不可視の攻防
『ビンス園』に到着した。
いくつかの白い建物が連なっている。
周囲の家屋と合わせると、小さな村くらいの規模になるかもしれない。
ティアはなんとなく、故郷であるロウズの村を思い出した。
あそこは、村の中央に『ヒロンの霊薬』の製造工場があり、その周囲に村民が生活する家がある。
ここ一帯の作りと、よく似ているのだ。
ロウズの村は、盗賊団の存在に脅かされたことがある。
『コミュニティ』の構成員に、工場を占拠されたこともあった。
どこから襲ってきたか、村人や自分たちは、どうやって対応したか。
考えながら、ティアは周囲を観察した。
ここへ来る途中、兵士の一団と遭遇した。
本当に襲撃があると思った方がいい。
テラントは、建物の外に立ち警戒している。
いつもならば、デリフィスが見張り役を買って出るところだ。
デリフィスは、『ビンス園』のロビーにいた。
ダネットやナーシィーも一緒である。
話が弾んでいる様子ではない。
なんとなく、近付き難いものがある。
ダネットの様子がおかしい。
虫歯の治療前の弟の姿が脳裏に浮かんだのは、村のことを思い出したからだろうか。
単純に言えば、ダネットは落ち込んでいるように見えた。
ナーシィーは、おとなしくしている。
元々、余りはしゃいだりしない子供だ。
弟とは、短い時間しか会えなかったらしい。
神経質になっているからと、職員に告げられたということだ。
他人であるティアも、もちろん会っていない。
ハーマシアという名前であることは、ナーシィーから聞いた。
ダネットたちに、今は声を掛けない方がいいような気がする。
ティアは、一旦建物の外に出た。
テラントが、厳しい眼付きで南西の方角を見ている。
「……ルーア、遅いね」
ここへは、ティアとテラント、そしてルーアの三人で向かった。
途中で兵士たちと遭遇し、ルーアだけが戦うために残ったのだ。
少しずつ日が傾いていく。
ティアとテラントが『ビンス園』に到着して、随分経つ。
ルーアの姿は、一向に見えない。
「ねえ、テラント。ルーア、迎えに行った方がいいんじゃ……?」
「……ルーアなら、一人でもなんとかする。ここの人たちには、元『コミュニティ』の構成員と戦えるだけの力がない」
「それは、そうだけど……」
門番が二人、外を巡回する者が一人、建物の中を見回っている者が二人。
現在『ビンス園』の職員で武装しているのは、その五人だけだった。
今すぐ襲撃があったとして、すぐに戦闘態勢が取れるのも、その五人だけだろう。
二十四時間体制の警備だとする。
それに、休憩や休日があることも含めて考えれば、警備員の総数は十五人くらいになるのだろうか。
兵士が何十人といた場合、対抗できない。
アランと長距離転移を使った大柄な男、敵には少なくとも、魔法使いが二人いると考えられる。
『ビンス園』を守るために、離れるわけにはいかないか。
辺りを一周してみた。
民家やアパートに、特別おかしなものは見当たらない。
『ビンス園』という施設があることだけが、この一帯の特徴だった。
空がオレンジ色になったところで、馬車に乗ったユファレートとシーパルが『ビンス園』に到着した。
北に用のある行商人を街で掴まえ、道中商品を守るという条件で、ここまで送ってもらったらしい。
行商人は、『ビンス園』の北にある橋を渡り断崖絶壁を越え、そのまま去っていった。
「街の様子は?」
見張りを交代するつもりなのか、外に出てきたシーパルにテラントが聞いた。
ユファレートはロビーの長椅子に腰掛け、体を休ませている。
「例の……ここの人たちを皆殺しにするって噂を、売り物にし始めている情報屋が増えたみたいですね」
「そうか」
神妙な顔付きでテラントが頷く。
やがて、軍や警察の耳にも入るだろう。
ティアたちはアランの仲間だと誤解している者たちがいるが、まずいかもしれない。
軍や警察に、ヘイム・デロ・ツオサートの私兵たちが事情を聞かれる可能性がある。
彼らが、勘違いしていることをそのまま口にしたらどうなるか。
今度は軍や警察が、ティアたちを追ってくることになるかもしれない。
「他に、変わったことは?」
「ヘイム・デロ・ツオサートの私兵たちが、街の広場に集合していましたね。武器の手入れや、馬を集めたりしていたようなので、もしかしたら……」
「……こっちに来るか」
確か、総勢二百名だったか。
それだけの人数が武装して押し寄せてくるのは、厄介だろう。
本来ならば味方にできそうな立ち位置のはずだが、アランの策略もあり、友好的な関係を築けていない。
