第6話『城ヶ崎咲妃は追われたい』
なんとか鴨鍋との間に生じた誤解を解き、俺たちはカラオケを再開していた。
「っしゃあ! 90点キター!」
「さすがです咲妃様! サビのビブラートが素晴らしかったです!」
「でしょでしょー? ウチ、この曲結構思い入れあるからさー。めっちゃ練習してるんだよねー」
今、城ヶ崎が歌っていたのは、何年か前に流行った恋愛ドラマの主題歌だった。
確か、フリーターのダメ男が、高嶺の花の美女と付き合うために奮闘するみたいな内容だったような……。
「主演のカッキーの演技がもう最高でさ~。素はあんなにイケメンなのに超ダサダサの陰キャ演技がバッチバチにハマってて、超可愛かった!」
出た、女子特有の謎基準から放たれる『可愛い』
男が女子に向かって言う『可愛い』は概ね『付き合いたい』に変換できるが、女子の『可愛い』は複雑怪奇だ。
この場合、イケメンがあえてダサい演技をしているギャップが『可愛い』ということなんだろう。
うーむ、さっぱり理解できん。イケメンは普通にかっこよく振る舞ってる方がいいんじゃないか?
「『ダメ恋』でしたっけ? それなら私も見てました! 柿原さんみたいなかっこいい人に追いかけられて、何が不満なんだよって、私、女優の人恨んじゃいましたもん!」
「あはは、それ分かるー! やっぱり恋愛は追いかけられてこそよね~。カモちゃんはどっち派? 追いたい派? 追われたい派?」
「そう、ですね……私、片思いしかしたことがないので、誰かに好かれてみたいとは思います」
「へえ~、じゃあ、オタクとかどう? こいつ、惚れっぽいからちょっと優しくしたらコロッといっちゃうと思うよ?」
うわっ、いきなり飛び火してきやがった!
ガールズトークだから首を突っ込むまいとしてたのに!
「え、副会長ですか……?」
「答えなくていいぞ鴨鍋。その答えに困ってる目つきだけで言いたいことはだいたい分かった」
「すいません、人間としてはどうかと思っていますが、正直顔がタイプではないので……」
「そこは人間としては尊敬するところだろ!」
なんか俺、後輩からの印象悪くないか?
おかしいな。俺なりに優しく接しているはずなんだが……。
灰塚や鴨鍋になら、基本侮辱されても流してやっているというのに。
ま、親の心子知らずといったところか。
いつかこいつらも俺の真心を理解する日が来るだろう。
鴨鍋の返事に爆笑していた城ヶ崎が、目尻に涙を浮かべながら、今度は灰塚に話を振った。
「はー笑った笑った。うっしーは? 恋愛はどっち派?」
「そッスね。自分は追いかけたい派ッス」
「お、意外に肉食系?」
「肉食系っていうか……」
灰塚はどこか遠くを見るように、カラオケルームの天井を見上げた。
「……頑張ってる人を応援するのが好きなんスよ。自分は何やっても中途半端な人間なんで」
「そうなのか? お前、中二の頃、陸上で全国いったんだろ? しかもそっから引退して本格的に勉強始めて、それで海神学院に受かるんだから、すげえじゃねえか」
「怪我で部活できなくなって、勉強以外やることなかったんで、暇潰しにやってたらたまたま受かっただけッスよ。受かったあとは燃え尽きてこのザマですし。才能ないんスよ、自分」
「そんなことないと思うけどなあ。もっと自信持てって」
「…………」
「……ありがとうございます、先輩。でも自分が大したことないのはほんとッスよ」
前々から思っていたが、自己評価の低いヤツだな、灰塚は。
部活も勉強も、十分に自慢できるレベルの文武両道っぷりのはずなのに。
常に必死こいてる俺からすれば『その気になれば何でもできる』っていうのはちょっと憧れるし。
「ねえ、オタク。アンタはどっちが好み? ……って、聞くまでもないか。男は追いかけられたいに決まってるよね~」
「そ、そうです! 男性はいつも隙あらば女性を狙っているものですから!」
「むっ……」
と、城ヶ崎がニヤニヤほくそ笑みながら俺への攻撃を開始する。
やけに不機嫌そうな鴨鍋から、援護射撃まで飛んできた。
