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11.そして彼女も魔法を使う


 少女の声を聞いたその人は、ロンドンの西、自宅の居間でいつものソファに埋もれて、分厚い異国語の本を広げていた。


 あなたがそれを読んでいてくれたのなら良かったのに。フレディ。せめてその本の世界に沈んでいてくれたなら。

 私の姿を認めると、驚いたような顔をして、それから少しだけ、笑った。ソファの背もたれ越しに笑顔を見せて。


「メアリーアン。早かったんだね。連絡をくれたら迎えに行ったのに」

「そんなことまであなたがしなくていいわ。お仕事は終わったのね。明日はお休みなの?」


 ここでそんな風に笑うということは、休みなど取ってはいないということだ。今日一日だけ、この半日だけ休んだなら、明日からは普通に仕事に出るつもりなのだろう。

 そうして、なんでもないことにしようとしている。この事件で抱いた感情を、当たり前の現実に埋め込んでしまおうとしている。過ぎ行く日々の出来事のひとつにしてしまうつもりなんだ。


 だけど、フレディ。傷は癒さなければ、いつまでも痛むばかりなのに。


「薔薇だね」


 あ。


「えぇ」


 静に本を閉ざして、フレディは立ち上がった。

 空気が。


「あの、あなたにも預かって来たのよ。朝、王様が切ってくれたの。ライトナイトっていう名前、クリステルがつけたんですって。別名があって、ムーンシャインクリステルって言うのよ。王様がそう教えてくれたの」


 フレディは王様と口の中でつぶやいて、すぐにあぁ、とうなずいてくれた。


「重いだろう。いくら花でも、こんなにたくさん抱えていたら」

「そんなことないわよ。軽いのよ」


「光の薔薇だからかな」


 そう言いながら、彼の手が花びらに触れた。大きな手、長い指。

 ……あなたのその手は。


「いい香りだ」


 あなたの澄んだサファイアの瞳。今はどうしてそんなに曇って見えるの? ほんとはそうじゃない。まるで湖水のように透き通っていたはずだわ。

 これじゃ。あなたの手も、きっと……。


「メアリーアン」

「ご、ごめんなさい。すぐ拾うわ。ほんとに、ごめんなさい」


 床に散乱した花を拾うために、私が片方の手で抱えていた分をテーブルに置いている間に、フレディはかがみ込んで、ほとんど拾ってしまっていた。


 私は、あなたの手に触れてみたかったのだ。昨日のジェラルドみたいに冷たかったらどうしようってそう思って。だから、花を抱えていることも忘れて、手を伸ばしたり。


 もう一度花束にして、私にこの薔薇を手渡してくれるこの人の指が、あんな風に……、あんな……。


 ライトナイト。

 クリステル。あなたは魔法を使ったわ。ジェラルドとふたりだけの約束。ふたりだけの秘密。あなただけがジェラルドを導けた。

 光の夜の目覚め。すべてはそう、月のように輝いて。


 私は、なにもできていない。この人に、なにも言ってあげられなかった。ひとつも言葉を見つけることができなくて、ただ、居ただけ。

 苦しみも悲しみも、充分わかっているつもりなのに、どうしてその出口だけがわからないのだろう。どうして私には、なにもできないのかしら。


 こんなに、あなたが。


「手を」


 薔薇。水晶の薔薇。


「手をかして。フレディ」


 祈りの、花。

 フレディの腕はゆっくりと動いて、花束を少しだけ揺らして、――私の頬に、大きな手が触れる。その手はとても温かくて温かくて、私は、泣き出してしまった。涙が花びらに落ちる。夜露の雫がよみがえった。

 涙。フレディの手にも、それは。


「僕は大丈夫だよ、メアリーアン。君が居てくれるから、僕は大丈夫なんだ」

「嘘よ。そんなの嘘だわ。なにもできないもの。いつもいつも、こんなあなたを見ているだけで。私は、なにも言えなくて」


 あなたを助けてあげたいのに。

 私も光をあげられたらいい。あの薔薇みたいに。


「メアリーアン」


 暗闇の中のあなたに光をあげて、こんな時に、なによりも確かにあなたを導いてあげられたら。


「なぐさめるというのは、言葉だけじゃないだろう」


 私も、あなたみたいに、クリステル


「君はちゃんと、魔法を持っているよ」


 ……魔法。

――私たちは、月光の薔薇を間に挟んで、その時初めてキスをした。

 どんな時でも私をメアリーアン、ときちんと呼ぶ彼は、僕のためだけのね、と付け加えて耳元でくすくすと笑う。そんなことにこだわっているの、あなただけだわ、フレディ。


 魔法。あなたのために使えるのなら、それで充分。私の祈りは、あなたにだけ届けばいい。光も花も、あなただけに。


「また、ピアノを弾いてね」


 そう言う私の声は、まるで幻のようだったけれど、フレディにはちゃんと届いてうなずいてくれた。

 両手にいっぱいの水晶の薔薇が、私たちの間で花びらを揺らしている。


 麗しの、白い祈り。

 光。月光。そして、花。月の音楽。永遠に永遠に、輝きを放ち続けて。


 忘れない。あの月の庭。

『光の中ではより輝き、闇の中ではただひとつの道標となる』

 あの、薔薇を。



 Light Night

花……完全八重、花径十五センチ。アイボリーホワイト、中央にプリムローズイエローでぼかしが入る。

香り……甘くフレッシュで持続性がある

葉……豊富で光沢があり、明緑色

開花期……初夏から秋

作出……1896年 英国。ジェラルド・カーストン クリステル・ランバイン

別名……MoonShine


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