられていた。


二十というのは、それだけルーアたち六人が期待されているという表れだった。

なにしろ、半数が魔法使いである。


ルーアたち六人が、先行部隊だった。


他の十四人は、遅れて出発している。


顔を合わせてもいないため、どんな連中かは知らない。


「まあ、確かに俺もやる気が湧かないけど」


同士討ちを避けるための腕章の位置を直しながら、ルーアは言った。


腕章には、雇い主の貴族の家紋である、水色をした四つ葉のクローバーが描かれている。


魔法使いということで期待されているようだが、ほとんど魔法は使用していなかった。


シーパルとユファレートなど、後方で見物しているだけである。


魔法を使えば、弾みで大勢を死なせてしまうことがある。


正直、盗賊などする者が死んでも大して心は痛まないが、必要以上の殺害にはやや抵抗がある。


適当に痛め付け、後のことは司法の判断に委ねればいい。


だから、シーパルとユファレートは見物だった。


二人の周りで、『フラガラック』を手に張り切ってうろちょろしているのが、ティアである。


二人を守っているつもりなのだろうが、はっきり言って役に立っていない。


盗賊たちの眼には、女であるティアやユファレートが弱そうに見えたらしい。


砦を出た盗賊たちは二人を狙おうとしたが、やる気の無いテラントに、全員が阻まれていた。


次々にぶん投げられたり蹴っ飛ばされたりしている。


「ああ、やる気出ねー」


嫁さんに逃げられたせいか。

皮肉を言いそうになったが、さすがに自重した。

本気で怒るような気がする。


「て言うか、あれだ」


盗賊の腕を捩りながら、テラントが砦の上階に眼をやる。


「もう、デリフィスだけでいいんじゃないかな」


壁を突き破り、盗賊の一人が飛び出してきた。


普通の建物でいえば三階くらいの高さから地面に叩き付けられ、悲鳴を上げる。


次に窓が破れ、また男が降ってきた。


そして、人体をぶつけられ壁に更なる穴が空く。


まるで、漫画でも見させられているかのような気分だった。


デリフィスが剣も抜かずに、一人で大勢の盗賊がいる砦に突入したのは、しばらく前だった。


それからずっと、地獄絵図を想像させる悲鳴が響いている。


落下した盗賊たちに斬られた様子はないため、まだ剣を抜いてもいないのだろう。


何十人を相手に、手加減して暴れている。


まだルーアやテラントに立ち向かおうとする盗賊がいたが、表情を強張らせた。


振り返ると、複数の人影が見えた。

どうやら、後続の傭兵十四人が到着したようだ。


まだ動ける盗賊たちが、慌てて逃げ出す。


砦を脱出する盗賊も、次々現れた。


「……大体オッケーかな」


「……そうだな」


盗賊たちが逃げていく方向を確認し、ルーアはテラントの言葉に頷いた。


本拠地である砦がある方向である。

予定通り、他の盗賊たちと合流してくれるだろう。


ここで五十人の盗賊を殺すのも、身動きできなくなるまで痛め付けるのも可能だが、それには肉体的にも精神的にも負担が掛かる。


生かしておけば、二十人で五十人を見張らなくてはならなくなる。

だから、敵の本隊と合流させる。


圧倒的な敗北を喫した者たちだ。

それは、敵全体から戦意を奪う。

そこで、総攻撃を仕掛ける。


その方が手っ取り早く戦いを終わらせられることになるだろう。


「……あれ、でも逃げる方向が違うよ?」


「ユファは気にしなくていいからね」


相変わらず方位磁針が狂いっぱなしらしいユファレートと、慣れた様子で対応するティアのことは放っておいて、ルーアは近付きつつある傭兵たちに顔を向けた。


「お?」


驚いてしまう。

傭兵たちを率いるスキンヘッドの大男に、見覚えがあるのだ。


あれは、一年ほど前のことだったか。


大陸南西に位置するズターエ王国で、ルーアたちは大変な事件に巻き込まれた。


あの時ルーアたちの力になってくれた者の一人が、このスキンヘッドの大男である。


彼の助けがなければ、ルーアたちは犯罪者として処刑されていたかもしれない。


ズターエ王国の警官をしていたはずだが、こんな所にいるとは辞職でもしたのか。


そういえば、ザッファー王国出身だと言っていた。


忘れるはずがない。

デリフィスの友人。そしてルーアにとっては、命の恩人でもある。


充分に近付いた所で、ルーアは大男に指を向けた。


「ダメット!」


「誰がダメットだ」


名前を忘れてしまいそうになるほど久しぶりに会ったスキンヘッドの大男ダメットは、なぜか不満気にそう言った。


◇◆◇◆◇◆◇◆


久しぶりの実戦である。

相手としてはやや物足りないが、暴れるのはやはり気持ちがいい。


中にいた盗賊たちを全員叩きのめし、デリフィスは悠々と外に出た。


一年半以上共に旅をしてきた連れたちと話している人物の存在に、つい口角を上げてしまう。


「ダネット」


そこに、スキンヘッドの大男ダネットがいた。