基本、男はモテない生き物である。
生殖行為に付随するリスクが、男と女で段違いであるわけだから、生物学的にも男はヤリたがる生き物で、女はヤラせたがらない生き物なのは当然だ。
しかし、だからといって素直にそれを認めてしまうのも癪な話で。
「そ、そんなことはない。俺は追いかける方が性に合ってるぞ」
嘘です。追いかけられたいです。
一度でいいから、女子の方から言い寄られてみたいです。
待てよ、さっきの灰塚の……は冗談みたいなもんだから除外か。
「へ、へえ~……ちなみになんで?」
「男の狩猟本能ってヤツだ。逃げてるもんを見たら追いかけたくなるもんなんだよ」
ちなみにこれは嘘ではない。
俺は誰かの後塵を拝すのが大嫌いだからだ。
いつも走り続けて、俺の前を行くヤツを追い抜くことに生きがいを感じてきた。
……だが、その生きがいを邪魔する女が、とうとう現れた。
それが、
「……そう、城ヶ崎。お前のことだ!」
「ふえっ!? う、ウチ!?」
「そうだ! 俺はいつか、お前の肩に手をかけ、必ず追い越してみせるぞ! せいぜい首を洗って待っていることだな!」
城ヶ崎は俺の堂々たる宣言に脅威を感じたのか、口元を手で抑えて固まっている。
「ふははは! 恐れたな!? おののいたな城ヶ崎! そんなに俺に追いつかれるのが怖いか!?」
「は、はあ!? ぜんっぜん怖くなんかないしっ! ウチがアンタなんかに追いつかれるわけないし!」
「それはどうかな。俺は一度手に入れると決めたものは必ず手に入れる男! なぜなら、手に入れるその日まで、決して諦めることはないからだ! つまり、貴様はもう実質的にこの俺の手中にあるということだ!」
「っ~~! だ、誰がアンタみたいなオタクのベタベタした手の中にいるってのよ!」
「ベタベタはしてねえよ!」
顔を真っ赤にして怒りながら、城ヶ崎は空になったコップを掴んだ。
「も、もう! 変なこと言わないでよね、オタクのバカ! ドリンクとってくる!」
「あ、私も行きます咲妃様!」
鴨鍋が城ヶ崎の後に続いて部屋を出ていった。
が、ドアの近くでキッと俺の方を振り向いて、
「やっぱり副会長ははれんちです!」
謎の一言を言い放っていった。
俺はコーラをすすって、乾いた喉を潤す。
「はっはっは、これでまた、勝利へと一歩近づいたぞ。どうだ灰塚、さっきお前が言っていたことを実践してみたんだが」
「……は? 自分、なに言いましたっけ?」
「言葉には魂が宿るってヤツだよ。よく言うだろ? 目標は周囲に公言することで実現しやすくなるって。要するに自分にプレッシャーをかけてるだけなんだが、いや、あんがい効果があるもんだな、ビシッと気が引き締まったよ」
すると、灰塚はうつむき加減にボソッとつぶやいた。
よく見ると、頬が若干赤く染まっている。
「……自分、そんなつもりで言ったんじゃないんスけど……」
「え、そうなの?」
「だって、あんなの、ど、ド直球の告白みたいなもんじゃないッスか……聞いてるこっちが恥ずかったッスよ……」
「ええっ、告白!? 誰が!? 誰に!?」
「先輩が会長にッスよ! 必ずお前を手に入れてみせるなんて、少女漫画のオラオラ系男子じゃないんスから……」
「いやいやいや! 俺そんなつもり微塵もなかったんだが!? 俺はただ、城ヶ崎への挑戦の意を表明しただけであって」
「そういうとこッスよ! 先輩がズレてるのは! ああもう、マジで気をつけてくださいよ! 完全に会長、勘違いしてましたよ」
「マジか……」
いや、しかしこれはむしろ好都合かもしれない。
完全な無意識のうちから繰り出した一撃で、城ヶ崎は思わぬダメージを負ったということだ。
これぞまさに菩薩の拳。いかなる達人であろうと、完全に『意』を消した攻撃には対処できない。
フフ、己の才能が恐ろしいぜ……。
灰塚はため息をつくと、カランとコップの中の氷を鳴らして立ち上がった。
「自分もドリンク取りに行ってくるんで、頭冷やしといてくださいね」
