第25話 戦火の残り香
朝靄が、焦げた鉄の匂いを薄めきれずに漂っていた。
黒く炭化した木箱、割れた薬瓶、血のしみた砂。勝ったはずなのに、目の前の風景は全然スカッとしない。
「……ゲームみたいに“ロード”でやり直せたら、どんだけ楽か」
思わず口に出した独り言を、近くの兵が聞いたらしく苦笑した。
「ロードってなんだか知らねぇけど、現実の弾は戻らねぇな」
赤鎧団の兵たちは歓声と沈黙のあいだを行き来していた。
「勝ったぞ!」と肩を叩き合う者もいれば、布で顔を覆い、仲間の名を小さく呟く者もいる。
カレンはそんな隊列を黙って見渡し、短く命じた。
「負傷者を優先搬送。戦死者は名簿を作れ。……記録を残すのは、次に生き延びるためだ」
低く通った声。鋭い眼差しは強いのに、言葉の端に微かな痛みが混じっていた。
シエラは袖を捲り、血のついた包帯を交換しながら、ちらりと俺を見る。
「無茶はしないって言ってたじゃん。……ありがと、でも。助かったの、ほんと」
「いや……俺は口を動かしてただけ。動いてたのはみんなだよ」
「ふふん、そういうとこ好き。――ほら、手貸して」
シエラは小瓶の消毒液を掴むと、俺の指の擦り傷にそっと触れた。ヒリ、と熱い。
近すぎる距離に心臓が跳ねる。横からじとっとした視線。カレンだ。
「副官。治療は簡潔に。……アキト、痛いのは口だけにしろ」
「ちょ、言い方!」
◇
捕虜の檻は廃工場の片隅、傾いだ鉄骨の影に置かれている。
鉄格子の向こうでミラが脚を組み、頬杖をついた。
「来たわね、勝者様。――これが“勝利”の匂い? 焦げた肉と鉄と、少しの絶望」
「挨拶が悪趣味すぎるだろ」
ミラは喉の奥で笑うと、身を乗り出した。指先が格子に触れて、カン、と鈍い音が鳴る。
「でも面白かった。あなた、ただの“珍しい男”じゃない。昨夜のやり口――補給を削って、疲れさせて、それから喉笛。ヴァルガンズの女たち、泣いてたわ」
「……悪いが、泣かせるつもりでやったわけじゃない」
「わかってる。だから、なおさら怖いの。――あなたに“奪われる”のは、戦場だけじゃない気がして」
囁きは甘いけれど、瞳は獲物を測る肉食獣のそれだった。
格子越しに指が俺の胸元をなぞるような空気をつくる。反射的に後ずさると、ミラは唇の端を吊り上げた。
「ねぇ、アキト。赤鎧団の制服、似合ってるけど……いつでも脱げるでしょ?」
「は、はぁ?! な、なに言って――」
「そこまでです」
シエラが間に割って入り、ミラを睨みつける。「挑発なら他でやって。檻、閉めるよ」
「ふふ、かわいい副官ちゃん。妬いてる?」
「妬いてないっ!」
背後で乾いた咳払い。カレンが肩越しに一瞥を投げた。
「挑発しても餌は出ない。……ミラ、だったな。ここは動物園じゃない」
「そう? 私は十分楽しんでるけど」
ミラは片目を細め、最後に俺へ視線を滑らせた。
「忠告だけはしておく。――ヴァルガンズはまだ折れてない。あと、保存局。あそこは“勝者の味方”しかしないわ。次はあなたたちかもね」
保存局。胸のどこかがひやりと冷えた。
◇
正午を過ぎた頃、戦利品の仕分けが始まった。
開けた木箱から出てくるのは弾薬の端数、乾いた硬パン、よれた包帯。どれも量は少ない。
「……三日もたねぇな」
仕分け役の兵が舌打ちし、空の箱を蹴る。
別の兵は、荷車の残骸から金具を外して袋に詰めた。「釘にして再利用だ。銃床の修理に回せ」
俺は自然と脳内の“資源タブ”を開いていた。
(兵站、食糧、人口。徴兵率。損耗。……詰むやつだ、これ)
カレンが歩み寄る。「見た通りだ。勝っても腹は膨れない」
「うん。だから……奪うだけじゃなくて、“回す”仕組みが要る。畑でも、水でも、交換でも」
「口だけじゃないことを、これからも証明しろ」
カレンは淡々と言う。けれど、ほんの一瞬、視線が揺れた。
「……そして、赤鎧団はお前一人の知恵に甘えない。私が守る」
胸の奥に、熱と重さが同時に落ちる。
「頼もしい将軍様だこと」と、誰かの皮肉交じりの声が遠くで笑いに溶けた。
◇
日暮れ。
見張りの兵が壁の一点を指差して叫んだ。
「将軍! これ、見てください!」
錆びた鉄板を避けたコンクリの面に、鋭い刃で刻まれた印があった。
――円環に囲まれた一本の樹。枝に小さな果実の意匠。エデン保存局の紋章。
場の空気が一気に凍る。
「誰が、いつ……?」
シエラの声が震えた。周囲の兵士がざわめき、互いの顔を確かめ合う。
カレンは一歩、二歩と近づいて跪き、指で刻み跡をなぞった。
「新しい。浅い切り口、粉状の欠片が残ってる。……昨夜から今朝の間だ」
「保存局の工作員が潜った?」
「内側の人間が……まさか」
囁きが連鎖する。俺は紋章から目を離せなかった。
(マーキング。見てるぞ、って合図。……もしくは、ここに情報を流す“誰か”がいる)
カレンが立ち上がり、抑えた声で命じる。
「見張り線を再編。交代制を短くする。出入り記録を洗い直せ。……疑いで組織を壊す気はないが、穴は塞ぐ」
「了解!」
兵たちが散っていく。火の粉が舞い、薄闇が濃くなる。
ふと横を見ると、檻の中のミラがこちらを見ていた。薄笑い、ではない。探るような、少し真剣な目。
「ね、アキト。面白くなってきたでしょ」
「……最悪の意味で、な」
ミラは肩をすくめた。「あなたがどこにいても、樹は伸びる。根もね。――誰かが水をやってるのよ」
背筋に、細い氷柱がすっと差し込まれる感覚。
夜空の高み、赤い点が一つ、静かに横切っていった。ドローンか、流星か。判断のつかない光。
俺は唇を噛んだ。
(外の敵だけじゃない。内側にも、穴がある。……国家運営ゲーム、ハードモード突入ってわけか)
遠く、消えかけの火がぱち、と小さく弾けた。




