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浅野さんと一緒にログハウスに戻った俺達は、浅野さんのお祖母さんの手作りのアップルパイをご馳走になった。
「甘すぎなくて美味しいです。ね、信さん」
「はい。実は僕は甘党じゃないんですが、リンゴの酸味が爽やかで、これならいくらでも食べられます」
「だろ?ばあさんの手作りのジャムやらお菓子は評判がいいんだ。シーズンの時は果物狩りに来たお客さんで品切れになるんだが、冬は観光客も少ないから、ネット販売やら百貨店の催し物に出してみたりさ。最近は東京の有名デパートにも売り込みに行ってるんだぜ。二年前からは有機栽培を始めたんだ。少々高価でも食の安全が一番のセールスになるからな」
「浅野先輩、相変わらず腕利きの営業マンですね。俺はあの後、営業から設計デザイン課へ配属されました」
「そうか。上杉はそっちがやりたいって言ってたよな」
「はい、浅野さんが俺の背中を押してくれたから今まで頑張って来られました」
「関係ねえよ。おまえの努力と実力だよ」
「実は…俺、今、本社勤務なんですが…吉良遠流さんと一緒に仕事をしているんです」
「…」
吉良さんの名前を出した時に見せた浅野さんの狼狽した顔に、俺もまた驚きを隠せなかった。
「あ…由宇くん、僕は席を外そうか…」
気を効かせようとする信さんに俺は「いや、俺の傍にいて欲しい」と、頼んだ。
信さんはコクリと頷いて立ちかけた腰を再び下ろした。
ふたりを繋ぐ証人としても信さんに見届けて欲しいと思うのは、俺の勝手だろうか…
「昔、一緒にお酒を飲んだ時、浅野さんが俺に話してくれた東京に置いてきた恋人って…吉良遠流さんですよね」
「…」
「吉良さんの口から聞いたので、間違いないはずです」
浅野さんは笑おうとしながらも笑えず、俺から視線を外し、しばらく黙ったままだった。
「…あいつ、元気か?」
ようやく口を開いた浅野さんの目はまだ俺を見てはくれない。
「いえ、全然元気じゃないです。五年越しの恋煩いです」
「え?…」
俺の言葉に浅野さんは意外な顔をして俺の目を見る。
「吉良さん、浅野さんの事をずっと忘れられないでいるんですよ」
「まさか…」
「そのまさかです」
「五年だぞ?別れてから一度も声も顔も見てないんだぞ?遠流が…今もずっと俺を?…馬鹿じゃないのか…」
吐き捨てるような言葉とは裏腹に、浅野さんは俺の言葉に喜びを隠しきれないでいる…気がした。
「はい、吉良さんは馬鹿だと俺も思います。でもそんな吉良さんが好きだったんでしょ?」
「…」
「きっと吉良さんの浅野さんへの想いって…五年前と少しも変わっていないんだと思います。俺も不思議でしょうがないけど…」
「あいつかおまえに言ったのか?俺の事を…今でも好きだって」
「あの人はあなたが恋しくて…恋しくて色んな男に抱かれてはあなたの名前を呼ぶんですよ。俺もその被害者です」
「はあ?」
「酔っぱらった吉良さんにあなたの代わりに抱いてくれって頼まれました」
「…何…やってんだ、遠流の奴」
不機嫌な顔を隠す様子もなく、浅野さんはボサボサの髪の毛を手荒く掻いた。
「吉良さんも俺もお互いに恋愛感情は一切ありません。ただ…吉良さんは寂しくて寂しくてたまらないんです。俺はそんな吉良さんに同情して、寝てるだけです」
「俺は…おまえに謝るべきなのか?」
「はい、浅野さんの責任大ですね。おかげで俺が信さんから叱られてます」
「え~!僕は由宇くんを叱ったりしてないつもり…だけど…」
