瓦礫の下
ネイト・ホルツマンは、肩で息をしていた。
大きな魔法を使用した後だけあって、疲労を隠せないようだ。
焼け崩れた『ビンス園』に、火が点いていた。
だだっ広い草原の中で、それは異様な光景に見えた。
「……ネイト・ホルツマン……貴様……」
強打された腹を押さえながら、穴を出る。
凶悪な声音を発したつもりだが、ネイト・ホルツマンには通用しない。
「これで、後戻りできなくなっただろ?」
「……目的は、『中身』だったはずだ。こんなことをしては……」
まず確実に、犠牲者が出ただろう。
そして、魔法使いたちは無事だと考えた方が良い。
遠距離魔法など、魔力を察知できる魔法使いにはそう通用しないものだ。
実行したのはネイト・ホルツマンだ。
だが、魔力を変化させ、アランのものと同じ性質を持たせた。
敵の魔法使いたちは、アランが魔法を放ったと思っているだろう。
街には、アランとその仲間のジョサイアが、『ビンス園』で生活している人々を皆殺しにしようとしている、という噂が流れている。
このままでは、ネイト・ホルツマンではなく自分たちが犯人として、ザッファー政府に追われることになる。
敵の魔法使いたちを始末しても、世間はジョサイアたちを疑うだろう。
ネイト・ホルツマンを殺してしまおうかと思ったが、『コミュニティ』の追跡を逃れるためには、この男の能力は必要である。
殺したところで、自分たちではないという証明にはならない。
国外に逃亡するしかないのかもしれない。
それは、目的を果たしてからである。
「……そうだ。『中身』だ……『中身』を破壊しなければ」
「……『中身』って、誰の中にいるんだっけ?」
惚けたことを言うネイト・ホルツマンを、ジョサイアは睨んだ。
「なにを聞いている。ナーシィーだろう」
「……そうだな。ナーシィーだった。なに、ちょいと確認したかっただけだ」
ネイト・ホルツマンは、にやにやしている。
それが腹立たしい。
「じゃあ、『ビンス園』が混乱している今がチャンスだな。兵士を突撃させてもらおうか」
「……そのまま突撃させては、例えナーシィーを破壊できたとしても、犠牲が大きくなる」
「知るか、そんなもん。いいから、突撃命令を出せよ」
「指揮官は、私だ。私が決める。これ以上貴様に、好き勝手させるか」
「……あっそう」
ネイト・ホルツマンが、兵士たちに視線を向ける。
「行け。ナーシィーを殺せ。そして、『ビンス園』にいる連中を皆殺しにしてこい」
無駄なことだった。
兵士たちに命令を下せるのは、ジョサイアとアランだけである。
ネイト・ホルツマンの指示に従えという命令を、ジョサイアかアランが出さない限り、兵士たちがその言葉に応じることはない。
剣を抜く音が、夜の草原にいくつも響いた。
兵士たちが、それぞれの武器を空に翳す。
口腔から、怨念のような声が流れる。
ナーシィーを殺せ。『ビンス園』にいる者たちを、皆殺しにしろ。
「……なんだ……?」
なぜ、ネイト・ホルツマンに従う。
「貴様! なにをっ!?」
ネイト・ホルツマンが、なにかをした。
ジョサイアから指揮権を奪うような、なにかを。
物質転送の魔法のような、魔力の波動を感じた。
ネイト・ホルツマンの手の中に、フード付きのローブが現れる。
「待て! 貴様!」
ジョサイアは、ネイト・ホルツマンに掌を向けた。
兵士たちが、武器をジョサイアに向けてくる。
自分の部下だったはずだ。
それがネイト・ホルツマンを守り、ジョサイアには刃を向けている。
「ま、安心しな。俺が上手く使ってやるからよ」
フードの奥で、ネイト・ホルツマンが笑っている。
戦うことはできない。
ネイト・ホルツマンの魔法使いとしての実力は、確かなものだった。
そして、部下だったはずの兵士たちが、ジョサイアに敵対している。
勝っても負けても、虚しさだけが残る。
ジョサイアは、上げていた腕を下ろした。
兵士たちが、構えを解く。
ナーシィーを殺せ。『ビンス園』の者たちを、皆殺しにしろ。
また、聞こえた。
兵士たちが、『ビンス園』目指し進んでいく。
奪われた、なにもかも。
小さくなっていくネイト・ホルツマンと兵士たちの姿に、ジョサイアは呻くことしかできなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