デリフィスにとっては昔の部下であり、仲間である。


数少ない友人のうちの一人といってもいい。


「そう、ダネット。覚えてる覚えてる」


腕組みして頷くルーアを半眼で一瞥してから、ダネットは手を上げてきた。


「よお、デリフィス」


「久しぶりだな。ザッファー王国に戻ってきているとは聞いていたが、まさか会うことがあるとはな」


「あん? 誰に聞いた?」


「知り合いの……まあ、情報屋のような奴だ」


いつのことか正確には覚えていないが、ダネットが帰国したことをデリフィスに話したのは、エスである。


二人に面識はないはずだ。ダネットにエスのことを説明しても仕方ないだろう。


きちんとした説明をできる自信もない。


「一年ぶりになるか? なにも変わってないな、お前は」


一年前、ダネットはズターエ王国で警官をしていた。


着ているものは変わったが、ダネット自身はなにも変わっていないようにデリフィスには感じられた。


「はっ! たった一年で、人がそんな変わるかよ」


「そうかもな」


適当に返しながら、デリフィスは自分が笑みを浮かべていることに気付いた。


ダネットは、大きな体をしている。

臆病な者は、それだけでも怯えてしまうだろう。


本人も、ただの乱暴者のように振る舞ったりする。


だが実際は、顔に似合わずなかなか頭を働かせている。


豪快なくせに実は頭が回るこの男を、デリフィスは昔から嫌いではない。


でかい図体でにやついていたりするのだ。


それでつい、こちらも釣られてにやけてしまう。


特に、美味い酒やいい女の前では、滑稽なくらいだらしなくにやにやしっぱなしになる。


「……ところで、珍しい相棒だな」


ダネットの斜め後ろに、まだ十歳そこらの子供がいた。


本人にその意図があるかどうかはともかく、ダネットの大きな体のせいで、小さな少年は陰に隠れているかのように見えた。


ダネットの荷物を持たされているようだから、他人ではないだろう。


「相棒? 馬鹿言え。子分だな、こいつは。ダネット様の子分一号」


ダネットの台詞に、少年が不服そうな顔をする。


だがダネットには文句を言わず、一歩前に出る。


「ナーシィーです」


ナーシィーと名乗った少年は、おとなしそうに見えた。


戦場などが似合いそうな雰囲気ではない。


短搶などで武装しているが、余り遣えるようでもなかった。


「デリフィスだ」


名乗り返すが、ナーシィーは特別な反応はしなかった。


デリフィスという名前を知らない、ということだろう。


ザッファー国内の傭兵たちの中では、デリフィスの名前は知れ渡っているはずだ。


それに無反応ということは、年齢的にも傭兵になったばかりということかもしれない。


「あとは、歩きながらにしようか」


テラントの提案に、デリフィスは頷いた。

戦いは、まだ終わっていない。


ダネットの指示で、傭兵たちも進み始めた。


自分たちの戦場は、目論見通りいった。


他の者たちが上手くやれば、敵を一箇所に集めることができる。


敵の本隊といえる部隊が控える砦に、デリフィスたちは向かった。


道中、色々なことを話した。


ダネットはあの一件の後、アスハレムの警官を辞めてズターエを去り、ザッファー王国に戻ったという。


母親が死んだことを、たいしたことではないかのように、あっさりとした表情と口調で言った。


身内の死をいつまでも引き摺っていては、傭兵という仕事はできない。


デリフィスも、幼い頃に母を失った。


父親については、名前も顔も知らない。


母と同じく傭兵だったらしいが、おそらくとっくに死んでいるのだろう。


母は、女手一つでデリフィスを育てた。

つまりは、そういうことだ。


弱ければ務まらない。

強くても、死ぬ時は簡単に死ぬ。

傭兵にとっては当たり前のことだった。


そして、父も母も、その当たり前の中に消えていった。


ナーシィーは、余り自分のことを話したがらなかった。


ダネットは事情を知っているようだが、詳しく話そうとしない。


子供のうちから傭兵などしているということは、やはり両親になにかがあったのだろう。


少年兵など、ザッファー王国では珍しくもなんともない。


ティアなどは子供が戦わなければならないことに憤慨していたが、だからといってどうにかなる問題ではなかった。


戦争が多いのも少年兵が多いのも言わばお国柄というものであり、すぐにどうこうなることではない。


草原を歩くこと二日、盗賊団にとってはアジトになる砦に到着した。


廃棄された砦なだけあって、塀などの防備にあちこち綻びが見えた。


盗賊たちは、修復する気にもならなかったのだろう。


こちらから見て正面、つまりデリフィスたちと砦の間に、貴族の私兵たちが陣を敷いていた。


更に、砦の左右を挟むように小さな陣があった。

こちらは、傭兵たちの陣だろう。


包囲に穴があるのは、殲滅する気はないということだ。


