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怪異譚  作者: 長峰永地
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拾いモノ

『最近とある住人の生活音が大きすぎるとご意見を受けることが増えています。当マンションは共同生活スペースです。ご利用の皆様が気持ちよく生活できるように思いやりのあるご利用をお願いいたします』

 楠木くすのきは掲示板に貼られた紙を剥がして破り捨てた。

 その「とある住人」とは自分を差していることは承知していた。

(そんなにうるさくしてねぇっての)

 確かに彼が音を出すのは22時までと良識のある時間で収めていたものの都内の安アパートで映画を観たら音は筒抜け、それを覚悟でこの家賃で生活しているんだろと苛立ちも募った。

(だいたい、このボロでマンション名乗るなっての)

 紙を剥がしたのは管理人の見栄、そして住人のガマンの無さに対してのささやかな抗議のためだった。

(引っ越すか?でもこの家賃で部屋探すのしんどいからな)

 駅近、ペット可、バストイレ別。これで4.5万円という破格の値段。この値段で生活音くらいで文句をいう住人の神経がわからなかった。

 実際楠木は動物の鳴き声がしても夜間に洗濯機を回す音が鳴っていても不満こそあれ管理人に文句を言うことなどなかったというのに。

「あら、楠木さん。おはようございます」

 廊下を歩いているところに隣人の老女に話しかけられる。

「乾さん、おはようございます」

「最近天気が良いわねぇ、過ごしやすくて助かるわ」

「ですね、良いですか?電車に遅れそうで」

 挨拶もそこそこに立ち去ろうとする楠木。

「ごめんなさいね。今夜雨が降るそうだから気を付けて」

 乾の言葉を背に受けながら楠木は仕事に向かうのだった。


 誰かが言った通り仕事帰りは雨が降り注いでいた。

 楠木はコンビニで品質の割に値段の高いビニール傘を差しながらアパートへ帰宅した。

 降る雨の鬱陶しさを覚えながら共通廊下を歩くと、そこには雑巾が落ちていた。

 楠木が跨いで通ろうとしたとき、その雑巾が鳴いた。

 雑巾が鳴くわけがない、傘を畳みながらしゃがんで見てみると雑巾と思っていたそれは生き物だった。

 おそらく、仔犬だろう。

 あまりに汚れ、黒ずんでいた、仔犬。

 身体の大きさを見るに生まれてそんなに経っていないのだろう。

(ノラ?それとも捨て?)

 身を震わせている仔犬を見下ろし、楠木の胸には何とも言えない嫌な気持ちが込み上がる。

 もし雑巾として見過ごしていたなら別に気にすることは無かっただろう。

 しかし、生き物と認識してしまった。しかもコレは生きており、雨の降りしきる夜。気温はどんどん下がっていくだろう。

(え?これ放っておいたら見殺し?いやいや、たまたまアパートの前に居ただけだろ)

 楠木はそのまま立ち上がると自分の部屋に向かっていく。

「くーん……」

 ドアの前に立った時、仔犬がかすかに鳴き声を上げた。

 カギを開けて部屋に入る。

 廊下には、今にも消えてしまいそうな仔犬が残されて……。

 楠木の部屋のドアが開いた。

 手にはタオルを持って、廊下に居る仔犬を優しく包むと水分を取りながら部屋へ連れ行くのだった。


 結局、体長10㎝にも満たない仔犬をそのまま放置した時の罪悪感に負けた楠木はボロのような仔犬を抱きかかえながらスマホで対処を調べていた。

 動物など飼ったことはなく、しかも産まれたばかりと考えられる仔犬など育て方も分かるわけがない。

 汚れている状態なので風呂に入れようと思ったが、汚れよりも濡れていることの体温低下のほうが危険と書かれていたため、とにかくタオルで水分を拭う。

 少し拭っただけでタオルはみるみる黒ずんでいく。

 楠木は拾ってしまったことを後悔した。

(嫌なモノを拾ってしまった)

 独り暮らしの楠木にとって、それが偽らざる感想だった。

 仔犬はすんすんと鼻を鳴らしながら少しでも温かい場所を求めているようだった。

 服が汚れるのを嫌がり、タオル越しに抱きかかえ途方に暮れる。

(何か食わせる必要は……)

 スマホを操作しつつ、仔犬の食事を調べる。

 生まれたばかりの仔犬に固形物は厳禁、温めたミルクを与えるといいという。

 楠木は頭を抱えた。この今にも息絶えそうな震えた仔犬を抱えたままミルクを温めること、まして犬用のミルクを買いに行くことなど不可能だった。

 時間は既に20時を回っており、スマホで調べた近所の動物病院の診療時間は終わっていた。

(最悪、死んだらそれまでだろ)