シーパルが発生させた魔力障壁のお陰で、テラントたちが破壊の魔法の余波を浴びることはなかった。
だが、巨大な光が直撃した『ビンス園』では、パニックが起きている。
逃げ惑う人々。悲鳴と叫び。
建物には火が点き、棟の一つが音を立て崩れる。
襲撃が、本当にあった。
やはり、剣を突き付けてでも事前に避難させるべきだったのか。
しかし、施設利用者の中には、まともに歩けない者も大勢いた。
そして、障害物の少ないこの草原のどこに、安全と言える場所があったか。
狙われているのは『ビンス園』という建物ではなく、生活している人々なのである。
草原に移動したところで、襲撃が容易くなるだけだっただろう。
歯噛みしている暇はなかった。
迅速に状況を把握して、すぐに行動を起こさなければ。
ティアとナーシィーが向かった棟が、火を上げていた。
その隣の棟は、倒壊を起こしている。
「ナーシィー!」
剣を手に、ダネットが駆け出す。
テラントは、続こうとするデリフィスとシーパルの肩を掴み止めた。
ティアとナーシィーには、シーパルが防御の魔法を掛けた。
光が飛んだ軌跡を見る限りでは、直撃はしていないはずだ。
耐えられたはず。
「シーパル。今の魔法だが……」
「アランです」
シーパルの額には、びっしりと汗の玉が浮かんでいた。
「こんな力があったなんて、ちょっと信じられませんけど」
テラントも、アランのことは侮っていた。
ルーアもユファレートも、たいした魔法使いではないと評価していたし、足を一本失っている。
だが、これだけの魔法を放てるのならば、距離次第で非常に危険な相手になる。
「また、撃ってくるか?」
「……連発するだけの力はないと思いたいです。少なくとも、数時間は間が空くと思いますね」
「よし」
ティアとナーシィーは、後回しでいいだろう。
ティアも、随分と頼もしくなった。
兵士ならば、複数が相手でも応戦するなり逃げるなりできるだろう。
ナーシィーという足手纏いがいることが不安材料だが、ダネットも向かったのだ。
なんとかなるはず。
ティアやナーシィーよりも、『ビンス園』の住人たちの方が危険だった。
アランたちは、皆殺しにするつもりなのだから。
まともに戦えるのは、数人の警備担当の者たちだけである。
「……デリフィス、馬を確保していてくれ」
「いいだろう」
逃げる人々を誘導するのも、敵を捜すのも、馬という移動手段があれば、かなり円滑にできるようになるはずだ。
デリフィスは送り出し、テラントは混乱する人々を観察した。
初老の職員が、顔を真っ赤にして避難指示を出している。
何人かの職員は引き返していた。
逃げ遅れた施設利用者でもいるのだろう。
まずは、避難を手伝うべきか。
混乱の中で、テラントは武器と武器が触れ合う音を聞いた。
魔法が炸裂した衝撃で、『ビンス園』を囲む塀のあちこちが崩れている。
そのため門は意味を無くしているが、それでも門番は役目を放棄していなかった。
戦闘が起きているのは、そこである。
門番は二人掛かりで、黒装束の者と刃を交えていた。
「テラント、あれは……」
「多分、兵士だな。行こう」
テラントとシーパルが門に駆け付けた時、すでに戦闘は終わっていた。
倒れた兵士に、恐る恐る門番の一人がランプを向けている。
「……うわっ。なんだ、こりゃあ……」
兵士の腐敗した頬には穴が空いていて、片方の眼が飛び出ている。
動き回る死体と対面した経験など、門番たちにはなかったようだ。
兵士の口が動く。
「……ナーシィー……を……殺す……」
「なっ……!?」
絶句して、シーパルと顔を見合わせた。
なぜ、ナーシィー個人の名前が出てくる。
アランたちの目的は、『ビンス園』で生活している者ではないのか。
デリフィスが、馬を二頭引いてきた。
手綱を奪い、跨がる。
シーパルの体も、馬上に引っ張り上げた。
「デリフィス。俺たちは、ナーシィーの所へ行く」
「……ナーシィーに、なにかあったのか?」
「わからん。なにか起きているかもしれん。今、兵士が、ナーシィーを狙っているようなことを言った」
「……ナーシィーを?」
