第十八話、デジャビュ
授業終わりに深層心理学の教授は言った。
「今日の授業終わりに僕の主催する、小規模なミーティング形式の授業を開催します。参加は自由なので各自参加の是非は決めるように。なおこの授業の成績には一切影響しないので、成績を上げる為に参加とかはやめてください。純粋にこの授業で学んでいる深層心理学を個人的に深めたい人の参加を待っています」と。
私は行かなかった。でも本当は少し興味があった。だけど他に生徒がいる中で私の症状だとか言いたくなかったのだ。ただ先生は嫌いじゃなかったし、一回だけ話したこともあった。
「梅さん、授業終わり待っていてくれる?」
「あ、はい」課題を提出した時に言われたので、何か問題があったのかと少し不安に思いながら、授業終わりの教室でしばらく待った。
教授はおそらく七十代くらいの白髪の似合う、いつも明るい丁寧な洋服を着た。紛れもない教育者だった。その姿には威厳ではないが、尊敬を感じさせる、佇まいがあった。
それでも不思議と緊張はしない、不思議な趣もあるのだ。
「梅さん、こちらへどうぞ」と言われ、教授の事務室的な所へ案内してもらった。
「単刀直入に言うと、梅さんの事情は聞いている。だからこそ知っていて欲しかった。僕はいつでも話し相手になるよって」
「あ、ありがとうございます」
「梅さんも授業を取っていたら分かるね、深層心理学には具体的な対話を持ってその人の無意識にアプローチする方法がある。僕はもし、君が望めばその対話相手になる用意があるって伝えたかった」
「そのことは授業の内容から理解しています。それでも無意識どころか意識までもが今思い出せない状態なんです」
「意識、自我と記憶っていうのは同じようで実は違う方面からの自己理解になる。だから記憶を思い出すことと無意識の意識化は本質的に違う次元を指してる」
「正直少し難しいですが持ち帰って考えてみます」
「うん、また疑問があったらいつでもおいで、そうだ一つ質問しよう、君は何によって自分を確かにしているの?」
「えっ?」
「詳しくはまた今度聞かせてくれ、それじゃ次の授業準備あるから。また」
「はい、さようなら」
本当はもっと詳しく聞きたいし、話してもらうべきだとも思ったけど、まだ深く関わる気にはなれなかった。
何において確かにしてるかなんて、私には残酷な質問に思えた。だって今、自分自身を確かに感じられて生きてるわけじゃない。その質問は私に新たな疑問を授けた。人って何かによって確かにされる必要があるのかな。
あぁ私って本当になんなんだろう、周りはなんだか私にトラウマだとか思いだせとか、言ってきて。確かに自分自身が分からなくて他人には分かる自分がいるのは理解している。でも今のままじゃダメなのかな? 今の私は違うのかな。「何が?」本当に分からない、過去とか未来とか、今のことだけじゃダメなの?
私は夜道を歩きながら、不貞腐れた。月は細い三日月だった。誰かに話を聞いて貰いたかったけど紗栄子はデートだし、両親は余計心配しそうだし。正直、彼が居たら良かったのにって思ったけど居ないから日記を読むことにした。
いつの日からか、大学にいくカバンにしのばせておいた日記を適当に開くとその内容は読むしかない。私の精神安定剤になっていた。
’’七月’’
今日は日付の記載がないようだ。
’’七月’’ 己は遂に分かった気がする なぜ己がこれほどまでに苦しまなければならなかったのか それはこの社会システムの歪みである 己はこの違和感をずっと感じでいながら言語化できずにいた しかし今 そのモヤは晴れた 快晴が澄んでいて気持ち良すぎる 社会の歯車として教育されて長い そんなものすぐに言語化できるはずはなかった 何故なら言語化できてしまえば己はこのサイクルから抜けだすからである そして己は今 それから抜けだす さようなら ありがとう’’
そうか、そうやって歩夢は学校を辞めることにしたんだ。でも肝心なところは語られているようで教えてくれていない気がする。うん、それでも私には分かるという以上に憧れた。社会とか、歯車とか私には遠い話であるように思う、自分自身が分からずに、ただどこかに一応所属して、一応ことを進めるよう努めている。そうか私は歯車であるのかも知れない。歯車であることにも気付かずに、ただ、のうのうと生きている。歯車としての完成度を高めるために私は記憶を取り戻す。私の人生は今、そんなところだろうか、もしくはもっと高尚な崇高な意味みたいなものが私の人生の中にもあるのだろうか。
夜の帰り道に腰掛けた、小さな公園のベンチがとても特別な場所に感じる。まるで今日、この瞬間に私がここに座って、日記のこの箇所を読むことを既に知っていて、その為に用意した特別なベンチであるかのように。人はこの既視感を’’デジャビュ’’と言ったりするらしい。でも、私しには分からない。本当に以前に座ったことが、何か思い出があるのかも知れないのだから。
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あれから、一ヶ月ほど過ぎて、私は、大学の日常にも、会いたいけど、会えない彼の日記を少しずつ読み進める日々にも慣れてきた。相変わらず最低限には通っているカウンセリングも虚しく、私の記憶は一向に戻る気配がなかった。しかし大学の勉強、つまり授業に出席して、理解して、レポートを書き進める。そんな実務的な部分は逆に捗るのだった。自分の何かが思い出されているのか、新しく何か学んでいるのかは分からなかったが、心理的な部分に反して、実用的なところは苦にならずにできた。
歩夢の日記を読み進めると嬉しいサプライズがあった。それは、この日記は彼がこの前言っていた旅に出るところまでだけではなかったということ。彼はもうすでに一度旅に出ていたのだ。てっきり、あの時、あったあとの旅立ちまでの精神的葛藤ストーリーだと思っていたのだけど、どうやらその葛藤と旅立ちはもっと前に起こっていて、また何度目かに、あの時の旅があったのだ。きっと今回は長いのだろう、もしかしたら海外にも行くのかも知れない、もう帰らないかも知れないような、旅立ちのたび。
ここまで読んでいただいている方がいるのかという純粋な疑問笑