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宿禰凛一とは別小説「only one」の主人公です。よかったらそちらもどうぞ~
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憧れの宿禰凛一さんの手のぬくもりが直に伝わってくる感触に、俺は舞い上がっていた。なんてラッキーな夜なんだろう~。
その時まではカウンターテーブルの椅子に腰かけた宿禰さんを囲むみたいに座る客たちには気づかなかったけれど、ゲイっぽい人が多い事にふと気がついた。
…もしかしたら宿禰さんもゲイなのかな…だったら、嬉しいかも…
しっかりと握りしめる俺の手を宿禰さんは慣れた風情で優雅に離し、そのまま俺の顔をすっくと見上げた。
「君、建築に興味あるの?ああ、もしかしたら君も建築家なのかな?」
「え?あ、はい…。つうか建築家の名を語るのもおこがましいというか…端くれです。と、いうか…一応仕事上は建築設計みたいなもんをやっているんですけど…まだ大したものをやらせてもらってなくて…。宿禰さんの仕事と比べたら、全然つまらないもんばっかで…建築家と言えるかどうか…恥ずかしいです」
「なんで?」
「え?」
「なんで恥ずかしいの?どんな小さなものでも君が設計したものを、誰かが使ったり、そこで暮らしたりするんだろ?それってすげえことなんじゃねえの?設計した奴が、自らつまんねえなんて言ったらさ、それを頼んだクライアントにも、携わる作り手にも失礼じゃねえ?お金を払ってもらうからには、何にせよ精魂込めて取り組むべきじゃねえ?それがプロってもんだし、君が成長する糧になるんじゃねえのかな」
「…あ…はい」
憧れの人の機嫌を損ねてしまったことに俺は焦った。俺は多少謙遜したつもりだが、確かにプライドまで捨てていた気がする。
「おい、凛一、あんまり熱くなるなよ」
カウンターに立つマスターが、俺の窮地を助ける様に言葉を挟んでくれた。
「別に熱くなってねえし~」
宿禰さんの機嫌はまだ直っていない。
「君、気にしないでくれ。凛一は仕事に関しては完璧主義なんだ」
「いえ…俺が悪いんです…」
「仕事以外では遊び人のクセにねえ~、タラシの凛くん」
「うるせ~よ、ミコシさん」
宿禰さんの隣に座る見るからに女装した男性が、宿禰さんに寄り添い、その肩を抱いた。宿禰さんは嫌がる気配も見せず、目の前の皿のカナッペをその男の口に突っ込んだ。
ふたりの親しい関係を羨ましく眺めながら、俺は宿禰さんに嫌われないようにと必死に弁明する。
「あの…すみません。俺、自分の仕事に自信が無くて…あ、やる気はあるんです!でもクライアントに満足してもらえるようなものをホントに作っているのか、本当にこんなもんでいいのかって…なんかわかんなくなっちゃって…」
「そんなの…、誰でもそうだよ。自信なんて初めからあるもんか。俺だってさ、出来上がった作品をクライアントに見せる時の心境と言ったら…マジで心臓止まるかもってぐらいだよ」
「え?…宿禰さんが?」
「不安満載、一触即発ってね。…でもさ、建築つうのは頭の中に浮かんだものを二次元に示して、それを三次元にして、初めて箱が完成するだろ?最初に自分の中に浮かんだモノと寸分変わらず完成したモノなんて…僅かなもんだよ。でも想像したものよりも遥かに良い出来栄えだったりもする。想像を超える創作の喜びって、スタートから関わる建築家にしか味わえなかったりするからさ。辞められねえんだよ」
「…」
「だから君も頑張れよ。建築家は人が必要とする入れ物の創造主のひとつだ。きっと人生を楽しめるはずだ」
「…はい!俺…頑張ります!」
その後すぐにライブが始まって、俺は仕方なく席に戻ったけれど、宿禰さんが俺にくれた言葉が何度も何度も身体中を熱く巡り、正直ライブどころじゃなかった。
店を出た後、連れのエセ芸術家の親父が俺をしつこくホテルに誘うけれど、親父とやる気が失せた俺は、愛嬌よくあしらって最終の電車に飛び乗った。
建築家は人が必要とする創造主になれる…か。俺もそうなりたい。あの人に認めてもらえるようなアーキテクトになれるように、一生懸命がんばろう。
そう思って空いている座席に腰かけて何気なく前を眺めると、前の前に席に座った男の顔に見覚えがある…と、気がついた。
気がついたけれど、いつどこで出会ったのか思い出せない。そもそも知り合いなのかさえ、わからない。
別に声を掛けようと思ったわけでもない。
