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かっぱの話

作者: みるく

伝統のかっぱ漁が残る村に密着したドキュメンタリー風ななにか。

シュルレアリスムでおくる、ネタ的お話。


 静かな朝の川に漕ぎ出す船の姿が、霧の向こうにぼやけて見える。

 船は昔ながらの手漕ぎだ。モーターの音で獲物が逃げてしまうためだ。


 かっぱ漁は夜明けとともに始まる。

 かっぱは頭がいい。かっぱ漁はかっぱとの知恵比べだ。

 網を設置する場所は慎重に決める。同じ場所ではかっぱは覚えてしまう。

 ローテーションにしてもそれは同じだ。だからランダムで選ぶ。この漁場選びこそ、漁師の腕が試される時である。

 

 三日前に仕掛けたと網を引き揚げると言う漁師に私たちは同行した。

 一つ目。――数匹の魚がいたが、狙っていたかっぱはいない。

 二つ目。――魚の骨が残っていた。漁師の話では、かっぱに食われたらしい。

 三つ目に至っては、網が破られていた。


「もっと楽な漁もある」

 漁師は網を引き揚げながら語った。

「けど、かっぱがいいな。かっぱと勝負してるのがいい。大した知恵のない魚を捕っても、飽きるから」



 ここは日本で唯一かっぱ漁がおこなわれている村だ。

 四方を山に囲まれた深い谷にあり、人々は農業や民宿を営んでいる。

 気候の良さから観光客や療養の長期滞在の客が訪れるものの、例に漏れず、限界集落となりつつある。

 村の自慢は三方の山を水源とする清流だ。

 かっぱもまた、この清流で暮らす。




 畑で、老婆が悪態をつきながら野菜を畑の端へと投げていく。一つや二つではない。

 どうしたんですか、と尋ねると「かっぱだ」と老婆は答えた。


「いたずらしてんだよ。こっちかじって、あっちかじって、ほら。一つ二つ持ってってくれんのは構わんのにねぇ」


 最初不機嫌だった老婆だが、最後には笑っていた。


「でも人間はかっぱ食うからなぁ」


 かっぱが触った野菜は食べられなくはないが、すこし生臭さがうつっていると言う。生で食べることの多いキュウリやトマトは捨てるしかない。

 老婆が誘うのでついていくと、川沿いの畑に辿り着いた。見事にキュウリばかりが植えられている。

 共同で管理している、かっぱのための畑だと言う。


「キュウリばっかじゃ飽きるんかな。うちの畑、トマトをだいぶやられたわ」


 ここにキュウリ以外を植えてみたらどうですか、と言うと、ここはかっぱのための畑であるが、同時に川の神様の畑でもあるらしい。

 伝統的にキュウリを植えてきたので、勝手に変えるのもはばかられるそうだ。




 この村では古くから川の神が祀られている。

 かっぱはこの神の使いとも、神が零落した姿とも語られる。

 よそ者の感覚では、「そんなありがたい生き物を捕って食べるのか」と思ってしまう。


「かっぱがいなけりゃ、川が荒れる。昔かっぱを全部追い出した村は水に沈んだって言う。かっぱはありがたい。けど、かっぱもほっとくと増えすぎる。川魚がいなくなって、食いもん足りんからって畑荒らして。そしたら人間もかっぱもダメんなる」


 近年の研究で、かっぱが住むことで川の氾濫が少なくなることが明らかにされている。

 村人が語ったように、水神の怒りを買ったことで滅ぶ村の話は全国各地にある。その水神は竜であったり、蛇であったりするものが大半を占めるが、中にはかっぱとの話も確かに存在する。

 もっとも新しい話は、明治初期のものだ。これは複数の記録があり、研究も進んでいる。

 かっぱが住むのは、山奥の人を拒むような清流がほとんどだ。

 だがある村では長年かっぱと共生してきた。

 ある不作の年、村人たちはかっぱを捕って村の外に売ったところ、目がくらむような大金で引き取られた。そのために、村人たちは総出でかっぱを捕るようになる。村は豊かになったが、やがてかっぱの姿は消えた。ある夏の大雨の日、村は洪水で沈んだ。