ただ、『ビンス園』の人々のことを考えれば、心強い存在になるかもしれない。
ティアたちが『ビンス園』に危機が迫っている可能性を告げても、職員たちはまともに取り合ってくれなかった。
国営とは名ばかりで、実体は民営の施設。
片田舎の集落のようなもので、襲ったところでたいした得はない、ということだった。
一応警備体制を強化するとは言ったが、今のところ変化はない。
こうなると、ヘイム・デロ・ツオサートの私兵たちの存在は、重要なものになる。
武装した二百人の圧力は、相当なものだろう。
アランたちは、襲撃を躊躇うのではないか。
そして、なによりも大きいのが、到着したユファレートとシーパルの存在だった。
遠距離からの魔法攻撃も、これで防げるようになった。
シーパルは、他にも情報を集めていた。
王都ハオフサットの南で局地的な地震が起きたとか、ハオフサットとレフグレを結ぶ街道が数箇所寸断されているとかいう情報だった。
今回の件とは、関係なさそうである。
時間が限られている中で、シーパルは手当たり次第情報を掻き集めたのだろう。
「ねえ、シーパル。ルーア、見なかった?」
テラントとシーパルの会話に、ティアは口を挟んだ。
出発地と到着地は同じなのである。
きっと、アランの部下と思われる兵士の集団と戦った場所の近くを、シーパルたちも通っている。
ルーアが魔法を使っていれば、ユファレートやシーパルは気付くはずだ。
「そう言えばルーアは? いないようですが」
「途中で兵士たちに会って、ルーアだけ残ったのよ。ねえ、見掛けなかった?」
「……」
唇の下に拳を付けるシーパル。
かぶりを振った。
「……いえ。見掛けませんでしたね。魔力の波動を感じることもなかったです。ユファレートも一緒にいましたし、二人揃って見落とすことはないと思いますよ」
「そう……」
不安になってきた。
ルーアのことだ、きっと無事だろう。
だが、それにしても時間が掛かりすぎなのではないか。
「……ねえ、テラント」
「……そうだな。シーパルたちが来てくれたことだしな」
最も恐れていたのは、敵の魔法使いの魔法による遠距離攻撃である。
ユファレートとシーパルの到着により、その対策はできたと言える。
二人は、それだけ優秀な魔法使いだった。
「俺は、ルーアを迎えに行く。シーパル、お前らは、ここを守っていてくれ……っと」
扉が開き、テラントの背中を押す。
デリフィスだった。
ロビーにいるダネットを気にしながら、扉を閉める。
「テラント、ダネットに付いていてくれないか?」
「……なんで俺が?」
「ダネットの様子がおかしい」
「それは、見ればわかる。悩み事でもあるのか?」
「わからん。話そうとしない」
ユファレートが話し掛けても、ダネットは短く返しているだけのようだ。
ナーシィーは、そんなダネットを見て落ち着かない様子だった。
「……放っておけばいいんじゃないか?」
「そうかもしれん。だが、あんなダネットは見たことがない。長い付き合いになるが」
「……その長い付き合いがあるんだから、俺よりお前が近くにいた方がいいだろ」
「俺では、駄目だな。そういうことが苦手だ」
デリフィスの口調には、自嘲するかのような響きがあった。
「テラント、お前は、ダネットと気が合っているようだった」
「……」
鼻から息を抜きながら、テラントが背後を親指で差す。
『ビンス園』の門があり、その向こうには民家が並んでいる。
更にその先には、どこまでも広い平原へと続く道があった。
ティアとテラントが、この『ビンス園』に来るために通った道である。
「……ルーアを捜しに行こうと思ってたところなんだけどな」
「それは、俺が行く」
「……いいけど、道わかるのかよ?」
「大体はな」
デリフィスはザッファー人であり、傭兵だった。
もしかしたら、北のリーザイ王国との戦争に参軍するために、この辺りを通ったことがあるのかもしれない。
「あたしも行く? 途中までルーアと一緒だったし、道も覚えてるし」
「そうだな。頼む」
テラントが、馬を引いてきた。
ティアとテラントが乗っていた馬だった。
二人乗り用の鞍を載せてある。
「潰したら、弁償しろよ」
「わかっている」
慣れた様子で馬に飛び乗るデリフィス。
その手を借りて、ティアも馬に跨がった。
手綱を握るのは、もちろんデリフィスである。
ティアにとって、この馬に乗るのは本日二度目になる。
実は尻や腰が軽く痛かったりするのだが、文句は言えない。
デリフィスが、かなりの勢いで馬を走らせる。
怖いとは感じない。
速いは速いのだが、それ以上に安定している。
