第四十六話、ねこゼ
他の作品を観させて頂いて、もしくは一話の内容をもっと長くしてもよいのかと思い、実験的にですが続けていたよりも長くしてみました。どなたか助言いただければ助かります!
あれから、おばさんが紹介してくれたバイト先で働いて一ヶ月と半分が経った。バイト先というのはあの日おばさんと出会った居酒屋で。週に五日ほど働らかせてもらっている。最初は皿洗いから始まって。その後、ホールのバイトの子が辞めて。店員さんをしてる。ビールの注ぎ方を褒めてもらって。泡とビールの比率を綺麗にするのがコツだ。
歩夢は現れない。他の常連さんや、お店の人にも聞いていたけど最近の歩夢についての情報もない。でも実は安心していたりもする。きっと京都にはもういないのかな。だけど私は、ただ新しい自分として京都の街で生活を積み上げることに安堵していた。頭の中の霧は晴らそうとすればするほど濃くなった。私はおばさんとの共同生活と居酒屋のバイトで自分の喜びを探そうとしていた。
人が少ない時には常連さんがお酒を奢ってくれて一緒に飲んだりする。店主の神谷さんは物静かな強面な大人だったが、怒ることはなく、すごく自由にさせてくれた。売上になれば良いとのことらしい。
そんな中、一人の常連さんは近くでカフェを経営している。純也さん。白髪が混じった長い髪を丸い眼鏡がうまい具合に納めていた。猫背の純也さんは座ると弱そうだけど立つと以外と大きくてスタイルが良い。
私たちはある共感から仲良くなった。彼は奥さんを失っていた。だけど亡くなった訳ではなく。奥さんがある日突然置き手紙をおいて出ていってしまったらしい。その話を聞いて私は何だか全然違う状況ではあるけれどシンパシーを感じて。それから良くバイトの前に純也さんのカフェに寄った。
今日も三日振りにいや二日振りのカフェに来た。
「いらっしゃい」
彼は曲がった背中を更に少し下げて小さいけど低く聞き心地の良い声で言った。
「こんにちは、特性パフェ一つお願いします」
私は毎回同じパフェを頼む。
マスターは私が話しかけなければ向こうから話にくることはない、仕事をして、その後、本を読む。それを私は見ているのが好きだ。高めの丸椅子に本人の普段の印象とは違ったワイルドな姿勢で単行本を読む。足は片方を開いて片方の長い足の上にのせ首を落として片手で読む。ページを捲る時に足を組み替える。その様子を見ながらパフェを頬張る。アイスクリームはバニラが効いていて甘すぎない。その時々で少し違うトッピングも楽しい。子供の時は私も食べていたんだろうなっ、サクサクしたお菓子達でアイスをすくって食べる。
「マスタぁっ!」
「はーい、どした」
私が呼ぶと嫌な顔一つせず、読み途中の本を閉じてこちらに来てくれる」あぁそうか私はマスターが好きなんだ。その日のバイト中に気がついた。それでも意外だったのは歩夢がいるのにマスターに惹かれている自分ではなくて、そのことに対して到って冷静な自分だった。私は冷静にバイトごにまたカフェに行ってマスターを夜の散歩に誘った。
鴨川の横を歩きながら私は話し始めた。
「私、マスターのこと好きみたいなんです。」
「実は僕も惹かれていたんだ。でも歩夢くんのことはいいの?」
「えっいいんです、いやというか歩夢のことが嫌いになったわけではないんです。ただマスターのこと好きなんだって」
「そうか、僕も嬉しいよ、それにその気持ちを理解できる。でもこれは一過性のものだとも思う。お互いの寂しさを理解できる二人が心の拠り所として最適な相手を見つけた。そしてもっと近づきたいと思う。もしかしたら今の時代もあるかもい知れない、この流行の病の中で人との交流はピーク時ほどではないが減ってきている、そんな所に、だ。」
マスターの首はいつも以上に下がっていた。
「分かります、でもそれでいいんです。一過性のものでも、今は私、誰か、いやマスターともっと親密になりたい。きっと私は誰かに依存したいんだと思うんです。でも、それでも」
「分かるよ……わかるつもりだ」
そう言ってマスターは少しどこか遠くの方を見て厨房の方へ戻ってしまった。お店に流れているレコードのジャズの曲がいつもより激しい音楽に聞こえた。そのリズムに乗って私は急いで残りのパフェを食べ切った。
私はアイスクリームを口いっぱいにして、少し考えた。歩夢のこと。私のこと。日記のこと。旅のこと。えっと私はまず前提として記憶喪失であることを思い出した。お母さんもお父さんも大学の友達も歩夢も居なければ私はその’’ない’’というものに苦しむことはなかった。
私は何かを求めて旅に出たはずだったのに今、新しい幸せの形を見つけた気がしている。そういえば京都に来てからというもの日記もあまり読まなくなったようだ。ああこのまま本当にマスターと一緒になって京都に住んでしまえれば私ももう頑張らなくていいのかな。