劣勢になれば、盗賊たちはそこから逃げ出すだろう。


デリフィスたちの雇い主である貴族としては、民衆のために盗賊団と戦い、壊滅させたという事実が欲しいだけである。


わざわざ全員を殺したり捕らえたりする必要はない。


一人残らず殲滅しようとすれば、盗賊たちもそれだけ必死になる。

兵たちの犠牲も大きくなるだろう。

雇い主の貴族は、それを避けたいのだ。


傭兵たちの部隊から使者が来た。

魔法使いたちの力を借りたいということであり、シーパルは右、ユファレートは左の部隊へとそれぞれ連れていかれた。


それからしばらくして、今度は貴族の私兵たちの部隊から使者が来た。


ルーアが表情を引き締める。

魔法使いとして協力を求められると思ったのだろう。


だが、使者はデリフィスたちに待機するように告げて去っていった。


討ち漏らし、こちらへと逃げる盗賊がいるかもしれない。


それに備えろということだったが、要は後方待機だった。


先の戦いでデリフィスたちが戦果を上げたことを、知っているのだろう。


これ以上デリフィスたちに手柄を立てさせたくないという考えが、見え透いている。


「……まあ、いいけどよ。あいつらと比較されたくないし」


やや卑屈にそう言い、ルーアは拗ねたような顔付きで地べたに座り込んだ。


ルーアが魔法使いとして未熟なのではなく、シーパルとユファレートが特別過ぎるのだ。


自身を過小評価するのは、デリフィスが知るルーアの欠点の一つだった。


ダネットが、にやりとする。


「さすがは、『坊っちゃま騎士団』というとこかな……」


「え? なに? 『テラント騎士団』? あ、痛っ。なにするのよ、テラント?」


余計なことを口走ったティアと、それを小突くテラントは無視して、デリフィスはダネットに聞いた。


「どういうことだ?」


「ま、あいつらを知っている傭兵たちが、勝手にそう呼んでいるんだけどな。もちろん、本当は騎士じゃない」


騎士位は、王族により授与される。

ただの貴族が私兵に与えられる称号ではない。


「『坊っちゃま』てのはな……なあ、デリフィス。あいつら見て、なにか変だと思わんか? ああ、この距離じゃさすがにわからんか」


デリフィスは、遠くで陣を組んでいる貴族の私兵たちに眼をやった。


衣服や鎧の色を白で統一していること以外、なにも特別なものは見当たらない。


距離が近ければ、ダネットが言う『変』に気付けるのかもしれないが。


「まあ、あいつらの戦い振りを見ていれば、わかると思うぜ」


そしてダネットは、デリフィスの隣で貴族の私兵の部隊を眺めているテラントに、視線を向けた。


「テラントさん……ラグマ王国の若き常勝将軍殿か。まさかあんたみたいな人が、デリフィスと一緒に旅をするなんてな」


「ま、そういう縁だった、ってことだな、ダネットさん」


「あんたの部隊は強かったなあ。これ以上に強い部隊はない、と思った」


デリフィスは、戦場でテラントが率いる部隊と戦ったことがある。


その時デリフィスは傭兵団の団長であり、ダネットは部下だった。


「俺もデリフィスも、必死に逃げ回った。あれは生きた心地がしなかったな」


「待て、ダネット」


聞き捨てならないことを耳にして、デリフィスはダネットとテラントの間に割って入った。


「そんな言い方では、まるで俺の傭兵団が敗走したかのように聞こえる」


「負けだろうが、お前らの」


半眼になって言うテラントを、デリフィスは睨み付けた。


「負けてはいない。一時的に戦術的撤退をしただけだ」


「なに言ってんだ。俺の部隊が突撃した途端、散り散りになったくせに」


「ザッファーの正規軍はな。傭兵団に乱れはなかった。お前は、一万の軍勢で一千を追いかけ回し、勝った気になっているだけだ」


「ああ、追いかけ回したが。尻尾を巻いて逃げ回る負け犬の部隊をな」


「傭兵団の十倍の犠牲を、お前の部隊は出した。追いかけ回しながらな」


「たまたま訓練が行き届いていない奴らが、死んでいっただけだ。そんな奴らを殺したことが、自慢か?」


「訓練が行き届いていない者が部下にいる。それは、指揮官の責任ではないのか?」


「たった一千の部隊の管理とは、違うんだよ」


テラントが、腰の『カラドホルグ』に手を伸ばす。


「なんなら、あの時の決着、今つけるか、デリフィス?」


「いいだろう。望むところだ」


デリフィスも、剣の柄に手を掛けた。


「……アホか、お前ら。敵を前に突然喧嘩を始めてどうする」


呆れたようにルーアが言う。

草原の座り心地が良いのか、敵を前に立ち上がろうともしない。


デリフィスとテラントのやり取りを、ダネットはにやにやしながら見ている。


「あ。始まるよ」


ティアが、声を上げた。


砦の左右にある傭兵たちの陣から、それぞれ光が伸びる。


シーパルとユファレートの魔法だろう。


光は砦の塀に突き刺さり、あっさりと巨大な穴を空けた。


傭兵たちの部隊が砦に突撃している。