テラントが手綱を捌いている時も、感じたことだ。
それに比べると、ルーアの走らせている馬はどこか危なっかしかった。
「……キュイを、覚えているか?」
「……え?」
デリフィスは、あまり大きな声を出さない。
そのため風に紛れてしまいそうになるが、確かにデリフィスはキュイの名前を口にした。
唐突に出てきた懐かしい名前に、戸惑ってしまう。
ダネットと同じく、ティアたちがズターエ王国アスハレムである事件に巻き込まれた際、力になってくれた人物である。
「……それは、覚えているけど。どうしたの、急に?」
「……俺とダネットの関係は、テラントとキュイの関係に似ている」
「……あー、確かに」
元々テラントはラグマ王国の将軍であり、キュイはその部下だった。
デリフィスには傭兵団を率いていた過去があり、ダネットはそこに所属していた。
ティアがダネットとキュイに知り合ったのは、ほぼ同時期だった。
考えてみると、不思議な縁である。
「……それが、どうかした?」
「キュイは、死ぬところだった」
「え? ……うん、まあ」
「だが、死ななかった。テラントだけの力とは言わない。しかし、最も大きかったのはテラントの存在だろう。テラントがいなければ、キュイは死んでいた」
「……うん」
テラントがラグマの王に直談判をしなければ、キュイは死んでいただろう。
「苦悩していたようだ。テラントが話し相手をしたことで、救われた部分もあったと思う」
「……ねえ、結局なにを言いたいの?」
「俺とテラントの立場が逆だったら、どうなっていただろうかと思ってな」
「え?」
「俺では、駄目だな。おそらく、キュイを救えなかった。ダネットの力にも、なれないような気がするな」
「えーっと……」
「剣で、テラントに負けるつもりはない。だが……」
そこで、デリフィスが口ごもる。
(……もしかして)
劣等感を抱いているのではないか。
いつも、他人には無関心という態度でいるくせに。
「あたしはさ、デリフィスのこと頼りにしてるよ。あたしだけじゃなくて、ユファも、みんなも、テラントも」
「……」
「だから、しゃきっとしてよ。まずは『ビンス園』の人たちをきっちり守って、難しいことはそれから考えればいいよ」
「……そうだな」
「あたしだけじゃ、ルーアを捜しに行くこともできないんだから。しっかりしてよね、デリフィス」
そろそろ、先程兵士たちと戦闘になった所に着く。
厚い雲に遮られ、沈みかけの太陽はほとんど見ることができなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
地に付く足を、眼で確かめる。
爪先は真っ直ぐ前を向いていた。
歩幅にも、狂いがない。
左右どちらにもブレずに、前に進めている。
左手に抜き身の剣があるが、構えてはいなかった。
斬る対象がなければ、杖代わりにしかならない無駄に鍛えた鋼である。
敵がいたから、抜いたのではない。
目印として適当な物がなかったため、鞘を置いてきたのだ。
千二百七十。千二百七十一。歩数を確認しながら、一歩一歩進む。
自分の剣の鞘が進行方向に転がっているが、ルーアは気にしなかった。
「……千二百七十八」
鞘の所まで到達する最後の一歩の時だけ、声に出す。
先程は、千二百七十七歩目で鞘の所に着いた。
一歩のずれは、歩幅にわずかな狂いが生じ、それが積み重なった結果だろう。
それは些細なことで、気にする必要はない。
着目しなければならないことは、他にあった。
「……ユファレートじゃあるまいし」
歩いても歩いても、同じ所に戻ってしまう。
歩幅や爪先の向きに注意し、真っ直ぐ歩くことを過剰に意識しても同じだった。
太陽を背に歩いていたはずなのに、ふと気が付くと、山陰に隠れようとしている夕日に向かっている。
(……さてと)
立ち止まり、空を仰ぐ。
次いで、視線を周囲に。
流れる雲。風にそよぐ、膝の高さまで伸びた草。拡がる原野。遠くに見える山並み。雲の向こうで輝く太陽。
風景に、おかしな点はない。
ルーアだけが、同じ所をぐるぐる回っている。
(……幻術的な……なにか)
それが、自分に干渉している。
(幻術を掛けられた時の心得、その一。取り敢えずまあ、落ち着け)
歩き慣れた体だ。
平坦な草原を歩いた程度で、簡単に疲れはしない。
だから、慌てないことだ。
それにより、精神的な疲労を軽減できる。
(……次に、冷静に状況を分析)
魔力の波動は感じない。
幻術の魔法である可能性は、低い。
(……能力者による精神攻撃? それとも、『悪魔憑き』か?)