 楠木は半ば自棄になるも、懐に仔犬を抱いたまま寝るのだった。


 翌朝、目を覚ますと仔犬は穏やかに寝息を立てていた。

 昨日のように震えることなく規則的に膨らむ腹を見て胸を撫でおろす。

 軽く揺すって見ると目を開いて大きくあくびをした。

 そののんびりとした行動にドッと疲れを感じた楠木はタオルを下ろすと風呂場に行き、シャワーを浴びようとする。

 仔犬はそのあとをくっついて、扉をかりかりと擦っている。

「お前も風呂入るか?」

 返事をするように「あんっ」と鳴く仔犬。

 浴室に一緒に入ると、軽くシャワーで流す。

 みるみる汚れが落ちてドロドロだった姿から白い毛並みが現れていく。

 そんなにも汚れていたことに驚きながらお湯だけで洗い流すとタオルを取って拭いていく。

(俺がシャワー浴びたかったんだけど、まぁいいか)


 楠木はその仔犬に「シロ」と名前を付けることにした。

 動物を飼ったことのない彼にとって犬の世話など何もわからない。

 相談できる相手もいない以上、スマホで調べて自己流で育てるしかなかった。

 犬と言えば散歩という安直なイメージから近くのペットショップに首輪とリードを買いに行く。

 店員に尋ねながら子犬用の首輪、リード、そして仔犬でも食べられるエサを買っていく。

 手痛い出費だ。動物を飼うということはそういうことなのかもしれない。

アパートに戻るとたまたま部屋から出てきた乾とすれ違う。

「あら?こんにちは」

「どうも……」

 楠木は挨拶もそこそこで部屋に戻ろうとする。

 しかし乾は目ざとく楠木の持っていた袋を見て。

「犬でも飼うの?だからさっきからお部屋で鳴き声が聞こえたのね」

「ええ、うるさかったですか?」

「いいえ、全然。良い人に拾ってもらったわね」

 乾はそれだけ言うとそのまま出かけていくのだった。

 楠木は部屋に戻ると、シロにエサをやる。

 嬉しそうにかぶりつくシロは尻尾を振り続けた。

「そんなに腹減ってたのか」

 食事を終えたシロの頭を撫でて、首輪を付ける。

 少し大きかったようで緩そうだが、すぐに大きくなるだろと気にしなかった。

 そこそこの値段をしたことが大きな理由だった。

 満腹になったのか、そのまま眠ってしまうシロ。

「動物は自由だねぇ」

 楠木はシロの頭を撫でると、改めてシャワーを浴びに行くのだった。


 夕方になると、シロも起きて足にまとわりつく。

 何か構ってほしそうだ。

 先ほど買ってきた紙袋に頭を突っ込み、リードを咥えて尻尾を振る。

 意外と頭が良いのかもしれないと思いながら散歩に連れていくことにした。

 アパートの近くには川が流れており、電車の線路がまたがっている。

 その場所までの往復なら距離としてちょうどいいだろう。

 シロの首輪にリードを付けて部屋から出る。

 川までは15分程度、往復30分なら自分にもいい散歩になると考えていた。

 シロは楠木の後ろをくっついていくように歩いていた。

 初めて歩く道だ、怖いのかもしれない。

 途中学校帰りに女子高生にすれ違いざま笑われた気がしたが、そのことをわざわざ問い詰める理由はない。

 おそらくイヤホン通話でもしていたタイミングでたまたま笑うのが重なっただけだろう、そんな風に考えていた。

 思っていたよりもすぐに川に着く。

 少し小上がりになった土手を登ると川が眼下に広がる。

 階段で舗装されている川原に降りると、シロが興奮して走り出してしまう。

「おい、待て」

 仔犬といえ意外と早い。

 楠木も走って追いかけるが、線路の高架下まで逃げられてしまう。

 すでに薄暗くなりかけた時合いで、高架下などはさらに暗い。

 幸い、シロは暗くても毛色のお陰ですぐに見つけられた。

「いきなり走り出」


 犬神。

 それはこの地域に根付いている、霊力の低い者でも扱える動物霊を媒介にした呪いである。

 その方法は道行きにその動物霊を憑依させた呪物を対象に拾わせて、その拾った者を呪い殺す方法である。

 犬に憑依させることが多いため「犬神」と呼ばれる。

 特徴として、落としたあと拾われるまでは誰にでも見ることができるが、対象に呪いが確定すると術者と対象にしかその犬神が見えなくなる。

 拾う対象を選べないことから特定の対象を呪い殺すことには向いてないとされるが、跳ね返りの少なさから実力の低い術者がよく用いる手段として知られている。


『この前さ、変なおじさん歩いてたの。なんか首輪とリードだけ引っ張ってるヒト。キモくない?あー、そういえばその日パトカーうるさかったかも。……え?首無し?そいつがやったんじゃないのー?あたおかって怖いねー』

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