デリフィスが、兵士に眼を落とす。
すでに、物言わぬ死体に戻っていた。
「お前は、住人たちの避難を手伝ってやってくれ。ラグマ人やヨゥロ族に誘導されるよりは、安心するだろ」
「わかった」
「襲撃がなかったら、こっちと合流してくれ。どれくらいの時間様子を見るかは、お前の判断に任せる」
デリフィスが頷くのを確認して、テラントは馬の尻を叩いた。
炎が舞い、不規則に光と闇が混ざる『ビンス園』の庭を、疾走させる。
「……なぜ、ナーシィーを狙うんでしょうか?」
「わからん! て言うか、最初から訳がわからん!」
後ろのシーパルからの問いに、苛立ちながら返す。
国王暗殺、『ビンス園』の住人の皆殺し、ナーシィーの命。
どれも、狙う意味がわからない。
実際に、『ビンス園』は破壊された。
現れた兵士は、ナーシィーを殺すと口走った。
今は、ナーシィーの所へ向かわなくては。
ナーシィーの側には、ティアとダネットしかいない。
大勢の敵が現れた場合、二人だけではナーシィーを守れないかもしれない。
ルーアとユファレートは、おそらく住人を助けようと動くはずだ。
避難誘導しているデリフィスと、合流できる算段が取れる。
三人ならば、敵が大勢現れても、対処できるだろう。
住人は、デリフィスたちに任せればいい。
自分たちは、一刻も早くナーシィーの元へ向かわなくては。
ティアたちがいるはずの棟の一部が、地響きを立て崩れた。
誰かが不安を煽ろうとしているかのように、テラントには感じられた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
薄く眼を開くと、まず頭痛を感じた。
倒れていた。
顔をしかめながら、身を起こす。
体のあちこちが痛むが、外傷はないようだ。
(……あれ?)
なにがあったのか。
ティアは、短剣があることを確認しながら思い出そうとした。
ナーシィーと、ハーマシアがいる部屋へ向かうため、廊下を歩いていたのだ。
急に外が明るくなったことに気付いて、窓に眼を開け。
迫りくる巨大な光の塊に、ナーシィーと二人で悲鳴を上げたのだった。
自分が倒れていたすぐ横に、巨漢でも潰せそうな瓦礫が突き刺さっていることに気付き、ぞっとする。
そして、体を包んでいた光が消え掛けていることに、再びぞっとする。
直撃はしていないと思うが、余波だけでシーパルの防御魔法のほとんどを、剥ぎ取っていった。
もし魔法で守られていなかったら、どうなっていたか。
同じく魔法で守られていたはずのナーシィーの姿が、近くにない。
頭痛と倦怠感を振り払って、ティアはナーシィーを捜した。
見付けた。
天井の大半が崩れた、部屋の中で身を低くしている。
瓦礫の隙間に手を入れていた。
(……まさか)
駆け寄り、絶句する。
何度も弟の名前を呼ぶナーシィー。
瓦礫の下にあるのは、小さな男の子の姿。
これが、ハーマシアだろう。
「落ち着いて、ナーシィー君!」
瓦礫をどかそうとするナーシィーを、ティアは止めた。
瓦礫はいくつも積み重なっていて、下手に触ると、一気に崩れてしまいそうである。
そうなれば、ハーマシアの体は押し潰されてしまう。
二人では、瓦礫を安全にどかすのは無理だ。
人手がいる。
「誰か、助けを……」
「俺たちを案内してくれていた職員の人が、他の人を捜しに行きました。だけど、早くしないと……!」
わずかな血の跡が、ティアたちが来た方向に続いていた。
負傷し出血しながらも、『ビンス園』の職員は助けを呼びに行ってくれたようだ。
ティアはしゃがみ込んで、ナーシィーと代わり瓦礫の隙間に手を入れた。
狭いが、なんとか腕が通る。
そして、体格の分ティアの方がナーシィーより腕が長い。
ハーマシアの首筋に触れた。
脈がない。呼吸も、おそらくしていない。
まだ温かいが、これは、もう。
ティアは、唇を噛んだ。
今すぐ処置すれば、心肺停止状態からの蘇生も有り得る。
だが、二人ではとても瓦礫を動かせない。
仮にすぐ救援が来たとしても、瓦礫の撤去には早くても数分が掛かるだろう。
ハーマシアを助けるのは、不可能に近い。
風に乗って、悪臭が漂ってきた。
ティアは、その臭いの正体を知っている。
(兵士! こんな時に……!)
