進むか退くか
わたしは(ザリーフも含め)ナスル殿下により、密林の中に10メートル程度入ったところまで案内された。殿下の部下は水辺で待機し、アンジェラはプチドラと舟の上で遊んでいる。ここにいるのは、わたしとナスル殿下と通訳のザリーフの3人。殿下は、一つ咳払いすると、おもむろに口を開いた。
「♭⊿●∀∥、&〆‡‡√☆※◇∮、#≡▲□*◎†⊆∴、∬&℃☆√⊿〆、◇*‡†∽∀⊿■¶¶£、〓∀*◆Ω◇、§♂&@∑≪&★※…(以下略)……」
ザリーフは、ずり落ちそうな大きなメガネを押し上げる暇もなく、慌ててわたしのすぐ傍に身を寄せると、
「え~っと、今回、このようなことになってしまい、誠に心苦しい。私としては、ぜひともトードウォリアーの領域を征服し、国王に献上し、我が名を永遠に歴史に留めんと……(以下略)……」
と、ナスル殿下の言葉を一言一句漏らさず、正確に翻訳してくれた(と思われる)。
殿下は苦渋の色を浮かべ、時折、タオルを取り出して額の汗をぬぐいながら、延々と話を続けた(少なくとも1時間以上聞かされたような気がする)。ただし、その話の内容は実に単純明快で、かいつまんで言えば、「我々は、トードウォリアーの領域に向かって、この地まで進軍してきた。しかし、仲間の約半数が敵の攻撃により戦闘不能となり、部下からは、『とりあえずハッドゥの町に戻って、態勢を立て直すべきだ』との意見が出ている。私としては、このまま進軍を続け、なんとしてもトードウォリアーの領域を我等のものとしたいと考えているが、部下たちの言い分にも一理ある。そこで、君の考えを聞かせてほしい」ということ。これくらいのことを、持って回ったくどい言い回しや無闇矢鱈と挿入した形容詞やその他諸々で、延々と喋り続けるんだから、ある意味、これも才能の一つと言えるかもしれない。訳し終えると、ザリーフはゼェゼェと肩で息をして、汗をぬぐった。
日頃は豪胆なナスル殿下も、ここにきて、少し弱気になっているのだろうか。「このまま進軍を続け云々」が殿下の本心かどうかは、ちょっぴり微妙。行けども行けども密林が続き、トードウォリアーから幾度となく攻撃を受ける日々だから、殿下も内心では嫌気がさして、ハッドゥの町に帰りたいと思っているのではないか。とはいえ、自分の舟を傷つけられて部下の前で激怒したり、町を出るときに父親の前で散々大口を叩いたりしてきた以上、自分から「帰ろう」とは意地でも言えないのだろう。その点、わたしが言いだしたなら、対外的にも説明はつく。今回の旅の発端となったわたしが、当初の目的を断念したのであれば、殿下にとっては、これ以上先に進む義務も義理もない。
ザリーフはやや腰を低くして祈るように手を合わせ、わたしを見上げていた。彼もまた、わたしが「帰ろう」と言えば、ナスル殿下も撤退を決意するであろうと、予想しているのだろう。ただ、わたしとしては、ここまで来て引き返す気にはなれない(わたしには、隻眼の黒龍という絶対的な切り札があるから)。意外と求める物が、え~っと、なんだっけ……、そうだ、ゴールデンフロッグ、そのゴールデンフロッグがすぐ近くにあるかもしれないし、もしそうなら、「戻らなければよかった」と後悔することになる。