「じゃあ、言いかえると、俺が吉良さんと寝ると、信さんはすごく落ち込んでしまうんで、浅野さんに責任を取って欲しいって思って、信さんと一生懸命に浅野さんの居場所を探して、ここに辿りつきました。これ以上、信さんに我慢させてしまうと、俺、嫌われてしまうかもしれません」
「そ、そんな…。ぼ、僕は嫌わないよ。そりゃ、由宇くんが違う人と寝るのは嫌だけど、それは由宇くんの優しさだし…」
「でも、嫌でしょ?」
「…う…ん」
俺と信さんの会話を聞いていた浅野さんはクスリと笑い、そして一旦天井を仰ぎ、俺達ふたりにはっきりと宣言した。
「わかったよ。俺と遠流の事で、おまえたちの仲が悪くなったら寝覚めが悪くなりそうだ。遠流の事は…今までほったらかしにしてしまった俺の責任だ。あいつの性格を考えたら、未練がましいのはわかっていたし、俺もあいつ以上にしつこい性格だって、最近気づいたんだ」
「…え?それじゃあ…」
「仕事で東京に出た時に、何度か会社の前まで行ってみた事がある。あいつがビルから出て来ねえかなあ~、思い切って前に住んでた社宅まで押しかけてみようか…とか…さ。思ってはみたけれど、今更だろ?こんな汚ねえ恰好でのこのこ出てって、新しい恋人でも紹介されてみろ?…東京湾にでも身投げするしかねえじゃん…。ギリギリの状態でここまでやってきた自分を見せつけたい気もするが、逆に否定されたら…ってなあ~。肝心のところで怖気づく。つくづく自分が情けない。俺は五年前から成長して無いのかもしれない」
「でもそれはきっと吉良さんも同じですよ、成長して無いって思いながら、五年分を積み重ねてきたんだ。変わらないわけはない。俺はそう思います」
「…上杉は…あの頃と比べたら…随分大人になったなあ」
「さっき全然変わんねえって言ったくせに」
「褒め言葉だろ?」
「そうですか?…信さん、どう思う?」
「え?僕ですか?…由宇くんは出会った頃からずっと…前向きで純粋な青年ですよ。褒めてます」
「…だ、そうです」
「おまえから惚気を聞くことになろうとは…俺も焼きが回ったわ」
そう俺に返事をする浅野さんの頭の中はきっと、吉良さんで一杯だった事だろう。
吉良さんへの想いを確認した俺は、浅野さんと吉良さんの再会の段取りを企画させてくれと頼んだ。
浅野さんも自分ではどうしていいのか不安そうだったから、俺がふたりのキューピットの役目を申し出たわけだ。
「バレンタインデーに五年ぶりに再会して、熱い夜を過ごすってどうです?」
「バレンタインか…一か月も先だな」
「五年待ったんだ。ひと月ぐらい我慢できるでしょ?」
「その間に遠流にいい男が出来たら…どう責任取るんだよ」
「大丈夫ですよ。俺が見張っておきますから。それより浅野さんはそれまでに男前を上げておく必要がありますよ。少なくとも無精ひげは剃って下さい。俺、嫌いですから」
「へ?おまえの趣味に合わせるのか?」
「吉良さんの寝る相手に、無精ひげの男はいませんよ」
「なんか気に入らねえなあ~。遠流と寝た男から、ダメ出しだされるってのは…」
「吉良さんはロマンチストですから、すげえ偶然を装って運命的な再会を果たす…的な…。細かな連絡、打ち合わせ等は俺がやりますから、浅野さんは俺の指示通りに動いてください」
「…まあ、上杉に任せるよ」
その日は浅野さんの紹介してくれた温泉旅館に泊まった。
こじんまりとした古い旅館だったけれど、かけ流しの温泉も、地元の食材を使った料理も、女将さんの心づくしのもてなしも十二分に俺と信さんを満足させてくれた。
お湯から上がった信さんがふかふかの布団に寝そべっている俺の隣に寝転んだ。
鼻歌交じりの俺に「由宇くん、ご機嫌だね」と、言う。