以前、暗い空間に閉じ込められ、悪意に満ちた幻覚を見せられたことがあるが、それは『悪意憑き』の能力だった。
爪先で、地面を叩く。
しっかりとした大地の感触。
幻という感じではない。
(……力尽くでどうにかなる、って感じじゃねえなぁ)
術者を見つけ倒すことができればいいのだが、それらしき姿も気配もない。
(……打つ手なし、に思える。……俺には)
ならば、素直に助けを求めるか。
「……エス」
呼ぶ。
白い姿がゆらりと現れ、幻術の中から外へ出してくれることを期待したが、エスはいつまで経っても湧いてこない。
(……やっぱ駄目か)
異変に気付いてすぐ、エスを呼んだ。
だが、その時も反応はなかった。
また、クロイツに妨害されているのだろう。
逆に言えば、クロイツもエスに力を封じられている。
あの二人は、互いに干渉し合い、常に牽制し合う関係だ。
エスにもクロイツにも、あまり余裕はないはず。
だからこれは、クロイツの仕業ではない。
(……いつの間に、幻術の中に放り込まれた。そして、脱出の手掛かりさえも見付けられない)
相当高度な幻術だ。
エスやクロイツ以外に、こんなことをできる者がいたのか。
エスが当てにならないのならば、あと頼りになりそうなのは、シーパルだろう。
ヨゥロ族の力なのか、なぜかシーパルはこういった空間に干渉し、破壊することができる。
閉じ込められて、二、三時間は経過しているような気がする。
助けが来るまでは、なにもできないかもしれない。
(……目的は、なんだ?)
事が済むまで、ルーアをこの空間に封じ込めたいのだろうか。
それならそれで構わない。
これだけ高度な幻術を使用しながら、他のことができるとは思えない。
ルーアを封じる幻術だけで、敵の術者は手一杯に近い状態だろう。
戦闘参加は難しい。
つまり、相手側の戦力も低下しているということだ。
時間的に、シーパルとユファレートも『ビンス園』に到着したはず。
テラントやデリフィス、ティアもいる。
あの五人ならば、『ビンス園』をしっかり守ってくれるだろう。
(目的が、他にあるとすれば……)
外界と接触する手段がない。
それは、敵が現れても、助けを求めることができないということ。
(……俺を、殺すことか)
敵がどれだけ巨大な力を持っていても、どれだけ大人数だろうと、一人で戦わなければならない。
日が、半分ほど沈んだ。
夜が迫るに連れ、自分の影が長くなっていく。
(来るとしたら、そろそろ……)
草を踏み分ける足音が、背後からいくつも聞こえた。
「……だよなぁ」
にやりと笑う。
はっきりと敵の姿が見える方が、ずっとやりやすい。
振り返り、剣を構え、敵の戦力を確認する。
黒装束を身に纏った兵士たち。十五人前後か。
兵士たちの後方に、長い右腕を松葉杖のように使い、体を支えている者がいる。
アランだった。
「……今度は、左足を斬られにきたか?」
安い挑発に、アランの顔の傷が動く。
眼を細めたようだ。
アランが号令を出す。
兵士たちが、ルーアの前方で陣形を組む。
敵かどうか、問う必要はないだろう。
交渉次第で敵対を避けられたのは、すでに過去の話だ。
敵の陣形を見極める。
地の利はアランたちにある。人数でも勝っている。
それでも、包囲の形は取らなかった。
歩いても歩いても、元の位置に戻ってしまうような空間だ。
道を塞がなくても、逃げられることはない、ということなのだろう。
戦闘に於いて、敵を包囲するというのは利点ばかりあるように思われがちだが、実は欠点もある。
一所に固まるよりも、人の壁が薄くなってしまうのだ。
全員が同時に攻撃できればいいが、足並みが揃わなければ、包囲の輪は乱れてしまう。
そうなれば、壁が薄い分、一点突破されやすい。
突破した者が反転すれば、包囲していた者たちは背後から攻撃を受けることになる。
今、兵士たちは、アランの前で固く陣形を組んでいる。
アランを守りやすい形。
同時に、アランの魔法の援護を受けやすい形。
攻撃よりも守りを意識している陣形に思えた。