シーパルたちに、続けて魔法を使う様子はない。

疲れたふりでもしているのだろう。


余り活躍し過ぎると、味方である傭兵たちの恨みを買うことになる。


活躍の場を奪われることは、傭兵たちにとって死活問題なのである。


貴族の私兵たちの部隊が、動いた。

塀から降り注ぐ矢をものともせず、前進していく。


前面にいる者は、盾を頭上にやり矢を防いでいた。


部隊の中央が割れた。

そこを、丸太を抱えた後続の兵が通っていく。

鮮やかなものだった。


塀の門に、次々と丸太が叩き付けられる。


前面にいた兵は、すでに塀に取り付いていた。


早くも何人かは、塀を登りきっているようだ。


門が開いた。

左右からは、傭兵たちが砦内に侵入している。

砦が落ちるのは、時間の問題に思えた。


戦況を見守っていたテラントが、訝しがるように軽く眼を細めた。


「……たいしたもんだ。部隊全体の動きがいい。よく統率が取れている。だけど、なあ……」


テラントも、気付いたらしい。

デリフィスは、にやにやしているダネットに聞いた。


「なぜ、矢を撃ち返さない?」


塀の上と下からでは、どちらの威力が勝るかわかりきっている。


それでも、矢の一本くらいは放つものだろう。


「あいつらはな、矢を遣わない」


「……なぜだ?」


「卑怯だからだとさ」


「……意味がわからない」


率直にデリフィスは言った。


「遠くから飛び道具で攻撃するのは、卑怯者のすることらしいぜ」


「……馬鹿なのか?」


「なあ?」


ダネットは笑っている。


飛び道具が卑怯。

ダネットが言ったことを、デリフィスは頭の中で反芻させた。


飛び道具としてデリフィスが真っ先に思い付く物は、弓矢だった。


達人になれば、馬を全力で駆けさせながら、遠くの的の中央を射抜く。


飛ぶ鳥を立て続けに落とす者もいる。


そういった熟練の技を見ると、デリフィスは心底から拍手をしたくなる。


それは、弓矢の技だけに限らない。

厳しい鍛練で得た技やそれを扱う者を、デリフィスは認める。


飛び道具か接近戦の武器かなど、関係ない。


極めたことにより得た技には、美しささえ感じられる。


だが、『騎士団』の連中は否定するらしい。


道理で、ルーアの力を借りようとしない訳だ。


遠距離攻撃が可能な魔法もまた、卑怯なのだろう。


馬鹿馬鹿しかった。

シーパルやユファレートに、『遠くから魔法で攻撃するのは卑怯だ。剣を以て堂々と戦え』と言うようなものである。


「あー、あとな、あいつらは、数の利を活かさない」


「どういうことだ、ダネット?」


「相手が百人の時は、あいつらも百人で戦う。で、残り百人は待機」


「……」


「大勢で少数と戦うのは卑怯、てことらしいな」


「なんじゃそりゃ……」


説明を聞いていたテラントが、呻く。


デリフィスも、苦虫を噛み潰したような心地になっていた。


「『坊っちゃま騎士団』か。わかるような気がする」


信念を持つのを悪いとは言わないが、考え方がひたすらに甘い。


戦争では使えるだけの武器を使うべきだし、人数で勝るならばその優位を活かすべきだ。


当たり前のことであり、卑怯でもなんでもない。


飛び道具や魔法で攻撃されたことが、何度もある。


たった二百人で、万を超える敵と戦ったことがある。


相手を卑怯だと思ったことは、一度もない。


つまり、『坊っちゃま騎士団』などと揶揄されている彼らは、真に厳しい戦争を経験したことがないのだろう。


だから、甘い信念を持っていられる。


「まあ、けど、一人一人が強いのは確かだぜ。よく訓練を受けている」


ダネットの言う通り、個々の力はあるようだ。

部隊としての動きも素晴らしい。


ただ、デリフィスは気に喰わなかった。

不快、と言ってもいい。


戦争の現実を知らないから、甘い考えでいられる。


そんな連中が戦場にいることが、不純だとさえ思える。


つまり、彼らの強さは試合的な強さなのだ。


同数での試合ならば、そうは負けないだろう。


「強いは強いんだろうけどなー……」


つまらない物を見る眼で、テラントは砦の攻防を眺めている。


一方的な戦いになっていた。


砦から脱出するのは、盗賊ばかりである。


「エセンツ将軍殿。あんたなら、あいつらに勝つのに何人必要だ?」


「一人」


ダネットからの質問に、テラントは即答した。


「だって、相手以上の人数を出さないんだろう、あいつらは。だったら、俺一人でいい。んで、向こうの代表者をぶった斬る。それで、俺の勝ちだ」


「なるほど」


ダネットは頷いたが、聞きたい答えではなかっただろう。


「あー、じゃあ、あれだ。あんたが何人率いていようと、あいつら二百人が全員で掛かってくるとする。その場合、勝つには何人必要だ?」


「そうだなぁ……」


顎の辺りを掻き、考え込むテラント。


「まあ、昔の部下が百人もいれば……」


「大変だったな、テラント」