 科学的な観点からも、この話は事実であろうと研究者たちは結論付けている。




 水神神社の神主は、この村の昔話に詳しい。

 神主自身この村の育ちで、かっぱに慣れ親しんでいる。


「かっぱと相撲取ったことある。ちょうどあのへんだ」


 そう言って神主は、河原を案内してくれた。

 かっぱは賢く好奇心が強い。そのため、河原で遊ぶこどもたちに興味を引かれてやってくるのだという。

 村で育った者たちにはたいていかっぱとの思い出がある。

 昔話でもかっぱは相撲をとると語られるが、経験者から聞くと感慨深いものがあった。

 一方で、かっぱがこどもをおぼれさせることもある。水族館で飼われているかっぱの観察から、かっぱ同士は水中でも「相撲」のような戯れをすることが知られている。かっぱが人間のこどもを溺死させるのは、この戯れの延長であろう。神主もその話は知っており、「かっぱに悪意はない」と言う。


「ちょっと若いかっぱが、人間は溺れると言うことを知らずにやるんだ。主みたいな古いやつらはやらん。むしろ助けてくれたって話の方が多い」



 神主と話しているとき、河原にあの特徴的な皿が水面の合間から見えた。

 初めて見る、野生のかっぱだ。

 神主が「おお」と声を上げたので、何事かと尋ねると、「あれは主だ」と答えが返って来た。

 随分古くからいるかっぱで、あれこそが川の神ではないかとも伝えられているらしい。

 見分けがつくのかと尋ねると、大きさや色、傷の位置で見分けられると言う。主は皿の色がくすんでいて、一部が欠けている。


「めずらしいお客さん来たから、姿見せてくれたんかもね」


 神主は実に楽しそうに語った。



 美しい川だが、そのほとりにはいくつもの看板があった。


『かっぱ漁反対!!』


 毒々しい赤い文字で書かれている。

 動物愛護団体が設置したものだ。


 かっぱの知能が高いことは昔から知られている。

 チンパンジーと同程度とする研究もあり、海外からも注目されている。


『かっぱはあなたの言葉を理解します。それでもあなたはかっぱを食べますか?』


 私たちが看板を撮影していると、神主が苦々しい顔をしていた。


「たとえば、あの主なんかは食べないよ。漁でとってるのはもうちょっと下流にいる、若いかっぱだ。古いのは頭がいいから、あんなこどもだましの網にはひっかからない。それに、畑を荒らすのもやっぱり若いかっぱだ。若いのは、人間の縄張りを理解してない。かっぱ漁をすることで、人間とかっぱの線引きをしてんだ」



 近年では、海外の動物保護団体もここを訪れるらしい。日本固有の生き物が海外でも親しまれていることはうれしい話だが、文化も理解せずにやってくる彼らに村人たちは辟易している様子だ。

 水族館や動物園で愛らしいかっぱの姿を知っていると、確かに食べることに抵抗を覚える。

 しかしこの村では、確かに人とかっぱがともに生きていると感じられた。




 かっぱがとれたと漁師から連絡があった。

 急いで見に行くと、かっぱはすでに解体され肉塊になっていた。



 村長の家で、集まりが開かれた。

 とれたかっぱを村のみんなで食べるのだと言う。かっぱ肉は足が速いので、この時期はあまり出荷しないのだ。

 村の女性たちが台所にあつまり、かっぱ鍋を作る。かっぱの骨で出汁をとり、野菜と共に煮る。

 肝は氷で締めて薄切りにし、キュウリと共に生で食す。

 郷土料理がずらりと並ぶ中異彩を放つのは、かっぱの血だ。透明なグラスに注がれたそれは鮮やかな赤である。

 これは日本酒や焼酎で割って飲むものらしい。滋養強壮剤でこの時期は夏バテにもよいとされる。独特の生臭さが酒精で薄まり、えもいわれぬ味わいを生み出す。

 捕れたかっぱはすぐに血抜きをする場合が多いので流通しない。この村でしか味わえない珍味だ。


 この集まりで、一際若く目立つ人がいた。

 かっぱ研究者の川谷さんだ。

 川谷さんはこの村の出身ではない。

 幼いころ動物園で見たかっぱに魅せられ、研究者となった。今はこの村で生態観察を行っている。


「昔はかっぱを食べるなんて、野蛮だと思っていました。あんなかわいいものを食べるなんて、って。愛護団体の集会にも参加したことがあります。でも大学生になったばかりの頃食べる機会があって、食べたらすごくおいしかった。それで冷静になったんです。私はこれまでずっと牛や豚や鶏の肉を食べて、魚も食べてきたんだから、かっぱを食べる文化を持つ人々にとってはそれと同じなんだって。

 今でもかっぱのことは大好きです。川辺で遊んでいる姿を見かけると、食べようだなんてまったく思えません。かっぱが殺される瞬間は見たいものじゃない。でも、うまく言えませんけど、今では可愛いから殺したくないという気持ちと、おいしいという気持ちどちらも正しいものだと思っています」