そして、長期戦になっても構わない、という陣形である。
これだけの人数を相手に突っ込もうとは、さすがに思わない。
ゆっくりと、ルーアは後退した。
兵士たちは動かずに、アランの補助魔法を受けている。
兵士たちの体が、防御魔法による淡い光に包まれていく。
ルーアは舌打ちした。
アランは、まず攻撃魔法を放つだろうと予想していたのだ。
防げば、足も止まる。
そこで、兵士たちを突撃させるだろうと。
危険だが、むしろルーアはそれを望んでいた。
動けば、陣形も乱れる。
衝け込む隙ができるというものだ。
兵士たちは、陣形を崩さない。
武器にも光が宿り始める。
これ以上補助魔法による強化をさせるのは、危険だった。
動く気がないのならば、強制的に動かす。
「ファイアー・ボール!」
ルーアの放った火球が、兵士たちの陣の中央目掛け突き進む。
だが。
「ルーン・シールド!」
アランが展開させた魔力障壁に、爆炎は遮られる。
客観的に見て、魔法使いとしての力は、ルーアの方がアランよりも上だろう。
しかし、距離がある状態で正面から魔法攻撃を仕掛けても、そう簡単に通用するものではない。
そして、アランは落ち着いていた。
魔法使いとしての実力はともかく、場馴れしているのは確かなようだ。
陣形を保ったまま、兵士たちが前進してくる。
敵の戦い方はわかった。
ルーアと直接刃を交えるのは兵士に任せ、アランは防御と補助を担当するつもりだ。
前衛と後衛で役割をはっきりと分担させた戦い方であり、正攻法と言える。
それだけ、隙がない。
このままだと、魔法による補助を受けた兵士二、三人を、同時に相手しなければならなくなる。
「ル・ク・ウィスプ!」
無数の光弾が、様々な軌跡で兵士たちに向かう。
しかし、アランが発生させた魔力障壁に、ほとんどの光弾は受け止められた。
一人だけ喉をえぐられた兵士がいたが、広範囲に魔法をばら撒いたにしては、わずかな成果を上げたに過ぎないと言えるだろう。
突進してくる兵士たちの勢いを流すつもりで、ルーアは横に駆けようとした。
「!?」
唐突に脳への刺激と目眩を感じ、足が縺れてしまう。
剣を持った兵士が、左右に回り込んでくる。
正面から襲い掛かってくる兵士の手には、鉄製の警棒が。
警棒を弾き、剣を後退しながらかわし、ルーアは右手を振り上げた。
また、視界が回る。
誰かに、妨害されている。
内心で舌打ちしながら、ルーアは右腕を振り下ろした。
「退け!」
アランの指示する声が響いたのは、ルーアの魔法が炸裂する直前だっただろう。
「ヴォルト・アクス!」
電撃が弾けるが、すでに兵士たちは、魔法の範囲内から脱していた。
何者かの妨害により、魔法の発動が一瞬遅れた。
それがなければ、少なくとも四人は、消し炭になっていたはずだ。
電撃が空気を焦がしている間に、間合いを拡げるために後退する。
「リウ・デリート!」
アランの魔法が発動した。
弾ける電撃が消失する。
兵士たちが突っ込んでくる。
応戦するため剣先を上げ、また目眩を感じた。
警棒を、なんとか剣の根元で受ける。
下半身が頼りなかった。
頭の中を掻き回され、体が浮いているような感じがする。
兵士の勢いに、ルーアは後方へ転がった。
激しい目眩に苦しむルーアに、兵士たちが迫ってくる。
(さっきからうぜえ奴がいるが……)
でかい魔法を使う。
覚悟を決めた。
失敗したら、死ぬ。
膝を付いた姿勢で、剣を振り上げた。
向かってくる土や、根っこから抜けた草に、兵士たちの追撃速度が鈍る。
その間に、ルーアは瞬間移動の魔法を発動させた。
転移先の座標を、細かく定める余裕はない。
後方、とにかく距離を稼ぐため、少しでも遠くへ。
転移に成功し、ルーアはまた目眩を感じて呻いた。
高度な魔法を使った影響か、何者かに干渉されているのか。
朦朧としながら、腕を上げる。
敵の姿を捜す手間を省くために、真後ろに転移したのだ。
大魔法の連発。
これで殲滅する。
「ヴァイン・レイ!」
光の奔流が、草原を焦土に変えていく。