テラントに同情し、デリフィスは言った。


「傭兵団にいた者たちを五十人も集めれば、あんな奴らには勝てる」


「……百人はちょっと謙遜し過ぎたな。三十人もいれば……」


「俺は、二十人で充分だ」


「ほんとは、十人」


「五人」


「ぶっちゃけ、俺一人で余裕」


「……お前ら、子供か」


呆れたように、ルーアが呻く。

ダネットは、意味もなくナーシィーの頭を叩きながら笑っていた。


歓声が響く。

盗賊たちは、力尽きてしまったようだ。


砦の屋上で、降伏を示す白旗が振られていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ルーアたちは、ザッファー王国王都ハオフサットに来ていた。


ダネットとナーシィーの傭兵二人組も一緒である。


二人は最近、このハオフサットと、東にある街レフグレで仕事を探すことが多いらしい。


さて、ダネットである。

ルーアの偏見ではあるが、如何にも酒が好きそうな顔をしている。


実際に、酒が好きだと発言したこともあったかもしれない。


女も好きだと言っていた。

まあ、普通の男は女が好きだろう。

ダネットは特に、腰回りが豊かな女性が好みのようだ。


ハオフサットに到着した初日の夜である。


泊まる宿の一階は、食堂兼酒場というような造りだった。


さて、酒好きのダネットがいる。


テラントやデリフィスも、たまには酒を飲む。

酔っぱらった姿を見たことはないので、割りと強い方なのだろう。


ザッファー王国の法律では、飲酒は十八歳からとなっている。


ナーシィー以外の者は、飲酒をしても咎められることはない。


予想していたことだが、酒宴のようなものが始まった。


別のテーブルでも他の客たちが酒を飲んでいるため、食堂にはアルコールの匂いが充満していた。


こういう場で有りがちな煙草の匂いは、ほとんどしない。


先代の王の時代から王族に嫌煙家が多く、そのためか、ザッファー王国では喫煙者は肩身の狭い想いをしている。


法律で、喫煙は二十五歳からとなっている。


ダネットは、かなりのペースで杯の酒を飲み干している。


だが、意外なことに他の客に迷惑を掛けるような言動はしない。


酔っても分別はある、ということか。


テラントとデリフィスも、ダネットほどではないが結構な量を飲んでいる。


多少は酒が回っているようだが、思考などに大きな影響が出るほど酔ってはいない。


やはり、酒に強いのだろう。


それだけではなく、飲み方が上手いように見える。


ペース配分がわかっている、という感じである。


この三人はいい。

なにも問題はない。


問題は。


「きゃはははははははっ!」


酔っぱらったティアがけたたましく笑いながら、ダネットのスキンヘッドをぴったんぴったん叩いている。


訴訟されてもおかしくない行為であるような気がするが、ダネットは寛容なところを見せ、腹を立てる様子はない。


ちなみに、解毒の魔法の応用で、体内のアルコール成分などは消し去ることができる。


いい加減ティアを正常な状態に戻した方がいいのかもしれないが、ルーアには使えない魔法である。


そういう魔法が得意なのはシーパルであるが。


麦酒二杯目の途中でギブアップしたシーパルは、現在床に転がった状態でうなされていた。


ナーシィーが、心配そうにそれを見つめている。


嘔吐した時に吐瀉物が喉につまり危険ではないかと感じられたので、一応うつ伏せになるよう蹴り転がした。


テラントやデリフィスがなにも言わないので、多分間違った対処法ではないのだろう。


「……シーパル、大丈夫か?」


「……ぐぬぬ……ブロッコリーが一匹……ブロッコリーが二匹……」


どうやら、大丈夫なようだ。


「宴もたけなわですがー、盛り上がってきたところでー」


いつの間に作成したのか、くじなのだろう、ちぎった紙を握りしめティアがふらふら頭を振っている。


「定番のー、王様ゲームをー」


「……やめろ」


この男女比では、嫌な予感しかしない。


ルーアは、ティアの手からくじを奪った。


手首を掴まれたティアが、体をくねくねさせる。


「いや~ん、えっちぃ~」


「ああ、うっぜぇぇ。この酔っ払いは……」


ルーアは、放り捨てる感覚でティアの手首から手を離した。


「なあユファレート。もうオースターを部屋に……」


「大体ルーアは!」


「!?」


いきなり響いたユファレートの怒声に、ルーアはびくりと体を震わせた。


「いつまで経っても細かい制御が未熟過ぎるのよ! ……確かにお祖父様の教えを受けてからは成長著しいけど、わたしに言わせればまだまだね! 特に、攻撃から防御に切り替える際が甘いわ! わたしだったら、間違いなくそこを衝く! 今はまだ身体能力でごまかせているけど、いずれは通用しなくなるわよ! 敵もルーアのことを分析しているだろうし! 魔法は、日々進化しているのよ! これからも、鍛練を怠ることなく……」


