第10章 信頼と評判——神崎鍛冶の躍進
騎士団への納品から一ヶ月が過ぎた。
神崎鍛冶の名は、王都全体に轟いていた。
「神崎の剣は、折れない」
「神崎の甲冑は、寸法が正確だ」
「神崎の工房は、納期を必ず守る」
噂は、商人から商人へ、冒険者から冒険者へと広がっていった。
そして——注文が殺到し始めた。
◆
「師匠、今月の受注状況です」
ナットが、帳簿を広げて報告した。
「剣が120本、短剣が80本、甲冑が30セット、盾が50枚、その他雑貨が約200個。合計で——」
「待て」
鋼太郎が、手を挙げて遮った。
「それは、うちの生産能力を超えている」
「はい、分かっています。でも、断るわけにも——」
「断れ」
「え?」
「納期を守れない仕事は、受けるな。それが俺のやり方だ」
鋼太郎は、帳簿を閉じた。
「QCDという言葉を覚えているか」
「品質・コスト・納期、ですね」
「そうだ。この三つを守ることが、製造業の基本だ。納期を守れないと分かっている仕事を受けるのは、自分から信用を捨てるようなものだ」
「でも、せっかくの注文を——」
「短期的には損をするかもしれない。だが、長期的には信用が残る。信用こそが、商売の基盤だ」
ナットは、しばらく考え込んでいた。
そして、ゆっくりと頷いた。
「……分かりました。無理な注文は、丁重にお断りします」
「それでいい。ただし、断り方には気をつけろ。『今は無理ですが、来月なら対応できます』と、代替案を示せ。そうすれば、客は離れない」
「はい」
◆
だが、需要の増加は止まらなかった。
断っても断っても、新しい注文が入ってくる。
鋼太郎は、対策を考えなければならなかった。
「協力工房を増やそう」
ある夜、弟子たちを集めて、鋼太郎は言った。
「協力工房……ですか」
リーゼが尋ねた。
「そうだ。うちだけで全てを作るのは限界がある。他の工房と提携して、生産能力を拡大する」
「でも師匠、他の工房が、うちの品質基準を満たせるでしょうか」
「そこが問題だ」
鋼太郎は、壁に貼った地図を指さした。
王都の周辺にある鍛冶工房の位置が、印で示されている。
「俺は、これらの工房を訪問して、技術指導を行う。ノギスの使い方、公差管理、5S活動——神崎鍛冶のやり方を教え込む」
「そんな時間が——」
「作る。生産は、お前たちに任せる」
三人の顔に、驚きと緊張が走った。
「リーゼ、お前が品質管理の責任者だ。全ての製品を検査し、規格外品は絶対に出荷させるな」
「……はい」
「ボルト、お前が生産現場の責任者だ。日々の作業を監督し、問題があれば即座に対処しろ」
「分かりました」
「ナット、お前が経営管理の責任者だ。受注、発注、在庫、原価——全ての数字を把握しろ」
「はい」
鋼太郎は、三人を見回した。
「俺は、しばらく工房を離れることが多くなる。だが、お前たちなら任せられる。この一年半で、十分に成長した」
三人の目に、決意の光が宿った。
「師匠の信頼に、応えます」
リーゼが言った。
「任せてください」
◆
翌日から、鋼太郎は協力工房の開拓に乗り出した。
最初に訪れたのは、王都から馬で半日の距離にある小さな工房だった。
工房主は、ラインハルトという中年の職人。腕は確かだが、経営に苦しんでいるという噂だった。
「神崎殿がわざわざお越しとは、光栄です」
ラインハルトは、恐縮した様子で言った。
「率直に話そう」
鋼太郎は、本題に入った。
「俺は、お前の工房と提携したい。うちの注文の一部を、お前の工房で製造してもらいたい」
「提携……ですか」
「そうだ。ただし、条件がある」
鋼太郎は、持参した道具袋から、ノギスを取り出した。
「俺のやり方を、学んでもらう必要がある」
「やり方?」
「測定と品質管理だ。うちの製品は、全て同じ規格で作る。お前の工房でも、同じ規格で作ってもらう。そのために、この道具の使い方と、公差という概念を教える」
ラインハルトは、ノギスを興味深そうに眺めた。
「噂には聞いていました。神崎殿の工房では、どの製品も同じ品質だと」
「その通りだ。それを実現するのが、このノギスと、公差管理だ」
「……難しそうですね」
「難しくない。俺が教える。一週間もあれば、基本は身につく」
ラインハルトは、しばらく考え込んでいた。
そして、決断した。
「お願いします。教えてください」
◆
ラインハルト工房での技術指導が始まった。
初日は、ノギスの使い方から。
「これが本尺、これが副尺。目盛りの読み方は——」
二日目は、公差の概念。
「刃渡り8リール±0.05リール。この範囲に入っていれば合格だ」
三日目は、測定の実践。
「お前が作った短剣を測ってみろ。……8.12リールか。規格を超えている。不合格だ」
「そんな……0.07リールくらい——」
「0.07リールは、大きな差だ。この差が積み重なれば、製品の品質に影響する」
四日目は、5S活動。
「まず、この工房を片付けろ。必要なものと不要なものを分けろ」
「で、でも、これは全部必要で——」
「本当か? この錆びた鉄材は、使い物になるのか?」
「……たぶん、使わないです」
「なら捨てろ。不要なものが作業場にあると、効率が落ちる」
五日目は、作業の標準化。
「俺が示す手順書に従って、短剣を作ってみろ」
「手順書……ですか」
