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エピローグ

ルーアたちは、ハオフサットに戻っていた。


『ビンス園』から北に向かえば目的地となるリーザイ王国だが、ナーシィーを連れていくわけにはいかない。


ルーアたちの旅は、無力な幼い少年を連れて歩けるような甘いものではない。


ダネットを失ったナーシィーを、一人にすることもできなかった。


宿の庭である。

照り付ける日差しを浴びながら、ルーアは宿を見上げた。


ナーシィーをダネットから託されたのは、デリフィスである。


「……デリフィスは、ナーシィー君をどうするつもりなのかな?」


ティアが、寄ってきた。


「さあな……」


「……ダネットさんが……」


呟いて、ティアはかぶりを振った。


「……ごめん。なんでもない」


ダネットは、死んでしまった。

その遺体は、『ビンス園』の近くの墓地に埋められている。


犠牲になったのは、ダネットだけではない。


『ビンス園』の棟の一つが、魔法の直撃を受け崩壊した。


多数の負傷者、そして七人の死者が出た。


七人の死因は、魔法の直撃や、崩落した瓦礫に押し潰されことによる圧死だった。


みな即死だったようだ。

苦しみが長引かなかったことが、せめてもの救いだろう。


重傷者は、全員助かった。

そこにルーアは、シーパルの意地を見たような気がした。


もちろん、ルーアやユファレートも全力を尽くした。


近隣の村や集落からも、救援の魔法使いが何人か来ていた。


それでも、シーパルがいなければ死亡者はもっと増えていたはずだ。


シーパルは三十時間以上ほとんど休まず、怪我人の傷を癒し続けていた。


ダネットを助けられなかったことを、気に病んでいたのだろう。


シーパルは、救える命をすべて救った。


ヘイム・デロ・ツオサートの私兵たちを遮ったテラントが、法的に裁かれることはなさそうだった。


彼らが、どう報告したかは知らない。


だが、事実を告げられはしないだろう。


二百人が一人に止められました、そんな報告はできないはずだ。


エスが背後で手を回し、なんらかの取り引きをした可能性もある。


宿の壁から、空に視線を移した。

遠くから聞こえるのは、商人が客を呼ぶ声か。

宿の近くには、繁華街があったはずだ。


街は、いつもの通りだ。

『ビンス園』という施設で事件が起きたことも、死傷者が出たことも、混沌の国と呼ばれるザッファーでは、些細なことなのかもしれない。


民衆のほとんどは、気にも留めない。


わずかに興味を持った者も、すぐに忘れてしまうのだろう。


ダネットという傭兵が死んだことなど、きっと誰も知らない。


ただ、ナーシィーだけは生涯忘れることはないだろう。


多くのものを失った少年に、デリフィスはどう接するのか。


夏を満喫したいのか、宿の壁に張り付いた蝉が、けたたましく鳴いていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ナーシィーを部屋に招き、だが椅子を勧めることも飲み物を出すこともせず、デリフィスは窓に寄った。

