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その夜は確かに肌寒かった…。
九月は俺の仕事場であるデザイン部署の入れ替わりがある。
デザイン課は、A課とB課に分かれ、ざっくり区別するとA課は高層建築物専門、B課は個人の店舗や平屋など外装、内装を含めたデザイン重視の分野、となっている。
ベテランの建築家は勿論どちらも経験するが、多くは社員の希望を汲んでくれる。
俺はまだ初心者扱いだからB課なのだが、入れ替わりは割と激しい。
今期もA課の三人がB課にやってきた。
オフィスの階が違うから、普段顔を合わせる機会も少なく、馴染は薄いのだが、そこはデザイナー同士、すぐに打ち解けあうものだ。
一週間後の夜、恒例のA課とB課の交流会が催されたわけだが…
居酒屋での俺の隣の席には、A課から移ってきた吉良遠流が静かに手注ぎの冷酒を飲んでいる。
俺より四歳上だが、幾分幼めいた見た目は俺好みの整った顔だ。だがコミュ症気味の神経質そうな態度と話し方は、かなり近寄りがたいし、徹底した「用が無いなら近づくな」オーラは、能天気な俺にでもわかる程に強硬だった。
しかも周りの先輩方に愛想よく酒を注いで回る俺を、蔑んだような目でちらと見るのは勘弁だ。
手持無沙汰な様子を汲んで「吉良さん、社宅のアパートの部屋、俺の部屋の真上の階なんですよね」と、話を振ると「…知らないけど…」と、素っ気ない一言。
「こちらに転勤した時、あんたの部屋に引っ越しの粗品持って挨拶行ったんですけど!」と、怒鳴りたくなった。
「上杉、こいつ(吉良先輩の事)てんで愛想悪いけど、仕事はできる奴だから、よろしく頼むよ」と、A課の課長の瓜生さんが俺に頭を下げる。
「い、いえいえ、俺の方こそ…色々勉強させて頂きますっ!」と、畳に手をついて頭を下げる俺の横で、吉良さんがぼそっと「別に、頼まれなくてもいいですけど…」と、呟く。
「ほら、いつもこうなんだ。他人と関わるのが面倒らしくてねえ。直せって言っているんだが…」
「建築家に愛想は必要ないと思いますけど」と、俺への嫌味のような言い方にこちらもカチンときたけど、「吉良さん、今の時代、女は度胸、男は愛嬌って言いますよ」と、絶品の笑顔で返してやった。
吉良さんは不機嫌そうにぷいと顔を叛ける。
「上杉、悪いな~。こんな奴だけど面倒みてやってくれ」
「はい、頑張ります」
「ホント…浅野が居てくれたらなあ~」
「え?」
独り言のように呟いた瓜生さんの思いがけない人の名に俺の心臓は跳ね上がった。
「あ、浅野って…。瓜生さん、浅野って、浅野竜朗さんの事ですか?」
「あれ?上杉、浅野、知ってんの?」
「はい、札幌支店で一緒に働いてて…。たった三か月だけだったけど、めちゃめちゃお世話になった尊敬する先輩なんです。…なんだか嬉しいです。五年も経つのに浅野先輩の事を話せる方が居て…」
「浅野は良い営業マンだったよ。愛嬌も気配りも営業も一流だった。無理難題を持ちかける大手の注文をあっという間にこちら側に有利に受けて、周りを驚かせたりなあ。今でも浅野武勇伝説は酒の肴になると語り草だよ。しかしなあ…なんで辞めたのか未だに理解できないけどねえ」
「そう…ですね」
俺はその理由を知っていた。浅野竜朗の退社の原因は失恋だった。
「吉良は浅野と仲良くてなあ~。なあ、吉良?」
「…知りません。もうとっくの昔に忘れましたから」
そう言ってコップ一杯に注いだ酒を煽り飲む吉良さんの姿は何だか痛々しく思えた。
まさか…もしかしたら…浅野さんが別れた東京の恋人って…吉良さん?