「……敵が来る。隠れるわよ……!」
小声で囁き、ナーシィーの手を取る。
「でも、ハーマシアが……!」
「ここであたしたちがやられたら、誰がハーマシア君を助けられるのよ!」
「……!」
瓦礫の陰まで、ナーシィーを引っ張る。
ナーシィーは、どうやら足を痛めているようだ。
ティアもナーシィーも防御の魔法の光に包まれているが、近くには火が点いている所もある。
注視されなければ、なんとか誤魔化せるだろう。
息を殺し、瓦礫の陰に身を潜ませ、辺りを窺う。
黒装束姿の者が、二十人ほどいる。
兵士だろう。
ナーシィーを守りながら、一人でどうにかできる人数ではない。
『フラガラック』も預けたままなのだ。
取り敢えず、その集団を観察する。
できれば、戦闘は回避したい。
大きな体をした者が、身振り手振りを交え指示を出していた。
離れた場所であるため、発言は聞き取れない。
明らかに、兵士たちとは毛色が違った。
眼とその周りだけ出している者、覆面を被っていない者、袖が無い服の者、兵士たちの格好は、色が黒で統一されている以外は様々だった。
大きな体の者は、フード付きのローブを身に纏っている。
体格だけを見ればテラントやデリフィスにも力負けしなさそうだが、魔法使いなのかもしれない。
兵士たちがこちらに歩を進めていることに気付き、ティアは顔を引っ込めた。
見付かってはいないはず。
まだ、表情を確認できないような距離だ。
ナーシィーは、足を痛めている。
逃げるのは難しい。
このまま遣り過ごす。
風が吹いている。
風に流され、声が聞こえてきた。
まともな声ではない。
声帯がきちんと働いていないような声。
ナーシィーを、殺す。
「……え?」
耳を疑う。
確かに聞こえる。
聞き間違いではない。
譫言のように、兵士たちは何度も何度も繰り返し口にしている。
(……なんでよ?)
なぜ、ナーシィーを狙うのか。
持っている短剣は、三本。
一本を抜き、ティアは右手に構えた。
兵士たちは、のろのろとこちらに向かってきている。
まるで、ティアが瓦礫の後ろに隠れているのを、わかっているかのように。
いや、わかっているのだとしたら、それはナーシィーの居場所か。
兵士たちは、ナーシィーを殺すと言い続けているのだから。
兵士たちが迫るだけ、ティアの動悸も早まる。
見付かっていると考えるべきなのだろう。
敵の前進からは、迷いが感じられない。
掌の汗を、衣服に擦り付けた。
それでも、すぐに汗が吹き出す。
近くに、頼れる仲間の姿はない。
ナーシィーを守るために戦えるのは、自分だけ。
「……ナーシィー君、ここにいて。あたしを助けようなんて、間違っても思っちゃ駄目だからね」
ナーシィーには、武器が無い。
足を痛めている。
幼い子供である。
戦わせるわけにはいかない。
兵士たちの声が聞こえているのだろう。
ナーシィーの顔は、真っ青になっていた。
「あたしがやられたら、逃げて。必ず、奴らから遠ざかる方向に行くのよ」
短剣をもう一本抜き、左手で握り締める。
止めようとするナーシィーを振り切って、ティアは瓦礫の陰から飛び出した。
兵士たちの反応が鈍い。
無反応に近いと言ってもいいかもしれない。
ナーシィーの命しか眼中にない、というように。
走りながら、狙いを決める。
三人並んでいる兵士の真ん中。
持っている剣は薄刃で、軽そうに見える。
右手の短剣を、その兵士に投げ付けた。
体の中心を狙ったが、左肩に当たる。
兵士の叫びに、場の雰囲気が変わった。
ようやく、兵士たちはティアの存在を認識したようだ。
左手の短剣を、両手に持ち変えた。
シーパルを信じ、可能な限り勢いを付けて、先程投擲を肩に受けた兵士に突っ込む。