兵士たちの前に魔力障壁が展開されるのを、ルーアは見た。
光の奔流をわずかな時間受け止め、魔力障壁は砕けたが、兵士たちに痛撃を与えるまではできなかったかもしれない。
膝の震えに耐えながら、更にルーアは魔力を引き出していった。
できれば、これで決めておきたい。
「ヴァイン・レイ!」
光の奔流が、再度突き抜けていく。
大気を沸騰させ、視界が白色に染まる。
眼を開けていられないだけの光量。
地響きが治まり、瞼の向こうの光が晴れるのを待って、ルーアは眼を開いた。
十数人の兵士たちがいる。
防がれた。
一本だけになった足を折り、アランがうずくまっている。
防御のために、かなりの魔力を消費したのだろう。
防御しきれなかったのか、兵士の数は二人ほど減っているようだ。
二人倒した。
大魔法を連発しての結果が、それである。
ドラウが生きていたら、叱られたかもしれない。
五の力しかない敵に十の力を用い、一か二の成果しか上げられなかったのだから。
大量の魔力を放出した。
消耗が激しい。
アランは、それ以上に消耗しているだろう。
兵士が、それぞれの武器を構える。
回復するまで待ってくれるということは、ないだろう。
おそらくアランには、ほとんど魔力が残っていない。
敵を一掃できるだけの魔法を撃てば、今度こそ勝てる。
あと一撃。放てるか。
また、目眩。
頭の中を、目茶苦茶にされている。
吐き気すら感じた。
立っているのも辛い。
「ヴァル……!」
唐突だった。
ぶちん、という音が、頭の中で響く。
これまでに何度か聞いたことがある、太い縄を強引にちぎったような音。
エスとの意志疎通を、クロイツに妨害された時などに聞く音だ。
目眩を感じなくなり、視界がはっきりする。
掌の先で、火球が膨張していく。
「……エクスプロード!」
ルーアは、大火球を撃ち放った。
ただ純粋に破壊するだけの力に変換された魔力が、紅蓮の炎となり兵士たちと断末魔を呑み込んでいく。
五、六人は消し飛んだか。
威力も炎が及ぶ範囲も、本来の半分以下だった。
そのためだろう、兵士の何人かは、退避が間に合っていた。
アランも腕を伸ばし、後方に逃げていた。
片足がなく、魔力が枯渇している状態であるはずだが、さすがに『悪魔憑き』である。
しぶとい。
とてつもなく巨大な物が、静かに静かに崩れていく音が響いていた。
砂でできている城があったとして、それが崩壊すればこんな音がするのかもしれない。
「ネイト!? なにをしている!?」
アランが、なにやら悲鳴か罵声を上げている。
「うわっ!?」
別の方向からも、声が聞こえた。
聞き慣れた、女の声。
ティアだった。
馬に跨がっている。
テラントにしがみついていたはずだが、今度はデリフィスの後ろに乗っていた。
手綱を握るデリフィスも、少し驚いた顔をしている。
ルーアの眼には、なにもない空間から、ティアとデリフィスが突然現れたように見えた。
ルーアと兵士たちの間を、走り抜けようという位置である。
デリフィスが手綱を引き、馬を止める。
ティアが身軽に飛び降りて、『フラガラック』を一閃させた。
半年前と比べると、随分威力が上がった。
刃から放たれた輝く斬撃が、逃げる兵士の背中を裂く。
デリフィスも馬を走らせ、敵を追っていた。
長大な剣が、兵士を斬り上げる。
「デリフィス、追うな!」
声を張り上げ、デリフィスを呼び戻す。
唐突に解放されたが、つい先程まで謎の力で妨害されていた。
追跡中に、またあの力で頭の中を掻き回される恐れがあった。
深追いするのは危険だった。
意外にも素直にデリフィスが引き返してくる。
異様な力が働いていたことに、気付いたのかもしれない。
「……なんなの? 急にルーアの姿が見えたから、びっくりしたんだけど」
(……そうか)
ティアの台詞で、理解した気分にルーアはなっていた。
つまり、ルーアにティアとデリフィスが見えていなかったように、二人の眼にルーアは映っていなかったのだろう。
何者かにより妨害を受けていた。