いいえ、違うは私は好きで旅を始めてます。次の考えに行こうとした時に目の前に紅茶が現れた、すらりと長い指が優しくカップを運んでいる。ハッとして見ると猫背のマスターが言った。
「落ち着こう」
わたしはその瞬間に忘れた、全て忘れた。数少ない記憶のカケラをどこかにしまってしまった。
次の週から私達は同棲を始めた。同棲といっても私が居候のおばさんの家からマスターの家に引越しただけだ。引越しといっても勝手にしたわけでもない。マスターも一緒に住んでも良いとは言ってくれた。でもやっぱり私が少し強引にお願いしたわけではあるけれど。マスターの家はとっても居心地が良いわけで私は今ままで感じたことのない安心感を感じている。そうね本当にリラックスできる場所がある、そう感じる。あとはそうねマスターと一緒に住むのでバイトのシフトは減らしてもらった。わたし料理なんて元々興味なかったと思ったけど不思議とマスターのためにはご飯を作ってあげたくなった。あとはそう、日記は読むのをやめた。読むのをやめたというか、読まなくなったと言ってあげた方が良いかな。マスターのお家は色んな引き出しがあって、それも不思議な曲線の年代物の机とか、ものすごく小さい引き出しがものすごくいっぱい付いてる引き出しとか、古今東西のアンティーク家具が決して大きくないマンションの部屋にちょうど散らかってるわけではないという具合に上手いこと置かれていた。そしてその引き出しの中を勝手に見ちゃったんだけど、ほとんど何も入っていなかった。だから私はいれた。丁度日記が入る大きさの引き出しに入れた。そして閉めた。
ガシャッ大きな音がしてみると私が洗っていたお皿だった。「あっ」
「ちょっと、どしたの梅ちゃん。上の空じゃない」
おばさんが言った。
「あれ、すいません」
完全に考え事に夢中だった。
「もう、今日は休んじゃいなっ。なんだか悩みごとがあるみたい」
「えっでもっ」
「良いから良いから、平日だし、おばちゃん一人でもなんとかできるよ」
「でも私、悩んでるわけじゃ」
「はーい。そこまで今日は大人しく休んでまた元気に来てちょうだい」
わたし本当に悩んでるわけじゃないのに、いえむしろ嬉しくて幸せボケってやつ、そこまで行かなくとも、まぁいいか。今日は早く上がらせてもらって久々にお客さんとしてカフェに行っちゃおう。
「じゃあ、お言葉に甘えて。無理しないでくださいよ」
おばちゃんにいつもより少し深いお辞儀をして私は店を出た。丁度太陽が居なくなったあとの世界は暗い暗い青でお店の提灯や街の煌めきがいつもより暖かく見えた。地平線の向こうにはもう居なくなっているはずなのに、空はまだその腹の底から湧くようなオレンジを放っていた。
「マスター」
と心の中で呟きながら他のお客さんに接客する猫背くんの背中を見ながら席についた。丁度辺りが真っ暗になって来たところ。きっと閉店前のラストオーダーの時間だろう。このお店には変なこだわりがあって、日が入らなくなってもお客さんが居なかったら閉店。もし居ればラストオーダー、それでも簡単なドリンクだけで完全に暗くなったらお客さんが居ても店じまいを静かに始めてしまう。これはマスターの元奥さんというか今も奥さんなのだが、まあいいが夕飯は一緒に食べたいからと元々8時閉店だったお店のルールを変えてしまったらしい。マスターは「きかないからしょうがなく、お酒も出してないし夜はそんなに入らないから」
と言っていたけれど、私はマスターが奥さんのことを忘れられない程に愛していたんだったて知った。だって今でも、もう帰っても彼女は居ないのに続けているんだもん。その方が寂しいのに。それでもマスターはいつものように首を傾げ「ただ長年の習慣だから」
って言うんだ。彼女に対してのやきもちはないけれど彼女が作った彼の習慣によって一緒に夕飯が食べられているのはなんだか、
「ありがとう」
と
「ごめなさい」
が混じり合って、ただでさえ会ったことのない、ちぐはぐな彼女のイメージはチグハグな感情でより曖昧にされた。
さらに驚いたことにマスターは彼女の写真を一枚も残して居ない。どうやら元々、写真を撮られるのが好きではなかったらしく風景や彼女以外に写真を撮っていても「自分の目で見て体験しなさい」
と叱られていたそう。それでもマスターも私に気を使っているだけで少しはどこか隠しているのだと思う。
私は歩夢の写真はないな、いや、そんな関係ではなかったか。
マスターはいつもより遅く店じまいして私達は引き出しだらけの家に帰った。今日は色んなことが重なっていつもより近い距離でリビングのソファに腰掛けた。マスターの優しさを肌で感じたかった。
「どしたの、何かあった」