居眠りをしている平凡を絵に描いたような男と、さっきまで見惚れていた完璧な美の化身と言うべき宿禰凛一との違いを指折り数えて探すことが、電車を降りるまでの俺の暇つぶしになっただけの話だ。
さて、翌日から、俺の仕事に対する姿勢が変わった。別に今までが適当にやっていたわけじゃないけれど、どんなつまらなく思える仕事でも、宝探しみたいに自分が楽しめるものを探し出し、より良い作品に導いて行こうという気合だ。自分が楽しめないものを人が面白いと思う筈もないし、認められたい作品を見せる為には、まず自分が勉強して力をつけるしかない。
面白いことに、俺自身の姿勢が変わると周りの俺を見る目が変わっていく。
今まで眼中になかった先輩たちが、おれの仕事に色々な意見を述べてくれるようになり、俺も今まであまり関わりあいのなかった先輩たちの指摘を素直に受けれるようになった。
不思議なものだ。唯ひとりの言葉で、俺自身も周りの環境も変わっていく。
宿禰さんにまた会いたいな。
今度は少しマシになった俺の考えを聞かせたい。
あの店に行けば会えるかな。
そういや、俺、自分の名前も宿禰さんに伝えてない。
付き合いたいなんて夢のまた夢だろうけれど、友人ぐらいにはなれたら…いいなあ。
あれからひと月後の桜舞う風の強い宵闇に、俺は「エトス」へ向かった。
会員制の為、サラリーの安い給料に見合わない高い入会金を払わせられたけれど、もう十分に見返りは貰っている気がした。
勿論、宿禰さんが居るはずもないけれど…。
今日はライブの日じゃないから、お客さんも少なく、常連の人たちが好きなソファに座って上質のスピーカーから聞こえるジャズに身を任せている。
俺はカウンターに近づき、宿禰さんと話していたマスターに声を掛けた。
マスターは長い髪をひとくくりに結んだ品の良い50代の渋めの男性だ
「あの…俺、ひと月前にこちらに伺ったんですが…」
「ん?」
「その時、建築家の宿禰凛一さんにお会いして…少しだけお話をさせてもらって…」
「ああ、あの時の…覚えていますよ」
「あの時、宿禰さんに叱咤激励されたおかげで俺…今すごい仕事が楽しくて…。もう一度お会いしてお礼を言いたくて…」
「ああ、そうか…。でも凛の奴は滅多にここには来れないよ。もともとNYが彼の仕事場だし、こっちに帰国しても仕事が忙しくてなあ~」
「あの…マスターは宿禰さんとどういう御関係…なんですか?」
「え?俺と凛一の関係?聞きたいの?マジで?」
マスターはニコリともしなかった顔を崩して、俺に高そうなカンパリスプモーニを差し出して、宿禰凛一さんとの話を嬉しそうにまくし立てるのだった。
それによると…マスターこと嶌谷誠一郎さんが宿禰さんに出会ったのは、宿禰さんが中一の頃。このジャズクラブに遊びに来るようになって、それからずっと家族同然の付き合いが続き、現在は宿禰さんのデザイン事務所の名誉会長らしきものもやってるらしい。宿禰さんが日本に帰る時は、マスターのマンションを自宅代わりにし、富士山の麓に宿禰さんの建てた別荘にも、ちょいちょい泊まりにくる。しかも宿禰さんとひとつのベッドで寝ている…?
「え?それって…恋人的な関係なんですか?」
「残念ながら…俺に対して凛一は性的欲求が沸かないらしくてねえ…。一緒に寝るのは親兄弟に甘えたいだけだろうね。仕事がシビアな時は特に…。まあ、甘えられるだけでも良しとしているよ。良い大人の見本ってところかな」
「…凄いですね。あんなに素敵な人が一緒だと、俺は我慢できないと思うけどな~」
「君もお仲間かい?」
「え?…まあ、そうです」
「そうか…。でもまあ、凛一の事は諦めてくれ。あいつにはすでに一生モノの恋人がいるからね」
「…でしょうねえ」
わかっていても、はっきり言われると心が萎える…。
「まあ、そんなに肩を落とすことも無いさ。ここには君みたいな魅力的な男が集まるサロンみたいなものだから、遊び相手を選ぶには苦労はしない。でも恋愛を求めるなら慎重になる事だ。お互いが幸せになる相手を探すのは、この世界では至難の業だからね」
「そう…ですね」
尤もな気遣いだと思った。
俺も男と本気で恋愛なんかする気はない。
…どうせ幸せになれるわけもないし、世間並の夫婦みたいな未来が送れるわけもない。
だが神様は時折気が向いたように、幸せの欠片を落っことすこともあるようだ。
「エトス」に通い始めて半年ほど経った頃、俺は運命の男と再会することになったのだ。
然も平凡な男と、然も劇的に…