一生懸命説教をしているユファレート。


だが残念ながら、それはルーアではなく壁だ。


「……おい。お前は酔っ払ってくれるなよ」


「……わかってるよ」


耳打ちしてくるテラントに、ルーアは頷いた。


魔法使い三人が三人とも酔い潰れては、いざという時に危険である。


ルーアは、麦酒一杯を口にしただけだった。

それについて、不満はなかった。


いずれはその旨さがわかるのかもしれないが、今のルーアにとってただの苦い飲み物でしかない。


飲酒の経験が余りないため、自分が酒に強いのか弱いのかも不明である。


「……うっ!?」


突然喉を圧迫され、ルーアは呻いた。


背後からティアに襟首を引っ張られている。


なぜか、背中に顔を突っ込もうとしているようだ。


「……うう~ん……気持ち悪い……吐きそう……吐く、吐く……」


貴様、どこに吐くつもりだ。


「……三人は、部屋に戻らせた方がいいな」


俺は関係ない、という態度で酒を飲み続けていたデリフィスが、ここにきて見兼ねたように言った。


このままではいずれ、他の客にまで迷惑を掛ける可能性がある。


「……そうだな。えっと……」


鬱陶しいティアと、床に倒れうなされているシーパルと、壁に説教を続けているユファレート。


今、最も他の客に注目されているのは、声を張っているユファレートか。


「……ユファレート」


恐る恐る声を掛けると、ユファレートの説教はぴたりと止まった。


「……そろそろ部屋に戻ろうか」


「うん。そうする」


あっさりと頷き、ユファレートは立ち上がった。


ユファレートは、方向音痴である。

宿の中でも、容易く道に迷える。


酷い時は、部屋の隣にあるトイレの行き帰りにも苦戦する。


だがユファレートは、迷うことなく歩き出した。


そして、確かな足取りで階段を上がっていく。


どうやら、酒が回ると方向音痴が治るらしい。


「……あ、鍵開けてきます。シーパルさんとティアさんの部屋も」


皆の部屋の鍵を預かっていたナーシィーが、ユファレートを追い抜いていく。

なかなか気が利く少年である。


「オースター、お前も……」


「立てないー」


「……」


「おんぶー」


背中からしがみついてくる。


「……あのなあ……まあ、いいや」


たいして重くもない。

ティアを背負い、ルーアは立ち上がった。

席の間を通り、階段を目指す。


「……むう。やけに親切。さては、背中に当たる胸の感触が目当てかー」


「……当たるほどないだろうが」


「殺す」


腕を回し気管を潰しにくる。

咳き込みながら、ルーアは二階に上がった。


ナーシィーが、ティアの部屋の扉を開き待っている。


「ありがとな」


「……いえ」


照れたような表情をして、ナーシィーは食堂へ駆け戻っていった。


少し人見知りをするところがあるのかもしれない。


寝台にティアを横たわらせ、シーツを掛ける。

すでにティアは眠っていた。


七月であり、夜になってもまだ部屋の中は暖かい。


ティアを残し、ルーアは部屋を出た。


(……ん?)


変化を感じ、ルーアは眉根を寄せた。


下の階が、妙に静かになったような気がする。


少し警戒しながら、廊下を進む。

階段を降りる前に、ルーアは食堂を観察した。


(……あいつら)


白を基調とした衣服。

盾や鎧も白い。


(『坊っちゃま騎士団』じゃねえか。なにしてんだ?)


