第6章 整理・整頓・清掃・清潔・躾
神崎鍛冶が開業して、半年が過ぎた。
工房の規模は、着実に拡大していた。
弟子は三人から六人に増え、作業場も隣の建物を借りて広げた。炉は四基、金床は六台。王都でも中堅クラスの工房と言える規模になっていた。
だが、鋼太郎は満足していなかった。
「駄目だ。全然なってない」
ある朝、工房に入った鋼太郎は、開口一番そう言った。
弟子たちが、びくりと身を竦める。
「師匠、何が駄目なんですか」
リーゼが、恐る恐る尋ねた。
「これを見ろ」
鋼太郎は、作業台の上を指さした。
工具が乱雑に置かれている。
鉄槌の横にノギス、ノギスの横にヤスリ、ヤスリの横に材料の端切れ。
何がどこにあるか、一目では分からない状態だ。
「昨日、誰がこの作業台を使った」
「……俺です」
ボルトが、ばつの悪そうな顔で手を挙げた。
「作業が終わったら、片付けろと言っただろう」
「すみません、急いでいて……」
「急いでいたから何だ。片付けないでいい理由になるか」
「……いいえ」
鋼太郎は、工房全体を見回した。
床に鉄くずが落ちている。
材料棚は、どこに何があるか分からないほど乱雑だ。
炉の周りには、灰が溜まっている。
——これでは、まともな製品は作れない。
鋼太郎は、深く息を吸い込んだ。
「全員、手を止めろ。今日は特別講義だ」
◆
六人の弟子を、工房の中央に集めた。
「俺の前の——いや、俺の故郷では、製造業に欠かせない考え方がある。『5S』という」
「ゴエス?」
「五つの『S』だ。整理、整頓、清掃、清潔、躾。この五つの頭文字を取って、5Sという」
鋼太郎は、羊皮紙に大きく文字を書いた。
整理(Seiri)
整頓(Seiton)
清掃(Seisou)
清潔(Seiketsu)
躾(Shitsuke)
「一つずつ説明する。よく聞け」
◆
「まず、整理だ」
鋼太郎は、材料棚の前に立った。
「整理とは、『いるものと、いらないものを分けて、いらないものを捨てること』だ」
棚から、錆びた鉄材を取り出した。
「これは、いるか」
「……いらないです。錆がひどくて、使い物になりません」
ナットが答えた。
「ならば、捨てろ。いつか使うかも、と思って取っておくな。いらないものが棚を占領すれば、いるものを置く場所がなくなる」
鋼太郎は、次々と棚のものを取り出していった。
欠けた工具。割れた砥石。用途不明の部品。
「これは?」
「いらないです」
「これは?」
「いらないです」
「これは?」
「……それは、予備の治具です。いります」
「よし。それは残す」
一時間後、棚の中身は半分以下になっていた。
捨てられたものは、山のように積み上げられている。
「見ろ。これだけ不要なものが溜まっていた。これでは、必要なものを探すのに時間がかかる。探す時間は、生産に使えない『ムダな時間』だ」
弟子たちは、黙って頷いた。
◆
「次に、整頓だ」
鋼太郎は、作業台の前に立った。
「整頓とは、『必要なものを、必要なときに、すぐに取り出せるようにすること』だ」
壁に、工具の輪郭を描いた板を取り付けた。
「これを見ろ。鉄槌はここ、ヤスリはここ、ノギスはここ。それぞれの置き場所を決めて、使ったら必ずここに戻す」
「……輪郭を描いてあるんですね」
リーゼが気づいた。
「そうだ。輪郭があれば、何がどこに置くべきか、一目で分かる。そして、何かがなくなっていることも、すぐに分かる」
鋼太郎は、鉄槌を手に取り、輪郭の位置に戻して見せた。
「『あるべき場所に、あるべきものがある』。これが整頓だ」
次に、材料棚を整理した。
真鍮はここ、鉄はここ、銅はここ。材料の種類ごとに分け、ラベルを貼る。
「在庫の量も、一目で分かるようにしろ。残りが少なくなったら、すぐに発注できる」
弟子たちが、真剣な顔でメモを取っている。
◆
「三番目、清掃だ」
鋼太郎は、箒を手に取った。
「清掃とは、『職場をきれいに掃除し、汚れのない状態にすること』だ」
「掃除なら、毎日やっています」
ボルトが言った。
「やっているつもりだろう。だが、足りない」
鋼太郎は、炉の周りを指さした。
「ここを見ろ。灰が溜まっている。これでは、火の粉が飛んだときに火災の危険がある」
作業台の下を指さした。
「ここを見ろ。鉄くずが落ちている。踏んだら怪我をする」
窓枠を指でなぞった。
指先が、黒く汚れた。
「ここを見ろ。埃が溜まっている。埃が製品に付着すれば、品質に影響する」