外は明るい。


ナーシィーは、扉の近くで居心地悪そうにしていた。


ダネットは、この少年を弟だと言っていたが、デリフィスは頭から信じたわけではなかった。

どこにも似ているところがない。


どうでも良かった。


血縁は、金のようなものだとデリフィスは思っていた。

大事ではあるのだろうが、絶対ではない。


ティアはオースター孤児院で暮らす者たちと血の繋がりはないはずだが、家族という関係を築いていた。


世の中に溢れるほどある夫婦という特別な組み合わせに、血縁はない。


ダネットは、命と引き換えにナーシィーを守った。

それで充分だと思う。


「俺たちは、明日にでも旅立つことになるだろう」


目的地は、ザッファー王国の北にあるリーザイ王国である。


ルーアの故郷でもある。

そこで、ルーアの旅は終わる。


デリフィスが旅をしているのは、テラントに協力するためだった。


そして、ルーアと出会いエスという者と知り合ったことにより、テラントは大きく目的に近付いた。


今、ルーアと旅をしているのは、それが理由だった。


ルーアの旅が終わったら、テラントはどうするのか。


テラント次第で、今後どうするのか変わる。


「俺は……」


「ナーシィー、俺たちの旅に、君を連れていくわけにはいかない」


ナーシィーが俯く。


「わかっています。俺がいても、みなさんの役に立つことはない。俺は弱くて……俺が弱いせいで、ダネットは死んだ……」


「それは違うな」


あっさりと、デリフィスは否定した。


「ダネットが死んだのは、あいつが弱かったせいだ。生き残るだけの力が、ダネットにはなかった」


「そんな……」


「死んだ奴が悪い。ダネットなら、そう言うだろうな」


「……俺は」


ナーシィーが、唇を噛む。

少年の額の辺りを見ながら、デリフィスは次の言葉を待った。


「ハーマシアやダネットを殺した奴らが、憎い……」


「仇を討ちたいか? だったら、残念だったな。俺たちが、全員斬ってしまった」


「……」


「ナーシィー。君は、この宿にいればいい。やがて、フニック・ファフという男か、あるいはその知人が、君を迎えに来る」


「……フニック・ファフ?」


「ラグマの商人だ。彼は、俺に借りがあってな。君の後見人になってくれる」


フニック・ファフの女の、『悪魔』に侵食された腕を斬り落としたことがある。


嫌な仕事だったが、その報酬をまだ受け取っていない。


ナーシィーの面倒を見てもらうのが、報酬の代わりだった。


エスを介して、すでに話は付いている。


「……俺に、商人になれってことですか?」


「そんなことは、自分で決めるんだな」


「え……」


「君が学校に行きたいと言えば、フニックは君を学校に通わせるだろう。ただ日々を遊んで過ごしたければ、そうすればいい。ただし、フニックが君の面倒を見るのは、君が二十歳になるまでだ」


「……」


「それまでに君は、どう生きていくか決めて、そのための技能を身に付けなければならない。商人になりたければ、なればいい。傭兵として生きたいのならば、それもいいだろう。なにも身に付けず、野垂れ死にするのも、一つの選択だ」


デリフィスは、ナーシィーのおとなしい顔付きを見つめた。


「俺もフニックも、なにも勧めないし、止めることもない。悩み、自分で選択し、自分で決めるんだ。ダネットは、それを望んでいたはずだ」


ハーマシアは死んだ。

弟のために自分を犠牲にする必要は、もうない。


ダネットの仇は、全員死んだ。

なぜ『ビンス園』を襲ったのか、わからずじまいである。


自分自身が生きていくためになにをすればいいか、ナーシィーはそれを考えればいい。


デリフィスは、ナーシィーに背中を向けるために、窓から外に眼をやった。


庭では、なにやらティアが、ルーアを相手に喚いている。


「生きるために戦う。負ければ死に、土に帰る。それが、傭兵の覚悟だ。ダネットには、それがあった。だから、後悔はしていないはずだ」


「それでも俺は、ダネットに生きていて欲しかった……」


「俺もだ」


ダネットは死んだ。

それについては、仕方ないの一言で済ませるしかない。


理不尽だとしても、それが死というものだった。


墓があるだけダネットはまだましなのだと、デリフィスは思うことにした。


◇◆◇◆◇◆◇◆


壁にへばり付いていた蝉が鳴くのを止めたと思ったら、いきなり落下し地面に転がった。

寿命が尽きたのだろうか。


首輪はないが、人を警戒する様子がないので、おそらくは飼われているのだろう。

猫がやって来て、死骸となったらしい蝉をくわえていった。


「なんか……」


「不吉ねー……」


ルーアは、ティアと呟き合った。


「……まあ、誰だって、どんな生物だって、死ぬ時は死ぬか」


「ルーアは……」


「ん?」


「ルーアは、死なないよね?」


「いや、死ぬよ。いつかは、絶対」


「それはそうだけど……」


なぜか、ティアはしおらしい様子になっていた。


「あたしは、嫌だな。ルーアに死なれたら、すっごく寂しい」


「そんなこと言われてもな……」


「ルーアが死んだら、誰があたしの料理の味見をするのよ?」


「……死にたくはないが、生きていてもそれだけは遠慮したい」


「そんなっ!? 水臭いこと言わないでっ!」


「いや水臭いなんかおかしい」


ルーアは、溜息をついた。


「まあ、できるだけ死なないようにするよ。だから……」


「だから?」


「……お前も、死ぬなよ?」


「うん。頑張る」


「……」


頑張ってどうにかなるものなのだろうか。


(……いや。俺が頑張れば……)