ハオフサットに来る前に自分たちを雇った貴族の、私兵たちである。


貴族の名前はなんだったか。

思い出せない。


眠気を感じた。

旅の疲れが出たか、酒を飲んだためか、脳の回転がいまいちである。


確か、ハオフサットの南に領土を持っていたはずだ。


この街に、その貴族の私兵が武装した格好で居るのは、若干不自然なのかもしれない。


『坊っちゃま騎士団』の者たちは四人だった。


それぞれ各テーブルを回り、なにかを聞いている。


一人と眼が合い、ルーアは階段を降りていった。


避けるのは、なんとなくまずいような気がする。


テーブルに戻ると、テラントとデリフィスとダネットの三人に、『坊っちゃま騎士団』の一人がビラを見せているところだった。


眼付きの悪い右頬に傷がある中年が、そこに描かれている。


「……見たことないですね。で、こいつがどうしたんです?」


対応しているのは、テラントである。


「国王陛下の暗殺を企んでいる、という情報を得てな」


デリフィスとダネットが、顔を見合わせている。


色々おかしいのではないか。

疲れた脳でも、ルーアはすぐにそう思った。


国王の暗殺を企んでいるのならば、確実に軍や警察が動くだろう。


少なくとも、『坊っちゃま騎士団』よりは早く動く。


だが、軍や警察が聞き込みをしている姿を眼にしていない。


そして、『坊っちゃま騎士団』の連中は、なぜ動いているのか。


ルーアたちを雇った貴族は、ハオフサットの南に領土を持つ。


わざわざハオフサットに私兵を送ったりするものなのか。


国王暗殺計画が事実だとして、それを旅人たちに話すものなのだろうか。


「よく見てくれ。名前はアラン。家名は無い」


「いや、知りません」


テラントが、肩を竦める。


「『コミュニティ』という組織に所属していた」


がちゃん、という音が響いた。

ジョッキを置こうとして、派手に皿にぶつけてしまったのだ。


ルーアは、内心で舌打ちしていた。

『コミュニティ』という組織名に、手元が狂ってしまった。


飲酒の影響があったのかもしれない。


「いや、知りませんね、やっぱり」


何事もなかったかのように、テラントが言う。


貴族の私兵は、ルーアのことを見ていた。


「……そうか、わかった。もしなにか思い当たることがあったら、我々に連絡してもらいたい。悪いようにはしない。我々は……君たちには、説明する必要はないか」


どうやら、主が以前雇った者だとルーアたちのことを記憶していたようだ。


立ち去る際、私兵は何度か振り返りルーアに視線を向けた。


「バーカ」


「阿呆」


「……うるせえな」


テラントとデリフィスに次々に言われ、ルーアは口を尖らせた。


前に主に雇われたルーアという赤毛の男は、国王暗殺を企んでいる男アランについて、おそらくなにかを隠している。


私兵は後で、仲間たちにそう報告するのかもしれない。

それは、面白いことではない。

監視くらいは付くのではないか。


なにもやましいことはないはずだ。

それなのに疑われるのは、どうにも気持ち悪い。


苛立ちながら、ルーアはジョッキを口に運んだ。


事態を把握できていないのか、ナーシィーは戸惑った表情でテーブルに零れた酒を拭いていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


少し眠っただけで、すぐに目覚めた。

真夜中であり、部屋の中は暗い。


喉の渇きを感じ、そして手が届く範囲に水差しがないことに気付き、ルーアは寝台から身を起こした。


夏の夜だからこそ、容易くできることだ。


冬場だと、シーツから出るのに苦戦する。


喉を潤し、ルーアは光に惹かれる虫になったかのような心地で、窓へと近付いた。


おそらく歓楽街なのだろう、遠くに見える連なった建物には、ほぼ全て明かりが灯っている。


眼下を通る道も、街灯で照らされていた。


剣を合わせるような音や悲鳴が聞こえる。


そして、翌朝にはいくつかの死体が見付かるのだ。


ハオフサットとは、そういう街だった。


ダーム・デロ・ツオサート。

確かそんな名前だったと、ふとルーアは思い出した。


ハオフサットの南方にあるツオサート地方を治める、貴族の名前である。


ダーム・デロ・ツオサートには息子が三人おり、三男になるヘイム・デロ・ツオサートに、しばらく前ルーアたちは雇われた。


数時間前のことを思い出す。

宿の一階の食堂に現れた、ヘイム・デロ・ツオサートの私兵たち。


彼らが捜している、『コミュニティ』に所属していたという顔に傷がある男、アラン。


ザッファー国王の暗殺を企てているという話だったが、どうにも腑に落ちない。


「……エス」


呼んだ。だが、返事はない。

寝台へ戻り、座り、腕組みしてしばらく待つ。

エスは現れない。


「……いないか」


「ここにいるが」


「ほうっ!?」


背後から聞こえてきた声に、寝台から転げ落ちた。

部屋の中央まで移動し、身構える。


土足のままのエスが、寝台の上にいた。


「……わざとだよな?」


「なんのことかね?」


真面目な表情のエスを睨み付ける。


真顔のまま悪ふざけをする者はいる。

意図しなくても、行動が他者にとって悪ふざけになる場合もある。

エスは、後者なのだろう、多分。


咎めることを諦めて、ルーアは構えを解いた。


「あんたに、調べてもらいたいことがある」


「なにかね?」


「アランって奴について」


「……」


「……どうした?」


無言になったエスを見つめる。


エスは眼を細め、やがて視線を逸らした。

飾り気のない壁を眺めるその姿は、考え込んでいるようでもあり、不快感に耐えているようでもある。


「……エス?」


口を開きかけ、だが結局無言のまま、エスは姿を消した。


「……なんだ、あいつ? 調子でも悪いのか?」


また、クロイツに干渉され、能力の制限でもされているのだろうか。


しばらく待っても、エスは現れない。


どうやら、本当に立ち去ってしまったようだ。


「……まあ、いいか」


呟き、寝台に転がる。


今はまだ、アランという男についての情報を、必ずしも必要とはしていない。


興味があったから、エスに聞いてみようと思っただけである。


本当に必要になった時に、また呼べばいい。


ある程度までなら、自分たちで調べることもできるだろう。


朝になってから、また考えよう。

少し意識が冴えてしまったが、構わずルーアは眼を閉じた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ダネットが泊まった宿に、ライアは掌を重ねた。