刃が胸を破り、深々と突き刺さる感触。
衝撃が体にあった。
警棒と大剣。
他の兵士が振るう武器が、ティアの体を叩いている。
構わずティアは、兵士から剣を奪った。
左右に振り回し、兵士たちに刃を叩き付けていく。
警棒で殴られ、大剣で斬り付けられた。
だが、打たれた背中や肩に痺れがある程度で、ほぼ無傷に近い。
シーパルが掛けてくれた防御魔法は、まだティアの身を守ってくれている。
防御魔法の効果が残っているうちに、敵の数を減らせるだけ減らす。
怯えを呑み込み、ティアは兵士たちに突進した。
奪った剣は、普段扱っている『フラガラック』より重たい。
斬撃を繰り出すたびに重量に振り回されそうになるが、歯を喰い縛り耐えた。
遠巻きに放たれた矢が、向かってくる。
ティアの体を包む光と、鏃がぶつかるたび、虫の羽音のようなものが聞こえた。
まだ、傷付けられることはない。
剣が首を掠め、肌が粟立つ。
防御魔法で守られていなかったら、今ので死んでいる。
多分、六人か七人斬った。
防御魔法の光は、ほとんど消えかかっている。
ローブの大男が動いた。
ゆっくり、太い腕を上げる。
「まったく……」
どこかで聞いたような声。
そして、どこかで見たような体格。
「そんなガキ一人に、なに手こずってんだ」
無造作に、こちらに火球を放ってくる。
ティアのことを、まともに見ていない。
仲間であるはずの、兵士の位置さえも確認していない。
跳び退いたティアと兵士たちの間で、火球が破裂した。
爆風に煽られ、地面を転がる。
負傷はなくすぐに立ち上がるが、ティアは焦燥が募るのを感じた。
衣のようにティアの全身を包んでいた光が、消し飛ばされている。
魔法による破壊の跡を避け、兵士たちが向かってくる。
突き出された槍の穂先をなんとか払いながら、ティアは後退した。
剣が重たい。
思うように扱えない。
兵士たちの追撃を防ぎながら、ローブの大男の動きに眼をやる。
ティアには興味ないのか、やはり見向きもしない。
だらだらと歩を進める先にあるのは、ナーシィーが身を潜めている瓦礫である。
「ナーシィー君!」
逃げて、と言うことはできなかった。
襲いくる槍に、言葉も動きも遮られる。
槍を持った兵士が、もう一人。
防御が、間に合わない。
槍が、左肩を削っていく。
ナーシィーに警告を飛ばすために肺に溜めた空気は、悲鳴となってティアの口から出た。
倒れ込みながらも、スカートの中に右手を入れ、短剣を抜き取る。
転がりながら身を捻り、無我夢中で投げ付けた短剣は、兵士の喉を貫いていた。
左手の指に引っ掛かっていた剣を捨て、立ち上がる。
痛みのせいで、視界が涙で滲む。
槍をかい潜り、ティアは右肩から兵士に体当たりをした。
衝撃が、左肩まで響く。
意識を眩ませながらも、ティアは兵士の腰に腕を回した。
鞘に触れる。
兵士の腰に提げられているのは、小剣。
右足を引く動作を利用して小剣を抜く。
体当たりを喰らった兵士は、後方によろめいている。
剣を振れるだけ、間合いが開いた。
また右足を前に出し、小剣を振り上げる。
骨が脆くなっているのか、ほとんど抵抗なく兵士の胸板が裂けていく。
槍を持った兵士が倒れていく。
しかし、その後方には別の兵士たちが。
ティアの後ろに回り込んでいる者もいた。
斬り付けようとしている気配を感じる。
テラントやデリフィスみたいに、前後左右の敵を同時に相手するような真似はできない。
全力で前に跳躍し、背後からの斬撃はかわした。
前方にいた兵士たちは、ティアが頭から突っ込んできたことに意表を衝かれている。
武器と武器の間を、ティアの体は通っていった。