きっと、ティアの死を遠ざけられる。


ルーアだけではない。

共に戦ってくれる者たちがいる。


みんなで頑張ればなんでもできるなどと、夢のようなことは言わない。


だがきっと、夢想に近いなにかがある。


風が、平原から流れているのかもしれない。


鼻腔をくすぐる空気から、草の香りがするような気がした。


◇◆◇◆◇◆◇◆


なにかをする時は、地下を選んでしまうことが多い。

それはなぜだろうか、とクロイツは考えた。


暗く静かな雰囲気が、思考を纏めやすくしてくれるからだろうか。


地下は守りに向いているからかもしれない。

ただ、離脱は困難であるが。


雨を凌げるからかもしれない。


地下に、足音が響いた。

ヒールのある靴であることは、音でわかる。


わずかな明かりが灯っているだけの暗い地下に現れたのは、ライア・ネクタスを撒いたソフィアだった。


「……どう?」


「どう、とは?」


「決まってるでしょ」


ソフィアは苛々した様子で、クロイツの背後に佇む『ルインクロード』に視線を向けた。


「あの方になにが起きているのか、わかったのって聞いているの」


「わかったよ」


ソフィアの視線を追うために、クロイツは振り返った。


相も変わらず、『ルインクロード』からは生気が感じられない。


「『器』は、『中身』で満ちた。だが、『彼』がいない。『中身』の『中身』とでも言えばいいのか」


「……『中身』の『中身』?」


「……そうだね。私たちの時代の乗り物で例えるなら、車体に原動機を載せたが、肝心の鍵がない、というところかな」


「……それで?」


「……それで、とは?」


ソフィアが、大鎌の刃で床を引っ掻いた。

つい、後退りしてしまう。


「『彼』でも、『中身』の『中身』でも、『鍵』でも、なんでもいいわ。あの方は、どこにいるの?」


「見付けたよ」


「見付かったの!?」


「今回の『中身』を解析することにより、現在の『彼』の波長を知ることができた。そして私は、この世界で人に分類していい者たちを、調査していった。七億千百三十二万千八百五十七番目に調べた者の中に、『彼』はいたよ」


「えっと……」


「つまり、全人類を調べなければならなかった、ということだよ。最も可能性が低いと思われた人物の中に、『彼』はいた」


「……誰よ? 誰の中にあの方はいるの?」


問いを受け流すつもりで、クロイツは地下を見渡した。


まだ用途を決めていない空間である。

当然、物が揃っていない。


ホワイトボードをまず置こう、とクロイツは決めた。


「『彼』は、自分の意思でそこにいる。その気になれば、いつでも『ルインクロード』に移れる状態だ。だが、『彼』はそれをしようとしない。なぜだか、わかるかい?」


「……ルーアが、まだだから? 今はその時ではないと?」


「おそらくね。『彼』は、私たちがルーアを利用しようとしていることを、知っているようだ」


『ルインクロード』が完成すれば、そのままライア・ネクタスと決戦になるだろう。


そして、相討ちになる可能性が一番高い。


だから、『彼』はルーアを待っている。


もう一人の『ルインクロード』の成長を。


「……今はまだその時ではないって言うなら、それはそれでいいわ。けど、どこにいるのかだけは教えて」


「……」


「『器』も『中身』もない。あの方は今、無防備な状態じゃないの?」


「戦闘能力だけなら、赤子にも等しいね」


「その時が来るまで、私が側で御守りするわ」


「その必要はないよ」


クロイツは、手を振った。


「言ったはずだ。最も可能性が低い者の中に、『彼』はいる。見付かることはない」


「……なぜ断言できるの? あなたは、見付けた。エスも見付けられるかもしれない」


「見付けられない」


重ねて、クロイツは断言した。


ソフィアの機嫌が悪くなっていくのを感じる。


「なんでよ?」


「エスは、非常に優秀だからさ。そこだけは疑わない。だから、調べることもない」


「……わかった。それでいい。けど、あの方の居場所だけは教えて」


「……ソフィア。こういう秘密は、知る者が少なければ少ないほど良い。わかるだろう?」


どこから情報が漏れるか、わかったものではないのだ。


「……つまり、あなたはこう言いたいわけね」


ソフィアが、声を低くする。


「わたしが、ライア・ネクタスやストラーム・レイルに捕らえられるかもしれない。そして、責め苦の果てに、あの方の居場所を吐いてしまうかもしれない、と」


「……まさか」


クロイツは、顔を硬直させた。


ソフィアを侮辱するような命知らずではない。


「……わかったよ」


観念した。


「おそらく、ルーアが一粒をザイアムの娘に渡したことを、察知したのだろうな。『彼』は、ルーアの真似をした。壊れ行く『ルインクロード』から、自分自身だけを切り離した」


名前を出したことで、ザイアムのことを思い出した。


彼は、未だにストラーム・レイルと剣を合わせている。


永遠に決着は付かないのではないかと思わせるものがあった。


「ミジュアの第九地区が崩壊したあの日、ボスがルーアに倒されたあの時、あれも、あの場にいた」


「まさか……」


「もうわかっただろう?」


呻くソフィアに、クロイツは肩を竦めた。


気付かなかったソフィアを、笑うつもりはない。


誰だって、予想だにしなかっただろう。


「見付かることはないよ。仮に見付けられたとしても、問題はない。そこは、剣も魔法も届かないのだから」


当人が聞いたら、発狂するかもしれない。

その一言を、クロイツは告げた。


「『彼』は現在、エスの中にいる」


地下は暗い。

余計な者は、誰もいない。


秘め事を語るために地下はあるのだと、クロイツは思った。

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