「そうだ。この通りにやれば、誰がやっても同じ品質のものができる」
一週間後——
ラインハルト工房は、見違えるように変わっていた。
作業場は整理整頓され、道具は定位置に並んでいる。
職人たちは、ノギスを使いこなし、公差の範囲内で製品を作れるようになっていた。
「神崎殿、ありがとうございました」
ラインハルトは、深く頭を下げた。
「正直、最初は半信半疑でした。でも、今は分かります。これは——革命です」
「大袈裟だな」
「いえ、本当にそう思います。今まで俺は、『良いものを作る』ことだけを考えていました。でも、『同じものを作る』ことの重要性を、初めて知りました」
鋼太郎は、満足そうに頷いた。
「これからは、うちの協力工房として、一緒にやっていこう」
「はい。よろしくお願いします」
◆
同じように、鋼太郎は他の工房も訪問し、技術指導を行った。
三ヶ月後——
神崎鍛冶の協力工房ネットワークは、12工房にまで拡大していた。
各工房は、神崎鍛冶の規格に従って製品を製造する。
完成した製品は、神崎鍛冶に送られ、リーゼの検査を受ける。
合格品だけが、神崎鍛冶の名前で出荷される。
「これが、サプライチェーンだ」
鋼太郎は、弟子たちに説明した。
「複数の工房が連携して、一つの製品を作り上げる仕組みだ」
「でも師匠、協力工房の製品が、うちの品質基準を満たさない場合は?」
リーゼが尋ねた。
「その時は、不合格として返送する。そして、なぜ不合格になったかを説明し、改善を求める」
「厳しいですね」
「厳しくなければ、品質は維持できない。だが、理由を説明せずに突き返すのは駄目だ。なぜ駄目なのかを分からせ、次は合格品を作れるように導く。それが品質管理の本質だ」
◆
神崎鍛冶の生産能力は、協力工房ネットワークにより、大幅に向上した。
だが、鋼太郎はあえて、急激な規模拡大を避けた。
「師匠、もっと協力工房を増やしませんか? 需要はまだまだあります」
ナットが提案した。
「増やさない」
「なぜです? 売上を伸ばすチャンスなのに」
「チャンスだからこそ、慎重になる必要がある」
鋼太郎は、窓の外を見た。
「急激に規模を拡大すると、管理が追いつかなくなる。品質が落ちる。納期が遅れる。そうなったら、今まで築いてきた信用が一瞬で崩れる」
「……」
「製造業は、信用が全てだ。信用を築くには何年もかかるが、失うのは一瞬だ。だから、俺は無理をしない。現場を見て、管理できる範囲で、確実に拡大していく」
ナットは、その言葉を噛みしめるように聞いていた。
「師匠は、前の国でも同じことをしていたんですか」
「……ああ。同じような経験がある」
鋼太郎は、前世のことを思い出した。
かつて、急成長を目指して無理な拡大をした会社を、何度も見てきた。
そして、そのほとんどが、品質問題や納期遅延で信用を失い、衰退していった。
「成長は、ゆっくりでいい。大事なのは、足元を固めることだ」
◆
神崎鍛冶が開業して、二年が過ぎた。
工房は、王都で最も信頼される鍛冶工房の一つになっていた。
弟子は15人に増え、協力工房は20工房を数える。
年間の生産量は、剣だけで1000本を超えた。
だが、鋼太郎は相変わらず、毎日工房に立っていた。
「師匠、もう現場に出なくても——」
リーゼが言った。
「経営に専念した方が、効率が良いのでは」
「俺は、現場を離れない」
「なぜです」
「現場を離れた経営者は、現実が見えなくなる」
鋼太郎は、炉の火を見つめながら言った。
「数字だけを見ていると、本当の問題に気づかなくなる。製品の手触り、作業者の表情、工房の空気——そういうものは、現場にいなければ分からない」
「……」
「俺は一生、現場の人間だ。それだけは、変えない」
その言葉には、揺るぎない信念があった。
◆
ある日の夕方、ガルドが工房を訪れた。
「神崎、景気が良さそうだな」
「ギルドマスターのおかげです」
「いや、お前の実力だ」
ガルドは、工房の中を見回した。
整然と並んだ工具、きびきびと動く弟子たち、壁に貼られた進捗表。
「お前の工房は、他とは違う。空気が違う」
「空気?」
「秩序がある。皆が自分の役割を分かっている。だから、無駄な動きがない」
「それが5Sの効果です」
「ゴエス……か。お前がギルドに広めた、あれか」
「はい」
ガルドは、深く頷いた。
「神崎、俺は最近、考えることがある」
「何です」
「この世界の鍛冶は、お前が来てから変わり始めた。ノギス、公差、5S——どれも、以前は存在しなかった概念だ」
「……」
「お前は、一体何者だ。どこでそんな知識を身につけた」
鋼太郎は、しばらく黙っていた。
そして、静かに答えた。
「遠い国で、長い時間をかけて学びました。それ以上は——申し訳ありませんが、言えません」
「……分かった。詮索はしない」
ガルドは、鋼太郎の肩を叩いた。
「お前が何者であれ、お前の技術は本物だ。この世界の製造業を変える力がある。俺は、それを支持する」
「ありがとうございます」
「これからも、共に歩もう。お前の知識を、この世界に広めていこう」
鋼太郎は、深く頭を下げた。
窓の外には、夕焼けが広がっていた。
異世界の空だが、その色は、地球の空と同じだった。
——俺は、この世界で何かを成し遂げられるかもしれない。
その予感が、胸の中で静かに膨らんでいた。




