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「また会えてうれしいよ、信さん。実のところあんまり自信なかったからさ」
「僕も由宇くんの姿を見るまでは、もしかしたら担がれたのかもしれない…と、考えてみたり…してました。疑ってすみませんでした」
「いや、その…そこ謝るとこじゃないからさ」
「そうなんですか?」
相変わらずの底なしの人の良さに、思わず声を出して笑ってしまった。
「それより、寒くなかった?店の中で…待っていてくれれば良かったのに…」
信さんはこの間のオシャレなコーディネートではなく、チェックのシャツに紺色のセーターという地味な服装だった。この季節の夜にコート無しでは少しばかり肌寒いだろう。
「そうも思ったんですが…店が開く前には着いていたので…、ここで待っていれば、お互いを見つけるのに迷わなくていいかなと…思ったので…」
「え?…」
店が開く前からここに来て待っていてくれたのか…
なんかちょっと感動する。つうか、かなりきてる。
きっと他の人だったら恩着せがましいとか、裏があるんじゃないかとか勘ぐりたくなるんだろうけれど、信さんの言葉は素直に受け入れられるから不思議だよなあ。
「じゃあ、行こうか」
俺は信さんの腕を取り、店を背に歩き出す。
「え?エトスに入らないんですか?」
「信さん、今日はここに何しに来たの?音楽を聴きに?違うだろ。俺とセックスする為に来たんでしょ?だから、早くしようよ。俺、あんたとやりたくてたまんないんだけど…」
「由宇くん…」
「信さんは?俺とやりたくないの?」
「し、たいです」
「じゃあ、決まりだね」
信さんの了解を得て、歩いて五分もかからない馴染のホテルへ道案内をした。
いい年をした大人なのに、早く抱き合いたいからって、信さんを急かし、ふたり並んで馬鹿みたいに走った事は、明日の笑い話しにしよう。一刻も早く信さんが欲しかったんだ。
ホテルのフロントマンは俺の顔を見ると何も聞かずに、いつもの部屋のキーを差し出した。
俺は一言お礼を言って、信さんを連れて正面のエレベーターへ乗り込んだ。
「慣れているんですね」
「うん、このホテルの客は常連の、それも同性の連れが多いからね。変に気を使わなくていいし、何しろこのホテルのお奨めは内装は壁が厚いから、お隣りの喘ぎ声が聞こえないってねえ。これって案外重要なんだぜ。内壁には金をかけないハコが多いんだけど、ここのオーナーは変わり者だからねえ」
このホテルの経営者は「エトス」のオーナーであり、嶌谷さんの従弟の嶌谷宗二朗って人だ。彼は「嶌谷財閥」と称される一流総合商社のCEOで、このホテルの設計デザインはあの宿禰凛一さんらしい。
「らしい」と言うのは、表沙汰にはなっていないけれど、嶌谷宗二朗さんと宿禰さんが何かの賭けをして、宿禰さんが負けて、タダでここの設計責任者になった…と、いう噂話程度なんだけど、こういうのは法螺話であっても、とてつもなく惹かれるものだ。
でもこの部屋の居心地はなんというか…建築家の卵の俺が言うのも変だけど、母親の胎内にいるみたいに安心感がある。まあ、親の胎内でセックスするのもどうかと思うけれどね。
さすがに建築にはシロウトのはずの信さんも、室内の雰囲気に驚いている。
普通のホテルとは違って、なんというか…無駄なものは極力置かず、上等でシンプルなベッドとソファとテーブルだけが主なインテリアだ。ベッドに寝て仰向けに見上げると間接照明が照らし出す天井の不思議な色合いが妙にエロチックで…己の欲望を曝け出してしまいたくなる…そんな感じなんだ。
「なんだか…ざわざわしますね」
テーブルに眼鏡を置いた信さんは少しためらいながら俺を見る。
「ね、エロいいんだけど、なんだか素直に感情を曝け出せる気分になる。さすが宿禰さんのデザインだよな」
すでに真っ裸になった俺は、信さんのセーターを脱がしにかかる。
「宿禰…さん?」
「俺の尊敬する建築家だよ。あの人の作るものって、なんかしら体温があるんだよなあ。だからこの部屋もエロく感じるんだろうね」
「そうか、由宇くんは建築家だったね。…ちょっと憧れるなあ。物を作る人って自分の目的に突き進んでいるみたいで…」
「信さんだって、薬の開発してんだろ?人の為に役立つ立派な仕事じゃん」
「僕の場合は…上から言われたことをやってるだけですから…」
「俺だって同じようなもんよ。サラリーマンだから仕方ないけどね。でもいつかは独立したい…なんてねえ」
「できますよ、由宇くんなら」