「まあね。だって浅野さんと吉良さんが別れて五年経った今でも相思相愛だなんて、なんかの安い恋愛小説よりもロマンチックじゃん。その縁結びが俺と信さんなんだもん。浮かれるに決まってるよ」
「由宇くんは年甲斐もなくお世話好きだってことは、僕にもわかりました」
何より浅野さんと吉良さんをどうやって再開させるかを考え始めると楽しくて仕方がない。
「できるなら五年ぶりの再会をドラマチックに演出したい。まさに映画監督になった気分だね」
「浅野さんはともかく、何も知らない吉良さんは由宇くんの演出通りには簡単にはいかないと思うけど…」
「ハプニングも楽しいじゃん。とにかく俺はふたりに上手くいって欲しいんだ。…つうか俺、こんなにおせっかい焼きの性格じゃないんだけど…信さんのおひとよしに影響されてるんじゃないのかな」
「…由宇くんは会った時から、僕よりもいいひとでしたよ。僕の肩に寄り掛かって居眠りしたからって夕食奢ってもらいましたからね」
「ラーメン定食だったけどね」
そうだった。俺は信さんの平凡な見かけだけを見て何も期待しなかったんだ。ただ暇つぶしに寝てみよう…ぐらいにしか思ってなかった。
でも寝てみたら、すげえよくて…
あれ以来、人は見た目より身体の相性が大事だって、すげえ学んだわ。
そんなことを考えていると自然現象で性欲が疼きだす。
仰臥する信さんの身体の上に転がって、浴衣の襟をはだかせて、口づけた。
「ゆ、由宇くん。駄目ですよ!ここ浅野さんの紹介だし…女将さんに聞こえたら…」
「大丈夫。俺が上に乗るから」
「ちょっと…」
「俺は声は出さないから、信さんも良くても歯を食いしばってくれよ」
あわてる信さんを腰で締めつけ、俺は信さんを欲しがった。
体制的にはネコだけど、追い詰めるのはいつだって俺の方。で、最終的にすさまじく俺を揺さぶるのは、信さんで…。
俺はそんな信さんが、大好きなんだ。
翌朝、朝食を取った後、俺達は早々に旅館を後にした。
あの後、声は出さないって言ってたけど、途中から俺も信さんもワケが判んなくなるほど乱れてしまったから、バレたかもしれないと気まずくなった所為もある。
車に乗り込み高速を目指し走り出すと、ふと信さんが口にした。
「浅野さんから頂いたリンゴ、どうしましょうか…」
「うん、ふたりで食べるには多すぎるよね」
浅野さんはお土産に、俺と信さんにそれぞれリンゴをひと箱ずつと、アップルパイやジャムなどを山ほどくれたのだ。
よくよく考えれば、独り暮らしの俺達には多すぎる。吉良さんにおすそ分けするわけにもいかないし…
「駿くんは焼きリンゴが好物でね。農園から送ってもらえばよかったかな」
「駿君って…信さんの息子さんの?」
「はい、今年の四月に小学生になります。…って言っても父親らしいことは何ひとつしてやれてないんだけど…。正月も帰省しなかったしね」
「どうして?」
「うん…なんだかね。僕が居ると羽月さんが気をつかうんだ。だから…」
「…」
「やっぱり浅野さんに頼んで宅急便で送ってもらおうかな。ちょっと農場まで戻ってもらってもいいかな?」
今朝は俺が信さんの車のハンドルを握っていた。
俺も信さんも運転は好きなので、サービスエリアごとにドライバーを交代したりする。
「信さん、宅急便で配達してもらうより、今からこの車で静岡まで運んだ方が早いよ」
「…」
信さんは俺の言葉の意味がわからずしばらく黙ったままだった。
「え?…ええっ!」
「決まりだね。じゃあ、ぶっとばして行くぜっ!」
俺は慌てる信さんにはお構いなしに長野の高速を突っ走った。
静岡を目指して…。
きっと、今見てる青空が俺達を迎えてくれることを信じて…
まあ、季節が季節だから寒空とも言うんだけどさ。




