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UNRETURNED  作者: くりぃむ
4/4

知らない謝罪



 雨の音で目が覚めた。


 病室の窓を打つ水滴が、

 規則的に流れている。


 妹は、起きていた。


 いつものように天井を見ているわけではない。

 今日は、窓の方を向いていた。


 ガラス越しの灰色の空を、

 まばたきもせずに見ている。


 「眠れなかったのか」


 そう声をかけると、

 妹は、少し遅れて頷いた。


 「……音が」


 「音?」


 「水の音」


 それだけ言って、黙る。


 雨の音は、ただの雨だ。

 特別大きいわけでもない。


 だが妹の指先は、

 シーツを握りしめていた。


 朝食を運んできた看護師が、

 冗談を言って笑った。


 妹も、笑った。


 ちゃんと、タイミングを合わせて。


 だが、その後。


 看護師が出ていった瞬間、

 妹の笑みが、急に消えた。


 まるで、

 “やらなければならない表情”を

 終えたように。


 「……どうした」


 俺が聞くと、

 妹は、ゆっくりと俺を見る。


 そして、突然。


 「……ごめん」


 と言った。


 声は小さかった。

 でも、はっきりしていた。


 「何が」


 俺は思わず聞き返す。


 妹は、すぐには答えない。


 喉が、わずかに動く。


 「……間に合わなかった」


 俺の背中が、冷えた。


 「何に?」


 妹の視線は、俺ではなかった。


 病室の床。

 そこに、何かがあるように。


 「……あの子、

 泣いてた」


 知らない言葉だった。


 妹に、そんな記憶はない。


 俺は、何も言えなかった。


 「助けられたのに」


 妹の声は、震えていない。


 むしろ、静かだった。


 「……手を伸ばせば、届いたのに」


 その言葉は、

 誰かの告白だった。


 「でも、怖くて」


 「……動けなかった」


 指先が、強くシーツを握る。


 「……あの子の目、

 ずっと、見てた」


 息が詰まる。


 それは妹ではない。


 でも、妹の身体から出ている。


 「俺を見ろ」


 思わず、肩を掴んだ。


 妹の視線が、ようやく俺に合う。


 その目は、濡れていない。


 涙は出ていない。


 だが――


 深い、後悔の色があった。


 俺の知らない、

 重い感情。


 「……兄さん」


 妹の声が、少し揺れる。


 「人って」


 言いかけて、止まる。


 喉の奥で、言葉が引っかかる。


 「……怖いとき、

 本当に動けないんだね」


 それは、

 理解でも、質問でもなかった。


 確認だった。


 俺は、何も答えられなかった。


 なぜなら、

 それは妹の言葉ではなく、


 誰かが、一度も許されなかった記憶

 だったから。


 「……でも」


 妹は、小さく息を吐く。


 「もう一回、あったら」


 その言葉の続きは、

 言わなかった。


 言えなかったのかもしれない。


 その夜。


 妹は、うなされなかった。


 苦しそうでもなかった。


 ただ、

 眠りながら、何度も手を伸ばしていた。


 空を掴むように。


 届かなかった何かを、

 もう一度掴もうとするみたいに。


 俺は、ベッドの横で立ち尽くす。


 これは制度の話ではない。


 期限の話でもない。


 ただ一つだけ、

 はっきりしていることがある。


 妹の中にいる“誰か”は、

 まだ、終わっていない。


 返却期限は、

 単なる数字じゃない。


 これは、

 未完のまま止まっている感情だ。

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