ティアたちを確認できなかったのも、妨害の一種なのだろう。
だが、なぜか妨害はなくなった。
お陰で、二人と合流できた。
それがなければ、敗北していた可能性もある。
妨害者から、誰かが守ってくれたのだろうが。
そんなことをしてくれるのはエスしか思い当たらないが、それらしき気配はない。
逃げるアランたちを眺める。
簡単に追い付ける距離ではない。
それに、追跡はやはり危険だった。
またいつあの妨害が開始されるか、わからない。
魔法で遠距離狙撃しようにも、まだそこまで魔力は回復していない。
「……取り敢えず、『ビンス園』に行こう。なにが起きていたかは、歩きながら説明するからよ」
ルーアは、ティアたちを促した。
長距離転移を使えるほどの魔法使いが、『ビンス園』を狙っているかもしれないのだ。
早く他の者たちとも合流しておきたい。
デリフィスが、馬首を北東へと向ける。
空は、すっかり暗くなっていた。
ティアたちに事情を説明する前に、ルーアは先程自分がされていたことを、思い返した。
何者かにより、妨害を受けていた。
それは間違いないだろう。
酷い目眩を感じ、見えるべきものが見えなくなっていた。
助けてくれたのは、エスなのだろうか。
他に心当たりはないが、違和感があった。
エスならば、一言連絡がありそうなものだ。
なにが起きているのか、把握できない。
なにしろ、眼で確認することができないのだから。
自分たちの届かない所で、不可視の攻防が繰り広げられている。
なんとなくルーアは、それを予感した。
◇◆◇◆◇◆◇◆
『彼は、強いよ。一人で切り抜けられただろう』
逃げるネイト・ホルツマンの意識の糸のようなものを、クロイツは笑いながら追っていた。
クロイツのことも、糸のことも、一般の者には見えないだろう。
『だが、君たちの戦いぶりは見事なものだった。あるいは、と思わせるくらいにね』
足りない駒で、ネイト・ホルツマンはよくやっていた。
あるいはルーアを殺してしまうのではないか、クロイツにそう感じさせるほどに。
ルーアには、利用価値がある。
最も重要な存在になりつつあった。
それでも、一部を除く『コミュニティ』の構成員たちに出す指示は、変わらなかった。
『殺してしまっても構わない』と。
途中で死んでしまうのならば、所詮それまでの存在だった。
ライア・ネクタスは、剣士としても魔法使いとしても、一流なのだから。
途中で死ぬような半端な力しか持ち得ていないのならば、どのみち決戦の時に殺される。
『ネクタス・システム』ではなく、人間であるライア・ネクタスに。
だから、ネイト・ホルツマンの戦略によりルーアが死ぬのならば、それはそれで諦めが付いた。
だが、クロイツは横から手を出した。
ルーアに干渉するネイト・ホルツマンの力を、力尽くで引きちぎった。
ルーアの味方をするのが目的ではない。
ここで、ネイト・ホルツマンの尻尾を掴んでおきたい。
誰からも見られない空間を逃げるネイト・ホルツマンを、粛々とクロイツは追い続けた。
空間にそびえ立つ難解な数式の壁を理論的に解き、いくつにも枝分かれした思想の道を、自身の経験に基づいた知識で論破していく。
それにしても、ネイト・ホルツマンは力を上手く使いこなしていた。
もちろんクロイツから見れば拙い技量だが、力を得た時期を考えれば、たいしたものだと認めるしかない。
他者を妨害することだけに限定すれば、あるいはエス以上かもしれない。
肉体を失ったエスは、身体的苦痛から解放された。
その弊害か、他人の体を直接痛め付けるような干渉の仕方を、忘れつつある。
幻聴を聞かせ、誤った行動を取るよう導き、壁に突撃させるなどして間接的に痛撃を与えることは、まだ可能だろうが。
そのエスが、おとなしい。
クロイツに干渉されているとは言え、静かすぎる。
動こうとしないのだから、これ以上警戒のしようがない。
今はまず、ネイト・ホルツマンだった。
ネイト・ホルツマンに力を授けたのは、誰なのだろうか。
短期間力に触れただけにしては、よく扱えている。