 宴のあと、神主が私たちと川谷さんを河原まで案内した。

 河原には簡単なつくりの社のようなものがある。神主の話では、この川全体がお社でご神体であり、川から少し離れた場所の神社は分社なのだそうだ。

 河原には、清められたかっぱの首が飾られていた。


「悪趣味に見えるかもしれんが、これでも敬意を払ってるんだ。糧をくれてありがとうって気持ちだ。明日の朝には頭はなくなってる。川の神様のところに帰るんだ」


 かっぱを捕った後には、とれたての野菜や魚、米などが奉納される。

 かっぱ漁とはただ食べるための機械的な行為ではなく、神聖な儀式なのだと痛感した。


「昔々、かっぱの脳みそを食べた不届き者がいたらしい」


 神主がまた一つ、かっぱに関する昔話を披露してくれた。


「美味だったそうだ。けど、しばらくすると頭おかしくなって、自分から川に飛び込んで、姿が見えなくなったって話だ。だからかっぱの頭は川の神に返す」


 現代では養殖のかっぱが少量流通している。養殖業者や関係者に取材してみたが、かっぱの脳みそは人間の味覚に訴えかけるようなものではなく、供養されたのちに捨てられるそうだ。

 一方で野生のかっぱはこの村で捕れたものしか流通していない。野生と養殖で脳の味に違いが出るのかを確かめることは不可能なようだ。



 ぽちゃん、と川の方から音がした。暗くてよく見えないが、神主によれば「主が首を迎えに来た」のだそうだ。

 主を邪魔しないよう、村へと戻った。






「食用に養殖されたかっぱは知能が低いんです」


 川谷さんの川辺での観察を取材していると、そのような話になった。


「味の良いもの、大人しいものを掛け合わしていった結果だと思います。十年前の養殖かっぱとくらべても知能が落ちているという報告もありました。一般的に言われている賢いかっぱとは、動物園などにいる保護された野生のかっぱです。彼らには確かにチンパンジーか、それ以上とも思われる知能があります。――でも、この村で観察しているとそれ以上に賢いのではないかと思える瞬間があります」


 数年前、川谷さんが発表した論文は、これまで考えられてきたよりもはるかにかっぱの知能が高いことを示唆していた。

 特に主をはじめとする古いかっぱたちの行動は世界中を驚かせた。

 なかでも特に衝撃を持って伝えられたのは、かっぱが、天気が荒れる前にそれを人に知らせるというものだ。

 特に長雨の頃、川の氾濫が予見される時が多い。


 地震予知の研究では、様々な動物の行動観察が行われる。彼らには人が感知できない地震の予兆を感じ取れるという仮説をもとにしている。

 だがこれらは、人間がその動物を観察して得られる情報だ。

 この村のかっぱは、人々に自ら危機を知らせに来るのである。


 村人たちはこれを当たり前のものとして受け入れており、特別なこととは考えていなかったそうだ。


「けれどこの論文を発表したことで、愛護団体の活動は過激になり、村に随分と迷惑をかけました。私はかっぱ漁を反対していませんし、彼らが築いてきた共生関係を野蛮だなんて思いません。むしろ、尊いものだと思っています」


 川谷さんの存在はかっぱたちから随分認められているらしく、ちらほらと水面からかっぱが姿を現しては消える。

 どれも中堅どころとなったかっぱで、あれくらいになるともう網にかからないそうだ。


 ここで川谷さんは驚きの仮説を披露してくれた。


「私は、若いかっぱたちと、あの古いかっぱが、別種なのではないかと、最近思うようになりました」


 川谷さんによれば、そもそも古いかっぱと若いかっぱは住む場所が違い、巣の作り方も違っている。――というよりも、古いかっぱが捨てたと思しき巣は見つかるが、在住の巣は未だかつて見つかっていないのだ。

 また、動物園や水族館で飼われている古いかっぱと主たちを比べても、見た目に差異がある。


「正確なことはわかりませんが、村の方の話が正しければ、主は六十歳を超えるんです。飼育されるかっぱの最高齢記録は山梨県の水族館にありますが、おおよそ三十五歳です。普通は三十年も生きません。村の人たちによれば、あの中堅どころのかっぱたちも三十歳程度じゃないかということですから、調べる価値はあると思います」