なんとかかわせた。
ただ、破れかぶれでかわしただけである。
前に倒れ込んだ。
左肩を怪我している。
すぐに立ち上がれない。
足音がした。
蹄が激しく地面を蹴っているかのような、豪快な足音。
だが、駆けてくるのは馬ではなく人である。
「どけぃ!」
現れたのは、ダネットだった。
振り回した剣に、斬撃を浴びた者も防いだ者も、吹っ飛んでいる。
身を起こしながら、ティアは視線をナーシィーとローブの大男の方に向けた。
「瓦礫……ナーシィーく……!」
喉が詰まり、上手く声を出せない。
それでも、ダネットは理解してくれた。
ローブの大男に駆け寄り、斬り付ける。
鋭い斬撃だった。
しかし、ローブの大男は意外にも身軽な動きで、ひらりとかわす。
ダネットは止まらず、瓦礫の裏まで駆け抜けた。
ナーシィーの体を担ぎ上げる。
ティアも、ただ見ていたわけではない。
痛む体を叱咤して、ふらつきながらも腰を上げる。
ダネットに斬り付けられた兵士は四人。
いずれも息があるようだが、立ち上がろうともがいている状態である。
ティアは、全てにとどめを刺していった。
自分の残酷さに、吐き気を催すほど嫌気が差す。
だが、やれる時にやらなければ、ダネットはともかく、ティアやナーシィーは殺されることになるだろう。
残った兵士たちは、積極的に前に出てこない。
ダネットの登場も大きいだろうが、それ以上にローブの大男が、兵士を巻き込むことを恐れないような魔法の使い方をしたことが、躊躇う最大の理由だろう。
ローブの大男は、ダネットのこともナーシィーのことも見ていない。
瓦礫の方へと視線を向けている。
ダネットは、身動きが取れなくなっていた。
魔法使いが相手だ。
背中を見せて逃げれば、魔法で撃ち抜かれる。
突っ込もうにも、先程あっさり剣をかわされている。
ローブの大男は、ダネットにもナーシィーにも興味無さ気だった。
積み重なった瓦礫を眺めている。
慎重に構えていた兵士たちが、動きかけた。
そこで、馬蹄の音が響いた。
今度は、間違いなく馬蹄である。
手綱を握っているのはテラント。
シーパルもいる。
兵士たちが慌て出すのを見て、ティアは駆け出した。
左腕が使えない状態で仲間と離れていては、狙ってくれと言っているようなものだ。
テラントやシーパル、ダネットの集中を削いでしまう。
テラントたちの方に向かうよりも、ダネットと合流する方が早い。
ティアは、ダネットの大きな体の後ろに回った。
ローブの大男が、視線を移す。
瓦礫から、テラントとシーパルへ。
剣を構えるダネットのことは、見ようともしない。
テラントとシーパルが、兵士たちが固まっている所へと向かう。
戦わずして、兵士たちは散り散りになっていた。
果敢に立ち向かう兵士もいたが、テラントの馬上からの剣に真っ二つになっている。
兵士の一人は、槍の穂先を前に出し、ダネットの側面に突進していた。
ローブの大男に意識と剣を向けているダネットに、躊躇いが生まれる。
ティアの足下に転がる物がある。
テラントが放ったそれは、ティアが愛用している剣、『フラガラック』。
柄を握り、振り上げる勢いで鞘から抜く。
そして、振り下ろす動作で光輝く斬撃を飛ばす。
光は兵士に直撃し、弾き飛ばした。
ローブの大男の近くまで転がる。
仲間たちが倒されていっても、ローブの大男から動揺は感じられない。
足下の死体に、一瞥さえしない。
シーパルが前にいるテラントの肩に腕を載せるようにして、ローブの大男に掌を向けた。
「フォトン・ブレイザー!」
旅の中で、たくさんの魔法使いを見てきた。
だから、シーパル、そしてユファレートが特別な魔法使いであることは、ティアにもわかる。