「適当すぎるよ、信さん…つうか…早く入れてよ…」
俺は裸になった信さんの身体にしがみつき、深いキスを与えた。
お互いの身体が求め合っているのはわかっているのに、話している内容が全く色っぽくないことが変におかしくて…それでも身体ごと興奮しまくってて…。
他の奴とならエロイことばっかり考えないと勃たないのに、信さんの身体に触るだけでイっちゃいそうになるってさあ…俺の性欲の沸点、信さんに限ってマトモじゃなくなってるってことなんかな…
「信さん、信さん…」
俺の声がゆっくりと回る天井の彩光の向こうから響いているみたいで、俺の中が信さんで一杯に満ちたりた時のあまりの高揚感に、僅かに残っている俺の平常心が驚愕している。
快楽っていうのは満ち足りてしまうと、コップに溢れる水と同じで、わけもわからず泣きじゃくってしまうものなんだな…。
「由宇くん?…由宇くん、大丈夫?」
あまりに俺が泣くから、焦った信さんは本気で俺をあやすみたいに背中を撫でる。
「信さんの所為じゃねえよ。あんまり良かったから…よすぎると涙が出るって初めてで、俺も驚いてるけどさ…。あ、でも確かに信さんの所為で泣いてるんだから、原因は信さんには違いないね」
泣きながら笑ってみせる俺に、信さんは安心したように深く息をした。
全くもって、セックスの力とは恐ろしい。
三門信彦という人間に惹かれいるどうのこうのよりも、もうすでにこの男を離したくないって俺は思い込んでしまっている。
「こんなに相性が良い人に巡り合えるなんてさ…ありそうで滅多に出会えない。俺は運が良いよ」
「そうなの?」
「そういうものなんだって」
終わった後の倦怠感を互いの温もりの中で感じあう時間が俺は好きだった。それ以上に信さんの腕枕の安定感ったらさあ…
「僕は経験が少ないけど…。由宇くんとするのは…」
「するのは?」
ゆっくりと色目を使いながら、俺の男を見上げた。
「この上なくエクスタシーを感じます。僕も運が良いんだと思うよ」
「そう思ってくれるのなら、これからも俺と付き合ってくれる?」
「でも…僕は…」
「奥さんの事?」
「…」
「信さん、今日は奥さんの買った服着てないでしょ?それって俺に気を使って?それとも罪悪感?」
「…」
俺の言葉に信さんは驚いた顔をして俺を見つめた。
「それぐらいわかるよ。伊達に男と遊んでないからね」
「…由宇くんに隠し事は、難しいですね…」
「別に言いたくないなら、言わないでくれていいよ。信さんの家庭不和を望んでいるわけじゃない。これからも俺と楽しく遊ぼうよ、って言ってるだけだから」
「…はい。それじゃあ、よろしくお願いします」
「でも、悩みがあったら聞くよ。俺、割と人からお悩み相談されるんだよね」
「そうなんですか?」
「少々はったりかましてエールするだけでも、元気が出るからって、感謝されたりさあ…。案外おせっかい焼なのかも~って、近頃思う事も多いんだ」
「いいひと…なんですね」
「…」
あんたほどじゃねえ~と、言い返したかったけれど、他の奴と同様に気軽には言えなかった。
妻帯者との付き合いは家庭を持ち込まなければ、難しくはない。それに割り切った関係だから長くは続かない。こちらも深入りをする気はないから、適当なところであっさりと別れることになる。半年も付き合いが続けば長い方だ。
三門信彦との関係も、同じようなものだろう…と、俺は思いたかった。
もしも信さんが妻帯者ではなかったら…俺ももっと執拗に彼との真剣な恋愛を求めていただろう。
だけど、俺は誰も不幸にはしたくなかった。否、一番不幸になりたくないのは俺自身だったから…。
「また、会ってくれる?」と、俺は乞う。
「ええ、今度はいつにしましょうか?」と、信さんは柔らかく答えた。
俺達は携帯電話の番号とメルアドを交換し合った。
まるで恋をする女学生のように俺はときめいた。
それを言葉にすると、信さんは「僕も同じ、みたいです」と、顔を赤らめる。
なんだか馬鹿みたいに胸が熱くなる。
なんだよ、これ?と、誰でもいいから問いただしたくなる。
クソッ!俺、本気なのか?
「あなたに…恋をしていいですか?」と、俺は問う。
信さんは何度か目を瞬かせた後、一度深呼吸をした。
「誰かに告白されてこんなに嬉しいと思ったことは、生まれて初めてです。…ありがとう、由宇くん。…僕も君と…恋をする勇気を…くれますか?」
信さんの言葉に大感動したのは真実だ。
だけどこの後の困難を思えば、これは一種の確信犯的告白だったのかも…と、今にして思えば、少しだけ後悔する。
少しだけだけどね。