実際にはいつ頃力を得たか知らないが、短期間と言い切っていいだろう。
クロイツもエスも、力に七百年以上触れてきたのだから。
『彼』だろうか。
いくつかの推論に基づき、一人の人物を意識に浮上させる。
未熟なくせに、横柄で狡猾。それなのに、他人を教育することだけは優れていた。
『彼』が、ネイト・ホルツマンやロンロ・オースターに力を与えたのではないか。
ネイト・ホルツマンの意識が肉体に逃げ戻ったことを確認し、クロイツも空間との接触を解除した。
肉体の中から、眼を開くよう指示を出す。
ここ数日クロイツが過ごした、変わり映えしない屋内の様子が視界に拡がる。
日が落ちたため、明かりのない部屋は真っ暗に近い。
「……見付けたよ、ネイト・ホルツマン」
暗がりで、笑みを浮かべる。
ある建造物の近くに、ネイト・ホルツマンはいた。
ほんの少し前までは、存在を知覚できなかった施設だ。
ダネットやナーシィー、ルーアの仲間たちもいる。
まず間違いない。
『中身』も、そこにある。
喉を鳴らす。
「そういうことか、エス……」
ストラーム・レイルが、『ビンス園』まで六時間という所にいる。
妙におとなしいと思ってはいたが、おそらくエスは、『中身』の居場所を捜すことだけに集中していた。
特定はできない。クロイツの妨害を受け、ネイト・ホルツマンの手により隠蔽されていたのだから。
これも推測になるが、エスはザッファー王国を、東西南北というように、大まかに分けて『中身』を捜したのだろう。
そして、様々な情報を元に、この国の北部に『中身』はあると結論付けた。
ストラーム・レイルが、ザイアムと剣を交えながらも北へ北へ移動していたのは、そのためか。
一見すると、自国であるリーザイへ引き込もうとする動きに見える。
だが実際は、『中身』に備えてのことだった。
ザッファー王国北部にあるという所までは、わかっている。
同じ北部であればどこであろうと、あの男ならば数時間で駆け付ける。
だがそれは、ザイアムも『ビンス園』に現れるということだ。
ライア・ネクタスをあしらいながら、ソフィアも移動していた。
『ビンス園』までの距離は、ザイアムと同程度だろう。
ストラーム・レイルは、まず間違いなくエスの助言を受けている。
ソフィアは、自身の判断で北へ向かっていた。
ここは、ザイアムよりもソフィアだろう。
彼女の方が、状況が見えている。
接続すると、武器と武器がぶつかり合う音が耳に入った。
荒い息遣いは、ライア・ネクタスのものだろう。
ソフィアには、余裕があるはずだ。
『……なによ?』
(『中身』の居所が判明した。ダネットの座標はわかるね? そこにいる。『ビンス園』という施設だ)
『……そう、やっぱり。マークしていて良かったわね。あなたのシミュレート通り、ナーシィーはダネットと行動を共にするようになった』
(そして君の予想通り、ダネットは『中身』の元へ向かった。いよいよだよ。ライア・ネクタスを振り切り、君も『ビンス園』に向かってくれ)
『……ザイアムは?』
(ストラーム・レイルも、『ビンス園』を目指すだろう。だから、ザイアムも向かうことになる)
『『ビンス園』で合流ね。了解』
爆音が響く。
ソフィアとライア・ネクタス、互いの魔法が炸裂したのだろう。
接続が切れる。
「さてと……」
身を沈めていた安楽椅子から、立ち上がる。
連日の雨のため、長時間体を動かしていなかった。
全身に気怠さがある。
伸びをすると、あちこちの関節が鳴った。
「……今から、行くよ」
ザイアムはストラーム・レイルの、ソフィアはライア・ネクタスの相手をしている。
二人よりも先に、『ビンス園』に到着することになるだろう。
問題は、ネイト・ホルツマンが残された時間でなにをするかだった。
あと一手か二手は打つことができるはずだ。
だが、どんな妨害を受けても、必ず完成させてみせる。
部屋の中央に、美しい青年の姿をした物体が現れる。
人の姿をした、空っぽの『器』。
生前それは、ハウザードと呼ばれていた。