放った魔法がダネットという『器』を砕き、『中身』を引きずり出すイメージをする。


実際に魔法を放ったりはできないが。


ダネットがどの部屋に宿泊しているかも、わかっていないのだ。


民家の屋根の上から、ダネットがいる遠い宿を眺める。


遠距離からの魔法による狙撃を考えながら、だが実践はできない。


ルーアが、ダネットと行動を共にしていた。


知人だという情報はあったが、会う予定などはなかったはずだ。


ルーアたちとダネットが再会したのは、偶然であるようだ。


その事実が幸か不幸か、今の段階ではわからない。


ただ確実に、魔法を放てばそれがライアの仕業だと、魔力の波動からルーアは気付いてしまうだろう。


「……君の魔法は、通用しないよ」


屋根の上に、音もなくエスが現れる。


「ルーアの旅の共であるシーパル・ヨゥロとユファレート・パーターは、魔法使いとして君より高みにいる。泥酔状態であっても、この距離では君の魔法を防ぐだろう」


「あっそ……」


「次に君は、接近して剣を遣うことを考える。だが、テラント・エセンツとデリフィス・デュラム。君の剣では彼らに勝てない」


「……恵まれてるな、あいつは」


「ああ。ルーアは、百人の護衛に守られているようなものだ」


それだけの手練れが揃っているならば、ソフィアもダネットとの接触に苦労するだろう。


もうしばらくは、様子見でもいいのかもしれない。


「先程、私はルーアに呼ばれた」


「用件は?」


「わからない」


「?」


「彼は、私になにかを聞いたのだと思う。だが私は、彼の発言を聞き取ることができなかった」


「それって……」


おそらくルーアは、ダネットと一緒に行動している少年について質問したのだろう。


あの少年が何者か不明だが、確かなことが一つ。


エスに、認識できない存在なのである。


「……違うな」


呟くように、エスが否定する。


「おそらく君は、ダネットの側にいるらしい者について、ルーアは質問したのだろう、と思ったな?」


「……なんで違うと思う?」


「ダネットの側にいるのは、おそらく十代前半の子供だ。性別は男。つまり、少年だろう」


宿を見つめるエスの視線は、静かだった。


「ダネットやルーアたちの眼線、宿の食材の減りかたなどから、おおよその体格は推定できる。ここしばらくの間、ダネットは宿で二人部屋を取ることがあった。二人分の食料と馬を準備し、戦場へ向かうことがあった。これらのことから、性別は男だと考えられる」


「推測が当たり過ぎてて気持ち悪い」


「君がなにを言ったか、聞き取れなかった。だから、推測がどこまで正しいのか、私にはわからない。が、重要なのはそこではない」


エスが夜空を仰ぐ。

今も分析している最中なのだろう、とライアは思った。


「ダネットの側にいる者へ向けているであろうルーアの表情からして、おそらく両者の間に衝突や摩擦はない。少なくとも、関係が悪いということはないだろう。そして、ルーアは私に対して、好意を持ってはいないな。彼の性格からして、聞きたいことがあるなら、当人かダネットにまず聞くだろう」


「……」


「重要な点が二つ。なにかわかるかね?」


「ええっと……」


わからないと答えるのは、若干悔しい。


だからライアは、頭を回転させて答えを探そうとした。


お構い無しに、エスが解答を口にする。


「ルーアは、ダネットの側にいる者についてではなく、別の者について聞いた。つまり、私に認識できない存在が、複数いると考えられる」


「……なるほど。もう一点は?」


「当たっているかどうかはともかく、ダネットの側にいる者について、推測ができた。これは、クロイツの妨害により特定の存在が認識できなくなったのではない、という証明になる」


「……なんで?」


「クロイツならば、推測させる材料さえも私に渡さない。完璧に隠し通す」


「……じゃあ、誰が?」


クロイツ以外に、エスの妨害ができる者は思い付かない。


「私やクロイツの力を理解し、擬似的に使用できる者」


「そんな奴いるのか……?」


「そして、私やクロイツよりも稚拙な使い方しかできない。いるよ、一人だけね」


「……」


「クロイツも、誰の仕業か気付いただろう。さて、果たして彼は、無事でいられるだろうか」


含み笑いのようなものが聞こえた。


顔を伏せ気味にしたエスの口角が、上がっている。

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