どこまでが試食かな
何年か前、スーパーの食品売り場でソーセージの試食を
やっていて、いかにも食欲をそそる香りが漂ってくるもの
だから、これはこれはとばかりに一本の爪楊枝で何切れも
刺して食べていたら、ソーセージ担当と思しきおばちゃんが
やってきて「そんなに食べないでください」と怒られた
ことがある。いい年したオヤジが公衆の面前で叱られて
しまったので、恥ずかしくてしょうがなかったが、何もそんな
言い方しなくてもいいじゃないのと若干、腹も立った。
試食なんだからいいじゃないかという甘えがあったのだろう。
ところが、「試食だからいいじゃないの」という発想が
とんでもない事件に発展したことがある。
ちなみに当時、僕は高校三年生。悲劇か喜劇か複雑な思いを
抱いたことを覚えている。いかにも関西発というニュースだった。
昭和59年4月23日。場所は大阪の京阪天満橋駅前。
この日、はるばる青森からトラックで行商にやってきたAさん。
荷台には新鮮で真っ赤なりんご80箱を積んでいる。
勿論、売り物である。心地よい春の陽気も手伝ってか、駅前は
たくさんの人でにぎわっていた。
悲劇は、Aさんが電話をかけるためにその場を離れたほんの
わずかな時間に起きた。
荷台のリンゴの山に、「試食をしていただいて結構です」という
垂れ幕があったのが運のつき。この文章の意味、どっからどう
読んでみても「試食はOK」ということであって、おそらく
この当時でも全国的な常識からすれば、せいぜい一切れ二切れ
味見をするという意味合いであった。
が、そこは恐るべし大阪。
ある人が、リンゴ一つを手にした。そしてどういう経緯かは不明で
あるけれども、いつの間にか試食OKが「リンゴはただやで」
という解釈になってしまい次から次へと人がやってきたのだ。
そのうち、1個どころではなく両手いっぱい何個も手にする人まで
出てくる始末。
「押さんといてくれ」
「これ、わしのじゃ」
主婦からビジネスマンから学生から、トラックの周りには身動きが
出来ないほどの人だかりとなってしまった。千個以上あったリンゴが
消え去るのにそう時間はかからなかった。
当時のニュースで、この模様を写真付で報道していたけれども
とても飽食、日本とは思えない。どこか遠くの国の食糧暴動を
思わせるものだった。
電話を終えて帰ってきた青森のAさん。まさか都会でこんな目に
合うとは思ってもみない。いや、最初、何が起きたのかさっぱり
わからなかった。次第に状況を把握するも時既に遅し。
被害総額40万円。
田舎の朴訥なAさんは
「いまさら警察に訴えてもしかたがない。。。大阪は本当に
怖いところ」という言葉を残し、寂しく青森に帰っていった。
この話には後日談がある。
これでは大阪の恥。大阪の良識を取り戻さなければと地元の
新聞社が青森のAさんへの代金支払いのため募金を開始。
普通、こういうことがあれば被害総額を上回る申し出があり、、、
となるところだが、またまた恐るべし大阪。試食を食べて
何が悪いと開き直ったわけでもあるまいが、募金は被害総額に
満たない31万円。美談にもならなかった。。。
いやいや、ここで再び登場したのが青森のAさん。
募金はすべて交通遺児のために寄付することに。
更に泣かせる一言
「大阪人の真心に触れることができました」と。
Aさんのおかげで美談となったのである。
現代であれば、携帯電話もあってその場を離れることも
なかったろうし、何より荷台のリンゴを奪ってしまうなんて
モラル喪失はないであろう。
昭和の裏事件簿というべきお話。