「へいへい。あ、俺トイレ行ってくるわ」
「え、じゃあ自分待ってますよ。荷物番いないとまずいっしょ」
「いいのか? 悪いな、すぐ戻る」
俺は灰塚を置いて部屋を出た。
えーと、トイレはこっちだったかな。
用を足してから戻ってくると、俺たちの部屋のドアがちょうど閉じるのが見えた。
どうやら、ちょうど城ヶ崎たちが戻ってきたようだ。
「待たせたな、灰塚……」
言いながら中に入ると、
「ちょっと、マジでウザいんですけど! 早く帰ってくんない?」
「本当にやめてください……!」
「……チッ。だる」
「いいじゃんいいじゃん、一曲だけ! 一曲だけ一緒に歌わね?」
「てか君ら海神だよね? その制服。めっちゃ頭いいとこ」
「やっば! 勉強できんのに可愛いとか最強じゃん!」
なにやら、見知らぬガラの悪い男どもが、城ヶ崎たちに絡んでいた。
海神学院の制服は、白を基調とした特徴的なものなので、他校からも認知度が高い。
おまけに我が生徒会の役員たちは美人揃い。
勉強ばかりで遊びを知らない、ピュアなお嬢様たちと思われても無理はないだろう。
アホな男どもからすれば、格好の獲物として映るはずだ。
まったく、手を出す相手を間違えたな、愚か者どもめ。
そこにいるのは百戦錬磨の最強ギャル・城ヶ崎咲妃と、その愉快な仲間たちだぞ?
十把一絡げのナンパ男ごときに手を出せるような相手じゃない。
分かったら、とっととお引き取り願いたいところだな。
「あ? 何お前。なんか俺らに用?」
俺に気がついた男の一人が、威圧的に迫ってくる。
身長はそれなりに高いし、髪型もかなりいかつい。
『こうすれば相手はビビる』っていうのを心得た、チンピラの所作だ。
だが、所詮は虚仮おどしに過ぎない。
「そりゃこっちのセリフだっつーの。店員さん呼ぶぞ」
「『店員さん呼ぶぞ!』だって、かっこいいー!」
「ねえ、このオタク臭えヤツ、もしかして君らの知り合い?」
「そうだけど、だから何? アンタらに関係ある?」
「うっひゃっひゃっひゃ! いや、釣り合わなさハンパな!」
「似合わねー! あ、それか財布役? 金だけ出させてんの? 悪いねー君たち」
やれやれ、言われたい放題だな。
ま、実際俺と城ヶ崎たちとじゃ、見た目のレベルが違いすぎるのは自覚してるけど。
イラッとした様子で、城ヶ崎が男たちに反論する。
「はあ? そんなわけないっしょ。あいつは……生徒会の、ウチの右腕みたいなもんよ。アンタらなんかより、ずっと頭いいんだから!」
「そう怒んないでよ、ほら」
「ちょ、触んな……!」
ガツン!
強引に城ヶ崎の肩に手を回そうとした男が、逆に顔面に肘鉄を食らってのけぞった。
肘鉄というよりは、振り払った腕が偶然当たってしまった感じだが。
「……いってえ。てめえ、調子乗ってんじゃねえぞ!」
「いたっ、やめてよ!」
「咲妃様!」
「会長!」
一瞬で真顔になった男が、城ヶ崎の胸ぐらを掴み上げる。
さすがの城ヶ崎も、キレた男の迫力には負けるのか、一転して怯えた顔を見せる。
……おいおい、そりゃ洒落になんねえだろ。
「お前、いい加減に……」
「すっこんでろ、カスが!」
間に割って入ろうとした俺を、男がドンと腕で押しのける。
倒れたコップが床に落ち、ガシャンと中身と氷を撒き散らして割れた。
……カス? この俺が?
ビキ、とこめかみに青筋が立つ。
今、こいつ――俺を侮辱したな? 見下したな?
というか、そんなことより、誰に手ぇ出してんだ?
城ヶ崎咲妃はお前らがちょっかいかけていい女なんかじゃない。
悔しいけど、認めよう。
城ヶ崎は凄いんだ。誰よりも勉強ができて、誰よりも愛されてる、海神学院の頂点に君臨してる女だ。
そんな女に――お前らみたいなゲスの汚い指を触れさせるな。
俺はメガネをとって胸ポケットに収めながら、低い声で告げた。
「お前ら――全員表出ろ」
次回、オタクが無双します。
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