泥酔した吉良さんを抱えてアパートに帰り着いたのは、午前三時だった。
帰り際、半分意識の無い吉良さんを社宅が一緒だから頼むと俺に託した瓜生さんは、気になる言葉を残して行った。
「吉良は繊細な奴だから心配だったんだが、上杉みたいな世話焼きが傍にいてくれると俺も安心だ。面倒だがよろしく頼むよ」
「はい」と、気軽に返事をしたものの、心中「マジめんどくせ~」と叫んでいた。
「なあ、浅野は今何してるか、知ってる?」
反対側の吉良さんの肩を抱える瓜生さんが、聞く。
「え?…いえ、会社を辞めてからは、連絡取ってないから…知りませんね」
「そうか…。吉良はきっと…」
「吉良さん、浅野さんと何かあったんですか?」
「それは…まあ、本人から聞いてくれよ。じゃあな、頼んだよ」
そう言って、瓜生さんは俺と飲んだくれた吉良さんをタクシーに乗せた。勿論タクシー代は瓜生さん持ちで…。
アパートに着き、吉良さんのカバンから鍵を出して部屋に入る。勿論、間取りは俺の部屋と同じだが、インテリアコーディネートが違う所為で、部屋のイメージが全く異なる。
俺の部屋よりもシンプルだけど、なんだか落ち着く感じ。
部屋を見れば、その人の生活感や性格がわかるって言うけれど、ホントだな。見かけのイメージとは大分違って、壁やカーテンの優しい配色と質の良い籐のインテリアが妙にマッチしている。
赤い顔から青色に変わり気味の吉良さんは「吐きそう…」と、言いつつトイレに直行。そのまま吐いている背中を擦り、それからベッドに寝かせた。
「水…冷蔵庫にあるから、持ってきて…」
ご命令通り冷蔵庫を開けたら、水のペットボトルばかりで笑ってしまったけれど、それもなんだか吉良さんらしい。
飲みやすいようにコップに入れて水を差し出したら、吉良さんは一気に飲んだ後、俺を見て「君、誰?」と、言う。
俺は半ば呆れながら「上杉ですよ。同じ課でこの部屋の真下に住んでる上杉由宇です」と、答えた。
「…そう…。送ってもらって…悪かった。もう、帰ってくれていいよ」
そう言うと、青ざめたままの吉良さんは、ベッドに突っ伏して寝てしまった。
このまま寝かせた方がいいと思ったけれど、先程から引っかかっている事が気になって…口に出してしまった。
「吉良さん、浅野竜朗と付き合ってたんですか?」
「それが…おまえに関係あんの?」
「ありますよ。俺、札幌でお世話になった時、浅野さんが好きで…本気で惚れたんです。寝てくれって頼んだこともあります」
俺の言葉に吉良さんは、貧血で青ざめた顔をこちらに向けた。
「…おまえ、ゲイなの?」
「そうですよ。吉良さんもでしょ?浅野さんだってそうだ。今時、珍しくも無い」
「浅野は…おまえと寝たの?」
「気になります?」
「…別に…」
吉良さんはまた顔を突っ伏して、掌で「あっちいけ」と俺を追い払う仕草をする。仕方がないから、自分の家に帰ろうと立ち上がった俺は、振り向きざま、もう一言だけ吉良さんに告げた。
「浅野さん、吉良さんの事を…ずっと好きだったみたいですよ。あなたと別れた事を…酷く後悔してました」
そう言い残して部屋を出ようとした時、吉良さんの絞り出すような…泣き声がした。
「お、俺だって…俺だってずっと好きだった。今でも竜朗が好きでたまらない。くそっ!…バカだ…」
俺は驚いて振り向いた。
上半身を起こした吉良さんはベッドの上で、咽ぶように泣いていた。
俺は驚愕していた。
別れた人を想ってこんな風に泣く男がいるのか…と、唖然としてしまった。
そして、すぐに俺は自分の軽率さを後悔した。
そうだ。
浅野さんは恋人を…吉良さんの事を、思った事の半分も言えない捻くれ者の小心者だ…と、愛おしそうに俺に話してくれたじゃないか…。
俺は吉良さんに近づいて、震える肩を抱きしめた。
「すみません、吉良さん。俺、言いすぎました…」
「…たの?」
「え?」
涙声で吉良さんが聞く。
「竜朗と…寝たのか?」
そんな吉良さんが可愛く思えた。
「寝てませんよ。あなたがいるから無理だって…はっきりと断られました。浅野先輩は本当に…心の底から吉良さんの事が好きだったんです」
「…俺だって…おれだ…」
両目からポタポタと零れ落ちる涙を見ているだけで、こちらまで辛くて、「大丈夫ですよ」と、何度も背中を摩ってやる。
浅野さんは、こんな弱々しい吉良さんを充分知っていただろう。どんなにか、ひとりにさせたくなかっただろうに…。
「今でも好きだよ…バカヤロ…」
酔いつぶれたあの時の浅野さんと、目の前に吉良さんの姿が綺麗に重なって見えた。
こんなにも惹かれあっているのに、叶わない恋なんて…
神様も非道だな。
「君…頼むから…一緒に居てくれないか?」
「俺は浅野竜朗じゃないですよ」
「今夜だけ、竜朗に代わりになってくれ。…頼むから…」
そうやって俺の腕の中で泣く吉良遠流に同情した俺は、その晩、彼を抱いた。
仕方なく…そう、仕方なくだよ。
でも、まあ…悪くなかった。
逝きながら、吉良さんが「竜朗」と、震える声で俺にしがみつくのも、倒錯的に淫猥で良かったしね。
後日、それを信さんに話したら、本気で拗ねられた。
それが狙いだったから、俺は心の中でほくそ笑んだ。