鋼太郎は、弟子たち全員を見回した。
「清掃は、ただ見た目をきれいにするだけではない。安全と品質を守るための行為だ。『掃除は新人の仕事』と思っているなら、考えを改めろ。俺も、毎日掃除をする」
◆
「四番目、清潔だ」
鋼太郎は、自分の作業服を指さした。
「清潔とは、『整理・整頓・清掃を維持し、汚れのない状態を保つこと』だ」
「維持する、ですか」
ナットが尋ねた。
「そうだ。一度整理しても、放っておけばまた乱雑になる。一度掃除しても、放っておけばまた汚れる。大事なのは、きれいな状態を『当たり前』にすることだ」
鋼太郎は、壁に貼った「工具の定位置図」を指さした。
「このルールを、毎日守り続けろ。使ったら戻す。汚れたら掃除する。それを習慣にしろ」
弟子たちが頷く。
◆
「最後、躾だ」
鋼太郎の声が、少し厳しくなった。
「躾とは、『決められたルールを、正しく守る習慣をつけること』だ」
ボルトを見た。
「ボルト。お前は昨日、作業が終わった後、工具を片付けなかった。なぜだ」
「……急いでいたからです」
「急いでいたら、ルールを破っていいのか」
「……いいえ」
「ルールを破るのは、一度だけだと思うだろう。だが、一度破れば、二度目も破る。そのうち、ルールなど誰も守らなくなる。それが組織の崩壊の始まりだ」
鋼太郎は、全員を見回した。
「俺はこの工房で、いくつかのルールを決めた。工具を定位置に戻す。毎日掃除をする。材料の在庫を管理する。これらは、守ってもらう。守らなければ、この工房では働けない」
厳しい言葉だった。
だが、弟子たちは反発しなかった。
鋼太郎の言葉には、説得力があったからだ。
「5Sは、製造業の基本中の基本だ。これができていない工房は、必ず品質問題を起こす。品質問題を起こせば、信用を失う。信用を失えば、仕事がなくなる。仕事がなくなれば——」
鋼太郎は、言葉を切った。
「俺たちは、ものを作ることしかできない。ものを作り続けるために、5Sを徹底する。いいな」
「「「はい!」」」
六人の弟子が、声を揃えて答えた。
◆
それから、神崎鍛冶の5S活動が始まった。
毎朝、作業開始前の15分間は、全員で清掃を行う。
床を掃き、作業台を拭き、工具の状態をチェックする。
毎夕、作業終了後の10分間は、片付けの時間。
使った工具を定位置に戻し、材料を棚に整理する。
週に一度、「5S点検」を実施する。
鋼太郎が工房全体を巡回し、整理・整頓・清掃の状態をチェックする。
問題があれば、その場で指摘し、改善させる。
最初は、弟子たちも面倒くさそうにしていた。
「なぜ、毎日掃除しなければならないのか」
「仕事さえちゃんとすれば、いいじゃないですか」
だが、一ヶ月後には、態度が変わった。
「師匠、5Sを始めてから、作業が楽になりました」
リーゼが言った。
「どういう意味だ」
「工具がすぐに見つかるんです。以前は、『あのヤスリどこだっけ』と探す時間がありました。でも今は、必ず定位置にある。探す手間がなくなりました」
「そうか」
「それに、作業台がきれいだと、気持ちがいいです。集中できます」
ボルトも、同じことを言った。
「俺も、最初は面倒だと思っていました。でも、慣れると逆に楽なんですね。片付いた状態が普通になると、散らかっているのが気持ち悪くなりました」
「それでいい」
鋼太郎は、満足そうに頷いた。
「5Sの本当の目的は、『きれいな状態を当たり前にすること』だ。当たり前になれば、わざわざ意識しなくても、自然とルールを守るようになる。それが、躾の完成だ」
◆
5S活動の効果は、数字にも現れた。
不良品の発生率が、半分以下に減った。
「工具がなくて探していた」という作業中断が、ほぼゼロになった。
怪我や事故も、一件も発生しなくなった。
そして、何より——
顧客からの評判が、さらに良くなった。
「神崎鍛冶の工房は、いつ行ってもきれいだ」
「整然としていて、信頼できる」
「ここなら、安心して仕事を任せられる」
工房の状態は、その工房の品質意識を表す。
整理整頓された工房は、製品の品質も高いはずだ——そう考える顧客が、増えていった。
鋼太郎は、その反応を見て、改めて確信した。
5Sは、ただの「お掃除活動」ではない。
企業の競争力を高める、戦略的な取り組みなのだ。
——この世界でも、同じだったな。
前世で何度も経験したことだった。
5Sができている会社は伸びる。できていない会社は沈む。
シンプルだが、真理だ。