なにが特別かと言うと、速さと正確さだろう。
二人と並の魔法使いを比べると、明らかに発動速度が違う。
そして、正確に的の中心へと向かう。
揺れる馬上から放ったシーパルの光線は、真っ直ぐにローブの大男へと突き進んでいた。
「お?」
やや驚いた様子で、ローブの大男が魔力障壁を展開させる。
受け止めるが、シーパルの魔法の勢いに、足の裏がわずかに浮いていた。
後退しながら、バランスを整える。
「おー、これはこれは……」
押されはしたが、ローブの大男から余裕のようなものをティアは感じ取っていた。
防御魔法の発動が、シーパル並みに早かった。
この巨漢もまた、優れた魔法使いということだろう。
それでもティアは、ほっとしていた。
油断は禁物だが、もう大丈夫だろう。
シーパルならば、相手がどんな魔法使いでも対抗できる。
テラントがいれば、残り数人になった兵士を恐れる必要はない。
「あーあ、駄目だな、お前らは」
ローブの大男が、呟いた。
おそらく、テラントやシーパルに向かって。
「ちょっと、強すぎる。まともには戦えん」
手を動かす。
ティアには、何気ない動作に見えた。
食事の席で、空になった皿をテーブルに置くような、特筆すべきことはなにもない動き。
テラントとシーパル、そして二人が跨がっていた馬が、消えた。
「えっ?」
見失ったというわけではないような気がする。
激しい動きに眼が付いていかなかったのではない。
跡形もなく、忽然と消え失せた。
「……な……んで?」
体が震える。
二人は、なにをされた。
最悪の想像が頭を過る。
ダネットが、身を翻した。
「逃げるぞ!」
肩を押される。
釣られるような形で、ティアも駆け出した。
「えっと、あの……」
「愚図愚図するな!」
わかっている。
魔法使い相手に魔法を使えない者が距離を取るのが、どれだけ危険か。
それでも、逃げるべきだ。
敵に無防備な背中を見せてでも。
テラントやシーパルが殺されたかもしれないとは、考えたくない。
少なくともローブの大男には、二人を退けられるような何かがあるのだ。
ティアに、どうにかできる相手ではない。
怪我人が二人もいる状態では、ダネットも思い切り戦うことはできないだろう。
ティアにもダネットにも、得体の知れない大男に対抗する力はなかった。
だから、逃げる。
例えそれが、大きな魔法を使われたら一巻の終わりである、絶望的な逃走であっても。
兵士が追ってくる。
あと三人。
ナーシィーを殺せ。
兵士たちの声が聞こえる。
ダネット一人で、兵士三人くらい倒せるかもしれない。
だが、ダネットは引き返そうとしなかった。
今はとにかく、逃げるのが先決ということだろう。
ローブの大男は、ティアたちを追ってこない。
力場の魔法を使っているのだろう、ハーマシアに積み重なった瓦礫を移動させている。
おそらく、ハーマシアは死んでしまった。
瓦礫をどかしたところで、手遅れである。
そもそも、ローブの大男にハーマシアを助ける理由はないだろう。
なんの目的があるのか。
担がれた格好で、ナーシィーは引き返すよう言っている。
すでにハーマシアの脈は止まっていることを、ナーシィーは知らない。
喚くナーシィーを、ダネットは無視している。
遺体の回収よりも、生きている者の安全の方が優先である。
左肩の痛みに喘ぎながら、ティアは視線を上げた。
広い夜空が眼に映る。
テラントとシーパルが、いなくなってしまった。
遠くを眺めれば、二人を見付けられるような気がしたのである。
しかし、ティアたちを呼ぶテラントの声が響くことはなく、合図代わりのシーパルの魔法が夜空に打ち上げられることもなかった。