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2.ジェラルド様登場


「お待たせしました。メアリーアン・シモンズです。遅くなりまして、申し訳ありませんでした」


 なんて丁寧な挨拶をした私が、顔を上げた後、くるりと身を翻し、今閉めた扉をまた開けたとしても、決して罪にはならない。多少、大人気ないとは思うが。


「ちょっとちょっと、メアリーちゃん、そりゃないんじゃない? あなたを頼ってやってきた男に対してさ」


 恐ろしいスピードで走ってきて扉を閉めなおした客人の名は、ジェラルド・カーストン男爵候補。彼は次男だが、ホンモノの運命の道を見つけ家を出てしまった兄に代わって、男爵家を継ぐ事に一応は落ち着いている。

 

 はず。……現男爵様の気が、まだ変わっていなかったら。

いっそのこと変わってしまえ、なんて、私は思っているわけではない。


「頼って。なにをですか?」

「聞きたいことがあってさ」

「なんでしょう」


「まぁまぁ、座って座って。聞いてるでしょ? ワタクシ、二時間もあなたのお帰りを待っていたんですよ。真剣なんですよ、メアリーちゃん」


 そう言われてみれば、このシーズンにジェラルド様が、こんな新聞社で夕刻を過ごしているというの

は、おかしな話だ。尋常ではない、とでも言うのか。そんな暇ではないはずだけれど。


「聞いて下さる? メアリーちゃん」


 なんとなく、観念するような気分で、私はディジーにお茶を入れなおしてくれるようにお願いして、彼の前に座ることにした。だいたい、逆らえる立場じゃない。


 私はただの事件記者。貴族様、特にジェラルド様に逆らっては社交欄の記事に困ってしまうことになる。なんといってもこの方は、ロンドン社交界のブラックサファイア(命名者不明)。目が合う女性を次々と恋の虜にしてしまう恐ろしい眼力を持った殿方なのだ。


 ジェラルド・カーストン。


 私にとっての彼は、友人の旦那様の弟君にあたる。ジェラルド様のお兄様は、イーストエンドのバーメイドと恋におちて、四百年の歴史すべてを捨て去り、愛に生きていらっしゃるのだ。

 すばらしい、と両手を挙げて賛成はしないけれど、それはそれで真実の人生なのだろうと、私はあの人を尊敬している。なにより、アナベルとふたり、幸せそうな家庭を見るのは、こちらまで心が和むというものだ。


 突然、男爵候補の弟を持った一般市民の穴ベルは、彼をどう呼ぶべきか考えた末に、最も落ち着くとの理由で、ファーストネームに様をつける道を選んだ。『ジェラルド様』。私が彼をそう呼ぶのも、そこから来ている。


 エレガントでジェントル、そしてハンサムなジェラルド様。絶えることのない、華やかな恋の噂。美しいご婦人方と、紳士たちの厚い友情の社交界。

 この迷宮の街、ロンドンをスマートに生きるため。彼にとっての私は、いわゆる情報提供者といったところだろう。


「昨晩ですね、私は靴を探して召使部屋に行ったのですが」


 白いタイ。今日はセルリーの奥様の音楽会が開かれるはずだ。たぶん私の予想では、そこへは顔を出す予定。


「用意してきた言い訳なんだから、聞き流さないでいただきたい。メアリーちゃん、例えわかっていても、こういう時は付き合っていただかないと」

「あら、ごめんなさい」


 そんなつもりじゃなかったけど。


「それで、召使部屋で?」

「君のところの新聞を見たんですよ」


 その靴でも包んであったと言うのかしら。できれば、古くなってしまったものではなく、旬の話題をクラブで楽しんでいただきたいものだけれど。


「ご愛読ありがとうございます」

「なかなか興味深い記事が載っていますね。いや、感心感心」


 そして、その後が続かなかった。ジェラルド様はご自分の横に置いた、帽子に手を這わせている。おそらくは無意識に。

 ジェラルド様、らしくない。


「いつのでしょう」

「は?」


「何日の新聞ですの? ジェラルド様。お読みになりたいのなら、私、出して参りますけれど」

「いや、そういう事じゃない」

「では、どういったことですか?」


 浮かせかけた腰を、椅子に戻す。

 ジェラルド様は、しばし空中を見つめ、次には花柄のカップを見つめ、そしてかろうじてまだ温かい、その茶色い液体を口に入れた。


 かちゃん。カップがソーサーにぶつかり、意外に大きな音を立てる。なにかを切り捨てるように彼は首を振り、話し出した。


「……連絡先を教えていただきたいんだ。できれば、口を利いていただければ、とも思っているのですが」


 なにを。ジェラルド様。


「どなたに?」

「霊能者の方」

「はい?」


「この暑苦しい夜、涼しい思いをしてみようかな、なんて考えたんですよ。粋な趣向だと思いません?」

「それはまた結構な事ですこと」


 真剣に聞いて損をしたのだという事かしら。ワタクシは。確かに。確かに、ロンドンの夜は暑くて熱くてたまりませんけれど。


「間に立っていただけましょうか? ミス・シモンズ」


「ジェラルド様のお願いを断ることなどできませんわ。ただいま担当の者に確認して参ります。お屋敷に向かえばよろしいかしら」

「いや、向こうの都合にこちらが合わせる。」


「寛容でいらっしゃるのね」

「それに、ロンドンじゃないんだ」


 あら。


「でも、とにかく連絡がつくのかどうかを聞いてきます」


 ドアを抜けようとしていた私は、またジェラルド様の言葉で引き戻された。帽子は横。両肘を膝にのせて、こちらを斜めに見て、そして微笑む。


「父の領地はロンドンから二時間のところだ。それほど遠くないだろう。この季節は緑が美しくてね。風も光も天下一品だよ」

「ご領地で?」


 ドアがキィ、と音を立てて止まった。風が少しだけ、動いている。

 カーストン男爵領。こんなジェラルド様は、初めて見た。


「どうだい? メアリーちゃん。君も一緒に来てみては」

「……一緒に?」


 どうして?


「君と、その担当者の彼。君の従兄だったね、確か」

「えぇ……」


 その通り、ですが。


「ジェラルド様の夏の交霊会だ。話題を呼ばないわけはない。ま、君の書き方次第だけれども」


 かつん。

 こういうぶつかり方はあまりない。夏の交霊会。まったく目に見えないなにかが、体の中で反応する。


 記者魂? そう言い切ってしまうのは抵抗があるとしても、自分だけが信じている、そういう類いのラインのようなものがあるとしたら。


「一部始終を見てみたくなっただろう?」


 こんなジェラルド様の笑いに、うなずかないでいられるはずがない。


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