 もちろん、人に飼われるかっぱたちには自然とは違うストレスがあり、それが寿命を縮めている可能性もある。

 また、飼われているかっぱとはそもそも怪我や病気などで下流まで流されて保護された個体で、もともと弱かったとの仮説も立てることができる。


 かっぱの多くは人を寄せ付けない深い山奥の清流に住み、この村のように人里の近くで共生しているのは古今東西合わせても数例である。

 深い山奥のかっぱは捕まえるどころか観察も難しく、研究が進んでいるとは言えないのだ。


「古いかっぱたちが遺伝子を調べさせてくれたら一番いいのですが、無理やり捕まえるなんてできませんし。そういえば、古いかっぱの死骸は見つかったことがないんですよ。研究者の間では、かっぱたちが死んだ仲間をどこかに埋葬しているんじゃないかと言う説が出るくらいです。最近は、トンデモ説だと笑い飛ばせなくなりました。宇宙人説も根強いですよ。私はこちらはまだトンデモ説だと思ってますけど」


 死者を認識しそれを悼むというならば、かっぱは文化を持つ知的生命体だ。

 そう思うと、動物愛護団体の主張も正しいような気がしてくる。




 夏も終わるころ、かっぱ漁は最盛期を迎える。

 かっぱは多くが冬眠するので、取れるのは春から秋にかけてである。春は痩せているので好まれない。夏は味が良くなるのだが、傷みやすいので滅多に出荷しない。かっぱの旬が秋なのはこのためである。

 最盛期と言っても、かっぱは滅多にとれない。週に一匹網にかかればいいほうだ。網を仕掛けすぎると、破られることが多くなるらしい。

 

 川谷さんも捕れたかっぱの大きさや、捕れた場所などを記録するために、しょっちゅう船着き場に通う。



 川谷さんに衝撃的な知らせが届いたのは、十月に入ったばかりの頃だった。

 数年前中国地方の山中で保護されたメスのかっぱが東京の動物園に引き取られたのだが、いつまでたっても妊娠しないので調べたところ、他のかっぱと遺伝子が大きく異なっていたというものだ。東京の動物園にいたかっぱたちはすべてが東北で保護された固体か、それらが交配してできたこどもだった。


「西日本と東日本で、かっぱたちはまったく別の進化を遂げたのかもしれません」


 これまでかっぱが保護された場所はほとんどが東北地方であり、西日本での例は数例、飼育実績もない。このことから今回のかっぱはわざわざ東京に運ばれ、発見に至った。

 件のかっぱの写真も公開されていたが、見た目には他のかっぱとあまり違いがない。色の差は環境差でも現れる。


「たとえば犬はあんなにも犬種があって見た目も大きさも違いますが、同じ属で交配可能です。その逆で似ていても交配が出来ない、一代交配のみという動物も多くいます。見た目や生態だけでは判断が付きません。同じことはかっぱにも言えます」


 川谷さんの生活はいっきに忙しくなった。

 一方で村人たちは秋の終わりの祭にむけての準備で忙しくなりつつある。

 十一月の半ばに水神祭――通称かっぱ祭――を境に、今年のかっぱ漁は終わりを迎えるのだ。


 川の神に収穫物を奉納し、収穫への感謝を表す。

 この時、主が奉納されたものを川辺に作られた祭壇まで取りに来るのだと言う。

 神主のみが立ち合うことが許されている。


「無理だとは思いますが、神主さんに立ち会えないか打診しています。主の遺伝子サンプルを入手したいんです」


 川谷さんは楽しそうに語った。


「かっぱは神聖な生き物だから、研究して明らかにするだなんて不作法だという方もいます。でも私は少々生態や遺伝子がわかったところでかっぱの魅力はなくならない、むしろ増すと思います」





 十一月十七日。

 水神祭は盛大に行われた。

 村から出ていった人々も、家族を連れてやってくる。近年では、観光客の姿も多い。人口は五倍に膨れ上がる。


 夜、川辺で神楽が奉納された後に、人々は集会場に集う。酒と料理が振舞われるのだ。

 観光客も歓迎されるのだが、これが過ぎると宿から出ないよう、厳重に注意される。

 宿には村人が見張りに立つほどである。

 村人も外には出ない。神主のみが河原に出て、祝詞をささげる。これを他の者が見ると災厄が訪れるとされていた。



 結局、川谷さんの希望は聞き入れられなかった。



「遺伝子だけ調べられても、かっぱの謎は尽きません。もちろん知りたいとは思っていますけれど。――でもまずは、ここに暮らす人々のようにもっとかっぱにとって近しい存在になりたいです。そうすればいつか、もっと知識を深める機会がやってくる。そんな気がしています」



 祭りから間もなく、雪が降った。

 山間の村に、厳しい冬が訪れる。


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