6.夜の訪問者
ジェラルド様が花びらをポケットにしまい立ち上がると、不思議なことに濃密な香りが、あっと言う間に薄くなった。
招かれた客たちも、それぞれに席を立つ。誰も一言も話そうとしないのは、言葉が見つからないからだろう。成功してコーストに逢えれば良かったのか、それとも失敗を歓迎するべきなのか、わかる人なんてきっといない。
ジェラルド様の本心が覗ければ、せめて。
「ジェラルド様。よろしいでしょうか」
廊下には執事さんが控えていた。立ち止まったジェラルド様に代わって、カーリントン卿がレディたちの案内をかってでたので、ぞろぞろと移動が始まる。列の最後尾についていたエリオットと私は、執事さんの言葉を聞いて足を止めた。
「先程、お客様がいらっしゃいました。シモンズ様にご用だそうですがどう致しましょう」
「シモンズ……と言うと、二人いるんだが。どっちかな」
「失礼致しました。エリオット・シモンズ様でございます」
「君にだそうだ、エリオット君」
「エリオット、あなたこんなところに知り合いがいたの?」
「いや心当たりはないな。なんだろう」
ロンドンから二時間、と言う距離的な問題よりも、今は時間が大きかった。こんなに遅い時間になって予告なしに男爵家を訪ねてくるような知り合いはいないはず。
ひとりだけそういう人間を知ってはいるけど、彼はジェラルド様の友人だもの。わざわざエリオットを指名することはない。
「怪しいものではないのだろう、アダムス」
「もちろんでございます」
「ふむ。僕も一緒に行こう。客人になにかあっては、カーストンの名折れだからね」
エリオットの方に手を回して、ジェラルド様はそう言った。
この人たち、そんなに仲が良かったかしら、なんて首を傾げていると、二人して突然、くるりと私を振り返り。
「部屋に戻っていなさいね」
様々な事情を鑑みて、私は私らしくないと自分で強く思いながらもその言いつけは守ることにした。
アダムスさんがメイドをひとり連れてきて下さったので、ご案内に任せて歩き出すと、後ろでお兄様たちの動き出す気配。
なんだか釈然としないけれど。えぇと、たぶん。
『君には記事は書けないよ』
……そういうことか。
エリオットは、私の知らないジェラルド様の事情を、おそらくご本人の口から説明されていたんだわ。
私がその後しばらくして部屋を出たのは、誓ってお客様を確かめたかったからではない。それは隣の部屋を与えられているエリオットが戻れば、説明してくれると思っていたし。
今日の出来事を整理するために日記をつけていて、そのあまりの推測的な文章の多さに飽き飽きして、なにか飲むものが欲しくなっただけなのだ。
馬鹿げているほど広いお城に惑わされ、おそらく無駄に歩きながらもやっとキッチンらしき場所にたどり着き、誰にも会わずに済んだことに感謝しながらお湯が沸くのを待っていると、
「あぁれぇ、メアリーちゃん」
「あ」
と言う間に、ジェラルド様に見つかった。
「お茶?」
どうして坊ちゃまが、自らこんな場所に現れるんだろう。キッチンには入らないのがお約束なのでは。
「えぇ。勝手にごめんなさい」
「いや、こちらこそすまないね。父の習慣でメイドの下がる時間が早いんだ。田舎だからな」
「すばらしいことじゃない」
「そうかね」
私の疑問に間接的に答えてくれたジェラルド様は、奥の棚の下から、秘蔵らしきボトルを取り出して抱え、開け放した扉の向こう、三歩進んで足を止めた。
「良かったら、サロンにいるエリオット君にも運んであげてくれないか」
「あら。一緒だったんですか」
「ミルクをたっぷりと持ってね。ブランデーはボードの右端が最上級だ。使っていい」
ブランデー?
「ジェラルド様はもうおやすみに?」
「はい、下がらせていただきます。メアリーちゃん。今日はありがとう」
「いいえ」
……。
これはやはり記事は書けそうにない。ジェラルド様は、変だもの。